月球宮・2

 皇帝が皇女に観に向かうことを許した【月】は、観賞用ではない。
 【月】というのは天然有人惑星環境管理システムの俗称の一つである。
 システムの正式名称が長いことと、見た目が図鑑にある地球の月に似ていたので、いつの頃からか【月】の名で呼ばれていた。
「折角だから”ぼこぼこ”にするか」
「え? ぼこぼこ?」
 夫に事の委細を告げた侯爵は、唐突な問いかけに驚く。
「そうぼこぼこ。本来の月ってか、地球から見えてた月は、重力の関係から隕石がけっこう落下してて、表面ぼこぼこだったんだよ。月を作るのは簡単だけどよ、とうぜん作りたてだからクレーターはねえ。でもそこまでするなら折角だ、クレーターも完全再現するか?」
「そこまで再現できるのですか?」
「ちょっと時間はかかるけど作れる。月自体は衛星作成用プラントで作るだけだからな、出来上がったのに一つ一つクレーターを付けることができる機械を作ればいいだけだしさ」
 普通の人間にはそんな物簡単に作れないのではないか? と誰もが思い、侯爵も思ったが、
「何日くらいかかります?」
「機械は【月】本体ができあがる頃には完成させられる。クレーターやその他の再現は一週間あれば足りるな」
 夫は事もなげに言い切った。
「一週間で?」
「その間に大気の気温を徐々に下げて、陛下と皇后、親王大公殿下方が”寒さに慣れる”ようにしておくと良いだろうな。たしか”冬の手前の気温で、外で月を見上げる”らしいから」
 皇族は「雪」を見ることはあるが、それは「雪を降らせた場所へ足を運ぶ」のであって、秋から冬へと移行するような場所にいるわけではない。
 それでなくとも室内の気温や湿度は最適に保たれており、式典の際は気候全てが調節されているので、わざわざ寒い場所へと出る必要がない。
 シュスタークは、かなり成長するまで「普通に過ごし辛い気候」があること自体知らなかったほど。彼にとって「過ごし辛い気候」とは、大気成分が生存にむかないなどという物だけ。
 人が住んでいるところは、全て生活し易い空間だと信じていた……まあ、彼は天然なので、あまり深く追求してやらないでいただきたい。
「皇族の皆様の住居気温を下げるとなると帝国宰相閣下の許可が必要ですわね」
「まあどうやっても、帝国宰相には話通さなけりゃならねえからな。月を作るとなると【月】のプログラム変更が必要だ。新規構築しなけりゃならねし、予備に帝国軍に借り上げもあるからな。そっちはザウに任せるとして……」

 こうして完璧な――地球の月――が作りあげられることとなった。

※ ※ ※ ※ ※

 皇帝がご希望の”お月見”
 それに関する事項は、各王達にも通達された。
「月見か。何食う?」
 ザセリアバは「月見」に関して書かれた小冊子に目を通して、月を見て楽しむよりは果物を食べて陛下に倣うことに決めた。
 帝国には定例の儀式や必須の式典ではない催しが《皇帝の命》で、それも王が招待されない形で行われる場合、王達は皇帝に倣って同じような催しを開くという慣習がある。
 今回は「陛下のご家族のみで月をみる」ということなので、王達はそれに倣い、皇帝よりも少し規模を小さくして同じような催しを開くのだ。
「規定はないようだな」
 共に月作成に関する書類と小冊子に目を通していたランクレイマセルシュも同意する。
 誰が考えてもこの二人は月を見るより食べる方だ。
「焼き肉とか駄目なのか?」
「焼き肉か。建前上、月を見つつ楽しむらしいからな。炭火にかけた肉ひっくり返して月を見ないのは、規定に反するかもしれないぞ」
「そうか、仕方ねえ。じゃあローストビーフでも用意するか。この月見団子って、肉団子で代用してもいいもんか? ランクレイマセルシュ」
「構わないんじゃないか? 果物はパイナップルのシロップ漬けでもいいとは思わないか? いやダメか、パイナップルだと肉が食いたくなるな。ザセリアバ、お前は酢豚にパイナップルは要らないクチだったか?」
「我はきゅうり以外なら入っててもいいぞ。酢豚か、酢豚もいいな。肉団子と酢豚とローストビーフに」
「北京ダックどうだ? 北京ダック」

 肉を食わないで月を愛でるという気持ちは皆無の二人だった。ちなみに一緒に見るらしい。
 (一緒って言うな! 合同って言え!)

