PASTORAL −153

「エバカイン」
 サベルス男爵は、エバカインを船倉へと連れ込み手を握って声を潜め話始めた。
「どうした、アダルクレウス」
 何時になく真剣な表情の男爵に、エバカインは息を飲む。
 エバカインに緊張させる程に、男爵の表情は何時もと違った。
「この任務中、何時も俺と一緒にいてくれ。特に任務が終了した休憩時間は、絶対俺と一緒にいるんだ! 寝るのも一緒、風呂も一緒! 出来ればトイレも一緒に!」
「気味悪いこと言うなよ! 何でお前と一緒に!」
「俺だってお前と一緒に寝たくなざないわ! そんな事したら……それは後で対処するとして、今此処にある危機を回避する為に、お前と一緒にいなけりゃならないんだよ!俺はカザバイハルア子爵閣下に求婚されてる……ってか、俺は最早あの方と結婚している事になってるに違いない」
 ベッドは違えどもエバカインと同じ部屋で寝た事が後々『清らかにして神聖なる兄上!』と信奉してやまないクロトハウセに知れれば大事になること、サベルス男爵にも解っている。
 だが、解っていてもこの場で、生物の生殖能力の限界に挑戦など男爵はしたくはなかった。
「……い、いいんじゃ、ないの? いや、え? どういう意味」
「俺も子爵閣下も立派な成人貴族。帝星では既に結婚している可能性が高い、書類上の結婚が済んだら次に来るのは何だ?」
「交渉事実……かな? …………いや、大人だから……べ、別にい、いいよ……任務期間内だからって、節制しなくても。人目に付かない所で……ね」
 書類上結婚しても、全く妻に顧みられなかった男は頭の奥底から夫婦の定義を引き出して答える。
「お前! お前ってヤツは! もしかしてお前、カザバイハルア子爵閣下の事知らないのか? 閣下の私生活部分」
 ナディアがそっち方面に強いこと、エバカインは当然知らない。
「知るわけないだろうが! なんでそんなゴシップを!」
「ゴシップ嫌いなのは良いことだが、宮殿においてそれは致命傷だぞ、エバカイン。あのな、あの方は、性豪だ。並のお方ではない……らしい。その、三日ぐらい相手した男が疲労困憊でお暇したくらい。あの方とガチで渡り合って引き分けたのは、この旗艦の真の主・皇帝陛下だけだ」
 “兄上と引き分け”
 その言葉に、気が付けば何時もヘタっている自分を思い出し、サベルス男爵の真剣な紫がかった灰色と、青みがかった緑の目を見て何度も頷く。
「……ここに居る間だけしか、俺は押さえられないよ」
「それでも良い! この閉ざされた空間から降りたら考える! とにかく、此処だけお前の陛下から与えられた権力で回避してくれ!」
「わ、解ったよ……そうだな……」
 船倉……とは言っても、大理石で覆われシャンデリアが備え付けられているなんとも豪華な空間の隅で、男二人が貞操の危機から脱出すべく体育座りで会話している姿は情けない。

 サベルス男爵、自分は書類を提出され結婚してしまった……と思っているが、実際はそんな事はない。
 男爵と子爵が欠席したパーティー、そこで一騒動が起きた。姉子爵から書類を渡された弟・ダーヌクレーシュ男爵は『勝手にサベルス男爵家側の書類作って提出していいのかなあ……』そう思いつつも、
“姉さん怖いし……あの姉さんがやっと結婚するって言ってんだから。姉さんさえ結婚すりゃ副王家の血筋がまた絶える事もないし”
 姉の夫になる男爵と仲良くしてやろう……そんな優しさを胸に、書類を皇帝に提出したのだが……妨害が現れた。皇族側が勝手に決めた婚約者・セベルータ大公。
 セベルータ大公とその姉カッシャーニ大公は、既に体が不自由になっているデバラン侯爵の手足。
 ただ、彼女達は表面上ではデバランに最大の忠誠を誓っているが、内心は皇帝・サフォント寄り。
 『デバランの寿命は後一年と少し。それまで、今と変わらぬ状況にして満足させておけ。死直前に怒り狂い暴れられては困るからな』
 なる皇帝の言葉の下、デバランに従っている。要するに、
「待たぬかお前達。当事者である花婿の意見を聞いておらぬ。サベルス男爵が戻って来た際に余がどちらを選ぶかを聞いてやる」
 皇帝でも簡単に「此方にする」とは言えない。内心では「ナディア」で決まっていても、それを強行に言い出すのは現時点では得策ではないのだ。下手に騒ぎを大きくしてデバランが介入してくる事は皇帝としても避けたい。
 『デバランが死ぬまでサベルスを上手く逃がしてやるか』
 皇王族の婚約潰しは細心の注意が必要だ。だが、
「陛下! 我の叙爵祝いに、我が大恩を受けた副王の息女にして副王家継承者ナディラナーアリア=アリアディア・レルマーティン・カレアティスアに男爵を与えてください。それで我の顔も立ちます」
 ゼンガルセンは何時もどおり楽しげに、騒ぎを拡大させる。
 叙爵された四大公爵の当主が『あの貴族が欲しい』と言う事は珍しくない。
 サフォントも怖くなければ、デバランも恐ろしくないゼンガルセンは畳み掛ける。
「夫が、男爵の夫が欲しいのでしたら、このダーヌクレーシュをくれてやろうではないか! セベルータ」
 姉から渡された書類の束を大事に持っていたダーヌクレーシュはゼンガルセンに襟首をつかまれ引き倒される。
 “いや、こう言われる事、覚悟はしてましたけど……向こうが、嫌な物を見るような目で見てますよ”
 
