悪意の肖像
 ピエタの街には吸血鬼が封じられている。
 吸血鬼を滅ぼすことは不可能《力を削いだ。見物するといい》吸血鬼を封じた封印師はそう言った。
 封印師の作った銀に光る檻はあまりにも美しかった。その銀に光り輝く檻の中に閉じ込められた吸血鬼も美しかった。
 そしてその土地に街が出来た、ピエタの街である。

09 動脈


 美しい檻を覆うように《教会のような建物》が建てられた。
 檻に封じられていても吸血鬼は強く、隙間から手を伸ばして近付いてきた人間を狩る。
 狩って血を吸わなければ、私は朽ちてしまうと吸血鬼は言ったので、吸血鬼を美しいままでいさせたいために考えた。
 人々は日が沈んでからカーテンが開かれるのを待ち、中を窓越しにこっそりと覗く。それが何時しか決まりになった。
 そして昼は、
「アンヌの血は美味いな」
 檻から手を伸ばし《食糧》として与えられた少女の血を吸う。頭と腰を抱きかかえて首筋に牙を立てて血を吸い、少女は檻につかまる手に力を込めながら血を吸われる。
 美しい吸血鬼の《食糧》となる女性も美しい。
 人々は美しい少女を選び、少女は処女である期間は吸血鬼の《食糧》となる。
 吸血鬼の《食糧》も立派な仕事であるため、お金がもらえる。吸血鬼にアンヌと呼ばれた少女は自らの血と引き換えに生活の糧を稼いでいた。
「あの……」
 だが少女にもそろそろ思う相手が現れ、それと同時に街には他に美しい少女も育ち、アンヌも吸血鬼の《食糧》を終える時期になっていた。
「アンヌもそんな年頃か」
 抱いていた腰から手を離し、吸血鬼は微笑む。
 アンヌは頬を赤らめて俯きながら吸血鬼から身を離して、付き合い始めた青年のことを語り始めた。
 以来吸血鬼は優しく黙ってアンヌの話を聞き、アンヌも吸血鬼に青年のことを話すことを楽しんだ。吸血鬼に男性が好む格好を聞いたり、化粧は似合っているかを尋ねたり、この髪型は似合っているか? と聞き返す。
 吸血鬼は恋するアンヌの質問に優しく答え、ついにアンヌは吸血鬼のもとを去ることになった。
 処女を失う前日の別れの挨拶の際にアンヌの額に優しく口付けて送りだす。目に涙を浮かべ、何度も振り返りながら吸血鬼の前を去って行った。


 美しい亜麻色の髪の少女のことを思い出しながら、吸血鬼は薄暗室内を静かに見上げている。


 街に呪解師が訪れた。
「本当に街が出来ているとは驚きましたね」
 近くの【駅】から歩いてきた、フラドニクスの呪解師は吸血鬼を《飼っている》街を驚きと呆れを含んだ眼差しで見渡した。
 この街に居る吸血鬼は、この街に住む人達の祖先を襲い苦しめた吸血鬼。
 祖先は金を出し合い、長い旅を経て必死の思いでフラドニクスの封印師に吸血鬼の封印を依頼したというのに、時代が下ってみれば吸血鬼を保護するかのような細工の施された建物と、その窓を覆う分厚い上質のカーテンを見て呆れるなと言う方が無理かもしれない。
 テオドラは溜息をつきつつ、吸血鬼の封印されている場所へと続く正門を両手で押し開く。
「眩しいじゃないか……おや? お前は誰だ」
 日の光を背負って扉を開いた呪解師に、銀の檻の中から吸血鬼が声をかける。
「テオドラ。呪解師テオドラ」
「まさかテオドールの子、いやお前の年恰好から判別すると孫か?」
 封印される前に出会ったことのある一筋縄ではいかない、人間よりも《妖怪》と表現した方が正しのではないかと吸血鬼に思わせたクラ出身の呪解師の名を上げてみると、テオドラは微笑んで頷いた。
「今日から新しい娘が来ると聞いていたのだが、まさかお前じゃないよな?」
「吸ってみますか? ピエタの吸血鬼」
 テオドラの言葉に吸血鬼は “結構です” と手を振る。
 吸血鬼にも好みがあり、苦手もある。処女の生血を好むが、実際どのような血でも《ほぼ》食糧として吸うことが出来る。そんな吸血鬼でも血を吸いたくない相手がいる。
 呪解師だ。
 呪解師の血は吸血鬼にとって《まずい》ではなく《毒》になる。吸血鬼が檻に捕らわれているのも《呪解師の血》を使われ無力化してしまったところを封じられたためだ。
 テオドラはここを訪れた理由を吸血鬼に告げる。
 実はテオドラは此処より先にある、辺境の地に封印師としても赴かなくてはならなくなった。封印する《相手》がこのピエタでの吸血鬼のように姿形があるのならば、檻を作って封印も出来るが相手は姿形のない《相手》
 それを封じる《入れ物》を用意する時間がなかったので、途中の街に居るかつて力を封じ込められた吸血鬼を連れて行くことにした。
「連れて行くのは良いけれど、開けられるのか? この封印を作ったのは錬金術師で封印師だったリュドミラは」
 テオドラは吸血鬼の閉じ込められている檻の前で、手袋を外しフラドニクスの極印のある手の甲同士を合わせると、檻から柵が消え去った。
「まさか、お前リュドミラの血縁か?」
「大陸最強の吸血鬼を封じた封印師にして錬金術師のリュドミラは私の祖母にあたります」
 テオドラの言葉に長い年月座り続けていた吸血鬼は立ち上がり、檻からゆっくりと出てくる。
 そしてテオドラの両肩を掴み、牙をむき出しにして語る。
「あの美しく愛しい、殺しても殺し足りない憎い女はどうしている?」
 その顔には檻の中から少女達に語りかけていた吸血鬼の面影はない。
 白い肌で覆われた顔に、異常に赤い唇と先ほどまで吸血鬼が閉じ込められていた檻と同じような銀に輝く牙。肩を掴んでいる指はいつの間にか長く伸びた爪。
「フラドニクスに居ます」
 分厚いカーテンで閉じられ、明かりらしい明かりは檻の後ろ側にある台に置かれた燭台に灯る二本の蝋燭だけ。平面に広く、立体に高い空間を照らし出すには足りない薄暗い空間の中テオドラは吸血鬼の問いに答える。
「まだ生きているのか?」
「生きていますよ」
「連れて行け。それが契約だ」
「では契約成立ですね」

