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 皇后陛下を呼びに行く途中で、兄上と皇后陛下が話をしている場面に出くわした。勿論背後にはアーロンが付いてるけど、何だ?

*


「陛下」
 ダンドローバー公の部屋から戻る途中、声をかけられた。インバルトボルグだ。
 無論、顔はから髪から何から何までヴェールで覆い隠しているが、その喋り方と背後に付いてきているハーフポート伯の顔つきで、本人だと確証できる。
「お怪我、治られて良かったですわ」
「治って当たり前だ。それだけか?」
「後で陛下とお話がしたいのですが、お時間をいただけませんでしょうか」
 順序は逆になるが、ヴァルカの説得後に話をした方が良いであろうな。
「良かろう。ダンドローバーと話をした後に来るが良い」
「ありがとうございます。ダンドローバー公の元へと参ればよろしいのですね?」
「そうだ。後はハーフポート伯に頼れ。それでは」
 通り過ぎる際にハーフポート伯が余に向けた視線は、殺意に満ちていた。あそこまで余に対して己の感情を隠さぬ男も珍しい……本来ならばあの男がインバルトボルグに相応しい。
 総督ヴァルカの甥、皇族の端に連なる父と母を持ち、天才と誉れ高い数々の才能と、整った顔立ちと優雅な立ち居振る舞いの貴公子。
「よくも、まあ……」
 人の力の及ばぬ部分においての贔屓に恨み言を述べる歳でもないが、可愛らしくはない。
 ただ、可愛らしくはないがあの男ならば納得も出来る。
「何故あの男に渡さなかったのだ」
 よりによって、余の兄に渡さなくても良かろう。
 確かにあの男ならば受け取りを拒否するであろうが、インバルトボルグがどうしてもと言えば、受け取りそれをヴァルカに相談したであろう。それを後に知れば、腹立たしくはあるが納得は出来たであろう。だが何故余の『血の繋がった兄』なのだ?
 メセアは特段派手な男ではない。場末のストリップ劇場で、テーブルを拭き椅子を片付け、触るなと言っているのに踊り子に触れる酔っ払いの腕を掴み、金を取って女に渡して間を取り持つ。
 衣装の解れを直し、日当を支払っていた男。あまりにも面白味のない、あの場所で育ったには不釣合いな真面目さを持つメセア・ラケは……余が与えた金に一切手をつける事をしなかった。……本当に面白味のない、余と同じ男だ。
 あの劇場で会った日、最後に尋ねた。
「俺の父親は誰だ?」
「アンタの父親は伯爵様だろ」
 メセアは知っている、間違いなく。
 だがそれを声高に語る事は無い。何がメセアにそうさせているのかは、余には解からぬ。強請るわけでもなければ、どこかに情報を売るわけでもない。ひっそりと繁華街の外れで酒亭を開き、女と暮らしている。
 何故あの男に渡したのだ? インバルトボルグ。
 何もあの男などに初恋をせずとも……良かろうが。外を出歩けば、他にも色々な男がいるだろうに。何故メセアなのだ? 何故余の「血の繋がった兄」なのだ。アグスティンならばまだ許せたものを……血の繋がらぬ弟であれば許せたものを……

*


「よぉ、アーロン」
 兄上の姿が見えなくなった後、隠れていた俺は二人の前に姿を現した。
「アグスティンか。隠れているから賊かと思ったぞ」
 いや、あの場面だったら隠れてないとダメだろう。勿論俺が現れたからって、別に何か変わるわけでもないけどさ。
「皇后陛下。ダンドローバー公からの伝言で、参事官の執務室からヴァルカ総督に通信を。陛下の命でダンドローバー公が説得に当るんで、皇后陛下も隣席してくださったら嬉しいかな……みたいな。何で睨むんだよ、アーロン」
 アーロンに睨まれると怖い。人に睨まれたりするのは怖いモンだが、その中でアーロンの怖さは……正統派っていうのかなあ? とにかく“純粋に怒っている”そういうイメージ。俺の兄上は正統派というよりは、明らかに卑屈さとかそういうのが入り混じった睨み方。
 ダンドローバー公は多分、一番怖いんじゃないかなあ。あの人が誰かを睨んでる姿なんて観たことないけど。
 でまあ、俺を睨みながら純粋に兄上に対して怒ってるアーロンは口を開いた。
「陛下は、何故謝罪する事が出来ぬのだ? 先ほど此処で皇后陛下に一言謝罪を述べてくれれば私も許した。だが、後に回した。何故だ? 普通は謝罪してから伯父上の説得を依頼するものではないか?」
 怒りも発言もアーロンは正統派だ。
 ……兄上はアーロンの事が嫌いだろうな……。軍事と内政って方向性は違うが両者とも天才同士。
母親の連れ子で再婚し血の繋がらない父親を持つ辺りなんかさ、とても似てるんだよなあ。アーロンは母親ママーリエの前の夫との間に出来た子で、それを連れて再婚。父親も血の繋がらない息子をとても可愛がって育て、アーロンも血の繋がらない父親の事を本当の父として慕い、血縁である「伯父」を誰よりも尊敬し……だから、解からないだろうなアーロンには。
「あー……それなあ。皇后陛下をご案内してからでも良いか?」
「解かった。ご案内いたします、皇后陛下」

