ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【26】
 ヒルダは階位を一階級上がり、マリアは聖騎士の位を貰った。エルストとドロテアは、報酬で方がついたらしい。
「さてと、コレからどうする?」
 結局、ずっと法王庁に滞在している四人と、目の前にいるアレクスとセツ。これから何処に行こうか? とお気軽にして、目的もない旅路について語るドロテア。
「特に急ぎが無いのなら、まだ滞在なされてはいかがですか?」
と、アレクスが言い終わる前に、ヒルダが
「ああ!!」
叫び声を上げた。
「何だよ、ヒルダ?」
「大急ぎでベルンチィアまで!!」
椅子から立ち上がり、テーブルを挟んだドロテアに顔を近づける
「はあ?」
「提出しなきゃならない!」
「何を?」
「あの功徳の書類だろ、ヒルダ」
「はい、そうです。期間が!」
「期間ってなに?」
「この『いい事しました証明書』は提出が出来る期間があってな、特に神学校を卒業したヤツは、その学校を出た国に提出しなくちゃならない。そしてその期間は国によって違うんだ。偶にマシューナルでも聖職者が集まる時期があるだろ、あれがそうなんだ。確かにそろそろベルンチィア公国での提出期間だが……ヒルダ」
 此処まで言い、ドロテアは苦いような表情を作った。セツもアレクスも顔を見合わせて、笑っている。
「何ですか?」
「あのな、書類は何で卒業した学校の国でなくちゃならんか、習わなかったか?」
「一斉にエド法国に持ち込まれると大変だからです」
「ここは?」
「エド法国です」
「急いで行く必要はねえだろ」
 書類は卒業校に集められ、その後エド法国に届けられ、そこで採点というか評価される訳だ。勿論法王が直接見る訳はないのだが。それに法王と枢機卿の印がついた、ドロテア曰く『いい事しました証明書』なぞ、一体誰がどう評価するのだ?
 評価外で一階級位が上がったヒルダだが、ヒルダはヒルダなりに行かなくてはならない理由があるらしい。
「シャーリーと約束してるんですよ! 久しぶりだし」
 ドロテアの肩を握ってガシガシと揺する。”おいおい……”と言った表情のドロテアと
「急ぎで行き場所が出来たじゃない」
笑うマリアと
「そう言う事だな、ドロテア」
笑うエルスト
「ちっ…仕方ねえな。海路で行くか」
ドロテアは小さくアレクスに手を振った。

**********

やはり海鳥は何処かに旅立つ

アレクスがドロテアの手を取って、ヴェール越しに頷きながら
「また、立ち寄って下さいね」
「ああ」
「それと、これが謝礼です。受け取って下さい」
「ありがとよ」
ドロテアの左手に、『法王』が払える最高の報奨を乗せた

一生に一度、神に祈りを
我等の祖先が作った神に祈りを

**********

 旅立つとなると、支度は迅速で、二日後の午前中には既に、首都の港にいた。
「ヒルデガルド」
「はい、枢機卿」
「ちょっと良いか」
「はい」
「もしもお前の姉が、お前の事を騙しているとしたらお前はどう思う?」
「そうですね。構いはしません」
「何故だ」
「騙しているとはいいませんが、あの人は私に対して何らかの”言えない事柄”を持っています。それは知っていますけれど、言ってくれるまでは」
「一生言わないかもしれないとしたら?」
「悪意が無いのは私が良く知っています。悪意無く、私の事を想って言わないでいてくれているのなら、構いません」
「誰もがそう、思うと考えるか?」
「そこまでは解りませんが。ですが、滞在中にお世話になったシスターも言っていました。三十一年前に死んでしまった筈の兄だけれど、生きているかも知れない。生きているのなら名乗りもいらない、生きていると教えてくれなくても構わない。末永く健康で生きて行ってほしい、と。もしもシスターのお兄さんが生きているのなら、名乗り出ない理由は誰でもわかります、だからそれでいいと私は想います。全ての人が全ての人に真実を伝える必要は無いと、私はそう思うのです。聞けぬ真実を、聞かずに耐える心も必要だと私は考えています」
「そうか……所でそのシスターの名は?」
「シスター・マレーヌです」


忘れないでいてくれたか


「……そうか。手間を取らせたな。出立準備を急ぐといい、遅れるとあの女が怒るだろう」
「はい! それでは失礼します!」
 クルリと向きをかえ、船に荷物を運び込もうとしているヒルダの後姿を見送りながら、小さな笑い後をあげた。その僅かな笑い声を聞き止めた、エギ大僧正が不思議そうに声をかける。
「セツ枢機卿?」
「あれで、どうして……ドロテアが妹を評して”俺より切れは無いが、忍耐力は強い”と。確かにそうかも知れないな」

