悪意の肖像
 呪解師のテオドラは領主とその恋人と話を終え、とっていた宿屋へと戻った。
 今の領主は評判がよく待ちは非常に活気付いていた。テオドラは前の領主が治めているころにも訪れたことがあるので、その違いははっきりと認識できた。
 開放的で治安のいい領地に、行商も頻繁に訪れるようで宿はどこも繁盛している。
 テオドラは水差しと水をもらい食堂を出て宿の主の元へとゆき、頼みごとをする。
「朝食を部屋に運んでください」
 別途の料金まで支払ってもらった宿の主は、気軽のその依頼を引き受けた。

11 たゆたうもの


 テオドラは町外れの屋敷で遠くから聞こえる午後を告げる鐘を聞きながら、女性と向かい合って座っている。
 招待された屋敷は、この地方を治める領主の狩猟荘園に設けられた領主宿泊用屋敷。
 代々領主がしとめた獲物のなかでもとりわけ見事な、残しておきたいと願われた動物達の剥製に囲まれて、テオドラは女性と会話を続けていた。
 女性とこの屋敷を所持している領主との間で結婚話が持ち上がっていた。彼女は幼い頃から領主のこと知っており、結婚話が持ち上がったとき素直に喜んだ。
 仲良く遊んだ少年は、彼女を前にとても困った表情を浮かべ『君が結婚相手に選ばれたことは嬉しいが、君の幸せを思うとこの話は進めないほうがいい』と告げてきた。
「いつもは人に強く言うことのない私ですが……」
 彼女は領主に理由を聞かせて欲しいと懇願する。
 領主は彼女の熱意に折れて、全ての秘密を打ち明けた。領主は『死体の産んだ子』であり、領主自身 《屍》 であった。彼女は最初何を言われたのか全く理解できなかったが、領主が彼女の手をとり胸におく。
「拍動がないだろう? 生まれたときから無いのだよ」
 彼女は領主の拍動を感じることはなかった。だが彼女にとって領主の拍動の有無よりも、彼に手を握られたことの方が衝撃であった。冷たい彼の手に触れられた箇所から、感じたことのない熱さが宿る。
「拍動がないことも、屍であることも関係ありません」
 彼女は領主に対する自分の気持ちを理解し、どうしても彼と共に生きたいという思いに支配された。
「領主と同じ動く死体にして欲しいということでよろしいのですか?」
「はい」
 自分が生きていることが障害になるのなら、彼のために同じ死体になると決意した彼女は、結婚に乗り気の父母にフラドニクスとの渡りをつけて欲しいと頼む。娘がフラドニクスに何を依頼するのか両親は聞くことはなかった。
「ご両親は貴方が “領主が自分のほうを向く呪いをかけて欲しいようだ” と言ってきたのですが」
「父母に本当のことは言えません」
「そうでしょうね」
 呪を解くことが専門のテオドラが訪れたのは、領主の様子を見たかったこともあり自分から向かうと申し出た。ここの領主はかつて傀儡のような死体であった、だがテオドラは彼を意志のある死体と変えた。
「私をジュドー様と同じ体にしてください」
 そう言って彼女は数々の小さいながら価値のある宝飾品を差し出した。テオドラはフラドニクスの極印をかくしている手袋のまま、その宝飾品の一つをつまみあげて光にかざす。
 彼女が本気であることは、この宝飾品を見ても明らかだった。
「持ち運びに便利なように小さいのを厳選してくださったようですね。私としては依頼ですから引き受けます。即座に術をかけてもよろしいでしょうか?」
 テオドラはテーブルの上にあった宝飾品を袋に入れて立ち上がり、彼女の首に手をかける。
 喉を鳴らして息を飲んだ彼女だが、すぐに無言で頷く。テオドラは彼女の首の骨の脆いところを探し力を込めようとした時、領主が手紙を持って現れた。
「やめろ!」
 テオドラはすぐに彼女の首から手を離し、踏み込んできた領主を見る。
「久しぶりですね、ジュドーさん」
「呪解師テオドラ!」
 彼女は首を押さえて泣きながら崩れ落ちる。領主は入り口の扉を閉じ、内側から錠をして二人に近寄ってきた。
 領主は泣いている彼女の両腕を掴み、強く咎めるように彼女に動機を尋ねる。彼女は泣きながら答えず、その押し問答が暫くのあいだ続く。その間テオドラは周囲の剥製の一つ一つを観察していた。
「彼女は一体何を貴方に依頼したのだ!」
 泣きじゃくり答えない彼女から聞きだすことを諦めた領主は、依頼を遂行する相手に矛先を変えた。
「何を依頼された?」
「貴方のような屍になりたいと。同じ屍となり共に生きてゆきたいそうです」
 テオドラの言葉に領主は苦悶に満ちた表情を浮かべて頭を振る。
「彼女の支払った料金の倍額で、その依頼なかったことにしてくれ!」
 ジュドーの叫びに彼女の嗚咽が一層大きくなった。
 テオドラはジュドーが手から落とした手紙を拾う。フラドニクスの連絡用箋のそれを透かし見る。
「この手紙は私宛ですか?」
「そうだ。凶報が私に幸運をもたらしてくれた」
 領主はフラドニクスからの手紙を受け取り自分の治める街にテオドラが来ていることを知り、渡す為に調べてくるように命じた。かつて会ったことのある《大陸の神々の寵児》の容姿を告げると、すぐに何処にいるかは判明した。
 会っている相手が自分の婚約者と知ると同時に、自分との婚約で思いつめていた彼女の揺れている瞳が思い出され大急ぎで訪れた。
 テオドラが開いたその手紙には、ピエタの街が滅ぼされたことだけが書かれていた。手紙の内容など気にしていない素振りで、テオドラは領主に話しかける。
「彼女が屍になるのは彼女の意志です。貴方が阻止したい理由は?」
「それは……」
 ジュドーは黙ったまま握りこぶしに力を込める。
「貴方がはっきりとしないからでしょう 彼女に動き回る死体となって欲しくないのなら、死後けして動かぬようになる術をかけましょう。死体同士で生者のような家庭を築くというのなら、それを叶える術をかけましょう」
 嗚咽の途切れた女性と、項垂れた領主をよそにテオドラは手紙を懐にしまい出口へとむかう。ドアノブに手をかけて、振り返らず最後の通知を行なった。
「明日の正午の鐘がなるまでは待ちます。それまでに結論をだしてください」
 テオドラは明日の午前中までに、自分の宿を訪れたら骸術を施すと告げ、宿を言い残してその場を立ち去った。

