月球宮・6

 会場は庭に板で段差を作り、枠だけの窓を飾りとして設置して天井もない。四方は草原に囲まれ月だけを見渡せるようになっている。

 その会場の中心で、カレンティンシスは湯の入った鍋の隣に座って待っていた。
 ビーレウストに対し、全面的に自分が悪いと思っているが素直に謝れない自分が出来る最低限のこと、ということで大量の月見団子を用意して、大食らいのビーレウストの為に「自ら」追加も引き受けようと待っているのだ。
「つ、月……き、きれ……」
 美しい月明かりと月その物を見上げながら。
 そしてなにより
―― 儂とて月がきれいじゃと言ってやる。ふ……ん。や、やはり標準語(帝国語)がよいであろうか ――
 などと考えて。
 風と共に足音が聞こえる。カレンティンシスは振り返らずに声を掛けられるのを待った。
「お待たせいたしました。アルカルターヴァ公爵殿下にしてテルロバールノル王殿下。エヴェドリット属、リスカートーフォン配属のイデスア公爵で……」
 膝をついた音がして、挨拶を始めたところでゆっくりと振り返える。
「遅かったではない……どうしたんじゃ! その顔!」
「挨拶途中だけど、中断してこの状態の説明したほうが良いか?」
 勝手に挨拶を止めたら、あとが怖い。
「あ、ああ! 中断しても構わんし、挨拶なんぞ要らぬぞ! ど、どうしたのじゃ!」
 怪我の状況を説明しようとした時、ある物を見て膝から崩れ落ちた。
「ど、どうしたんじゃ! 傷が痛むのか?」
 どう見ても痛むレベルではなく、痛みが麻痺してくるレベルの傷。
「傷はどうでも良いんだよ! なあ、あんた……あのなあ……その白い物体はなんだ?」
「白い物体じゃと? なにを言っておるのじゃ? 周囲に変な物は何もないぞ? 幻覚か?」
 カレンティンシスとしてはおかしい物は存在しないのだが、存在しているのだ。
「いや、違う。あの月見団子を載せる台を、馬鹿みてぇにデカくしたやつに乗っているアレはなんだよ」
「月見団子じゃ。儂が作ってやったんじゃ、食え」
 腕の切り口を床に叩き付けるようにして体を支え、声を絞り出した。
「誰に聞いた? 作り方、誰に聞いてきた?」
 ”ザセリアバだったらぶっ殺す、ランクレイマセルシュだったらぶっ殺す” そう思うも、
「ラティランクレンラセオじゃが? ……もしかして、あの男、また儂をからかったのか!」
 毎度の人だった。
 ビーレウストの全身に『ふふふ、ははは、あーははははは!』とあの男の、心底楽しそうな声が響く。
「何回も言ってるじゃねえか! あの男を信用するなって! そりゃ、月見団子じゃなくて形状が鏡餅だ! 月見団子は今回の場合は下段が八個、中段が四個、上段が二個でその上に一個を乗せて形を作るんだよ。だいたい、そんなデケエ形じゃなくて、こんな感じの……うわああ! 腕がねえのが、こんなにもどかしいのは初めてだ!」
 ”このくらい”と教えようとした時に指がない状況。手や脚を吹っ飛ばしても不便を感じずそのまま戦うことが多いビーレウストだが今、月見団子サイズ指南が出来ないことに悶えた。
「それよりも腕はどうしたのじゃ?」
「アシュレートに切られて、シベルハムが食ってた。そんなことはどうでも良いんだよ! 鏡餅の形はマズイだろ。あんたのプライドが許さねえだろ?」

 両者「どうでもいい」範囲が全く違う辺りが、別王家所属らしい。

「貴様に食べて貰おうと、せっかく作ったのに」
 ビーレウストは俯いてうなじまで真っ赤にして呟くカレンティンシスが、月明かり効果で可愛らしさが倍増しているように見えてしまった。
 親友の作った月明かりは魔性だった。
 あの輝かしいまでに童貞な親友が作った月の光に魔性などあるはずもないのだが、魔性を感じたのだ。
 その魔性は夫と共に月から帝星を見ている侯爵がもたらしている物かもしれないが。
「まず鏡餅は俺が食うから! 材料はあるんだな? よし、大きさを……ああああ! 腕ぇぇぇ!」
 抱きかかなければ口に運べない大きさの鏡餅団子、そして月見団子のサイズ。
「俺の腕! 生えてこい! 即座に生えろ! この際、切り口に人差し指一本状態でも良いから指ぃ!」
 月に腕を掲げて絶叫する。

