PASTORAL −183

 話聞いてませんって……
「どーしよー……」
 昨日突然お兄様から『皇君』だと言われ、それが冗談じゃない事を知った……俺。
 それを知った直後から十時間くらい記憶がない。お兄様と皇太子殿下の前で錯乱して、そのまま精神を安定させる装置に入れられたらしいんだけど、それでも興奮状態が治まらなくて、使える限界量の薬を投与されても、やっぱり無理。
 装置と薬をこれ以上使用すると身体に害が出るってんで、起こされて鎮静効果のある香りと、同じく鎮静効果のある音楽、そして鎮静効果のある色を使った部屋におかれて、鎮静効果のある声を持つカウンセラーとやらに色々と言われたんだけれど……どれもコレも耳を上滑りして、駄目だった。
「じゃあ、あんたが陛下と結婚してくださいよ!」
 そう叫んだ後、どこかに行きたくなって走り出したのを、周囲の警戒に当たっていた近衛兵に捕まえられて、その後知らない屋敷に連れてこられた。
 彼等に遠巻きに見張られてるんだけど……

 俺は冗談のような話だが、お兄様と結婚していたらしい。

 経緯は知らないが、一年近く前に既に成立していて……それも「皇君」
 皇君って女性皇帝の配偶者の地位なのかと思ったら「男性配偶者」の意味なんだって……もう良くわからない。嗚呼、どうしたら良いんだろう……。正直逃げ出したいし、逃げようと思ったけど周囲を近衛兵で固められてるから、逃げ出しようはないし……もう、もう……何が……泣きたい。
「皇……ゼルデガラテア大公殿下、エミリファルネ宮中伯妃がお見えです」
 母さんは部屋の散らかり具合を一通り見てから、俺に近寄ってきて。
「あんた、何こんなに散らかしてるのよ! 片付ける人の身にもなりなさい!」
「あっ! あのさ! 俺、け、け、けっ! 結婚する……じゃなくてしてた! 結婚! それも兄上と! あ、兄上って、皇帝陛下なんだよ!」
 いや! 母さん! それ所じゃないんだよ! た、確かに散らかしたのは悪いけれど!
「知ってるわよ」
 でもね、暴れていないと身体と精神が分離しそうで……分離した方が楽っぽいけどさ……
「何で皆知ってるのに! 俺だけ知らないんだよ!」
 何で皆知ってるのに、結婚 “してた” 俺だけ知らないんだよ!!
「あんたがマヌケだからじゃないの?」
 ……そう言われてしまうと……お兄様やカルミラーゼン兄上の言葉の中に思い当たる節があるような気もしてくるけれど……
「普通、思わないだろう!」
 思い出す事を拒否してる。
 それに気付けなかった自分の愚かさに気付きたくないっ! それにさ! それにさ! 絶対に男が男皇帝の正配偶者になるなんて! 今まで! この四十五代続いた帝国で “皇帝” が同性結婚したことはないよ! それもかなり同性を好む性質の強いこの帝国で! 同性が結婚できるなら、その……暗黒時代なかったんじゃないかな? そ、それは違うのかな?
「そうね。そんな事考えるような人間じゃない事は、私が良く知ってるわ」
「あ、明後日結婚式って……」
 過去はいいや。今は俺の未来を……
「決まってるんだから仕方ないでしょ」
 俺は床に両手と膝をついて、項垂れながら本気で泣きたかった。
「そーだよなー」
 市民が行事の際に立ち入れる広場、それに面しているバルコニーに出て手を振る……手を振る……
 うあぁぁぁ! 俺どんな顔して手振ればいいんだよ! 手の振り方だって知らないぃぃ! 嗚呼! ラウデ達に『上から見てね』って許可証まで渡して……ラウデ達も知ってたらしい……そりゃそうだ! シャウセスもカザバイハルア子爵も知ってたんだから!
 アダルクレウスだけは知らなかったらしいけど……俺、さっき連絡入れたら『お前! 俺に言い忘れてたんじゃなくて! お前知らなかったのか! ばっ……ああ、もうっ! 最初に渡された書類に目通さなかった俺が悪かったんだ。スマン……だが、諦めろ』って言われたし。
「あんたがごねるのは勝手だけど、迎えに来てくれた伯爵から聞いたけれど、陛下はこの式が潰れれば二度と結婚なさらないと一年も前に宣言なされているそうよ。あんた、陛下の結婚を潰しにかかってるの、解ってる?」
「あ、う、あ……」
 う……そうなんだ……
 お兄様は一度そう言われたら絶対に遂行するだろうなあ……
「陛下はお優しいから、こうやってごねてる弟を説得してくれとわざわざ御自分で連絡を下さって……嫌われて配偶者になるわけじゃないんだから、少しはマシじゃない?」
「母さん……」
 そりゃそうかも知れないけれど……俺は頭を上げて母さんを見上げる。
 心底呆れたような顔して……そんな目で見ないでぇぇぇ! 母さん!
「どうしても嫌だったら、嫌って陛下に言いなさい」
「だ、だって、そんなこと……で、できない……だろ……」
 それが出来たら……出来たら……?
 そうしようとは思わなかったなあ。お兄様は嫌じゃない、お兄様と一緒に居るのも……嫌じゃない。
「その時はその時。最悪処刑だけれど、その位の覚悟は出来て “ごねている” んでしょうね」
「あ……ああう……」
「まさか、そんな覚悟もなしに “イヤー” とか言ってたんじゃないわよね」
「あうあう……」
 か、母さん……そ、その “イヤー” は多分、お兄様に対してじゃなくて、この突然突きつけられた現実に対してで、決してお兄様に対してではなくて……あれ?
「陛下の御意志に逆らう事、それ即ち “死を意味する” そのくらいは、知ってて拒否してんでしょうね」
「…………」


