ビルトニアの女
美しき花に毒の棘【4】
 教会の祭壇に捧げられた供物のような”生き物”
「これから手前に質問する。正直に答えるともれなく元の体に戻れる。解ったな?」
 毛むくじゃらで一般的な成人男性よりも一回りほど大きい体躯を持つ”それ”は、ドロテアの言葉を理解して頷いた。
 人の作った狩猟用の網程度なら簡単に引きちぎれる爪と力を持っていても、目に見える魔力の鎖の前に無力。
 ”人狼”と表するのがもっとも適しているかのような”それ”こと魔法生成物に、ドロテアは先程しきりに読んでいた冊子を開いて差し出した。
「手前に術をかけたのがこの中にいるだろ? 指し示せ」
 ページには”顔”が描かれていた。
 人狼のような魔法生成物は辛うじて動く、毛で覆われた指先で恐る恐る指し示した。

**********


 食事を終えて、後片付けが終わった頃には、空は濃紺に姿を変えていた。
「そろそろ”来る”時間だったな、ドロテア」
 エルストは魔王城から持ち帰ってきた布で作った、魔法防御が異常に高いが、それ以上に”異常”に目立つえんじ色の踝まであるマントを着用して、レイピアを腰から下げ、小盾を装備して準備を整える。
「ああ。そこ、居眠りしてるんじゃねえよ」
 姉の言うことを聞かず、酒を飲みながら腹一杯夕食を取ったヒルダは、一人”うつらうつら”と、明るい夢の世界と現実の夜の世界を行き来していた。
「別にいいじゃない。ヒルダが寝てても起きてても。あなた一人で片付いちゃうんだから」
 座っている姿勢から今にも地面に崩れ落ちそうなヒルダを押さえながら、マリアは微笑みを浮かべて”そうでしょう?”と問いかける。
「まあなあ。マリア、その半分船を漕いでやがるヒルダと一緒に教会で待っててくれ」
「わかったわ。さあ、行くわよ。ヒルダ」
「はい、お世話をおかけ……ねむ……」
 マリアの肩にぶら下がるように、千鳥足でヒルダは教会の方へと歩いていった。その二人の後ろ姿を見つめながら、ドロテアは呟く。
「しばらくヒルダが洗濯当番だな」
「いつもヒルダが洗濯当番だったような……」
「あぁ?」
「いいえ、なんでもございません」

 ヒルダはこの村にいるシスターとは違い、試験を受けかなり優秀な成績で神学校に入学した聖職者の中では頭脳派にはいる。
 ヒルダが神学校に入学したのは七歳。この年から神学校な入学可能だが、試験を受けて上位の成績で入学するとなると、相当に賢い。
 藍色に染まった村を千鳥足で”ぷらぷら”と歩いているその後ろ姿からは誰も想像がつかなくとも。

 王学府とは違い、神学校は寄付も重要となってくる。寄付をした学生、正確には親や後見人だが、ともかく一定の寄付金を収めている学生は、寮生活や教会の雑事を一切行わなくて良いように手配される。
 寄付の額に応じて、この村にいるシスターのような無賃で教会で学ぶ者たちが”使用人”のように付き、当番制の掃除や洗濯、奉仕などの雑事を代行する。
 神学生はその間、勉学にだけ勤しむのだ。
 当然のことながら裕福な両親がヒルダの学費を払い、それなりの寄付もしていた。のちに金に余裕ができたドロテアも相当額を寄付したので、ヒルダにも当然”使用人”がついた。
 三人の修道女と、二人の修道士。計五名の補佐と、頭は悪くなかったので真面目に神学を修め、結果として成績優良者として通常の卒業生よりも一つ高い地位を得て神学校を卒業した。
 卒業後は姉であるドロテアのいるマシューナルにやってきて、王国付属の大学へと編入して学びながら、ここで初めてマリアから洗濯を習った。
 ドロテアとヒルダの両親は、娘を王学府と神学校に通わせられる程の資産があるので、掃除や洗濯はそれで小銭を稼いでいる人たちを雇って任せていたので、娘二人は自宅にいるときは家事をほとんどしたことがなかった。
 そのような理由で成長してからマリアから習った洗濯が、ヒルダには非常に”合って”今では生き甲斐とばかりに、旅行中の洗濯当番に立候補する。
 それをよい事に、姉は一切洗濯などしていない。

