PASTORAL −28

− 冷白の間 −
 通常貴族では立ち入る事の出来ない宮殿の間の一つ。
 ここで行われるのは、処分。
 皇族と皇族に連なる者、四大公爵とそれに連なる者達が罪を犯した際、それに処断を下される際に使われる部屋である。
 彼等が“そこ”に集められたのは、サフォント帝が婚礼を一ヵ月後に控えた時であった。
「揃ったか」
 イネス公爵家の醜聞は既に周知の事実であったので、誰もがそれに関する処分だけだと思い込んでいた。
 呼び出された四大公爵当主、正妃候補の三人、大公三名(ガラテア宮中公爵は欠席)それに近衛兵団団長であるリスカートーフォン公爵第二王子ゼンガルセン=ゼガルセア。
 サフォント帝が着座した所で、今度は罪人であるイネス公爵家の三名が連れてこられた。
 口を開く許可を与えてもいないのに叫ぶイネス公アルテメルト。ちらりとサフォント帝の方を見たゼンガルセン王子は微笑みながら頷き、両腕を握られて押さえつけられているアルテメルトの髪を鷲掴んだ。
「陛下に直接言上するなど、イネス公爵家の当主程度に許されるものではない」
 言いつつ彼は、持っていた剣の柄をアルテメルトの口に入れ、顎に手をかけ頭頂部と両方から力を入れた。
 骨が砕ける音とともに、アルテメルトの口から血が吹き出す。歯のほとんどが折れ落ちた。痛みにのた打ち回るアルテメルトに目もくれず、ゼンガルセン王子は落ちた剣を拾い上げて胸元から出したハンカチで拭く。
 必死に娘と娘でありながら孫である二人を庇っていた男の口からは、血と痛みによる呻き声しか聞こえてこなくなった。
「イネス公爵家長女クラティネ。余に対して申し開く事あるのならば発言を許そう」
 サフォント帝の言葉に身を震わせたクラティネだが、意を決し彼女は口を開く。
 彼女はその瞳に涙を浮かべつつ、必死に庇った。父を誘惑したのは自分であり、マイルテルーザを産みたいと言ったのも自分であって、二人は悪くないと。自己犠牲に溢れ、叶わぬ近親の愛に自己陶酔した彼女の訴えは、当人が泣いたところで終わった。
 クラティネの泣き声が響き渡るなか、サフォント帝は言う。
「それで終わりか?」
 しゃくりあげながらサフォント帝を見上げた彼女は、その言葉を理解する事ができなかった。
「ガラテア宮中公爵に対する謝罪はなしか。我が義妹よ」
 その声をうけて、ゼンガルセン王子が再び歩み出てクラティネの口に剣を咥えさせる。
 自己犠牲に酔っていた彼女は、サフォント帝が発言を許したのは「ガラテア宮中公爵に対する謝罪」であって、自分と父親の関係云々ではない事を、顎を砕かれる激痛のなか気付いた。
 美しい禁断の愛に酔っていた親子は口から血を流しながら、大理石の床で痛みに身体を捻らせる。
「わ、私なにも……し、知りません、で、ですから。ご、御慈悲を」
 十三歳の少女は頭を床に叩きつけながら、必死に慈悲を請うも、
「イネス公爵家は廃絶。冷白の間の三名は185強制収容所に“物品”として輸送。縁の者達は裁量により奴隷とする。これでお許しくださいませ」
 彼等を推したケスヴァーンターン公爵が完全に見捨てた。
「よかろう」
 サフォント帝はその意見を受け取った。
 公爵家に対しての処断としては厳し過ぎるのだが、他の三公爵家は目配せをした。通常であれば此処でどこかの家が『減刑を』と申し出る所なのだが、この意見がサフォント帝自らが出したものである事は誰でもわかる。
 処分や処遇などを決定する能力に欠けているのだ、ケスヴァーンターン公爵は。彼はサフォント帝の命令通りの言葉を発するのが精一杯な男。ケスヴァーンターン公爵が発案したものであれば減刑嘆願も可能だが、これが“サフォント帝の御意思”であると知って、それに異を唱えるのは賢くはない。
 残り三公爵も黙ってその意見に従った。ただ一人、
「陛下。陛下より近衛兵団団長の任を賜っている私に、言上する許可を願いたい」
 ゼンガルセン王子だけが口を開いた。無論彼の立場では助命嘆願などは行えないし、何より彼がそれらを行う人間ではない事はこの場の誰もが知っている。
「申せ」
「この場において、ケスヴァーンターン公爵にお尋ねしたい儀がございます。お許しいただけますでしょうか」
「構わぬ」
「それでは。リスカートーフォン公爵タナサイド=タナサイムが第三子、ガーナイム公ゼンガルセン=ゼガルセア。無知蒙昧ゆえに愚かなる質問かも知れませぬが、是非ともお答えいただきたい、ケスヴァーンターン公爵殿下。イネスの処遇でありますが、185強制収容所でよろしいのですか? その収容所はテルロバールノル王領(アルカルターヴァ領)支配下でございます、通常でありましたらケシュマリスタ王領(ケスヴァーンターン領)の収容所になさるのではありませんか?」