 三王にとっては”陛下に倣う”で済むのだが、
「月見……月を見て楽しむじゃと……」
 問題のカレンティンシス。
 カレンティンシスも王なので当然月を見なくてはならない。
「愛でる……愛でるのかあ! 陛下のお望みとあらば、このカレンティンシス!」
 皇帝に倣い、身内である実弟と月を見上げるのは問題はない……のだが、

―― 月がきれいですね ――

「絶対あの男は月を褒める! 間違いなく親友が作った月を褒める! だから……だから……うおぉぉぉぉ!」
 招待できない他王家の王子、自分の情夫が月を見て純粋に語る姿を想像し、腹立たしくなった。

 ビーレウスト=ビレネスト・マーディグレゼング・オルヴィレンダ・アヴィジョン・ディデ・リスカートーフォン。
 自分で自分の首を絞めることとなったが、本人はまだ気付いていない。

 絶叫をしているカレンティンシスの技術庁長官としての執務室へ面会要請が届いた。許可を出してその人物が到着するのを待つ。
「失礼します」
 ノックに、
「許可してやる」
 許可を与えてやる。
 ゆっくりと開かれる扉に向ける表情は、先程まで他人が聞いたら全く意味が解らない理由で悶絶していたとはとても思えない”王”としての風格をたたえていた。
「レビュラ公爵か。概算は出たか?」
「はい」
 【月】は惑星の環境管理システムの一つであり、今エーダリロクは【地球にあった月を完全再現】しようとしている。

 それらがもたらす物は何か?