 すっかりと姿が見えなくなった二人の去った方向を見ながら、
「小さな村だ、罠に引っ掛かってくれりゃあ、すぐに解る」
 洗濯の話題を打ち切り、ドロテアは張り巡らせた魔力の罠に途切れがないかを再確認する。
「でも珍しいな。速攻致死の罠じゃないなんて。理由あるのか?」
 普段狩りなどに使う”罠にかかったら即死”型ではないことに、エルストは驚いた。妻であるドロテアの性格上”殺して終わり”にするばかりだと思っていたのだ。
「大本のところまで案内させようと思ってな。何処に居るのかは解るんだけどよ」
 襟元のあたりを掻きながら、ドロテアは指を動かして罠の状態を”観る”
「ふうん」
 エルストの目に微かに映る”透明ながら緑を感じさせる”魔力の鎖が獲物を捕縛したのは、この会話から僅か後のこと。
 罠に掛かった魔法生成物を指先の簡単な動きで目の前まで引き寄せる。捕らえられた魔法生成物は、その力に驚いていることが傍目にもはっきりと解った。
 見えない”なにか”に捕まっていることを感じるが、正体が分からない。見えないことに恐怖しながら、闇雲にもがく。
「もがいても、手前の程度の力じゃどうにもならねえよ。魔法としちゃあ下級だが、手前には充分なようだったな」
 ドロテアが張った罠は本人が語ったとおり、下級魔法で少しでも魔法を習ったものならば、その鎖は観ることが可能だ。
 事実魔法を習い使うことができるエルストには見えている。
 ただしエルストは見えているが、この鎖を解いたり切り裂いたりする魔法は持ち合わせていない。
 村人たちは遠巻きにカンテラや松明を持ち、魔法生成物を観ていた。こんなにも、容易く捕まえられるとは思ってもいなかった。それと同時に捕縛している”物”が見えないので、どうしても危険に感じられて近寄ることができない。
 魔法で動きを封じ込めても、逮捕や連行される際に縄を打つのは、観ている者たちを安心させる意味もある。それをしてやれば村人たちも安心して近寄ってこられるのだが、ドロテアは知っていてもそんな手間のかかる無駄なことはしない。
 夜の野外では相当の炎がなくては、姿がはっきりと確認できないので、ドロテアは炎の数を増やす。
「ものすごく単純で、基本に忠実な魔法生成物だな」
 エルストに”単純で基本に忠実”と言われた、罠にかかっている魔法生成物。その表現は完璧な程正しい。それこそ魔法の教科書の(図1)などに描かれていても納得できるような”いかにも元人間”と素人目にも解るほどに単純。
 エルストの知っているどこかの天才は”蛸を人間の姿にする”や”牛を兎にする”など、意味不明な研究を必死にしていたことを知っているので、余計に目の前の魔法生成物にたいしてそのような感想を持ったのだが。
「見るからにな。さてと、そこら辺にいる男たち。これを篭にいれて教会まで運べ」
 ドロテアが指をさし、数名を選ぶ。
 言われた男たちは、黙って指示に従った。魔法生成物には恐くて近寄りたくはなかったが、顎の右斜め下あたりから炎で照らされているドロテアの”あおり”の表情の方が恐かったので、従うしか道を選ぶことができなかったのだ。

**********


 人狼のようにも見える魔法生成物は、普通の人には見えない魔力の鎖で縛られたまま、マリアが教会に用意しておいた布を被せた祭壇の上に置かれて

―― これから手前に質問する。正直に答えるともれなく元の体に戻れる。解ったな? ――

 と、話しかけられていた。
 魔法生成物はその言葉を聞き、大人しくドロテアの言葉に従い、自由が効くように魔力の鎖が緩められた手を動かし指をおいた。
「正直でなによりだ」
 ドロテアの言葉に間違わずに反応を返すということは、元は人間である可能性が非常に高い。
「ドロテア……が言うと……」
「なにか言ったか? エルスト」
「いいえ……」
 そして間違いなく村人よりエルストは度胸がある。必要のな度胸ではあるが。
 ドロテアはエルストを無視し、教会の壁に背をあずけて寝ているヒルダを無視し、華麗動く指で短めの呪文を唱えた。
「その身に掛かりたる魔の縛。解放の時を迎えたり。全ての縛を術者ヘイドに戻したる」
 単純で短い言葉と、手から出る僅かな魔力を受けて、祭壇の上に置かれていた人狼は”本来の姿”を取り戻した。
 見知ったその姿に、息を殺して見つめていた村人たちがどよめきの声を上げる。
 だが誰も近寄らない。許可なく動こうものなら、間違いなくドロテアに怒鳴られるからだ。村人の学習能力と意気地の無さが合致し、良い方向に作用した結果である。
 だが一人の疲れ切った女だけは、許可も得ずに人をかき分けて近寄ってきた。
「あんた!」
 昼間教会の前での話の途中”夫が帰ってこない”と言っていた女。彼女をみると、人間に姿が戻った男も祭壇から飛び降り、久しぶりの姿に上手く動けずに躓きながらも女に向かって駆け出した。
「ルイ!」
 二人は抱き合う。
「…………」
 一人この騒動にも全く動じず、ある種の大物感を漂わせながらヒルダは眠っていた。ドロテアもこの眠っている妹に、あらゆる意味で”手前は器が大きい”と言ったことがある。
「感動的ね」
 二人が感動的な対面を果たしているところを、脇でみつめていた三人。マリアはそのように言ったが、ドロテアは相変わらず。
「男が全裸じゃなけりゃな」
 冷静な一言を述べるにとどまった。
 ドロテアの言葉通り、人狼のような物から人の姿に戻った男は全裸であった。ここまで薄汚れた全裸では”さま”にならない。
 だが御伽話の王子でもない限り、蛙から変化を解かれた瞬間に服を着て、帯刀までしている訳もない。
「他に言い様はないのか……」
 ”まあ、そう言うだろうな”とエルストも思ってはいたが。
 ともかく二人の感動的な再会抱擁中の二人の背後から、低く良く響き威圧的な喋り方でドロテアが声をかけた。
「おい、人狼だった男。手前の名前は?」
「はい! ビズです!」
 すでに勢いで負けている魔法生成物にされていたビズという男は、自分が全裸であることに気付き手で前を隠してドロテアに向き直る。
「ビズ。話したいことは解るが、今日は帰ってとっとと休め。村娘たちが無事なのも解っているし、奴が何をしたいのかも解っている」
「やっぱり、解ってたんだ」
 マリアは一人頷き、エルストは祭壇の片付けをはじめた。
「明日の朝一応話を聞いて、その後”やつ”の根城へと向かう。それでいいな、シスター」
「はい」
 ドロテアは言いたいだけ言うと、あてがわれた教会の寝室へと向かった。居眠りしているヒルダはエルストがかついで。
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