 その質問にケスヴァーンターン公爵は手を震わせ、サフォント帝を見た。彼が決めた事ではないのが、公衆の面前で露呈された格好となった。
 サフォント帝とゼンガルセンを交互に見ているケスヴァーンターン公爵に、自体を収拾する事は不可能と、カルミラーゼン大公が動いた。
「イネスの犯罪者共をこの場から去らせよ。それとケスヴァーンターン公爵、縁の者を捕らえるのは誰に任せますか? まだ決まっていないのでしたらゼンガルセン=ゼガルセア王子に依頼したらいかがでしょう。王子でしたら誰よりも早くに全てを捕らえて処分してくれるでしょうからね」
 全身で抵抗するイネスの者達などに誰も視線を送らず、ケスヴァーンターン公爵の首の動きだけが衆目を集めていた。
「ガーナイム、受けるか」
 哀れな程に首を振っていたケスヴァーンターン公爵を無視しながら、サフォント帝が悪戯好きなゼンガルセン王子に声をかける。
 彼は、ケスヴァーンターン公爵が答えられないのを知っていて、わざとそのような質問をしたのだ。
「私でよろしければ。捕らえた後、奴隷としたものは陛下にお届けいたしましょうか? 若しくはケスヴァーンターン公爵殿下に? それとも私が頂いてもよろしいのでしょうか?」
「くれてやる」
「ありがたき幸せ」
 そういってゼンガルセン王子は頭を下げて、列へと戻った。
 答える必要がなくなった事だけは理解したケスヴァーンターン公爵は安堵して、彼もまた列へと戻る。
 これで終わりだと公爵側は思ったのだが、サフォント帝にしてみれば此処からが本題だ。
「クリミトリアルト、デルドライダハネ、エリザベラ=ラベラ。この中の一人が男と情を通わせている」
 内心ケスヴァーンターン公爵の首の動きを笑っていた三公爵が、今度は自分達が首を振る番であった。
「敢えて誰とは言わぬ。言わぬ故に、今回の結婚はなかった事とする。異存はないな、ヴェッテンスィアーン、アルカルターヴァ、リスカートーフォン」
 三公爵も正妃候補も皆が顔を見合わせる。だが、誰も意義を申し立てる事は出来なかった。
 此処で食い下がって証拠の提示を求める事はできる。
 その証拠を提示された際、自分の娘が男と情を通わせているとなれば取り返しがつかなくなる。事が明らかになればサフォント帝の正妃は当然、皇太子の夫にも自分の家門から正伴侶を送り出す事が不可となるのだ。
 なおかつ、意義を申し出た家が潔白で別の家の王女が他の男と情を交わしていた事をこの場で公にしてしまえば、その事を恨まれ小競り合いとなる事にもなる。各々の私軍同士の小戦闘は、どの家でもできれば避けたい。
 何より、サフォント帝が虚勢や虚偽でこのような事を言わないのを皆は知っている。サフォント帝がこのように語ったからには、確実に証拠があるのだと。
 サフォント帝の怒りをこれ以上買わない為にも、彼等は決断を下した。
「御意」と、ヴェッテンスィアーン公爵クレニハルテミア
「御意」と、アルカルターヴァ公爵サリエラサロ
「御意」と、リスカートーフォン公爵タナサイド=タナサイム
 彼等の中の猜疑心を育てるのが目的であった。自らの王女を調査し潔白であれば他家に恨みを抱く。自らの娘がそうであれば必死にそれを隠す……その感情を煽り、公爵家の足並みを揃えさせないのがサフォント帝の目論見でもある。
 全員が頭を下げ終え列に戻った後、玉座において微動だにせぬサフォント帝が次の命を下した。
「三王女の中で罪があるのは一王女。残り二王女には何の罪もない、よって余の弟と娶わせてやろう。カルミラーゼン、クロトハウセ、ルライデ、お前達の妻の腕を取り退出せよ」
 皇帝の妻となるはずであった彼女達は、皇帝の実弟に腕をとられ罪の間を後にした。
「余が正妃を迎えるのは本日より十三ヶ月後と定める。各位、貞節なる王女、それに順ずる地位にある純潔なる娘を差し出すように。次で失態を犯せば余の代において正妃は取らぬ。下がれ、四公爵」
 全公爵が平伏し、サフォント帝の温情に感謝を述べて退出した後に残っていたのは
「自分の手を汚さないで巧くいくと思ってたんですがね」
 近衛兵団団長、ガーナイム公爵ゼンガルセン=ゼガルセア。
 彼は兄と姉の恋仲を兄の正妻に密告させ、その咎で兄を追い落とすつもりであった。
「覇気があるのは構わぬ、主には才能もある。クロトハウセと共謀するもよし、自らだけで勝ち上がるのもよし。主には期待しておる。だが策に溺れこの場に引き出されて余に処断を下されぬよう注意せよ。散華を身上とするリスカートーフォンが裁きの間に跪くのは場違いだ。さて、次の予定である第十二艦隊の視察へと向かうぞ」
「御意」

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