―― 無茶言わんでください。腕の修復は最後ですよ。まずは内臓と眼球が先です(体内治療用特殊遺伝子部隊) ――

 ビーレウストは超強再生能力を所持していないので、都合良く指は生えてこない。

「治療しにゆこう」
「いや、俺はここで月見をする。あのな……そうだ! 眼窩だ! 月見団子は俺の眼窩くらいの大きさの球体なんだよ! 俺の眼窩を基準にして作ってくれ。そしてあの鏡餅に直接かぶりついても良いか?」
「おう。どれどれ、では……ああ! 失敗作は食うな! 食べるなら……成功したのを最初に食べて欲しい……んじゃ」
「解った!」

 月を見ることが目的の催しなのにこの有様。

 ビーレウストは鏡餅の傍に体を投げ出しつつ、月見団子が出来上がるのを待つ。
 落ち着いてみると顔と腕と内臓、どこもかしこも当然ながら痛むのだが、最も痛むのは顔。カルニスタミアの拳は非常に重かった。
 秋風が腫れている顔に触れる都度、痛みがわき起こる。
 ”早く治らねえかあ”治療器いらずに近いビーレウストはのんびりと、それでも秋の風と月明かりと、凝視すると怒られるがカレンティンシスの調理姿を楽しんでいた。
「うーむ。このくらいじゃろうか?」
 最終確認として、仰向けになっているビーレウストの眼窩に団子をあててみた。
 几帳面な性格のカレンティンシスは、眼窩を通り抜けてしまう程度のサイズに納得いかず、眼窩の前で首をひねりつつ、団子もひねっていた所、
「厳密じゃなくて……うわっ!」
「なんと言う事じゃ! 月見団子がぁ!」

 眼窩に月見団子落とした。

「団子があ!」
「眼窩に指はつっこま……」
 眼窩に指を突っ込んで取ろうとするが、上手くはいかない。
「落ちつけ、儂王様!」
「そこに引っ掛かってるから取れる!」
 顔を殴られた際に顔面骨折し骨が丁度見える位置に棚のようになり、そこに月見団子が乗ってしまったのだ。
「もう一個作れ」
「うおぉぉ! 月見団子があ!」
 カレンティンシスが自ら上に乗っても、全く持って楽しくはない状態。

 『ビーレウスト=ビレネスト王子、今日があなたの落命日です』何者かに言われたとしたら、彼は信じただろう。

 足元にあった何かを蹴り壊した音を、他人事のように聞きながらビーレウストは諦めた。偶に戦闘以外でも諦めが悪くなった方が良いと思われるほど、諦めがいい。
 そんな二人の頭上から、草がこすれながら床に落ちる音が聞こえ、二人は顔を上げる。
「な、なに……を」
 呆然と立っているのはザウディンダルで、床に落ちているのは《ススキ》
「え、あ……」
「つ、月見じゃ……レビュラ! 儂は月見をしておったのじゃ!」

 見ていたのは眼窩の奥の月見団子です、カレンティンシス殿下。

 ザウディンダルは月見に必要な《ススキ》を皇帝の名代の一人として配っていた。
『王の一人に届けてもらうが、カレンティンシスが無難だろうな。デファイノス伯爵が招待されたとの報告も受けているので、問題ないだろう』
 帝国宰相はそのように考えていたのだが、無難ではなかった。
 皇帝から下賜された、自ら大事に育てた《ススキ》を落としてしまうほどに酷い状態。
「ビーレウスト! その顔なんだよ! 眼球がない右側! ひでぇぞ! どうしたら、そんな酷いことに。腕よりも顔のほうが酷いって。お前の顔がそこまで腫れるってことは、脳までいってるだろ!」
 生まれつき”いっている”ような男だが、そこに触れてはいけない。
 そして、ひたすら眼窩に指を突っ込んで月見団子を捜していたカレンティンシスもやっと我に返った。
「本当じゃ。なんと酷い顔じゃ……全く、貴様の兄は手加減という物を知らんのじゃあ」
 ビーレウストは言われて始めて殴られた後の顔に、切れている手で触れてみた。通常より三倍以上腫れている頬に触れつつ、思うことはただ一つ。

―― とてもじゃねえが、あんたの弟がやったとは言えねえなあ ――

 ザウディンダルは心配して「治療しにいこう!」と誘ったのだが、
「大丈夫だよ。ありがとよ」
 断った。
 治療室にカレンティンシスも付いて行くと騒いだ。
 この状況では置いてもいけないので連れてゆくことになるが、治療の際に右顔面の破損が拳の痕から「実弟の仕業」と知れてしまうと、益々面倒になることは確実なので。
 全ての面倒を排除したい男は、この程度では倒れない。
「そうか……」
 ザウディンダルは落とした《ススキ》を拾い上げて、
「落として申し訳ございませんでした」
 カレンティンシスに渡して去った。

