ビルトニアの女
神の国に住まう皇帝鳥は飛ぶ事もなく啼きもせず【16】
「おい、阻止したぞ」
 吸血城の復活はドロテアによって、簡単に阻止されてしまった。正確には『シャフィニイの力』であるが。
 そう言い、ドロテア達が広場に降り立った。そして直ぐに、事態が最悪に動いた事にドロテアは気付く。
 柄だけ握っている返り血を浴びたハーシル。信じられない程呆然としているのが着衣の上からでも読み取れるセツ。
 そして血を流して動かないアレクサンドロス。ただ、アレクサンドロスは意識を失う直前に体内に魔法磁場を張ったのが幸いして『まだ』死んではいない。
「エルスト! マリア! ヒルダ法王の傍へ行け!! 他のヤツは離れろ! 誰が裏切り者かわからん!!」
 ドロテアの鋭い言葉に誰もが顔を見合わせ、法王の傍から離れた、傍に居ると裏切り者とされる。例え自分が裏切っていないとしても、そんな事はこの一大事に関係はない。
 ドロテアは再び飛び上がり、吸血大公と対峙しながら、怒気を含んだ声でセツ枢機卿に叫ぶ
「こんな時に身の保身を図るとは、返す返すもアホな男だハーシルめ。援護しろセツ!」
「解った!!」
 ドロテアの声に気を取り直して、セツ枢機卿は目の前にいる吸血大公の退治に全力を注ぐ事に意識を切り替えた。
「我、光の主を呼びたまう」
 ドロテアが、吸血大公と被害を計算して効果的な攻撃魔法を唱え始めた、それは非常に時間の掛かるものなのでその間、セツ枢機卿はずっと攻撃を防ぐ魔法を唱えなくてはならない。
 聖職者が習うタイプのものではなく、明らかな攻撃魔法。そして一人刃の無い柄だけを持ったハーシル枢機卿の周りを聖騎士が取り囲む、その聖騎士が彼の味方であるかもしれないが、ドロテアも今はそれを問うてはいられない。考える事は今何をするか


吸血大公が目の前にいる
−殺すしか手立てはない−
法王が死にかけている
−その法王なら多少の事は大丈夫−
次の法王候補は無傷
−この魔力を援護にまわす−

『悪いが吸血大公を始末するのが一番得策だ』


 魔力を増大する杖を持ったヒルダが必死に魔法を唱えだした、姉に似て賢いので魔法は普通の人よりも早い。
 事実直に法王のおびただしい出血は止まったが、その分傷口の深さに驚きの声を上げた。心臓の鼓動が傷口から見て取れる、さすがのヒルダもこんな怪我は治した事がない。元々怪我を負わせないようにドロテアが援護するので、治しなれている怪我は浅いものばかり。
「深い傷だよ!! 治るかなあ」
 意外と豪胆で、実力者のヒルダでもはっきりって自信がもてない程だ。何せよくよくみると心臓まで到達しているのだ、傷が。
 脈打つたびに、出血が繰り返される。支えているエルストも初級ながら治癒を重ねて掛けを繰り返す。
 そして二人がそれ以上に焦るのが毒だ。法王の肌の色が見る見る変色していく。どんな解毒魔法を用いても一向に効く気配がない、ヒルダの魔法を見ながらエルストはある事に気付き、顔を覆っている布に手をかけるた。
 エルストが思っている事が正しければ一刻を争う!
「……ドロテア!! あの慈悲の白い粉だ!」
 顔を見られないように身体で覆い隠しながら、エルストが叫んだ。エルストはこの毒で殺害された死体を、検分に行ったドロテアと共に見たことがあった。特徴的な色の唇に変化する。
 そして慈悲の白い粉となれば、ヒルダでも治癒は無理だ。最高の魔法と圧倒的な法力が必要となる。即死しなかっただけでも法王の力は圧巻だが、”死に向かって歩み始めている”のも事実。
「何だと!」
 エルストの声に
“最悪だ”
 ドロテアは焦りながら悪態をついた。つくしかない。秀麗な唇を噛締めて吸血大公を見据える

 ドロテアは普通なら此処で毒神・ロインでも呼び出して解毒させるのだが『今はどうやっても呼び出すことが出来ない』


−ナルホドな。テメエがいると召喚が出来え訳か
−ふっふっふっ! 私がいると、全ての神が呼び出せなくなるんだよ
−全部?
−最高四神なら呼び出せるだろうけどね
−おいおい……無駄に力垂れ流すなよ
−力というか、体質。死ねばさすがに呼び出せるけど
−へえ……邪魔だな
−少し離れれば呼び出せるけどなあ



神と袂を分かったフェールセン! これ程厄介だとは!

