ビルトニアの女
赤い川は海に還りその花は散るのみだと【7】
 その国特有の美の形容詞がある。トルトリア王国は“風歌う”美女、マシューナルは“月よりも美しき夜空”など。
 トルトリア人の髪の毛は他の民族より若干軽く、そして髪を結う習慣がなく銀の砂漠を吹き抜ける風が、トルトリア人特有のクセのある亜麻色の髪を綺麗に舞い上げるところからこの形容詞がつけられた。

「うわあああ! ねえ、アマンダさん! エルスト義理兄さん! 似合います? ベルーゼさん、シルダさん、バリスハさん!」
 翌朝、舞踏団を訪れたドロテア達は舞踏団の方で用意してくれたトルトリアの正式な衣装を差し出された。初めて着るヒルダは大喜びで、マリアは少し困惑したような表情をし、ドロテアは口の端を少し上げた笑いを浮かべ着替え室へと向かった。トルトリアの正式な衣装は、深緑色に金で刺繍しているベスト、ふくらはぎの中ほどまでの長さのフレアスカートはレース生地。此方の縁は銀糸で刺繍されている。二の腕の中ほどから肘までがピッタリとし肘からゆったりと幅の広い袖口になっている。袖口は赤糸で刺繍されるのが昔からの慣わしで、足元は素足でサンダル履き、足首には幅の広い足環をつける。帽子は前頭部を隠す程度で、髪は“風歌う”の形容通りにほどく。
 僧服を脱いでトルトリアの祭り衣装を着たヒルダはよく似合っていた。トルトリア人の普段着も殆ど着たことのないヒルダにとっては、楽しいに他ならない。
「おお、綺麗だ綺麗だ」
「本当に綺麗ね、まさに風歌うトルトリアの美女よ」
 衣装を準備してくれた団長と、本日司祭の前で舞うアマンダが準備をしながら一番に現れたヒルダに手を叩く。社交辞令を抜きにしても本当に良く似合うし、トルトリア美女と呼んで差し支えないヒルダの姿に、準備中の団員達の手が止まり、珍しいものを見るかのように見つめ続ける。
「綺麗だよ、ヒルダ」
 昨日、クラウスから届けられた正装を似合わないまま着ているエルストがヒルダを褒める。ヒルダの次に出てきたのはマリア
「これでどうかしら?」
“月よりも美しき夜空”と形容される黒髪が特徴のマシューナル出身のマリアだが、
「マリアも綺麗しか言いようがないな」
 とにかく綺麗なので似合う。黒髪なので色の濃い洋服も似合うのだ。
「綺麗ですよ、マリアさん! 間違い無く世界一の美女です!」
 着慣れない洋服に少しばかり気後れしているマリアに、ヒルダが駆け寄り似合う! とわが事のように声を高くしている。
「居るものなのね……綺麗な人って」
 周りを釘付けにしている二人の着付けを終えて、トルトリア衣装を着て現れたのはドロテア。
「何騒いでるんだよ」
 いつものような歩き方で現れたドロテアは
「うわぁ! やっぱり着慣れてるだけあって似合ってますよ姉さん!」
 誰の目からみても完璧だった。トルトリアの民族衣装が此処まで似合い、華麗に魅せてくれる人間は他にいないだろう! と誰もが納得するほどの
「ああそうか? 着るのなんて暫く振りだが、二人とも似合ってるぜ」
ドロテア自身は別に、ちょっとハデな衣装としか思っていないのだが、とにかく似合う。
「アナタ程じゃあないわよ」
「まさに風歌うトルトリアの美女が二人ね」
「本当に」
 衣装を着て舞踏団の中をウロチョロしているヒルダと、化粧などを手伝っているドロテアと、急に必要になった衣類を縫っているマリアと、既に襟元が緩み始めたエルスト。
 緩慢に過ごしているエルストに、ドロテアは懐から出した時計に目をやり
「エルスト、そろそろ行ってやった方がいいんじゃねえか? 遅れていったら多分クラウス泣くぞ。無駄に真面目な男だし」
声をかける。
「そうだな、名残惜しいが」
 “そういえばそうだったね”程度の表情でエルストは立ち上がり、一応襟元を直し、ドロテアに直され天幕を後にした。
「なあに、チトー五世から一番見える場所にいてやる。よく見えるはずだ」
「それじゃあ、またな」
 エルストから遅れる事半時間、ドロテア達もバザールの開幕セレモニーが開かれる会場へと移動を開始した。

