剣の皇子と偽りの側室【11】

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  [虫師]  

 グレンは同じ場所に長く住まず、十年ほどで移動する生活をしていた。移動はするが選ぶ場所は基本同じで、街中ではなく田舎。「大叔父の遺産が手に入った、両親が既に死去した一人息子。人の中で生活することに疲れたので、よい機会だと田舎生活を楽しむことにした。食糧は自給自足。遺産を残してくれた大叔父さんの手ほどきで狩りもできる」というのが、グレンの<何時も使う履歴>であった。
 野菜や果物は虫を操れるため害を受けることはなく、恩恵のみで普通の農家よりも収量がよい。たまに農作物を盗もうとする者もいるが、虫に刺され腫れることもなく遅効性の毒で数日後に死ぬ。その死体を虫たちに運ばせて、実験に使う――

 グレンは今の生活を気に入っていた。だからリュシアンを檻から出さなかった。檻の中に留めたまま、実験に使っていた。


 ユスティカ王国のエスメラルダ王女がラージュ皇国のヨアキム皇子の側室になるらしい ―― それが噂から”公表”になった頃 ――


「グレン、テオドラです」
 玄関扉をノックされるまでグレンは、テオドラの気配に気づくことができなかった。それは直前までテオドラが違う次元に存在したことを意味する。
「なにようですか?」
「こんにちは」
「もう夜更けですが」
「ああ、済みません。気づきませんでした。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
―― どうして外にいるのに、この暗闇に気づかない? 
「どうぞ」
 夜半、明かりのついている室内。開け放たれたドア。虫が多い季節だがこの家に普通の虫が迷い込んでくることはない。
「凄い壁ですね」
 虫の包で覆われている室内をぐるりと見回し、テオドラ特有の笑いを浮かべる。グレンは椅子を指し示す。
 素直に腰を下ろしたテオドラは上目使いで見つめながら語り出した。
「あの無差別に呪っているハンカチですが、刺繍を施したのがベニート公子だったためにあのような品ができあがりました。ベニート公子はリザ・ギジェンとしてヨアキム皇子の側室となっています。このことを知っているのはヨアキム皇子と当事者であるベニート公子だけ。エドゥアルド皇子は一目ぼれし、事実を知った後、妃として迎えます。理解してくれましたか?」
 テオドラは未来を過去のように語り、過去を未来のように説明するとリュディガーが言っていた ―― そのように伝えられている。
「……えっと、どこから未来なんですか?」
「現時点からすると、事実を知った後、妃として迎える、そこが未来になりますね」
「はあ……」
 色々なことが聞けると思うがグレンの優れた本能が警鐘を鳴らす。
 渡された鍵などとは比べものにならない【なにか】
「リュシアン。よく働いてくれました」
 テオドラは腕を組みながら檻の中にいるリュシアンに労いの言葉をかける。
「……な、なにを」
 大きく目を見開き”使われた”ことを否定するリュシアンだが、テオドラは追撃を緩めない。
「あなたの実力ではクニヒティラ一族にあの虫を植え付けることはできない。フィンブルはとても優秀な人でしたね」
 どこからともなく現れた少年・フィンブル。
 過去の記憶を持たない、優れた才能を持った飢えていた少年をリュシアンは弟子にした。
「テオドラさん。師匠が言っていたように、クニヒティラ一族に最初に卵を植え付けたのは」
「あなたの師匠フィンブルですよ。では何故クニヒティラ一族が滅んだのかを説明しましょう。先程エドゥアルド皇子の妃がベニート公子になることを教えましたが、二人の関係は側でみているとエドゥアルド皇子のベタ惚れですが、実は両者の感情は数値的に表すと……」
「ちょっと待ってくれ、テオドラさん。師匠とクニヒティラ一族と呪われたハンカチカップルがどうつながるんだ? いや、つながるのは分かるが、分かりやすく説明してくれ」
 時代的にまったく重ならない出来事。過去が原因で未来があることはグレンにも分かる。師であるフィンブルが、呪われたハンカチに関係しているとは到底思えなかった。
「では……まずは、エドゥアルド皇子とベニート公子の結婚から」
