PASTORAL −188

 俺は一人で神殿に入った。
 許可されていない人が入ろうとすると、攻撃的なバリアで弾かれてミンチになるんだって聞かされた。多段層バリアをかけて侵入を阻止している神殿だが、独立したシステムによって管理されているそうだ。暗黒時代でも此処を破ろうとした僭主たちは居なかったって聞いたけど、それが関係してるのかな?
 いやでも……もう一つの方は、一番に破られたって聞いたな。
 なんでも宮殿には此処の他にもう一つ「陛下以外」に侵入禁止の場所があって、そこにも独立した警備システムが敷かれているらしいけど、そっちは直ぐに破られたって聞かされた。
 何って言ったっけ? そうそう! 巴旦杏の塔だ! 何処にあるのか知らないけれど、よっぽど大事な[物]を保管してるんだろうなあ。
「来たか、エバカイン」
 そんな事どうでもいいや! 今は御式を大過なく終えないと。俺一人の問題じゃないんだから。
「はい」
「手を乗せるがいい」
「は、はい!」 
 お兄様の手に俺は手を乗せて、真っ白な空間を歩き始めた。目が痛くなるような空間を歩いて小さめな扉の前に立った。小さいと言っても、宮殿にしては小さいだけであった、普通で観れば十分大きい。
「エバカイン。此処から先は、決して目を開くな」
「は、はい……」
 俺は言われたとおりに瞼を硬く閉じる。

 お兄様に手を引かれて、その扉の辺りを通り抜けた瞬間、ふとある言葉が蘇ってきた。つい先だってゼンガルセン王子とかなり一方的だが殴り合った時に言われた言葉。
 あの時は怒りや耳の奥の痛みに気を取られていたが……王子は確かに言った。


「ほぉ……貴様―――があるのか。―――など[千 年 も 前 に 完 全 に 消 え 去 っ た]と思ったのだが、貴様は本当に[奴 隷 皇 后 に 似 て い る]のだな」
「な、なに? 今、なんと?」


「 視 神 経 だ 。 も し か し て 貴 様 、 知 ら ん の か ? 」


「げほっ!」
「あの男、本当に甘いな! 貴様に教えておらんのだな。それとも貴様が取るに足らない相手なのか! どっちなのであろうな!」



 視神経なんて、誰にでもある筈……そう習ったのに、何故ゼンガルセン王子は? でも、もしかしたら……
 何だろう、この聞こえてくるはずのない音は……音なんだろうか? 何か不安が迫ってくる。
「エバカイン、そなたが聞いたことのない反響音のせいで不安になっておるだろうが、余を信じろ」
 俺は、平民や下級貴族の通う学校に行って、自分には他の子には聞こえない “何か” が聞こえることを確信した。
 家に居る時は母さんと俺二人きりだから、特に気にはならなかったが、たくさんの人が居る中で特殊な「音」が聞こえるのは俺だけだった事を知った。
 俺に聞こえるのは遠くの音や、見えない場所のイメージ。
 イメージが聞こえると言うのはおかしいかもしれないが、確かにイメージが聞こえるんだ。聞こえてくるただの “音” 
 表現してしまえばただの硬い反響音、それが俺の脳裏に勝手に映像を描き出す。それは昔は怖かったが、徐々に【物事】を知るにつれ、恐怖は薄れた。知っている物が脳裏に描かれるのは怖くはない。
 だが……
「はい」
 そう返事をしながらも、俺は手が震えている。
 此処にある……いや[居る]のは何らかの生物の死体だ、それも一つ二つじゃない。死体のイメージは警官として働いている時に明確に作られたから、怖くはない。だが、今俺の脳裏に描かれているのは、どれ一つとして何なのか解らない。解るのはそれは肉であり内臓を持ち、骨と血を持っていた過去を持つ機能停止してしまった[物]という事だけ。
 目を閉じ感じる反響音、それが齎す “カタチ” が俺を不安にさせる。
 此処にあるのは一体……何?
 この反響音が俺の脳裏に描く形は、馬の額に角があったり、翼があったり、目が三つあるような何かなど……在りえない “カタチ” ばかり。
「止まれ、エバカイン」
「はい」
「此処に手を置け」
「はい」
 手袋越しに感じる冷たく硬い感触。その向こう側にあるのは……
「探るな、エバカイン。それは知らなくても良いことであり、それは知った所で何の価値もない」
「はい」
 俺は手を置いて、お兄様の声だけを追った。
 此処には何かがある。でもその何かを知っていいのはお兄様だけなのだろう。