「重力の試算と、その際に使う運用システムのプログラム。それにバックアップ用に帝国軍から衛星を三つほど借りまして。帝国軍用のテストプログラムはこちらです。緊急事態を想定し、帝国最強騎士に破壊命令を下すように依頼したいと考えております。それらに関し帝国宰相に打診しましたところ、長官閣下と直接話し合い、決定するとのことでした。」
 二重になった重力が帝星に影響を与える事になる。
 【月の性能】を完全に復元するということは、帝星の住居環境にも当然影響が出てしまう。
 影響が出ないようにするためにはどうするべきか? 現在の【月】である環境管理システムで補うのだ。元来その為の環境管理システムだ。
「演習場で三日分のデータを採取し、そこで異常が確認されなければ許可しよう」
 地球の月を再現しようとした人は今までいなかったので、手元に基本となるものはない。
 なにより帝星は地球の2.83倍の大きさで、金星と自転を同じくしているので地球とは反対に回っている。よって地球時代に蓄積された月が地上に与える影響に関する情報は役に立たないに等しい。
「はい」
 気候や天候を制御する大がかりな機械も技術庁が開発・管理しているので、試験運転演習場も多数所持している。
 だが一般用と軍用は完全に異なり互換性はない。そのためザウディンダルは短期間で二種類のシステムを構築しなくてはならない。
 そして帝国最強騎士だが、彼の取る行動はただ一つ。
 異常が確認された場合、即座に問題のある方の月を破壊すること。
 帝国最強騎士に「最強兵器を完備」させて「事前に」それも「帝星近辺」への攻撃命令を出すのだから、ザウディンダルだけでは手に負えるものではない。
「帝国最強騎士に関しては儂が話をつける。あのセゼナードが衛星プラントその物から自らの手で造っておるのじゃ、間違いはなかろう。【月】の方も、あれは誤作動を起こさないように細心の注意を払っておるから……なんにせよ、お前の実力の見せ所じゃ、レビュラ」
「はい」
 住環境と潮流の一部を管理している【月】は安全性重視の作りなので、滅多なことでは暴走などはせず、帝星に危害を加えるようなことになった場合は自爆するようには造られている。
 【月】の予備も多数あり、特に心配はないとカレンティンシスも考えてはいるが、まさか最高責任者が”失敗しても大丈夫じゃ、破壊してもよいぞ”などとは言えない。
 それ以外の言葉を用いて部下の緊張を解すようなことを言える人なら良いのだが、生憎カレンティンシスはそんな言葉は持ち合わせてはいない。
 むしろ ”追い打ち、あるいは圧力” をかけてしまう人だ。
 悪いことに最も追い打ちや圧力をかけられている実弟は、それらをものともせずに最高の結果を出すのでカレンティンシスとしては「言い方を間違っている事」には気付かない。
 礼をして退出しようとしたザウディンダルに、
「”ススキ” の育成状況は?」
 冊子に書かれていた月見の内容を思い出し声をかけた。
「好調です」
 ザウディンダルは月見の際に飾るススキの育成担当もしていた。
 本当は帝国宰相が育てるはずだったのだが、忙しいこともあり「枯らさないように気を付けろよ」と、厳重に保管されている《地球環境復古委員会》が残した「ススキ」のサンプルを取り出し培養するように命じた。
 大好きな兄から「期待しているし、植物を育てているお前は可愛いからな」などと言われて、ススキの傍で寝泊まりしてしまうくらいに入れ込んで育てているザウディンダル。
「よろしい。じゃが、陛下のお望みに万全を期した程度では落第点じゃ、覚えておくように」
「はい。殿下」
 帝国軍に会議をしながらプログラムを作成して、そしてススキを育てる……とても忙しい状況ながらも、
「今日は兄貴と……」
 二人が幸せなのだから、特に問題はない。
 問題なのは……
「レビュラもすっかりと部下の顔になってきたな……あああああっ! 月が! 月が、きれいだと困るのじゃが、月がきれいでなくてはならぬ! 陛下に倣い月も愛で……愛でえぇぇぇぇ!」
 一人で騒ぎを大きくしようとしている、カレンティンシス殿下であった。

※ ※ ※ ※ ※

「よう、ビーレウスト」
 自分で自分の首を絞めたことに気付いていない男の元に、これから首を絞めるように要請を出す相手の弟が尋ねて来た。
「おう、カル」
「招待状じゃ」
 緋色に金縁、王家の紋章が白抜きされている封筒。
「あん?」
 カルニスタミアが差し出した招待状の蝋封は ”テルロバールノル王” のものだが、署名はカルニスタミア・ディールバルディゲナ・サファンゼローン。
「お前ついに簒奪したのか」
「しとらんわ。儂が書いたものに、無理矢理兄貴に蝋封させたのじゃよ」
「何だよ」
「月見の招待状じゃ。ザセリアバには儂が話を通しておいたゆえ、テルロバールノル王家主催の月見に来い。陛下に倣い小さく開催するということで、兄貴と儂が一名だけを招く形式にした。儂はキュラと観るゆえに、兄貴のことは任せたぞ」
 腕を大きくふるうように動かし、仕込みナイフを取り出してビーレウストは封を切る。招待状の文面も全てカルニスタミアが書いたもの。

”言っちゃあなんだが、字上手いよなあカル。カレンティンシスよりもずっと……”

 そんなことを考えながら、目を通して折り封筒に入れ直す。
「どう考えても、子守りじゃねえか」
「あんな子供いてたまるか! 赤子は愛おしい、幼子は可愛いが、兄貴はどこからどうみても、兄貴じゃ!」
「可愛いとは……言わねえか」
 三十歳が遠退き、四十歳が近付いている男に向かって可愛いはあまり言わない。とくに実弟などは決して思わない。
「貴様には可愛く見えるというのなら、それは否定せぬ。リスカートーフォンとアルカルターヴァの可愛らしいは相容れぬものだと認識しておる」
「まあいいや。返事は直接お前の兄貴のところに届けに行ってくる」
「おう」