 俺、何で騒いでたんだろう?


「ごめんなさいでした……」
 吃驚? 吃驚だけ?
「全く。いい、結婚式は出席する。それから先のことは、その後に一緒に考えましょう」
 母さんが膝付いて、俺の手を握って確りと言ってくれた。
 いい年して、全然独り立ちできてなくてごめんなさい。
「う、うん……」
 一人で物事対処できなくて、凄く恥ずかしいよ……母さんが居たから落ち着けたけど、お兄様はもういらっしゃらないんだよね……
「本当に、死ぬほどに嫌で死にたいってなら、それを選ぶのも仕方ないわ。私も今から覚悟決めておくから」
「母さんは関係ないだろ」
 俺の手を握っている母さんの手に特に力が入ったりはしなかったし、口調も特別変わらなかったけれど、
「あんたの馬鹿さ加減には、涙も出てこないわよ。あんたは既に陛下の正配偶者。その正配偶者が結婚が嫌で自殺した……なんて公式発表できると思うの?」
 “皇帝の子” を産んでから、覚悟とか出来てるんだろうなあ。
「で、出来ないです」
 

「あんたが陛下と結婚するのが嫌なのは、自分が全く知らないまま話が進んだことなのか? それとも男同士なのが嫌なのか? 皇帝の正配偶者としての責務や、受ける嫉妬を考えると面倒なのか? もしくはそれ以外なのか? とにかく、自分が結婚を拒否したい理由だけはしっかりと考えなさい。解ったわね」

「うん……」
 そうだ……それなんだ。
 俺、驚いただけで……何なんだろう?
「じゃあ私は一度帰るから。明日までには、しっかりと考えを纏めておきなさいよ」
 母さんからサンドイッチを手渡されたけど……随分とまあ、大量に作ってきたねえ母さん。
「まず食べなさい。まずはそれから」
 あ、でも昨日から何も食べてないか……
「はい……母さん」
「なに」
 私は帰るからっていって、俺の手を引きながら母さんは立ち上がった。それに促されるようにして俺も立ち上がる。
 何だろう、久しぶりに手を握ってもらって、凄く安心できた。でも多分、こうやって母さんに手握ってもらってばかりじゃあ駄目だろうな……もう二十三歳だし、結婚す……る、じゃなくてしてるし。
 扉を開きながら、母さんの背に声を掛ける。
「ごめんなさい」
「いいわよ」
 見送った母さんの背はとても小さかった。
 元々大きい人じゃないけれど……苦労ばっかりかけて、ごめんねと見えなくなった背に声をかけた。

