PASTORAL −61

 夕暮れに染まる宮殿。
『あっちに、アンタのお兄様がいらっしゃるの』
 これは夢だなあ。懐かしいな、この夢。
 そうそう、当時四歳くらいだったかなあ……母さんに兄弟が欲しいってねだってた頃の。戦争が続いてるから、両親が居ない子なんて珍しくも何ともない。
 そして子連れで再婚も普通にあったから、俺も
『お兄ちゃんが居る人と一緒に住もうよー。おうちも広いしー。ねえねえ!』
 母さんが再婚……じゃないや、結婚しなかったのは俺がいたせいだって気付いたのは、何時頃だったかな。再婚なんて言えば叱られるな、母さんは戸籍上は結婚してないんだから。
 ……そうだ母さん今は戸籍上、子供もいないんだよな。俺が皇籍にはいったからさ。
 自分の生まれを知らないで、そうやって騒いでいた時に母さんが『あっちにおいでよ』って教えてくれた。埠頭の端から見えた帝星の五割を占める建物。
 それを知ってから、学校帰りに良く立ち寄った。向こう側に見える、夕暮れに染まった宮殿を眺めながら、
『お兄様、なにしてるのかなあ』
 一人で話しかけてた。何時か会えるものだと思って。
 本当に解らなかったからな“お兄様”が誰なのか。実際は二名ほどおいでだった訳だが。
 自分が皇帝(クロトロリア帝)の私生児だと知り、『兄』だと思っていた相手が世間一般において『兄』ではない事を知った時、寂しかったな。
 埠頭の端から宮殿を眺めつつ、お顔だけは拝見できるから。直接会えなくても映像で、特別参賀の際に通えば遠くからでも拝見できるから……そう諦めていた。
 十五の時、会えるって聞かされて、本当に嬉しかったなぁ……
『お会い出来るんだ!』

「お兄様、に」
「どうした? エバカイン」

 うああ! 寝言言った俺? 寝言に受け答えすると死ぬと…… まあ、俺の寝言なんてどうでもいいや! 受け答えされて構いはしない。
 おや? 兄上は正装なされていらっしゃる。
「あ、あにう」
「お兄様でよいぞ」
 うわ! 恥ずかしい。二十二にもなってお兄様なんて。
「余とカルミラーゼンの二人がおるゆえに、呼び方を変えるのは賢いな。余をお兄様と呼び、カルミラーゼンを兄上と呼べばよかろう」
 正直、兄上とカルミラーゼン兄大公のどちらかを「お兄様」と呼ばなくてはならないのでしたら、カルミラーゼン兄大公殿下の方を“お兄様”と御呼びした方が良いと思われます。
「兄大公殿下は兄大公殿下と御呼びさせていただきますので、兄上のことも今まで通りに」
 本当は陛下ですから。兄上と呼ばせていただけるだけで、身に余る幸せなのですが。
「それ程までに他人行儀にならずとも良い。カルミラーゼンとクロトハウセが困っておる。お前が打ち解けてくれぬと、両者共泣きながら余の元に来ておってな」
「……」
 何か可笑しい単語を仰られませんでしたか、兄上? 「泣きながら」 あのお二人が泣きながら兄上に? はい??
「長い事お前には苦労をかけたが、決して我々はお前の事を疎んじていたわけではない。確かにリーネッシュボウワはお前を疎んじておったが、あれももうおらぬ。三大公はお前を兄弟と思っておる、故にもう少し打ち解けてやってはくれぬか。あの二人、お前と話をしたいと、余の周りをはしゃぐ子犬かの如くグルグル回って懇願してくるゆえに」
「あ、あの……は、はい」
 あの……あの、2mを越えていらっしゃる御二方が、兄上の玉座の回りをグルグル? 想像力がない俺には全く想像付きませんが、それが事実でしたら周囲の者達は目のやり場に困るかと。
 どういう意味で困るのか? と問われると……その……困らないか? 何となく。
 それ以上に、あの御二方を「はしゃぐ子犬」と評される兄上の度量と申しますか、何と申しますか……完敗です。何時も完敗しておりますが。
「少しは気さくに話しかけてやるがいい」
 兄上の気さくと、俺の気さくは全く違うような。
 でもな、カルミラーゼン兄大公は長い間会ってみたいと思っていた兄上のお一人。
 クロトハウセ大公は、年齢的に弟だ。欲しいと思っていた弟……ちょっと違うけど、弟は確かに欲しかったし。うん、二人とも俺を認めてくださっているなら、兄弟として接しなければ失礼だし。よし! 頑張ろう。
「畏まりました、兄上」
「お兄様で良い」
 兄上の事を『お兄様』と呼ぶのは決定事項のようだ。寝ながら寝言を言った自分が憎い! 寝ながらでなければ寝言は言えないにしても!
「さて。それでは余は軍務に向かう。お前は身体を休めておくがよい、エバカイン」
 せめてお見送りくらいは! と、天板にかかっているガウンを掴んで立ち上がろうとしたら……
「いてっ! あいたたた!」
 足がこむら返り起こして、ベッドから落ちた。兄上のお休みになるベッドって結構高いから、落ちると衝撃あるんだよ。
 足音が俺のほうに近付いてこられて、
「無事か? 足の方は疲労か。無理させたようだな」
 俺を軽々と抱きかかえてベッドに降ろしてくださいました。痛いけど、その……
「あっ! あにう、お兄様! その、軍務いかれてっ! だいじょう! ぶっ! ですの いてっ!」
 こんな強烈なこむら返り初めてだ。
 結局兄上がさすって下さって、何とかなりそうな……
「陛下、お時間はとうに過ぎておられますよ」
 ゼンガルセン王子が入ってきた。ベッドの傍まで来ると
「弟君と離れがたいとは、貴方も存外普通の方ですね」
「あの、ゼンガルセン王子……私、こ、こむら返りを起こしてまして」
「余は至って普通の人間だが。主、そんな事も知らなかったのか」

