ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【28】
 滑るように海を進む船。造りの頑丈な船は、いい風を受けて順調に海を滑り続ける
「どうしたマリア」
 甲板で一人授かった聖騎士証を眺めているマリアにドロテアが声をかける。
「ドロテア。初めて船に乗ったから楽しくて」
 ドロテアに向き直り、マリアが風に持っていかれそうになる長い黒髪を片手で押える。ドロテアは隣に立ち
「そうか」
と、言って黙って海を眺めていた。暫くの沈黙の後
「ドロテア」
「何だ?」
「私が聖騎士の称号貰っていいのかしらね? 私何も出来ないし、取り立てて修行した訳でもないし」
「ああ、それな……」
波に打たれた船が、小さな軋みをあげて


「この旅はいつか終わる。そしたら聖騎士の修行でもするといい。焦る事はない」


「そうね……それからでもいいわね」
 いつか旅は終わっても、消える訳ではない。たとえマリアがエド法国に行ったとしても、ドロテアとマリアは変わらない。
「それに強さは申し分ないだろうが、マリア。吸血鬼に槍刺したんだからな、俺が術使わないでも勝てただろう」
 強さだけではないが、強さが無ければ人を助ける事も出来ない。まして強さだけではないと、マリア自身がその身を持って証明した。
「それを言うなら、吸血鬼を殴り飛ばしたアナタでしょうが」
「はははは! ……何時の間にか強くなったな」
 始めて出合った時、囲まれているマリアの所に駆けつけた時、正直間に合わなかったか? とドロテアは思った。そして間に合ったのを知り、良かったと。顔も見たことの無い相手であっても……だが今度は大丈夫。ドロテアが駆けつける迄耐える事が出来る、いや居なくても。もう一人でも大丈夫
「ええ、アナタが目標だもの」
美しい女は美しい女に微笑んだ。強い女は強い女に微笑みを返し
「そうか、なら左手で握手だな」
 スラリと手を伸ばした。かつて愛人だった頃、その男が最も美しいと称した”左手”を
「私アナタの左手大好きよ」
マリアにも憧れの、黒い手甲をはめる腕。
「俺も好きだ、左手もマリアも」
手を握り、暫し微笑む。
「アナタは本当に強いわ」
手に力を込めて、ドロテアの手を握り返す。
何時かこうなりたいと、何時までもこうなりたいと。

 マリアは綺麗だ完全だよ、だがドロテアは永遠に美を刺激するな。オーヴァートはそう言っていた。
壊れても心は壊れない。そして壊れて尚美しい女。


そんな女になりたいものねと


随分と長い事一緒にいたような気がする
「姉さん!!」
 甲板を走り回る音に手を離し、振り返ると軽装に髪を解いたヒルダが近寄ってくる。
「なんだ、ヒルダ!」
「エルスト義理兄さんが船酔いで、唸ってます!!」
「はいはい! 今行くよ。じゃあなマリア」
「ええ」
「マリアさんは船大丈夫ですか、初めてだそうですけど」
 マリアが初めて会った頃のドロテアよりも若いような表情を浮かべるヒルダがマリアを気遣う。当人は当然船にも乗った事が何度もある
「ええ、平気」
 本当はドロテアもこんな表情を浮かべていたのではないか?とマリアは思う事がある。
「それは良かったです」
 柔らかい亜麻色の、何時もは仕舞われている艶やかな髪が風になびく。その優雅さは聖職者とは思えない程。
「ヒルダはこの旅が終わったらどうするの?」
 生まれ故郷が滅ばなければ、そうであったのではないか?と。
「どうでしょう。聖職者でいるかどうかもわかりませんし」
「……辞めるの?」
「ん〜。子供の頃、姉さんと両親が喧嘩をするのです。何時もじゃないし、仲が悪い訳じゃないんですけど」
風に遊ばれる髪をそのままに、水平線を見つめるヒルダ



−じゃない!!!ヒルダは!−




「私も実は旅に出るって言ったら、両親と大喧嘩。飛び出して来たけどね」
「そうでしょうね、旅に出るって突然言うと、大概何処の親御さんでもそうでしょうね、家の両親は姉さんに対してはそうは言わないでしょうけれど。……姉さんと両親の喧嘩の原因が、私だけはわからないのですよ」
親元を離れたのは七歳の時。ヒルダ自身の意思で
「………そう」
 頭のいい姉が随分と教えてくれたお陰で、神学校に入学する事ができた。
「多分二十年以上前の出来事で、言いたくないのかも知れませんし、言えないで悩んでいるのかも知れません。そう考えて」
 滅んだ国に、何かを置いてきたのだろうなと。幼いながら考えたヒルダの取った道が
「聖職者になったの?」
 単純な考えだったとは思いますが、それが一番だと思って。とヒルダは笑い、少し改まったような顔で
「悲しみを癒すとは言いませんが、後悔を聞ける程度にはなりたいと。回り道のような気もしましたが、いつか言ってくれると信じています。聞く権利があるとは言いません、言いたくなければ言わないのもまた選択肢であり、それを聞くことができなくとも私は後悔しません。でも多分、姉は教えてくれる筈です、あの人なら」
そう言うと確りと笑う。その力強く笑う顔は”ドロテア”によく似ている。
「それを聞いたら辞めるかもしれないわけ?」
 最初見た時似ていると思った、知るにつれて幼い表情が似ていないと知り、今の笑いは正しくあの日の”強い”憧れの女そっくりの顔。
”やっぱりアナタ達似てるわ”
「どうでしょう? まだ解りません」
そして考え直す。多分ヒルダもドロテアのようになるのだ、と。
「そうね……そろそろ話してくれるかも知れないわね」
トルトリアまで行けば全てを知る事が出来るような気が、マリアもヒルダもした。そして……
「はい!」

多分エルストは全てを知っているのだと、二人は”知っている”

気が付かなかった
一緒にいない時間が長かったから

何時の間にか強くなったな

一緒にいた時間が長いが
気が付かなかった

エルストは全てを理解しているのだと2人は”知っている”

「よお。酔いどれ亭主!」

扉が開いた
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