「飲み物持ってきてくれるかな。出来ればオレンジジュースと、冷たい水と、温かいスープを。どれか一つでも良いけど」

 母さんの姿が見えなくなって、ふと我に返ってみれば昨日皇太子殿下の前で紅茶を一口飲んだのが最後だった。それ以降、自分の意思で自分の口で何かを飲んだ記憶がない。
「スープは何を用意すれば宜しいでしょうか?」
「コンソメがいいんだけど、用意しやすいものなら何でもいいよ」
「大至急用意してまいります! それと片付けたいので、移動しては頂けませんでしょうか?」
 召使の人、凄く生き生きしてる。どうしたんだろう?
「あ、そう言えば此処は何処?」
「皇帝陛下の宮の中にあるお屋敷です」
「……あのさ、俺は用意されてる宮に移るよ。皇君……宮でいいんだっけ?」
 自分で『皇君』って言うと、恥ずかしいな。
「はい! ご案内させていただきます!」
 俺は母さんが持ってきてくれたサンドイッチ持って、皇君宮へと戻った。
 女官長が『申し訳御座いません! 殿下が知らなかった事、知らずに』そう謝ってきたけど……謝ってもらうものじゃないよなあ。普通は気付いていると思う……だろう。気にしないように告げてソファーに腰掛けた。
「お待たせいたしました、大公殿下」
 直ぐに出てきたコンソメスープとオレンジジュースと水。
 喉渇いてたんだなあ、と思いながら水を飲み干してゆっくりとスプーンを口に運ぶ。
「……はぁ」
「お口に合いませんでしたか?」
「美味しいよ」
 コンソメスープは美味しいが……ともかく考えてみよう。俺は何が嫌だったのか? 何故あれほどまでに騒いだのか?
 その前に、言葉は悪いけどさ、お兄様が俺と結婚して何のメリットがあるんだろう?
 皇族育ちじゃない下級貴族育ちの俺でも皇帝陛下の結婚ってのは、色々な力関係や利害とか血筋とかが絡む事は解る。そりゃ、過去三人の皇帝がお気に入りの「女性」を正妃として迎えたことはあるけれど……それと俺は根本的に違うし!
 最初の一人は十六代≪賢帝≫オードストレヴの皇妃ジオ、通称・軍妃って呼ばれたジオ・ヴィルーフィ。あの方は賢帝が苦手だった軍事をその才能で補った。……お兄様は俺なんかが補佐する必要ないほど軍事的才能に溢れていらっしゃいますから、それでもない。
 次の二十三代サウダライト、俺が婿に行ってた先から出た皇帝陛下だが、この人、元はイネス公爵で当時子供が五人ほどいて、奥様が亡くなられてた。
 本人だって皇帝に即位するなんて思わないで四十近くまで生きていたら、突然皇位が転がり込んできて宮殿に連れてこられてかなり大変だったらしい。
 気のいい侍女、二十七歳年下のグラディウス・オペラと知り合って、そこから紆余曲折っつーか気が付いたら子供が出来て、皇帝の年齢も考えて急いで帝后とされたとかなんだとか……手早いヒトだったらしい。
 確か十五になったばかりで皇太子を生んだんだから、妊娠した時十四?…… 十四だったんだよ! 当時サウダライト帝は四十一じゃないか! 何か犯罪っぽく感じられるんだけど気のせいか?! ……まあ、良いけど。
 それで三人目が初の奴隷皇后ロガ……まあ、俺はお名前拝借しておりますが。
 拝借してるっても、俺のロガは皇后が本来名乗っていたロガじゃなくて「ロガ・ロガ・ロガ」の三番目だけど……なんでこんな名前にされたのか? よくわからないけれど色々な権力上の問題で名前がこうなったそうだ……。
 この皇后の時代は、王女が一人もいなくて皇族も三十七代皇帝一人きりっていうかなり危ない状態だったんで「陛下がお気に入りの女ならこの際なんでも!」って勢いで迎えられたらしいよなあ。『この際なんでも!』って失礼な感じするけれど、逆に本当に切羽詰ってたんだろうなあってのも伝わってくる。