「なんでそこから? ……いや、あの続けてください」
「グレンはこの二人の結婚……まだしていませんが、それはともかく、結婚について何を感じますか?」
「どうって。まあ、同性愛?」
 無難に面白みもなく、事実をありのままに答える。
「そうですね。同性愛ですが法律で禁止されていることが多いですね」
「多くの国は禁止していますね」
「ラージュ皇国ではどうでした? 以前フィンブルとラージュ皇国に住んでいたあなたでしたら、分かるでしょう」
「推奨されてはいませんが、明確に禁止されてもいませんでした」
 多くの国と答えたのは、長年暮らしていたラージュ皇国はそうではなかったことが記憶に残っていたからだった。
「どうしてだと思います?」
「……」
 それについて深く考えたことはない。
 そんなことを深く考える者はいない ――
「ラージュ皇国の呪いは繁栄。皇族は必ずや子孫に恵まれる呪い」
 檻の中で聞いているリュシアンも格子を掴み身を乗り出すようにしてテオドラの話を聞いている。
 そしてグレンは、テオドラが言おうとしていることが分かった。
「どうして、ラージュ皇族の男性同士が結婚することができたんだ?」
 ベニートとエドゥアルドは「子孫繁栄の呪い」がかかっているラージュ皇族。
「どうしてだと思います?」
 子孫繁栄の呪いは後宮ともつながっているので、もしも呪いが解けたら彼らは後宮に攻撃されて死ぬ。そうでなくとも他のどれか一つの呪いが解けただけで死ぬ。
「単純に考えたら、呪いが解けた……ですが呪いは解けないのでしょう?」
「はい、解けません」
「ではラージュ皇族ではなくなった? いや、それはバルトロだけか」
 バルトロはラージュ皇族の呪いの一部を覆い隠すことのできる【 】を奉じるエストロク教団に入ることで、呪いから逃れることとなる。
「……」
「勿体ぶらずに教えて欲しいのですが?」
「クニヒティラ一族は滅びることを条件に剣の達人が生まれる家系となったのです。星術師ノベラが合わせましたが、その際に幾つかの制限が必要なのはお分かりでしょう。もっとも効率良く確実で、強力な制限が”滅び”です。クニヒティラ一族の滅びは血の呪いの原石が現れると同時に起こります……ではなく、起こるようにしておきました。滅びはその一族の当主によって成就されるようにもなっていました」
 そして事実、ヨアキムの右目をカレヴァが切り裂き、クニヒティラ一族は滅んだ。
「人に寄生し、産卵の為に寄生した人を水辺に連れてゆく虫がいますね。血の呪いの原石ではなく”哲学者の石”を欲しいが為に、リュシアン、あなたは必死に彼らを自分の元へと呼んだ。血の呪いの原石と名乗っていては”こう”はならなかったでしょう」
「わざと?」
「そうですね。もともと”哲学者の石”とはこのような形で使われるのです。ほとんどの人は作ることができないけれども、それがあればできる事は幾らでも思い浮かび、なぜか計算式まで作りあげることができる。足りないのは”哲学者の石”だけ。特性を知っているのに作る事は不可能にちかい」
「仕組んだのはリュディガー?」
 師であるテオドラは哲学者の石を作る事ができる。哲学者の石にできないことはない、私は様々な奇跡を見た ―― 哲学者の石の存在をこの大陸に伝えた最古の文章。
「リュディガーとパンゲアの二人で。彼らは未来を観ることはできないので、当時存在していた『師』を軸に策を練りました。だからリュシアンがここで登場してくるのです。リュシアンは当時から見たこともない”哲学者の石”を欲してることは有名でした。リュディガーやパンゲアが消えてから判明したのですが、リュシアンは二人が思っていたよりも才能がありませんでした」
 普段のグレンであればここで嘲笑うところだが、
「……」
 今回は笑えなかった。
 テオドラはてっきりグレンが嗤うものだと思って話していたので、少々驚き、もしかして聞きそびれたのかと言葉を重ねる。
「リュシアンには計画を実行してくれるほどの能力がないのです」
「テオドラさん。俺もリュシアンのことは嫌いだが、そんなに……」
「事実ですので」
「いや、そうですが。はっきり言いますね」
「そうですね。はっきり言う……で思い出したのですが”名のなき師”の名を知りたいですか? グレン」
「知りたくはありません」