ベッドの脇で皇帝陛下と近衛兵団団長が睨み合い……普通は睨み合う立場じゃないような。
そんな緊迫した状況のなか、俺は全裸でベッドの上。

 治ったはずのこむら返りが再発しそう。
 一触即発状態で、一分ぐらい睨み合って次の瞬間
「うぁぁぁ?!」
 俺はゼンガルセン王子に足つかまれて、
「舐めておけば治るだろ」
 足の甲を舐められた。舐めて治るのは傷であって、こむら返りは違うと思うのですが王子……なんと言いますか、この大股開き状態どうにかしたいのです……ズシン?
 身体に振動が? 何だ?
 ズシン、ガシン……って変な音が聞こえる。扉のほうから……バァァァン! という音とともに強化扉が内側に吹っ飛んで、壁に突き刺さった……けど? え? 何、何だ?
「ゼンガルセン!」
 ク、クロトハウセだ! 頬がヒクヒクと痙攣している。
「遅かったな」
 何? 何が始まる……あ! アダルクレウス隊が、召使を誘導してる。みんな凄い勢いで壊れた扉から外に……避難? アダルクレウス! もしかして! 兄上の警備ではなく、兄上周辺の召使の避難誘導係なのか!
「ぁぁぁぁぁあああああ!」
 置かれている花瓶などが震える程の叫び声を上げたのが、ゼンガルセン王子。
「うぁぁぁぁぁああああああ!」
 それを弾き返すようなクロトハウセの咆吼。
 一体何が? というか……その? 俺はどうすればいい? なんで俺、こむら返りなんて起こしたんだろう!!
「つかまれ」
 兄上が俺を抱きかかえて、隣の部屋へ。壁と扉で完全に防音のはずの隣室にすら、何か振動が届くのですが……。兄上は俺をベッドに置かれると
「気にするな、アレはいつもの事だ。それではな、エバカイン」
 言いつつ、兄上はテーブルを掴んで隣のお部屋へと戻っていかれた。数分後、大振動の後沈黙が。
「お、終わったのか?」
 何が「終わった」のかは良く解らないが「何か」が終わったのは確かだった。俺が尋ねた相手は深く頷いて、
「大公殿下。足の皮膚張り替えますか? 準備は出来ておりますが」
 何の話だ?
「皮膚は何も?」
「ゼンガルセン王子が触れたところです」

それは幾らなんでも失礼だろが……

 タオルで拭くだけにして(俺としては全く気にならないんだが)俺はどっと疲れて寝させていただいた。
 兄上がお仕事中なのに申し訳ありませんが、先ほどの……その、常識では計り知れない何かを前に、疲れてしまいました。

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