 余談だがこの《ススキ》地球では《がまの穂》と呼ばれていたもの。どこかの復古委員会がサンプルに名前を付ける際に間違ったらしい。
 詳しいことは長くなり、それを育てた帝国宰相とザウディンダルの話も長くなるので割愛するが、とにかく《帝国においてはススキ》が渡り、中秋の名月の形になった。
「治療にゆけば良いのに」
「いやあ。ザウディスだってここで仕事終えて、帝国宰相様と月を見ながらお楽しみだろから、帰してやらないとな。さ、俺達も月見しようぜ……あれ? 花瓶……あああ!」
「花瓶割れてしまったな」
「悪ぃ。俺が暴れたからだ」
 先程足元から聞こえてきた音は、これだった。
 周囲には余分な物は一つもなく、代用品になりそうな物はなにもない。
「いいや、貴様は悪くはないぞ。儂が……じゃが陛下よりいただいた《ススキ》じゃ。どうしたものかのう」
 皇帝から下賜された《帝国的ススキ》を挿す花瓶となると、誰が選んでも良いものではない。特にこの王は気にする。
 ビーレウストが何時ものように手が空いていたなら、自分で持っているが、生憎今は手その物が空の状態。
 月見団子は作りたくとも、皇帝のススキを床に置くのはプライドが許さないカレンティンシスがうろうろしているのを見て、
「あー俺の眼窩に挿すと良いぜ。中の月見団子に突き刺したら固定できるんじゃねえのか」

 こうして情夫は花器になりました。

 花器になった上に手がないので、
「仕方ないな! 儂が食わせてやろう」
 カレンティンシスの独壇場。早食いの如く口元に運ばれてくる団子から、水気を与えないでどれ程栗を食べ続けることができるのかを計っているのか? としか思えない栗尽くし。
 続いて里芋の煮物。何時もなら水分が要らない程度だが、今は血液が若干しかないので水分を欲しいとは思うものの、口を空にして喋らせまいと必死なカレンティンシスの攻撃の前に、希望を述べるのは不可能。
「次は梨じゃぞ! つ、月がきれいだな! 貴様は喋るなあ!」
 飲み込めないわけではないので、わんこそば状態の料理を必死に食べ続ける。

「ふう……大変じゃった」
「ありがとうございました」
 口に押し込む物がなくなった頃、カレンティンシスは汗をかいていた。必死にビーレウストの口に供え物を放り込み続けた結果だ。
 ”そーいや、俺、胃が裂けてた気がしたんだが……どーなったかねー”
 それでも味は堪能できたので、良しとした。
「ところで、寒くはないか?」
 汗をかいたことで体が弱いカレンティンシスが、体調を崩したら大変だと声をかける。
「寒いぞ」
 じゃあ戻ろうか?
 ビーレウストが言う前に、カレンティンシスがすり寄ってきた。
 ”酔ってるのか? それとも混乱したのか? この傷が混乱を招いたのか?” お前の方が混乱しているぞ、ビーレウスト! 状態だが、そんな事には気付かず、カレンティンシスはビーレウストの首に手を回して抱きつく。
「何時もより、貴様の体が柔らかく感じるな」
「(そりゃまあ……いつもより筋肉がずたずたなんで)あんたから抱きついてくるなんて、珍しいな」
「仕方あるまい! 貴様の腕がいつまで立っても生えて来ぬのが悪いのじゃ!」
 言いながら”ぎゅうう”と抱きつき、首を絞める。
「(あ、いてて……頸椎? 頸椎も若干ヒビ? これもカルの仕業か? 仕業だよな)このくらいで良いかな」
 残っている腕だけで半端ながら抱き締めた。
「月がきれいじゃな」
「そうだな。両方の意味で」
 思えばあまり綺麗ではない、むしろ血だらけの服に顔を埋め、
「安心したら眠くなってしまった」
「安心? 何だ?」
「ん……貴様が無事に戻って来られるかどうかが……不安で……」
「そうか。寝ろよ」
「……」
 カレンティンシスはそのまま眠りに落ちた。

「ふぅ……終わったか。ところで何で俺は監禁されたんだろうな」

 眼窩にささる 《ススキ(がまの穂)》 越しに見えるエーダリロク作成の月と、虫の鳴き声の代わりにカレンティンシスの寝息を聞きながらビーレウストは 《十五夜》 を楽しんだ。

【終わり】