 あの頃は僭主の残党もまだ一大勢力を持ってたからねえ……今はもう見る影もないってか、どこに居るのかも……でもまだ捜索の手を休めていない所を見ると、僭主狩りは重要なんだろうな……それは! また今度考えろ! エバカイン!
 えーと、えーと! 三人のうち、一人は皇帝陛下の苦手とする箇所を補って、あとの二人は帝国を維持するために必要な後継者を得る為に……であって、俺は……別に……何も……
 何! 俺には俺の知らない隠された秘密でもあるの! 俺を手に入れると宇宙の覇者になれるとか! って、お兄様宇宙の支配者じゃないか……なに言ってんだ、俺。そもそも俺にそんな価値あるわけないだろう。
 えーと、落ち着いて考えような、俺。
 第一に、俺を配偶者にしても後継者は得られない。
 第二に、俺を配偶者にしても外戚はいない。子供なんてできないから、外戚はなくても関係ないだろうけれど、全く外戚がないから本当に役に立たないよなあ……。
 第三に……第三に……機動装甲に乗れる……けど、乗れる……だけ。子孫つくらなきゃこの能力は継承されないし……何だろう? 本当になんで俺を「皇君」になされたのですかぁ! お兄様!!
 少し考え方を変えて、お兄様を一個人として考えてみると……三人の妃は気に入られて妃になった訳だが……え〜と、お兄様が俺を気に入って配偶者にした? 
 ……?
 …………??
 ………………???
 ……?……?……?
 何だろう? 何て言うんだろう……よく解らない。もしかしたらお気に召してくださったのかもしれないが、そうだとしても正配偶者にする必要はないよなあ……別に四人絶対に必要だってわけでもないし……何だろう?
「失礼いたしますよ、ゼルデガラテア大公殿下」
「リスカートーフォン公爵殿下……」
 戸を開かせて入ってきたゼンガルセン王子が、凄く怖い。
 言い知れぬ恐怖ってのがあるなら “これ” だ。表情に怒気があるわけでもなく、動きも優雅で荒々しい所は一つもない。それが余計に怖い。なんというか…… そうだ! 無駄な動きをしていないってやつだ!
 この方が無駄な動きをしないと、これ程怖い物なのか?
「どういたしました、大公殿下。お顔の色が優れませんな」
「いいえ……何も。あの、何か御用ですか、リスカートーフォン公爵殿下」
 俺の座っている所まで、真直ぐに向かってきた……歩き方がおかしい! 普通の歩き方じゃない……これ決闘の時とかに使われる歩き方だ。足を上げないで、摺るようにして近付いて……来る。
「用件は唯一つ。貴方に宮中伯妃を説得してもらいたい」
 説得……あっ! そうだ、母さんゼンガルセン王子に求婚されたって言ってた! 
「結婚……ですか?」
「その通り。息子の貴方が説得してくだされば、折れてくださると思うのですが。さすがに皇子を一人で育て上げた女性、芯の強さは筋金入りで困り果てております」
 そう言って笑ったけど、何か……これ笑いって言って良いんだろうか?
 全く違う、何か笑いとは異質な感じがする。ガラスの破片を踏みつけているような、硬くザラザラとした感触。
「宮中伯妃などではなく、然るべき家柄と血筋の女性を王妃に迎えられた方が宜しいのでは御座いませんか」
 公爵の笑顔、それを見て俺は総毛立った。
「ははは……そうか、それでも良かろう! 貴様が説得せぬというなら身体の方から支配してやろうではないか」
「……」
「強姦されやすい性質なのであろうな。皇帝に、そして我に。どうしてもいう事を聞かねば次は部下にでも回してやろうか」
「貴様ぁ!」

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