 こうしてテオドラは依頼達成に必要な《入れ物》を手に入れた。

 契約を終えて《教会のような建物》を二人が後にすると、既に夕刻であった。
 室内と同じような薄暗い、もっとも世界が良く見えない逢う魔が時。人々は檻から出て歩く吸血鬼と、肩を並べている呪解師を黙って見送った。
 ピエタの街は吸血鬼を中心に出来上がったが、吸血鬼はピエタの街のものではない。
 まして檻から出されてしまっては、人々にはどうすることも出来ない。空が鮮やかに、もっとも多くの色で飾られる夕暮れの空を背に二人は街の出口近くまでやってきた。
「……そうか。それでは私が必要かもしれないな。久しぶりに……」
 テオドラに依頼の詳細を聞いている吸血鬼を一人の女性が素足で追ってきた。
「た、たすけ……」
「アンヌ」
 美しかった亜麻色の髪は艶を失い、痩せこけて肌も荒れ果てていた。
 背後から迫ってくる複数の足音に身を一瞬硬直させるが、目の前の吸血鬼をみて気を取り直して這うように近付いてくる。
「あの人が! あの人が!」
 アンヌを追ってきた目つきの良くない男達はピエタの吸血鬼を前に腰が引けた。
「お願い、助けて! たすけ」
 吸血鬼はアンヌの胸倉を掴み鋭い爪で首筋を切り裂いた。
 動脈を切られたアンヌは「ヒュー」という声とも息とも取れない音を吐き出しながら、驚いた表情で吸血鬼を見つめる。それと同時に吸血鬼は手を離しアンヌは地面に叩きつけられた。
 勢い良く噴出した血と吸血鬼の爪先に残る僅かな血。
 吸血鬼は自分の爪に残った血を舐めるが、すぐにそれをアンヌの顔の上に吐き出した。

「美味い餌は優しくしてやるが、不味い血になったお前には用はない。それでも最後の情けはかけてやった、一思いに逝けて楽だったろう?」

 男達は死んだアンヌをそのままにして、来た道を大急ぎで戻って行った。
「じゃあな、アンヌ」
 吸血鬼もそう言ってアンヌに背を向ける。
「いきますよ、デューン」
「行こうか、テオドラ」
 二人は夕暮れのピエタの街から出て行った。


 ピエタの街には吸血鬼がいた。とても美しい吸血鬼、銀に輝く檻の中から少女達に優しく語り掛けていた吸血鬼。

― 力を削いだ。見物するといい ―


 リュドミラの言った言葉。それは人々に向けられたものではなく《デューンに向けて》言ったもの。
 人を見物して楽しめと。そしてデューンは楽しんだ。楽しみ飽きたのでその場を離れた。

 ピエタの街に吸血鬼はもういない。

《終》


novels' index next back
Copyright © Rikudou Iori All rights reserved.