**************

 エバカインが震えだした。
 エバカインの持つ能力は観念動力の他に、遠隔透視能力を持つ。基本的に遠隔に働く能力部分が発達している。そのせいで、目を閉じていても恐怖を感じるのであろう。
 エバカインが感じる恐怖は未知であり、未知ではない。この中の一つがエバカイン本来の姿でもあるのだから。
 あの日、受精卵になったばかりのそなたは、確かに[この姿]であった。
「余の真の姿にして余の偽りの姿よ。其の真の姿にして其の偽りの姿よ」
 此処にあるのは、過去に作られた全ての人造人間が真の姿で置かれている。
 我々は受精卵になった直後に、基本となるかつての[原型]となり、それから球体の[受精卵]へと形を変えて子宮に着床と言う名の侵入を果たす。人間の受精とは程遠い過程を、まるで人間であるかのように擬態し、そして生まれてくる。
 我々は人類によって作られた弱きものであり、そして、
「余は人類を支配する姿を持ち、其も人類を支配する姿を持つ」
 人類を支配する。
 遠き昔、搾取され続けた人造人間達は、人類を支配する事を望み、また自分達が消える事をも望んだ。
 この地上に異形なる美しさを存在させる必要はないと。
「余は真の姿にして偽りの姿に誓う。それを余の傍に立たせることを」
 そなたの原型。それは今、余の原型の隣にある。
 その姿も美しく、そしてまた今余の隣にあるそなたも美しい。

− シュスターサフォント。それが新しい[皇帝]の名か
− ここは人類を支配する場所。神殿

「余は−−−−−型であり、それはグリフォン88−0型である」

− 皇帝よ忘れるな
− 我等、想像上にあってこそ幸せであり、憧憬を抱かれるものであったもの
− 大量生産され、消費される頃にはその憧憬は消えうせ、我等は幸せではなくなった
− 我等は誰一人として人間に対し我等を作ってくれと頼んではいない
− 我等は人間の中で想像されているときが最も幸せであったのだ


− だから異物の存在を許しはしない


 だが貴様はこの場で過去の怨嗟を吐くのみの機械。
 我々の原型はここにあり、人類に虐げられたとしても、余は人類を守る。最早繰り返す事しか、過去を伝える事しか出来ぬ≪それ≫よ。
「行くぞ、エバカイン」
「お、終わりましたか?」
 帝国は何時か、確実に滅びる。その時、貴様も終焉を迎える。その後の世界がどうなるかは余とて知らぬが、変わらない世界が続くであろう事は≪想像≫できる。
 自らの築いた歴史を持ち、何時しか未来を想像できるようになった想像上の生き物であった我々。もしかしたら人類に近付いているのかも知れぬな。
 だが、それも良かろう。
「どれ」
「お、お兄様!」
 震えるエバカインを抱きかかえ、立ち止まり、
「震えておろうが」
「あ、あの……」
「安心するがよい。此処には余がいる」
「は、はい!」
 口付ける。


  我々は過去の怨嗟に囚われ、己が幸せを見失うほど愚かではない。


 余はエバカインを抱きかかえたまま神殿を出た。正妃達が非難がましい目で未だ震えているエバカインを睨むが、余は知らぬふりをして持ってこさせた椅子に座らせ、そして目を開かせる。
「よくやった」
「は……はい」
 目を閉じても音で、それを観ることができる能力。超能力は何一つ我々を幸せにはせぬが、これを捨てることもできぬ。
「待っていられるな?」
「はい」

 ≪これ≫と共に生き、そして≪これ≫と共に死ぬ。

「帝后ロザリウラ=ロザリアよ。参れ」
「はい、陛下」

 余は帝国を維持せねばならぬ。人類に再び空想上の生物を作らせぬようにする為に。

backnovels' indexnext