PASTORAL −178

「陛下、即位おめでとうございます」
「カシエスタ。お前が前線から戻ってくるなど珍しいな。余の即位を祝う為に此処まで来たわけではあるまい」
「手厳しいお方です。昔から……陛下、少々長い話をしたいのですが宜しいでしょうか」
「構わぬ」
「噂を耳に挟んだのですがエミリファルネ宮中伯妃の子を “第三皇子” として迎えられると。それは本当のことで」
「本当だ」
「でしたら、是非とも臣の話を聞いていただきたい」
「話すが良い。お前が前線から帰還してまで話したいと申すことだ。余程のことであろう」
「ではお言葉に甘えて……事の始まりは今から十二年前の事になります。陛下が第三皇子に会いに行かれた二日前、宮中伯妃に会いに行った者達がいます。クロトロリアとその一行」
「関係を迫りに向かったというわけか、あの男」
「はい。宮殿を抜け出し向かいました。当然宮中伯妃は抵抗します。当然でしょうし、あまりにも無神経。ですが宮中伯妃は無力、腕を捕まれ関係を迫られます。迫るとも言いませんな、再び力ずくで体を開かせようとした時……四年前には現れなかった騎士が助けに入りました」


− いやあ! 助けて!!
− ママをいじめるな!


「エバカインか」
「はい。才能のあられる皇子は、クロトロリアに体当たりしよろめかせました。その直後、警備のケネスセイラが皇子をつかみ床に投げつけ……皇子は即死でした」
「帝国騎士統括本部に向かったのか」
「ええ。その瞬間、手を離してと叫んでいた宮中伯妃が態度を変えました “私と陛下の子を殺すなんてひどい” その言葉にクロトロリアが命じ、蘇生器が置かれているケネスセイラの管理下である帝国騎士統括本部に急行し、皇子は一命を取り留めました。その蘇生器に入れ再生用バラーザダル液を調合する為に体を調べた際、帝国騎士の能力を有している事が解ったのです」
「続けろ、カシエスタ」
「宮中伯妃は助けてもらう代わりに、体を差し出しました。差し出された方はそんな意図があるとは理解していなかったようですが。そしてデバラン侯爵の忠実なる配下、ケネスセイラが動きます “皇帝の私生児をデバランの駒” にする為に。ケネスセイラは宮中伯妃を騙します。宮殿でしかるべき教育が受けられるようにする、別れが辛ければ家から出ていると良い、その間に我々が連れてゆく。まだ三歳になったばかりの子、貴方の事は忘れられるから……生き返ったとは言え、息子を目の前で殺され、無神経な皇帝に再び体を押し開かれた宮中伯妃の精神は、普通の状態ではなかったようです」
「カシエスタよ、お前が動いたのか」
「あまりと言えばあまり。それに私は陛下が皇太子殿下になるより前から仕えていた側近。サフォント親王大公殿下が助けようと努力した “皇子” をむざむざとデバラン侯爵の手に渡すわけには行きません。私は貴方の側近であり、永遠に貴方の側近です。私はホテルにいた宮中伯妃に、帝国騎士統括本部に向かえと告げた後、陛下貴方にこの事をお伝えしました」
「お前がエバカインを家から連れ出す役であったのだな、カシエスタ」
「はい。丁度、第三皇子と同い年の私の娘ラバイゼルタルハを領地から連れてきておりましたので。同年代の子と遊ばせれば警戒心も薄れるであろうと、暴れられると少々厄介なですしと。何より私が立候補したのです」
「何故ケネスセイラは諦めた。余が居たのは半日程度。それ以降、何度でも機会はあったであろうが」
「ですので私は最後に諸刃の剣を抜きました……陛下の母君ナダ大公にこの事を伝えたのです」
「リーネッシュボウワはどう動いた」
「皇后陛下は矛盾した感情をお持ちの方でした。宮中伯妃親子を恨んではおりましたが……同時に、息子の方を気にかけてもいらっしゃいました。愛するあの人の息子だと思えば、憎さと愛しさが……と。宮中伯妃は帝国騎士統括本部に向かい、ケネスセイラと押し問答になります。そして内部に設置していた盗聴器から聞こえてくる息子の泣き声に “やはり息子は渡さない” と言い出しました。宮中伯妃が一人でそう言われても、殺されて終りだったでしょうが、そこに皇后陛下が到着なさいました。“他の私生児ならいざ知らず、私の陛下の私生児を勝手に捨て駒にするなど許さない” そう言ってケネスセイラにつかみかかったそうです。呆気にとられていた宮中伯妃はその時初めて、息子がどうなるのかを漠然とながら気付いた。皇后は宮中伯妃に居なくなれ! と命じられ……息子は気にかけても、皇后からみれば “愛人” である宮中伯妃は嫌いだったようです。ともかく宮中伯妃はそこから戻り、ケネスセイラは急いで暴れる皇后を連れて宮殿に戻った。何せあの日は陛下の初めての結婚儀礼式」