『全員鎧で正装かよ……それにしても、死者に近い感じを受けるんだが。ま、ほっとくか……』

**********

 一足先に会場についたエルストは、軽く左手を上げクラウスに挨拶する。エルストに対する、昔の同僚の眼差しは多くは嫉妬だった。
 昔はうだつの上がらない同僚だった男が、いつの間にか自分達の主と同席するのだから普通の人間であれば当然かもしれない。それも当人の力ではなく、妻の影響力……となれば悪口には事欠かない。ただ欠きはしないが、大声で言えないのも事実であり、言われた相手がそれを気にする素振りもない。
 エルストはバカではない。悪口を言われている事も、悪口の内容も解かっている。そしてそれを無視する事が最良の策である事も、そして悪口が鬱陶しく、ドロテアを傷つけるようであればこの国の最高位についている司祭・チトーを使えば良い事も。
「規則ですので、剣はこちらで預かります」
 席に向かう際、エルストは腰から下げているレイピアをクラウスに預けた。一応、司祭と隣席する際は丸腰が基本だ。隣席させた相手が切りかかってきたりしたら一大事なので。最も、司祭の直ぐ脇に控えているクラウスはギュレネイス特有の警棒を持っている訳だから、刃物をもったエルストが司祭に切りかかったところで敵うはずもない。
 警備隊長は武も抜きん出ているのは当然のことだ。
「ああ。どころでクラウス、コレはいいだろう?」
「手甲?」
 エルストの腰からぶら革紐で吊るされた黒い手甲。
「ドロテアの手甲なんだよ。これは俺が管理しなきゃならないんで、これ皇帝から贈られた代物だから触らない方が良いとおもうよ」
「……まあ嵌らない手甲ですから」
 皇帝からの贈物の部分に、僅かに背筋が伸びたクラウスを見てエルストは苦笑を隠す事はしなかった。
「そりゃどうも」
 笑いを特に押し殺しもせずに、含んだままの声でエルストは再び左手を上げて軽く礼をする。エルストの剣を布で巻き、小脇に抱えクラウスは促す。
「ではこちらに」


「何でクラウス隊長が管理するんだろうな?」
「さあ? 司祭閣下が謁見する場所の隅に置くらしいけどな。そんなに近い場所に置いてたら意味がないだろうに」
「バカだな。エルストを信頼していると表現する為だよ。ほら、アイツの女房って皇帝の女で今でも口利けるらしいぜ」
「あ、なる程な」


そんな声を無視し、二人だけで司祭がつく席のある部屋に向かう途中エルストが口を開いた。
「随分と多かったな」
「ああ。……いざと言う時は閣下を御願いする」
「お前より弱い男に頼むなよ」
「頼んだぞ」
「適当にな。まあ、あのくらいだったらその魔法剣で勝てるだろうけどな」

 “随分と多い”“あのくらい”と主語を抜かして会話をしているが、当然その主語は傭兵達。クラウスがエルストの剣を隣席する場に剣を持っていくのは、これが本心だった。勿論、遠くで部下達が言っていた言葉も本当ではある。チトー五世がそうしろと命じ、従っているのでもあるのだが。