【07】「自分でどうにかしろよ、屑が」 ――[登場人物紹介より]



「そうですか。では名前以外で一つだけ。彼女はとても美しい女性です。私と違いどの世界にあろうとも存在できる美です」
「テオドラさん、あんたの容姿は?」
「見る程ではない、凡庸なものですよ。私が生まれた当時の感覚で、と前置きが必要ですが」
「聞きたいんだが、テオドラさんは実際の所、俺よりも前に生まれたのか? それともこれから生まれるのか?」
「よくいただく質問です。そして私はいつも”このように”答えます。私がいま言う事柄から、答えを導きだしてください。そもそも私はこの世界がある次元とは別の次元で生まれました。次元にも様々あり、成長速度が違います。そして次元も滅びます」
「……」
「私が生まれた次元はもう存在しませんが、この次元は私が生まれた次元よりも古くから存在しています」
「なあ、テオドラさん」
 大陸最強と謳われた呪術師リュディガーが、その道でどれ程修行しようとも、背の影すら見ることができなかったと尊敬し続けたテオドラ。
「はい」
 それはどこからきたのか? 何時生まれたのかも分からない。
「哲学者の石を貰ったら、今あんたが言った事を理解できるようになって、あんたのことも分かるようになるのか?」
 グレンはお手上げだと分かりやすく伝えるために、本当に両手を挙げて首を振る。
「どうでしょう? 私は自分のことを知るために哲学者の石を使ったことはないので」
「だよな。じゃ、この大陸の三百年前後の話に話題をもどしてもらって……話を聞いて俺が分かったことは、師匠はリュシアンの代わりを務めるために、テオドラさんか、それに類する『師』の誰かが用立てた。剣の一族が滅んだので新たな剣の一族はラージュ皇族に戻り、その任を負うことになったのがエドゥアルド皇子。……ってことでいいのかな?」
 リュシアンを消し去るのは簡単であったが、そこを変えると、能力はさほど優れていなくとも建国に携わった『師』である以上、世界を大きく動かすことに ―― ヨアキムの再生に関わってくるので、ほとんど別物 ―― になるので、代理を送り込むことにした。それがグレンの師であるフィンブル。
 もっとも難しい最初の卵の植え付けをフィンブルはやり遂げた。
「正解です……ですが、予想外だったのですよ。カレヴァ殿が亡くなり、皇国最強の剣をふるう指南役が予定通りではありますが失われてしまったので。この先もラージュ皇国は剣で他国を侵略してゆきますし……まあ色々と。それを補うために皇族から制限者を出したいと……告げる予定だったのですが、気づいたら全部終わってました。それも最強の条件”滅び”でくるとは思ってもいませんでした。身長が低いという条件付けにする予定だったのに」
 テオドラは皇族の中で成人して最も背が低くなる人物が代々剣の達人になる予定であったのだが、エドゥアルド皇子の揺るぎない側室リザに対する愛が後宮全体を巻き込み、後宮所持者五名中五名が無意識のうちに賛成票を投じた形となり、後宮の呪いがそれを承認してしまった。
「それもまた……」
「エドゥアルド皇子はベニート公子を愛し続けている限り、人間相手では負けません。下手したら剣師ノベラに剣を抜かせるかもしれません」
 グレンはエドゥアルドとベニートの姿を知っている上に、残念なことにリュシアンを使いオルテンシアを通して「側室リザ」の姿も知っていたので……ダメージも大きかった。
「テオドラさん」
「はい」
「ベニート公子とヨアキム皇子、あの二人は関係あるんですか?」
 テオドラはどんなことでも知っている ―― こんな下らないことでも知っているのだろうか? グレンは好奇心とは別の気持ちで尋ねた。
「関係って、グレンはどこまでを持って関係と? 挿入して射精したら? 口内で射精? それとも手で扱いて射精? それともキスしただけで?」
 テオドラに質問する時は気をつけろ ―― パンゲアが残した言葉の意味をヒシヒシと感じながら、自分でした質問を流すわけにも行かないと、しっかりと答えた。
「相手のを触ってやったら関係あると思うんですが」
「そうですか。それでしたらヨアキム皇子とベニート公子は関係あります。私はその場を見たわけではありませんが知っています。知ろうとおもわなければ知ることもないような出来事ですが」
「あ、そうですか」

 こんな怖ろしい存在初めてだ……グレンはテオドラの恐ろしさを知った。

「それでは私は帰ります。そして私が出たらすぐにあなたの師匠であったフィンブルが入って来ますので」
 テオドラはグレンの返事も聞かずにドアに手をかけて開いた。その先には見慣れた風景はなく、それどころかグレンやリュシアンも見たことのない異世界が広がって……ドアは閉じられて、またすぐに開かれた。
「元気そうでなによりだ、グレン」
「師匠」
「リュシアンさまもお元気そうで……孫弟子の実験材料になってやってください」
「師匠、死んでから会いに来るなら、それっぽい遺言を残しておくとか、意味深な最後の言葉を告げるとかしておいてくださいよ」
「言われると思った。でも私は思わせぶりなこと嫌いだから」
 フィンブルは先程までテオドラが座っていた椅子に腰を下ろして、「生前」は語ることができなかった人生を教える。フィンブルの人生は経緯が経緯なので、大っぴらに語ることができなかったのだ。だがもう彼は存在しておらず、知られても誰もなにもできない。
「私はもう居ないから言えるのだが、私は滅びた世界の生き残りだ。もう人間はほとんど居なくて、食糧もなく死ぬのみ。そこへあの人たちがやってきて、私に”とある人生”を生きてみないかと持ちかけた。そして私はこの世界へとやって来たのだ。私は人生を選ぶ際に”師匠リュシアンを殺害してその役割を請け負う”か”弟子を取ってそれなりに幸せに暮らすか”の二つを提示されて、弟子を取るほうを選んだ。国を滅ぼしても楽しくないから。ちなみに記憶喪失だったのは本当ですリュシアンさま。あなたに殺されかけると戻る仕組みになっていたようです。あの人たちは本当にえげつない」

 それから三日ほどフィンブルはグレンと話、伝えきれなかった虫師の技を伝えて―― フィンブルは核戦争により人類の99%以上が死滅した世界の数少ない生き残りで ――消えた。


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