 領主と彼女の会話がどのような物になったのか、テオドラは知らない。

 宿に戻り朝食を届けてくれるように依頼して、暗い部屋へと戻り廊下の明かりで部屋のランプを灯す。僅かな明かりの支配下のもと、部屋で手袋を外しフラドニクスの極印を眺めながら水を飲む。
 そして服を脱ぎベッドで横になりながら、ピエタの街が滅ぼされたとかかれている手紙を、読むというよりは眺め続けた。

― メーシュ王国のロキがピエタの街を攻め滅ぼした ―

 朝を告げる鐘の音でテオドラは目を覚まし、顔と口を漱ぐために部屋から出る。途中でテオドラを見かけた宿の手伝いが、これから作って朝食を持っていくと声をかけてきた。テオドラは笑顔で頷く。
 朝の冷たい水で口を漱ぎ、水の張った桶を覗き込む。
 そこに映っている自分の姿に少しだけ微笑んで、袖を捲り上げた手で顔に水を打つ。目を開き桶の水に映る手の甲にフラドニクスの極印は存在しない。だがテオドラ自身が手の甲を返して見下ろすと、そこには確かに極印が存在していた。
 部屋に戻り手袋で極印を隠し、ベッドに腰を下ろして目を閉じ近付いてくる足音に耳を澄ませる。

 ドアをノックする音に返事をする。
「空いていますよ」

彼女か? 朝食か? それとも領主か?



 午後を告げる鐘の音を背に、テオドラはその町をあとにした。



《終》



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