PASTORAL −70

 サフォント帝の御世の「オーランドリス伯爵」といえばシャタイアス=シェバイアスという、皇帝と同い年の男を指す。
 サフォント帝が自らの即位と同時に叙爵したその男は、長い間皇族とは道を違えたが、皇帝を裏切る事だけはなかった。
 彼・シャタイアスは現リスカートーフォン公爵の妾腹で、ゼンガルセン王子の腹心として有名だ。
 妾腹とは言っても母親はサフォント帝の父方の叔母にあたる、要するに先代皇帝の妹の一人。
 皇家と公爵家の間で取り決められた由緒正しい「妾妃」であって、エバカインの母親とは全く違う。当然彼の扱いも全く違うものだ。
 運が良かったのか? 悪かったのか? 余人には判断できないが、サフォント帝と同じ歳に生まれた彼は、宮殿に住んでいた高位の子供の中で最も優秀であった為、幼少からサフォント帝の学友に選ばれた。
 サフォント帝の幼少期、学友に選ばれたシャタイアス以外の面々は「リスカートーフォンの嫡子・アウセミアセン」と「ケスヴァーンターンの嫡子・カウタマロリオオレト」
 正直、居ない方が良い影響を与えるような二名の中で、シャタイアスは非常に目立っていた。
 サフォント帝が皇太子妃を迎えたのは相当に早かった。サフォント帝は幼少期からサフォント帝であり、自身の皇太子妃も自らが選ぶ。選ぶといっても、当時妻に出来そうな年齢の女性は彼女しかいなかった。
 ヴェッテンスィアーンの第二王女・ザデフィリア。
 六歳年上の彼女とサフォント帝が結婚したのは六歳の時。十二歳の彼女と六歳のサフォント帝。
 当時ヴェッテンスィアーンには五人の王女がいた。第一王女は当然ながら跡取り、第二王女は皇太子妃に、第三王女はアウセミアセンの妻に、そして第四王女はシャタイアスと結婚した。第五王女はカルミラーゼンと結婚したクリミトリアルト王女である。
 第四王女クラサンジェルハイジはシャタイアスよりも三歳年上、特に何の感慨もなく家同士の定めた結婚が執り行われたのは、シャタイアスが十二歳のとき。
 結婚したと同時にシャタイアスはリスカートーフォン公爵の本宅に連れて行かれた。
 何の事は無い、宮殿にいた妾妃、皇族であった母親が死んだので父の実家に連れて行かれただけの事。
 そこで出会ったのが、
「待っていたぞ、シャタイアス」
 後にその名を交換する相手「ゼンガルセン=ゼガルセア」
 リスカートーフォンを継ぐために生まれてきたような男の家臣となる。その男の忠実なる家臣となっても彼は「サフォント帝」を裏切る事はなかった。

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「あれ程喧嘩するなと、言っておいただろうが」
 戦勝の前祝の席で、何時もながらにクロトハウセと喧嘩をしたゼンガルセンを見下ろしながらシャタイアスは言い放つ。
「いい勢いで乗ってきた。最近アイツ大人ぶって、吹っかけても乗ってこなかったが、あの兄皇子をダシにまた暫く遊べそうだ」
 シャタイアスの言い分など全く無視して、ゼンガルセンは軽微な怪我に包帯などを巻かせる。直ぐに治療するのは簡単だが、わざと怪我を残して包帯などを巻いた姿で歩くのも、一種の示威として存在している。
「その皇子だが……気になる事をハイジから聞いた」
 クラサンジェルハイジは結婚十三年目にしてシャタイアスと離婚した。
 性格の不一致などというものではなく、彼女は皇帝の妃になる為にシャタイアスと別れたのだ。
 五年前に生まれた息子を残し、彼女はシャタイアスと結婚した時と同じく、家同士の取り決めで彼の前を去っていった。ロヴィニア側からみれば、結婚させた相手の中でシャタイアスが最も離婚しても何の問題もない家柄であり、身分であった為の措置。
 このような事を見越して、嫡流ではない子と嫡流の子を結婚させる事も、貴族間では珍しいことではない。言い換えればシャタイアスは、その為に生まれてきたようなものである。
「何だ?」
 ただ、それに痛痒を感じる程、二人の仲は良かったわけでもない。なにより、クラサンジェルハイジは「皇帝の正妃」になれる機会をつかんだ時点で、心は既に皇帝の方を向いている事をシャタイアスは良く解っていた。
 銀河帝国の王族ならば「皇帝の正配偶者に」と言われた時点で、その道以外はない。そして、それは多くの者が望む地位でもある。
 昔、憎々しげに姉・ザデフィリアを見ていた、クラサンジェルハイジの姿を彼は覚えていた。生まれるのが遅かっただけで姉に『皇太子妃の位を奪われた』と思い続けていた彼女。
 それ以上の地位を得た彼女は、幸せに満ちていた。シャタイアスとの生活では見せた事の無い程に。
 シャタイアスが彼女の心の底から幸せそうな表情を見たのは、離婚する時だったと言っても間違いはない。
「あの皇子、皇帝の“正配偶者の一人”だと。皇后の地位が空白なのは、あの皇子が皇君として入ったからだと」
 ゼンガルセンは部屋にいる全員に立ち上がれと指示を出した。
 壁になれという意味。聞いた内容を外に漏らすなという意味でもある。
「我も聞いた。リザベルタリスカ、我が兄の妻からもたらされた」
「どう考える?」
「シャタイアス。お前の情報源である、元妻は誰から聞いた?」
「妹のクリミトリアルトからと」
 その言葉にゼンガルセンは頷く。
「シャタイアス、この情報は一点からしか流れてこない。全てクリミトリアルトの元からしか出てこない。男皇帝が男の配偶者を置くという大事が、これほど静かなのは可笑しいとは思わないか」
 現在密かにではあるが「ゼルデガラテア大公は皇君だ」という噂が流れている。だが、噂の真相を問いただす術を殆どの人が持っていない。内容が内容なだけにサフォント帝に直接問う訳にもいかなければ、
「……カルミラーゼンか!」
 食わせ者として有名なカルミラーゼンに聞いた所で、真実を語ってもらえると誰も考えない。その下らないとも取れる流言を口にした事で、処刑される恐れもあるからだ。
「そうだ。奴が妻であるクリミトリアルトを動かして、此方にわざと間違った情報を流している可能性もある。狙いは我等と見て間違いはなかろうな。ロヴィニアと現在縁が深いのは、我々エヴェドリットのみ」
「流言と噂話で五千人以上の貴族を陥れた男。次は何を企んでいる?」
 基本的にカルミラーゼンは何も企んではいないのだが、過去の言動から非常に警戒されてしまった。
「解らん。だが、その噂は間違っても他者に流すな。これ程容易に噂の元が手繰れるという事は……。一例として、サフォント帝が男を正配偶者にしたと我々が噂しよう。それが真実ではなかった場合どうなるか? 簡単だ、不敬罪が適応される。このレベルの不敬罪となれば、我とて握りつぶすのは容易ではない。あくまでも一例ではあるが」