 魔法を握り潰し、辺りに一瞬の静寂が流れ、右手の上で指を動かすがロインを呼び出すのは不可能。
『まだ”生きてはいる”って事だな!』
 となれば残る手段はただ一つ
「セツ!耐火魔法を唱えろ。そして、それでも当たりに被害が及ぶが構わんな!」
「構いはしない!」
 ドロテアはその言葉を聞くと、あの魔王城で見せた炎の壁を纏った。時間の空白も何も無い、脅威の魔法を唱える前段階。

音も無い
その圧倒的な色と熱
亜麻色の髪の女を包み込んだ炎は
空を焦がすなどという優しいものではなく
大地を滅ぼすなど訳もないような

神の炎

「その炎……一体?……まさか?」
 吸血大公の声に恐れが混じる。
 ドロテアの指示に従って、耐火魔法を唱えている途中のセツも、その火力に驚く。火力と言うよりは、その熱風だ。
 熱風の中でマリアはヒルダを盾で庇い、エルストは法王をあのマントで何とか隠していた。それ以外のものは熱さに怖れをなして、動けなくなっている。 負傷者も出るだろうが、そんな事はドロテアはお構いなしで吸血大公を睨み付け
「さっき、テメエのお城の復活を阻止したのは俺だ!」
 そう言って左手を上げると辺りに火の玉が散る。その火の玉にあたり、ランディールと呼ばれた吸血族が身を焦がし暴れる暇も無く息絶えた。
「シャフィニイ……か」
 自らの使い魔を一気に焼き滅ぼすその“力”と不敵な声。恐れ一つ無い声で
「魔方陣は焼き払った、次はテメエを焼き払う!!」
 そう言いはなった後、炎があたりを包むように広がり、その様は空を落とすかのような勢いだ。
「なんと言う熱さだ!」
 セツは傍で、見えない熱風から辺りの人を守るべく壁を作り上げきっていたが、それでも防ぎきれない。もっと高度なものも唱えられるのだが、その時間も無い。
 熱さの混乱の中で焦げたランディールをドロテアは宙に浮かせ、その炎で溶かして見せる。
 いとも容易く溶解していく吸血族を前に
「もう少し我慢すれば、吸血大公も引くはずだ」
 エルストの言葉にセツは頷き、再び耐火魔法に力を入れる
「やるか! ガーナベルト!」
 その言葉に、辺りが一層輝きを増し、炎の歌と共にセツ枢機卿の耐火の壁が押し戻される。
『コレ程の力か、シャフィニイ。そして使いこなせるとは!』
 法王以外に遅れを取った事の無いセツ枢機卿が、初めて”勝てない”と思った程の力。それは吸血大公も同じことで
「分が悪いようだな」
 そう言い残し、見栄も何もなく吸血大公はその場を後にした。神の力相手では、さすがに吸血大公も分が悪いと判断したようだ。

 闇夜より暗い翼をはためかせ、去っていく吸血大公には目もくれず、ドロテアは炎を解いて、降り立った。そのドロテアに向かって
「姉さん! 私じゃ治せないよ!」
 ヒルダが悲鳴をあげた。辛うじて生きているのは法王の法力の力だけではなく、ヒルダの努力もあっての事だろうが、限界もある。
「ドロテア、私が治す!」
 四人が法王を取り囲んでいるところに、セツ枢機卿が叫びながら入って来た。
「貴様は裏切らんな! セツ!!」
 ドロテアの言葉に、心底怒りを込めて
「当たり前だ!」
 そう言ったセツ枢機卿に
「ヒルダ、杖を貸してやれ」
 ドロテアがヒルダに、杖を貸すように指示をだした。
「どうぞ」
 セツ枢機卿はヒルダから杖を受け取ると、体の前方に差し出して“アレクサンドロス四世にも負けない”と言われる法力を込めはじめた。あれだけ吸血大公と対峙して、魔法を唱えて精神力を消耗していながら、その法力はドロテア達をはるかに凌駕している。
「うわあ!!」
 ヒルダが驚くのも無理は無い。元々大柄ではないとはいえ、豪華な衣装を纏った法王がセツ枢機卿の胸の高さまで持ち上げられ、金色の光に包み込まれてゆく。通常の回復魔法ではお目にかかることは無い様な威力だ。
「体が持ち上がってるぜ」
 顔だけは見えないように、エルストが隠す。そして素人が見ても解る程の深い怪我が凄まじい勢いで閉じていく。
「もう、峠は越した」
 そう言いながら、ゆっくりと数種の治癒魔法を掛け、完全な解毒や回復を行い始める。さすがはセツ枢機卿、この分だと法王の身体には傷一つ残らないだろうとドロテアも感心しながら
「尋常じゃない回復魔法だ、おいそこのジジイ。ついに年貢の納め時だな」
 もう大丈夫だろう、とドロテアは法王から視線を外し、柄だけを握っている枢機卿を睨みつけた。
「ねえ、何で誰も捕まえないの?」
 ただ、皆の前で働いた凶行なのに誰も捕まえようとはしない。マリアのそんな素朴な疑問に
「枢機卿は法王の命がなければ捕らえられ無い、特に聖騎士なんかはな。まあ俺達には関係ねえけどな」
「そうね」
 ドロテアとマリアが焦げて黒くなった舗装された道を蹴り、体力を先ほどの襲撃で使いきった老枢機卿の両脇を押える。
「貴様等下賎が!」
 腕をひねり上げられて、顔に刻まれた皺をヒクヒク言わせ唯一動かせる口で悪態をつく。が、相手が悪い
「ハイハイ。お爺さん、そろそろあの世に行けよバカ。寝言は寝て言え、夢は寝てみろ他に言って欲しいことはあるか? プリンス・ハーシル殿下よお!」
 それだけ言うとドロテアはハーシル枢機卿の足首に、どす黒い棘を巻きつけた。嫌なメキメキという音がハーシルの足首を折っていく。
 根っからの邪術で、解くには相当な知識が必要な邪術だ。邪術は元々拷問を得意としている面もあるので、どれ程痛くてもかけられている者が気を失う事は無い。熟練になれば成る程に。
「おい、枢機卿ならそのくらいはね返せ。それともクナ枢機卿にでも助けを呼ぶか」
 何所で練習したかは知らないが、熟練と言って間違いないドロテアに術を掛けられて助けを呼ぶハーシル枢機卿。邪術を弾くには邪術の知識か、魔力が必要だ。クナ枢機卿ならばドロテアより数段力が上なので解く事は可能だが
「コンスタンツェ」
 口の端から泡を吹きながら、クナ枢機卿に手を伸ばすがクナ枢機卿は顔を背けた。
「それで、良し。そら行くぞ、あの世への停留所だ遠慮するなハーシル死刑囚」
 ドロテアはハーシルの全身に棘を巻きつけて、首根っこを掴み白い道を平気な顔で歩き出した。
 至高の座を目指した、王族の哀れな末路というには余りにも悲惨な姿であった。
「おらっ! 足がついてるんだから歩け、耄碌ジジイ!!」
「足を折ったのは姉さんですよ」
 さすがヒルダ、ドロテアの妹だ。当然治す気はサラサラ無い。
「どうして誰も助けないのかしらね、ハーシルの事」
 マリアは笑いながら聖騎士達をみつめた。聖騎士だって、怖いものは怖いらしい。
「戻るぞ、聖騎士達よ」
 セツ枢機卿の言葉を伝えられて、聖騎士達はのろのろと歩き出した。

