私の名を呼ぶまで【01】

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  アメリア,イザベル,シャーロット  

「アメリア、用意はできたか?」
 用意はできておりますが、私の名前はアメリアではありません。皇子にとってはどうでも良いことでしょうがね。

**********

 私は小さな国の王女さまに仕えていた。小間使いなどの傍仕えではなく、掃除や洗濯などの力仕事を任されるほんとうの下っ端。
 私が仕えていた王女さまは、王女さまだったが目が覚めるような美女とかそういう人ではなかった。
 どんな王女さまだったのか? 側で仕えたことがないので分からないが……向こう見ずな所がある王女さまだったらしい。そのせいで私はこうして皇子の隣に立つはめになっている。
 王女さまは騎士と恋仲になり、婚約が整っていた皇子との結婚を嫌い駆け落ちした。
 まさかそんな事をするとは、王も思っていなかっただろう。
 王女さまが駆け落ちするとき、私はたまたまその場に居合わせてしまい、騎士に殴られて失神した。仮にも騎士がか弱い下働きを殴るとは……。
 殺されなかっただけありがたいと考えるべきか――手足を縛られ猿ぐつわを噛まされて、暗がりで目覚めた時にまずそう考えて自分を慰めた。
 王女さまと騎士が駆け落ちしたのは、皇子が王女さまを妃として迎えにくる前日。
 大国の皇子が王女さまを迎えに来たのは、王女さまに興味を持っていたからではなく、別の用事があって、たまたま帰り道に王女さまがいるので連れていくことになっていたのだそうだ。
 私は暗がりで”誰か助けて”と考えながら唸る。そこにやってきたのが皇子が連れてきた王女さま付きの侍女。その侍女に助けられ、
「どうしてこのような所に?」
 当然の質問をされたので、ことの経緯を告げた。
 その時私は、王女さまが騎士と駆け落ちしたことを知らなかった。最後の逢瀬くらいに考えていた。それはそうだろう、王女さまが嫁ぐ先は大国で、下手な行動をとれば国が危ないことくらい私でも分かる。

 分かっているはずなのに駆け落ちをしたのだ。

 閉じ込められていた私は知らなかったが、王たちは王女さまの代理を立てていた。もちろん皇子には教えずに、顔や雰囲気が似ている従妹の姫を王女ということにして。
 皇子は王女さまに興味がなかったので、従妹とすげ変わったことに気付きはしなかったらしい。まさか王が従妹とは言え、偽の王女を妃として送りだすとは思っていなかったこともある。上手く誤魔化せそうだったのだが、そこに侍女が私を連れて乗り込んだ。
 侍女の言葉に青くなる従妹の姫、そして王。
 睨んでくる王女さまの乳母に、大臣とか、とか。
 室内は緊迫し、そして私は皇子の国に身柄を拘束された。殺される恐れもあるから……とのこと。
 結局事実が明るみに出て、皇子は激怒した。
 王が謀ったことを怒ったのか、王女が駆け落ちしたことを怒ったのか? 侍女は皇子が怒った理由は王が謀ったからだと言った。
 王女が駆け落ちしたことを正直に告げ、その上で従妹の姫を「従妹の姫」として紹介し、妃にするように勧めたら皇子は怒らなかったと。
 王は娘である王女が駆け落ちしたことに激怒したと考えていたらしい。
 皇子のプライドに傷をつけたと。両方だったのかもしれない。ともかく怒った皇子と、怒りを鎮めて欲しい王。
 そして皇子は常軌を逸した行動をとった。

「イザベルを妃として迎える!」

 イザベルって誰やねん? と思ったのだが、皇子の指は私を示していた。よくよく考えたら、あの場に下働きの私が連れていかれた時点でおかしいわけだ。
 王としては下働き一人で皇子の怒りが収まるのならば安いというか……拒否できる立場ではないので私は皇子の妃になることが決定した。

 国民は驚いていた。私だって驚いている。結婚するのは王女さまだと誰もが思っていたのだから。驚きと情報不足からひどい噂が立った……皇子の国に到着してから知った。
 皇子が私に一目惚れをし、様々な苦難を乗り越えて国へと自ら迎えにきた――と。

 この残念過ぎる容姿の私に大国の美貌の皇子が恋したとか……信用されないだろうと思ったのだが、そういう話が好きな人が一定数いるようで、その一定数に 非常に声が大きい人たちが含まれていたらしく、皇子が恋した町娘という不思議なポジションに収まることになってしまった。

**********

 私は非常に普通の顔立ちをしている。
 どのくらい普通の顔立ちをしているかというと、
「シャーロット」
 皇子が名前を覚えられないくらいに普通の顔立ちである。隣にいるあの時助けてくれた侍女が曖昧な表情をする。
 彼女、最初の頃は「皇子もすぐに名前を覚えますので」「皇子は名前を覚えるのが苦手で」とフォローしていたのだが、さすがにそれも言えなくなる程に皇子は私の名を間違う。
 覚えて欲しいと思ったことはないのだが、覚えないと彼女の胃にきそうだなと思うのでできることなら覚えて欲しい。
 私から積極的に動くつもりはないが。
 皇子は私と会話することはない。一方的に告げて立ち去る。
 共通の話題もなにもない私にとってはありがたい。私は隣国の皇子のことなど詳しく知らない。名前すら知らなかったくらいだ。
 いま私が皇子について知っていることと言えば、皇子には兄と弟がいる。この三人兄弟と従兄弟の公子さんの四名の誰かが次の皇帝になる。最有力候補が皇子なのだと。
 侍女は、
「皇子が皇帝に立った暁には、皇后ですよ」
 言われるが、なりたくはない。
 だが残念なことに私は皇子の正式な妃である。
 どうも本当は違う人を正式な妃にしようとしていたらしいのだが、あの騒ぎでこの状況。皇子が正式な妃にしようとしていた女性は、側室の誰かだった……らしい。

 伝聞ばかりなので”らしい”が続くが、詳しく知ったところでどうにもならないので”らしい”だけで充分。

 どうしようもない理由で皇子の妃となった私、そして皇子には側室がたくさんいる。側室には私の故国よりもずっと大きな国の姫さまもいる。
「どうしてあなたみたいな、普通の娘が妃に選ばれたのかしら」
 ”それは憤怒を拗らせた結果です”とも言えないので、私は黙って俯く。泣いているのではなく、笑いたくなる気持ちを抑えるために。
 大国の姫さまからはわざわざ足を運んで嫌味を言ってもらえるくらいには嫌われている。私は正妃で、皇子の妃のなかではもっとも身分が高いので、大国の姫さまが出向かなければ会うこともないので、こうやって頑張ってやって来てくださる。
 生産的なことに時間を費やしたらいかがですか? 思うが、側室の生産的なこととは、夜のお勤めだけで、あとは消費行動のみだ。
 高い陶器のティーセットに、紅茶の葉に、小麦粉と砂糖と卵で錬成した毎回違う菓子に、果物と砂糖を鍋にぶちこんでとろとろと煮てかき混ぜたものなど。

 私、紅茶より珈琲のほうが好きなんですけれどね。

 大国の姫さまが嫌味のつもりで言っている台詞は、皇子からも聞いている。
「あの時自分はどうにかしていた」
 言わなくてもいいです。それは私も侍女も思っていることですから。

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