**********

「少しは楽しんでいるか、エルスト」
「はい」
「クラウスや学者に聞くところによると、お主の妻は美しい上に頭も相当切れるようだな。エド法王も感服する程に」
 それ以上に口が悪いのだが、それはこの場では話題に上らない。
「まあ、そうですね……そうそう、気分を害されると困りますが、一応ご忠告を」
「何だ?」
「聖騎士マリアは“綺麗”や“美人”と言い寄ってくる男は嫌いですから、お気を付けてください」
「これは驚いた、何故私が聖騎士マリア殿に興味を持った事に気付いた」
「それなりに一緒にいますとね。ドロテアに好意を持った男は睨んできますが、聖騎士マリアに好意を持った男は親しげに近づいてきますよ。最も聖騎士マリアに紹介する気はありませんけれど」
 そんな事をしたらドロテアに叱られてしまうし、そんな事をする必要などエルストにはない。
「中々。油断できない男だな、なあクラウス」
「は、はっ!」
「最後に妻からの忠告です。“マリアには手を出さない方いいだろう。エドと交友関係を保ちたければ”だそうです。セツ枢機卿がかなり好意を抱いておられましたからね、聖騎士マリアに」
 “マリアが嫌いだって言ってたから、こういう風に言って牽制してこい! あ? 俺? 俺は適当でいいぞ、俺が何とかするからテメエは美人局とかに引っかかんないように気つけろ”などとエルストが指示されているとは、チトー五世も思うまい。
「それは、それは。注意しておこう」
「張り合うのも良いが。とも申しておりました。そこは閣下のお心でご判断くだされば」

**********

何となく頼りないような気がする男だったが、決してマヌケではなかった。
私がギュレネイスに来て、一番最初に友達になってくれた男。
「始めまして、エルスト=ビルトニアだよ。クラヴィス君」

**********

 舞踏団の踊りが始まり、ドロテア達は一応エルストが見える場所へと移動した。
「あ、義理兄さんだ! エルスト義理兄さん!!!」
 大歓声の中、聞こえるはずもないのにヒルダは大声で叫び、そして手を振り回す。
「そんなに勢いつけて手振らないでも」
 袖口が広い服なので、バフバフと物凄い音を立てて動かされる手と、全く気にせずに
「ほら、姉さんも、姉さんも!!」
 姉の手を取り手を振り回す、
「うおっ! 痛いっ! ヒルダ!!」
「今ドロテアの肩、ゴキッ! って音したけど大丈夫なのかしらね」
 ヒルダに右腕で吊るされているような状態になっているドロテアの腕は、確実に痛かった。
「平気ですよ。姉さん格闘技できますもん」
 そう言いながら、腕を持ってかすかに関節をきめているヒルダもエド正教ロクタル派、武術が精神鍛錬として組み込まれている授業を受けてきた僧侶。
「……関係ねえぞ、莫迦」
 さりげなく、だが確実に痛い腕と、言動の意味の解からない突進力にドロテアは目頭に指を当て、色々と考えてしまった。
『コイツ、このままロクタル派に置いておいていいのかなあ……』
 このまま武術の道を極めようものなら、違う意味で被害が甚大になりそうだった。

**********

 チトー五世との会話を適当に流しつつ、踊りも目の端で追いながら、肩をきめられている妻ときめている義理の妹と、“あらあら”といった表情の知人女性を眺めているエルスト。司祭閣下の前なので、頬杖などはつけないが、心の中では頬杖をついたような格好で『あれ、俺がやったら叱られるよな』などとヒルダの動きを楽しげ見守りつつ、小さく手を振って返事をしていた。
「何事だっ!」
 踊りが佳境に差し掛かる前に、音階を乱す金属音が辺りに響き渡る。本当は叫び声もあげられていたのだが、それは歓声と音楽にかき消されていた。音階を乱す金属音、正体は
「傭兵が円形劇場に押し入ってきました!」
 アマンダ達が踊っていた場所に多数の傭兵が雪崩をうって乱入してきた。
「やはりきたか! 我々は閣下をお守りする!」
 目の前の“大勢”が陽動である事くらいクラウス以下警備隊員には解かる。クラウスにエルストに目配せし、剣を取るように促す。
「はい!」
 クラウスの声に反応した部下たちが機敏に動いている中、エルストは一人のんびりと布の中から剣を取り出し腰に下げなおした。