「あの日リーネシュボウワが不機嫌であったのはそれが原因か。ザデフィリアが、息子の妃が嫌なのかと思っておったが」
「それもあったでしょう。母親は大なり小なり息子の妻に嫉妬するもの。話は逸れましたが、皇后陛下はその事をクロトロリアに告げました。これが後年大事になるのですが、その時はクロトロリアがケネスセイラに “あの親子には手を出すな” と命じ、ナダ大公もその事を姉であるケシュマリスタ王に告げ “皇子” の安全は図られました。何よりケネスセイラの独断、デバラン侯爵に報告しないでの行動でしたので、それで事なきを得ました。そして後年の大事……」
「その前にカシエスタ。お前は何故、余とザデフィリアが結婚した後、側近の座を降りた」
「私は陛下の側近です。陛下の側近ではありましたが、私には陛下に真実を告げる自由がありませんでした。陛下に嘘偽りを伝えるしか道がないのであれば、陛下の側近の座に付いているわけにはまいりません。私は陛下の側近であることに命を懸けております」
「それでは、ケネスセイラの側近になったのは何故だ」
「あの男を破滅させる為です」
「話を続けよ。後年の大事とは」
「カウタマロリオオレト殿下の暴行事件です。クロトロリアはケネスセイラの行動にひどく腹を立てておりました。親子の身の安全などではなく、自分の頭の上を素通りするその態度が。何よりケネスセイラは、クロトロリアを軽蔑していた。その視線に気付かぬわけがない。そして暴行事件を起こします。クロトロリアが殿下を犯した真の理由は、ケネスセイラに対する嫌がらせ、その根底にはデバラン侯爵に対する……これ以上は言わないでおきましょう」
「確かに言わぬ方が良かろう。何より、言わずとも解る」
「ケネスセイラももう少しクロトロリアを上手く扱えれば良かったのでしょうが……ケネスセイラという人間は[自身が無い]天才です。支配者の徳を何よりも良く映す男は……貴方の支配下になれば、歴史に名を残す人となったでしょう。暴行されている侍女の助けを無視し、母親を助けようとした子供の首を折り頭を割る男ですが、貴方の支配下にあれば彼はもっと栄誉に包まれたでしょう。ですから私は貴方が即位する前にあの男を殺す事にしました」
「見事殺せたのだ、たいしたものだカエシエスタよ。褒めてとらそう」
「ありがたきお言葉。ケネスセイラは息子を強姦した事を責めました。責められたクロトロリアは返しました “お前は何を言っているんだ。余は皇帝、余が抱いてやったのだぞ、ありがたく思え” クロトロリアらしい言葉であり、ケネスセイラは自分の息子以外ならばそれを簡単に受け入れられたでしょう。“だが息子は傷ついた!” 叫んだあの男に、クロトロリアは続けました “確かに毎回出血はしてたな。だがそれは、余の子を傷付けた報い、当然だろ? 何か不満でもあるのか?”」
「クロトロリアはそういう男だ」
「戦争中のケネスセイラはその報告で精彩を欠き、戦果が上がらない。初めてのことでしたし、あの弱い男には堪えました。そのケネスセイラを私は追い詰めました “機動装甲で離脱し戦死してこい”。言われた瞬間のあの男の表情、それは驚いていました。貴方はある程度の戦果を得るまで帰らないつもりだろうが、そんな事は知らない。我々は指揮官が死ねば退却できる。だから死ね、名前は交換して “おいた” から死ねと。リスカートーフォンの名を交換してしまって生きて帰るわけには行きません。焦ったあの男は何故か私に[助けと許し]を求めはじめます。だから私は言いました。 “貴方が宮中伯妃に許されたなら、私が離脱しましょう” とね」
「自分の生命と引き換えに謝罪とは。だが、何故それほど生きて帰ってきたかったのだろうな」
「殿下の事が心配だったようです。そしてケネスセイラは連絡を入れました…………はっはっはっ! 陛下の前でこのように笑うなど失礼ですが……あの時の表情。宮中伯妃はケネスセイラの謝罪を一切受け入れませんでした。それどころか」

− 私は貴方に会ったことなどありません。私は陛下に暴行されたことなどございません。あの子は私が望んで身ごもって産んで育てた子。そんな作り話を前線から語るのが帝国軍の指揮官とは、上級元帥も地に落ちたものですね。許す? だから何を許せと貴方は言うのですか? 貴方は私の人生には微塵も存在しない。貴方など知らない。戯言はおうちに帰って王様にでも聞いてもらいなさい。私は貴方の母でも妻でも娘でもない。私は貴方なんかと話していられる程、暇ではない!