セベルータは「優男顔」の男は好きだが「可愛い顔」の男は好きではない。

 弟が宮殿で[生贄の子羊(身長208cm / 頭髪を除いた体重109kg)]にされているなど、知らないナディア。知っていたとしても「貴方も少しは自分で動きなさい」と言ってのけるであろう、それは行動力のあらせられる子爵閣下は、
「カザバイハルア子爵閣下」
 エバカインに頼みがあると言われ、はせ参じていた。
「何でございましょうか? 大公殿下」
「あのですね、この任務の間サラサラと常時一緒に居てくれませんか? 眠る部屋も同じにして……ここには多数の男性軍人がおりますから……もっ! 勿論、彼等を疑っているわけではないのですが! 万が一の事を考えて……彼等も、子爵閣下が傍にいれば決して良からぬことは考えないと」
 まあ、お優しいお方で……ナディアは皇帝陛下のお心をガッチリ握った皇君に、優しい眼差しを向けて快諾した。
 ちなみにナディアの優しい眼差しは、獲物を射る眼差しによく似ている。
「畏まりました。このカザバイハルアのエヴェドリット属の名誉と副王家の跡取りの誇りにかけてサラサラ・ベルモティアの身辺を守ります」
「ありがとうございます。閣下に守っていただければ、私としても安心できます。本来ならば私が付いていたかったのですが、やはり性別が違えば……」
「大公殿下でしたら問題はなさそうですが」
「そ、それはそれで……」
 “男としてどうかと思います……”
 そんな気持ちではあったが、何となくエバカイン自身『なんとも思わないだろうし、なんとも思われない自信があったりも……』情けないことこの上ない事も同時に考えてもいた。それが真実であり現実だろう。

− なんかもう、色々と駄目な感じがするんです……もう兄上のお相手を務める事もないというのに……ま、この先の人生独り者として生きていくのも悪くはありませんが

 こうして、
「あら、サベルス男爵。お暇はありまして?」
 夕食後など、声を掛けられるも
「ははは……エバカインに呼ばれてまして! あいつ、後宮の作法を全く知らないので、この機会にみっちりと教えようと! ですので、申し訳ありませーんー!」
 言いながら走り去ってゆくを繰り返すサベルス男爵。
 それを見送るカザバイハルア子爵。
「真面目な方ですこと、皇君も男爵も。ですが、その職務に対し真摯な姿勢。益々貴方が欲しくなりましたわ!」
 ナディアの恋心をたきつけている事など知らない。
 そして逃げる方便とは言え「後宮での作法」と口にしてしまった男爵。当然ナディアは「皇君としての後宮での作法」を男爵が教えているのだろうと考えた。ナディアはその気になれば正妃にもなれた程の “王女” 故、全てを知っており、教える事もできるが、
「男性の作法ともなれば、少々違うでしょうしね」
 性別の差異を弁えているナディアは、それらに首を突っ込むような野暮な真似はしないで、
「ナディア様。おやすみなさい」
「おやすみなさい、サラサラ」
 命令どおり、サラサラの身辺を守り優しく姉のように接して過ごしていた。

 サンティリアスは何をしているのかと言うと、
「あんまり根を詰めると、いざ救出って時に動けなくなるぞ」
 司令室で集められた “警察” の航行図から行き先を割り出そうと必死だった。その必死を前に船長であるシャウセスが声をかけるが、本人は首を振り、
「それは……まあ……でも、他人任せは嫌いでよ。それに皇帝の旗艦の司令室で操作卓触ってんのも……悪くないしな」
 豪華な椅子の背凭れに体を預ける。
「そういった貪欲な所は賞賛に値するね」
 言いながらシャウセスは、持ってきたコーヒーの入った大きなマグカップを渡す。
「このカップは割っても平気だ、私の私物だからね。どうも私はあの上品なティーカップやらコーヒーカップが苦手で。大量に注げて思いっきり飲める方が大好きなんだよ」
「どうも、船長さん」
 笑いながらカップを受け取る。
「君があまり根詰めて体調を崩すと困るんだが、君は船長の資格があるんだってねサンティリアス」
「ああ」
「意味はないかも知れないが、ダーク=ダーマの航行機器の扱い方、教えてあげようか」
 それこそマグカップで思いっきり飲んでいたサンティリアスは驚き、咽ながらシャウセスを見る。
「ダーク=ダーマは宇宙最新鋭の装置が完備される戦艦で、これらの器具はまだまだ一般階級の宇宙船には搭載されないが興味はあるだろう」
 カップを置くと、
「良いんだったら、お願いする! これ……俺が生きてる間には使えないだろうが、コレも何時か平民とかでも使える装置になるんだな……そう思えば、良いなあ。上手くは言えないけど……。それに俺、知識とか吸収するの好きなんだ! 是非とも教えてくれ、この航海中に全てを!」
「貪欲だね、悪くはないけれど。そうだな、この短期間でダーク=ダーマの船長試験に合格できるくらいの知識は教えてあげよう」

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