 ハーシルをセツが張った結界の中に放り込み、エルストが法王を持ち歩いていた。
“軽いなあ”
 血で汚れた衣装の大半を剥ぎ取った法王は、正に羽毛のような軽さであった。“ドロテアより相当軽いよこれ”
 ドロテアのように、身体を鍛えて筋肉が付いている訳では無いので、法王は軽い。最もそれを口に出して言う気にはエルストには無い
 ドロテアは天才ではないので、鍛えて強くなるにはそれ相応の筋肉が必要だ。
 ドロテアは天性のバネとか、天賦の格闘センスとかは一切持ち合わせてはいない。魔力も同じで、“邪道”に属し、研究を重ねた“神速魔法”を独自に作ったのだ。どちらも努力の賜物というか、必要で鍛錬したものである。
 なよなよした感は全くなく、寧ろ身体は迂闊に触れれば切り裂かれるような鋭さを持っている。当人の性格をそのまま身体も現していた。
 そんな怖い妻は、セツ達に指示をだしていた。
「取り敢えず俺達が護衛な」
 法王庁には人を入れる事をドロテアが禁止するように命じ、一晩法王を護る事にした。
「任せる、明日の昼までには何とかする」
 おそらくセツ自身、相当疲れているだろうがその表情は見る事はできない。敢えてヴェールを下げたままドロテア達と向かい合う
「解った」
 ドロテアのその言葉を受けて、セツはハーシルの残党狩りと吸血大公戦の後片付けに向かった。
「で、護衛って一般的に何をするのかしら?」
 法王の私室まできて、マリアがドロテアに声をかけるが、ドロテアは淡々と
「別に、罠と結界を掛けておくから寝る」
 脱がせ辛い法王の着衣を、力任せに引き裂いて床に投げ捨てながらドロテアが答える。
「それでいいの?」
 絹の切り裂かれる音が暫く法王の私室に響く。
「一応な。吸血鬼を撤退させた女に喧嘩売れるような度胸のあるヤツは、多分セツくらいのもんだ。さあ寝るぞ!」
 確かに、あの力を見せられたら他の誰も近寄りたくは無い。そしてあのハーシルの扱いを見れば、怖いだけではない事は良く解る。さすが皇帝の愛人であっただけの事はある。
「寝るって何処で?」
「あのベッド。人が軽く二十人は寝れるぜ」
 ドロテアが結界を張っている中、エルストが適当な服を探し当て法王に着せていた。
「皆で一緒にですか?」
 切り裂かれ、床に捨てられた法王の着衣の残骸を片付けながら、ヒルダが姉に聞き返す。
「おう」
 事も無げにドロテアは言い、着衣を脱ぎ始めた。
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