− ママ、お腹すいた。お菓子ちょうだい

「皇子が入ってきた所で、乱暴に通信は切られました。その時の呆然とした顔、そして急いで再通信を試みるも通じませんでした。宮中伯妃は通信が煩く、軽い旅行に出たようです。結局、ケネスセイラは仕方なしに機動装甲の操縦席に入り、私に向かって言いました。 “私は何か悪い事をしたのか” そう問いかけてきたあの男に私は言い返しました “あんたは貴族としては最高だったが、人間としては屑だ。此処で死なねばメッキが剥げて屑であることを露呈するだろうな”」

− 何故私は屑だったのだろうか
− 殿下が襲われているのを観ていた兵士の言葉を教えてあげよう[皇帝陛下の行為に口を出すなと、王子の父親であらせられるケネスセイラ上級元帥殿下が過去に命じたのでそれに従いました]殿下を犯したのは、あんただ

「飛び出していったケネスセイラ。そのバラーザダル液に廃人になる程のベルカイザンを注入したのも私です。壮絶な最後でしたが、ただの最後でもありました。あの男は陛下の御世にあれば、それは見事な軍人として名を残したでしょうな。でもあの男に栄誉は与えない。ただ、これは私の個人的な感情から出た事。あの男も陛下の御世に必要だったかも知れません。そんな私に陛下の御世を観る権利はありません、故にこれから自害いたします。陛下、どうぞ帝国の皇帝であってください」
「カシエスタよ、病死となれ。それとお前の娘を余の皇太子の側近と定める。次のカシエスタ伯が宮殿に入る準備を整えてから、病死しろ」
「ありがたき幸せ。陛下のご温情に甘えて、もう一つだけ」
「申してみよ」
「この事を陛下に伝えるだけで我慢しようと思った私ですが、本心としてはもう一人にも伝えたいのです。エミリファルネ宮中伯妃に。宮殿の暗部故に語るか語らないかを悩んでおりましたが……お許し願えませんでしょうか」
「条件がある」
「条件とは?」


「カウタマロリオオレトがクロトロリアに犯された事は告げるな。これは “あれ” の名誉などを考えてのことではない。“あれ” はケネスセイラの息子であり、宮中伯妃が憎んで当然の立場にある男。宮中伯妃の性格からすれば親の罪は子には関係ないと申すだろうが、余計な気は使わせるな。宮中伯妃が犯された時、助けなかった男の息子、それが “あれ” の立場であり現実。クロトロリアもケネスセイラも亡き今、恨む対象を必要としていなくとも、恨まれるべき者である事実は変わりない。それは余とカウタマロリオオレトが背負うものでもある。たとえ “あれ” がクロトロリアに犯され壊れていても、その責任から逃れる事はできぬ。それさえ守れるのであらば、余がエバカインを宮殿に呼び寄せた日に会いに行くが良い、カシエスタよ」


「……貴方はまさに皇帝です」
「当然だ。お前の人生の全てを支配したサフォント、それが真の皇帝でなければお前が此処まで生きた価値もなかろう」
「貴方に仕えられた事、名誉や喜びでは言い表せません」

**************

「いい男に育てられましたね」
 話を終えた伯爵は、直ぐに宮中伯妃の家から出た。
「育てた覚えはありません。勝手に育っただけです」
 日が傾き始めた空を背に、伯爵は最後の挨拶をする。
「長々とお邪魔いたしました。私が言うのも可笑しいのですが、お幸せに宮中伯妃」
「私は十五年前からずっと幸せですよ。この先もずっと」
 その宮中伯妃の微笑みを前に、
「信じていただけるかは解りませぬが……あの日私は同じ子を持つ母として、貴方を助けたかった。失礼いたします」
 背を向けた彼女に、宮中伯妃はあの日の感謝を込めて
「私もあなたを信じて良かった。あなたが私に他人を信じる心を戻してくれました。ありがとうございます」
 声をかけた。
 伯爵は振り返ることはなかったが、胸を張りその場を去ってゆき、三年後カシエスタ伯爵ハルダベルティ・バラウラ=ケセイラ・エダンザーニは[病死]した

backnovels' indexnext