 貴族って一括りにできないよな。結局何処でも同じさ、どの階級だろうが皆同じ環境で、同じような境遇で育つわけじゃないからさ

 皇后陛下をダンドローバー公に預けて、俺達は部屋から出た。
 アーロンに、伯父上とお話しなくていいのか? って聞いたけど、自分は一切伯父上を説得する気はないそうだ。むしろ、そのまま進軍して欲しいと……それじゃあ通信室において置けないよな。
 で、一呼吸置いて俺は自分が思ったままの兄上のことを口にした。
「アーロン、あの人謝り方知らないんだと思う」
「謝り方を知らない?」
「元々賢かったから悪い事して叱られるような事しなかったし、殆ど両親から無視されて育ってたから、誰も声を掛けない状態だった。多分、リドリーとしか話をした事がないような気がする。偶に俺が声を掛ければ答えてはくれたけど。それで……あの人は皇后だけには謝れないんじゃないかなあ」
 居ても無視されているような状態だった記憶がある。俺と兄上自体、十歳ほど年齢が離れてるから、俺が物心付いた頃には学校通ってたか。偶に帰ってきた時に見かけて、話しかけてたくらいだ。大体、英才教育用のドリル……俺に英才教育ドリルを渡したヤツラの頭も相当バカだと思うが、全く理解できないドリルを渡されて困ってる時に兄上に解いてもらった。
「何故?」
 俺に取っては優しい兄上だというイメージしかない。
 兄、長兄の事だがソイツに比べりゃあ余程な。だからさ、
「謝れねえだろ。一族皆殺しにしてさ……一生謝らないんじゃないかな。恨まれるのは諦めてるだろうし」
 聞いた時はショックだったなあ。
 皇族のほとんどを殺害したっていう報告。そりゃあ、宮殿攻めたからロイトガルデとその家族は処刑しただろうとは思ったさ。バカな俺でもその位は見当ついた。
 まさか、アーロンの両親とヴァルカ総督、そして皇后以外の全ての皇族を殺害するとは思っても見なかった。どうしてヴァルカ総督がそれを止めなかったのか? 不思議でたまらない。王国では謎として語られている……アーロンも詳細は知らないし、アーロンの両親も知らない。
 それで一番有名なのが、17歳と16歳の皇族の夫婦の目の前で赤子殺したって。「何でこんな酷い事を!」当然叫ぶが、あの人は無視したっていう。
 あの人に彼等が感じたような感傷は無いんだと俺は思う。今は軟禁されてるオヤジと兄上の母親、彼等がそれを教えなかったのが…… 
「恨んでいないそうだ」
「は? 何の事だ、アーロン?」
「皇后陛下はラディスラーオが一族を殺害した事、一切恨んでないそうだ」
「……へ……へえ……」
「私でも解かる。二人は一生分かり合えないと」
「そうだなあ。無理だろうな……皇后陛下に今から恨んでくださいと言っても無理だろうし」
 皇后はそれを現実として知らず恨むことなく。
「ラディスラーオに、恨まれていませんので気にしないで下さいと言った所で、信用はされないだろう」
 皇帝はそれを現実として知って無視する。

 あの二人は共に在るのが誰よりも難しい二人

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