カウタマロリオオレト・テリアッセイラ=リサイセイラ・ザリマティアスタラーザ(全名前)のせいで話が変な方向に進んでます

 無駄に頭の回るゼンガルセンとシャタイアスは、悩み始めた。
「シャタイアス、我もその情報を掴んだ際に人を集め、皇室法典を見直させた。すると”異母同性を配偶者にしてはいけない”という法律はなかった」
「ならば真実……と見ても……と見せかけるつもりか?」
 頭が回ると、裏の裏の裏の半分くらい表まで見たくなるらしく悩みが深くなってゆく。
「前にカルミラーゼンの部屋に行った時、カウタが来てサフォントから、法律改正に関する全権を任された」
 部屋中の壁となっている者達が、一斉に身を乗り出す。
「カウタに法律改正の全権? 陛下は一体何をお考えなのだ」
 まだこれらは発表されていない。ただ今急いでカルミラーゼンが書類を整えているので。
「その会議の補佐がカルミラーゼンでもある。何時もの事と言えばそれまでだが、裏がないとも言い切れない」
「裏といえばあの皇子も解らない。何か情報は掴んだか? ゼンガルセン」
 あの皇子ことエバカインに裏など皆無なのだが、世の中はそのように観てはくれないらしい。
「あの弟皇子が今一番厄介だ。どこから調べても特に珍しい事はない。サフォントの相手をしているのは事実らしいが、偶の相手用に異母弟を置くか? 皇后宮という独立した場所で、何らかを企んでいると見るのが妥当だ。そうは思ったところで、皇后宮には我の身分でも簡単には。公爵にでもなっていれば別だが」
「あの皇子と先ほど少し話をしてみたのだが、全く解らん。言動がどちらかとうと“ぼうっ”としているようにも感じられるが、カウタのように天才的なバカでもなく、アウセミのように愚鈍極まりないわけでもなく、天然? そう感じられたのだが、装っているだけの可能性も捨てきれん」
 ゼンガルセンは額に手を当てて、
「あのクロトが信奉して止まない兄が、天然な訳ないだろ。大体だな、あの皇子が“宮中公爵”に叙された時点で可笑しい。他の連中、あの父親もそうだが“身分が低い”って、過去の例からみれば、奴隷の妾妃の子でも大公になってるヤツもいる。疑ってかからん方がどうかしている」
 過去の例に照らし合わせて、エバカインの当初の位の低さを疑うゼンガルセン。
「確かに。機動装甲にまで搭乗できるのに、何故か佐官であったしな。今もまた准将であるし。何故中将に置かぬのであろうか」
 まさか帽子が関係しているとは思いもしない(将校級では、准将の帽子が最もエバカインに似合うからです)かつての皇帝の学友シャタイアス。
「あれはわざと軍警察に放り込んだとみた。警察の腐敗を正すのに使われたらしい。その任が終わったと同時に今度はイネス公爵家に婿だ。思うにイネス公爵家に向かわせる為に、最初から宮中公爵にしたのではないかと考えている」
 情報を多数持っていると、全く違う方向に話が進んでいくようで、結果
「いずれにせよ、あの皇子もう少し調べてみる必要があるな」

エバカイン・クーデルハイネ・ロガ。ゼンガルセン王子に重要警戒人物として目をつけられました

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