**********

 戦争というにはまありに敵の正体が解からなので、今の所暴動という言葉を使うのが適切だと思われる。狙いはチトー五世だろうが、目に入ったものは全て切りかかり、中央で踊っていたアマンダ達にも凶刃が向けられたが、ドロテアが呪文を紡ぎ敵を弾き飛ばしつつ逃げ場を失っていた舞踏団の面々を自分の側まで飛ばせる。
「あ、ありがとう」
 アマンダが、何が起こって何が自分を救ってくれたのか理解する前にドロテアは呪文の準備をする。両手の間に光り輝く魔方陣が描き出しながら声をかける。
「気にするなよ。おい、集まれ! 軽く結界かけてやるから。残念がなら杞憂に終わるって事はなかったようだ」
ドロテアに回収された人の中で怪我をしていた人々をヒルダが治し始めた。
「傭兵達ね。やっぱり襲ってきたわね」
 舞踏団全員が集まった所で、グルリと結界を張りめぐらし“もう緊張しなくていいぞ”と声をかけ、結界に手を触れながら強化してゆく。まず第一波を防ぐ結界を作り上げ、ある程度の安全を確保しつつ結界を強化する。用意周到にして確実、それがドロテアの魔法。
「まあ、奇襲だが読まれていれば奇襲にはなりえない。幾らでも対処方法はあるしな」
 結界に向かって切りかかってくるものもいるが、二、三回武器が弾かれるとムダと直ぐに諦め別の獲物に向かってゆく。彼等の目的はあくまでも警備隊と司祭のようだが……
「何が起こっているのか解かるか? ドロテア」
 いきなり現れた傭兵と、驚き一つなく団員達を回収し結界を張ったドロテアに団長が質問するのは当然だ。
「ちょっとしたいざこざだ。気にしないでココで嵐が過ぎ去るのを待てばいい。ほら、あんな風に混乱して踏みつけられて死にたくはないだろ?」
「ああ。それにしてもお前、解かってたのか?」
「いいや。俺は二十二年間警戒を怠ったことはないぜ、お前が耄碌したんじゃねえのか? ベルーゼ」
 しつこく何度も剣を振り下ろす傭兵の頭をドロテアの魔法が吹き飛ばす。仰向けに倒れたそれはピクピクと痙攣するものの、起き上がる気配はない。
「二十二年間ね……大したモンだ。勇者にもなるわけだ、俺はそんなに警戒を続けられなかったな。疲れちまったから……お前の精神力には恐れ入るよ」
 結界の外で逃げる人が倒れた人を踏み潰す音、助けを求める声。傭兵達があたりを壊す音と警備隊の号令、切りかかる時の気合を入れた声と断末魔。殆どの傭兵達はチトーのいる謁見の間の方に向かい、ドロテア達がいる場所は人の気配が急速に薄れ、血と腐臭だけが漂う空間となった。
 遠くでの剣戟と遠ざかる足音、人の死体に直ぐに群がる鳥。
 円形劇場に残りながらその有様を黙って全員が見続けていた。特にドロテアと同じ「最後の日」に逃げ出してきた人々は、結界から食い入るように外を見つめる者と、耳を閉じ目を閉じ座り込み全てを遮断する者の両極端に別れている。
「ねえ、ドロテア……」
「なんだ? マリア」
「最後の日もこんな感じだったの」
「まあね。俺は生き残ったからこの最後の静寂は知らねえけどよ。生き残ってるから、此処に居るヤツラは全員この内臓臭の漂う、ケダモノの餌に成り果てた死体置き場の姿は見たことねえ筈だよ」
「そう……」

 ドロテアは外を必死に見るわけでもなく、全てを遮断するわけでもなくただ黙ってエルストがいる謁見の間の方を見上げていた。
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