**********

「明日、出立か。アレクスが悲しそうだったな、ここにこれ程人がいたのは始めてだったかもしれん」
「何時かはいなくなる旅人だぜ、俺達は」
「……ここから小さく見える教会がある」
「最外層だな。ヒルダが行っていた教会か? 方向から察すると」
小さな十字架がドロテアの目にも映る。それを眺めていると
「そうだ。あの教会に妹がいる」
不意にセツがドロテアに告げた。
「アンタの妹か」
「ああ。俺程力が無かったのが幸いして”死せる子供達”にならずに済んだ。普通にシスターとして生きている」
 どのシスターなのかドロテアにはそれ程興味は無いが、恐らくネテルティが紹介してくれたシスターだろうなと顔を思い出しながら
「ふ〜ん……で?」
 相槌を打って、セツを斜めに見る。顔は似ていないが、あのシスターも僅かに白目が若干、緑がかっていた
「二十年前、俺はアレクスが法王になった際、枢機卿の位を一度返上した」
「初耳だな、それ」
 完全に教会に背をむけて、高いバルコニーの手摺に腰をかけ、セツと向かいあう
「誰も知らんよ。アレクスだけだ」
「妹と故郷に帰るつもりだったんだろ? 何故また舞い戻ってきたんだ、アンタ?」
「位に執着していた訳でもない。一人で生きて行くのに自信が無かった訳でもない。当時俺はアレクスが嫌いでな」
「プッ!! 今のアンタの口から漏れると嘘にしか聞こえないな、ソレ」
「本当に嫌いだった。嫌っても必死に後をついてくる、頼りない枢機卿が嫌いで仕方なかった」
 最高枢機卿に選ばれてから、ハーシルに命を狙われそれを上手く対処できない。線の細い最高枢機卿・リク。
 ただ、その法力は絶大で正直アレクスが最高枢機卿に選ばれ、この場を後に出来ると嬉しかった。置いて行くのに何の躊躇いもなかった。
「何で残ったんだ?」
「解らん……。残ってくれと懇願されはしたが、それで決めたというよりか。……妹は教会から、そして遠くから見守れるが、アレクスは傍にいなければ支えられん。そう判断した」
 嫌いだった筈の最高枢機卿の懇願を何故聞き入れたのか。それは二十年を過ぎた今でもわからない……もうどうでも良い事だからなのかもしれないが。
 それでも若い頃は『ヤロスラフが居なくなったから』や『妹がいるから』など理由をつけていた。
 『自分で残りたかった』とは、中々認められなかった、十年以上嫌った相手を直に認められなかっただけ。
「妥当だな。ただ、それを後悔してるって訳じゃないんだろう?」
 位を返上して、娼館の女に会いにいった。その女だけは俺の正体を知っていて”普通に生活していくのかい”と話をし、最後にと抱いた。そこにアレクスが乱入してきた、当時覚えたての瞬間移動を使い、俺の力の跡を辿って。
 追いかけてきたアレクスに驚いた。何故そこまで自分に懐いていいるのか、も。その理由も尋ねた事は無い、何もかも聞かないままに何時しか二十年も年月が流れてしまった。
「もしもその時その立場だったらどうする? ドロテア」
風は無かった。手摺に腰をかけたドロテアは眉を動かして
「そうだな。俺は多分両方捨てる、そして違う道を一人で切り開く」
間違い無くそこにはあの、エルストがいるんだろうな、とセツはドロテアを見る。
強さと美しさと知性、それが全て合致した完全な『女』だと。
「強いと言うべきか」
「いいや、違う。アンタが欲しい回答は俺には存在しない。アンタが欲しい回答をくれるのは同じ聖職者だ、ヒルダに聞くといい。あれで俺より切れは悪いが、忍耐力はある」
「そうか。人を騙すのは気にならんが、妹をずっと一人っきりにしているのだけは嫌でな」
 名乗りたいと思うが今更、最高枢機卿になった男から”兄だ”と名乗られた所で困るのは妹だろうし。
 そんな感傷に浸るような年でも無くなったと言い聞かせ、だが年を取ると過去を思い出す事も多くなる。一緒にいた年数よりも別れて生きている年数の方が、ずっと長いのに鮮明に思い出す。

”兄さん!”
”エセルどうした?”
”あのね……”

 手摺から軽やかに降り、ドロテアはセツの胸を軽く叩き
「アンタらしい良い言葉だ。俺も人を騙すのは気にはならんが、妹を欺いているのは嫌な時もある」
「何を欺いている?」
「そうだな……」
 風に消えるような思い出と、笑う女の顔に憂いも無く。その強さ、無駄な事では無い。

**********


 ヒルデガルド、お前は何時かドロテアから聞けるだろう。あの女は言う、お前の知りたい事を必ずや
 そしてお前も受け止める事ができるだろう。
 立ち去る時の笑顔、それは力強さすら感じる笑顔だった。若き司祭よ、この地に戻ってくるといい、そして
「ヒルデガルドは司祭だったな。枢機卿にするには二十年くらいかけた方がいいだろうかな、エギ」
「あれならば、強き枢機卿になるでしょう」
 法力では”死せる子供達”の足元にも及ばぬが、あの強さは別物だ。法力が持って生まれたものなら、あの言い知れぬ意思の強さもまた持って生まれたものだろう。

鍛えるなどではなく、事実の強さ。

「似ているな」
例え、十年以上一緒にいなくても……親元で育たなくとも似るものだ

二十六歳と二十歳。その六年が全ての境となり、何時か消え去る
二十一年前に滅んだ王国に、全てを取り返しに行ける強さを持って
遅くはない、行くがいい。お前達


青い空を、白い雲から生まれたかのように白い鳥が飛ぶ


何処までも飛ぶがいい、あの白い長征の鳥のように
人々を導くがいい
「人々を導く、白き鳥……か」

全てのエド正教徒を導く法王よ
ついていける所までとは言わず、何処までも私はついて行く
飛び続けろアレクス

『俺たちは死ぬまで飛び続けなくてはならない。例えどちらかが先に死しても、飛び続けなくてはならないのだから』
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