PASTORAL −140

− ガーナイム公爵ゼンガルセン=ゼガルセア 控え室 −

 式典の主役となるゼンガルセンは、緊張などするような男ではない。最高儀礼服を着用し、それに皺など付かぬよう立ったまま式が始まるまで待機する。
 室内にはゼンガルセンともう一人、
「後宮の怪物に贈物は無事届けられたか、シャタイアス」
 オーランドリス伯爵だけ。
 ゼンガルセンの命令でデバランの寝室に “腕” を置いて戻ってきたシャタイアスに、笑いを含んだ声で労いの言葉をかける。
「ああ、届けた。なあ? ゼンガルセン」
 同じく最高儀礼服を着用したシャタイアスは、尋ねる。
 ゼンガルセンに下って十四年。シャタイアスは主であり異母弟であるゼンガルセンのことならば “全て知っている” と誰もが信じて疑わない。だがシャタイアスは一つだけ知らない事があった。
「何だ、シャタイアス」
「あの手紙の内容は本当なのか?」
「我が、化け物老女に感謝している事か? 本当だ」
「違う……」
 シャタイアスが来る半年前に死んだゼンガルセンの母、王妃・エセンデラ。
 彼女の死は事故死となっているが、その事故を仕組んだのではないかと陰で言われている人物がいる。その人物とは、実子であるゼンガルセン。
 八歳当時の彼が母親を殺害したかどうか?
 ゼンガルセンならば殺せない事もない……そう考えられているのだが、証拠はどこにもないない。エセンデラが死んだのは副王の城。
 誰よりもゼンガルセンに期待をかけている副王が、期待の主に不利になる証拠など残すはずもない。そしてタナサイドは王妃の死を悲しむような男でもなく、既に跡取りも皇帝の正妃になれる娘も産んでいた王妃に対し、未練もなにもなかったので、妹である副王の報告を全面的に受け入れ、独自に調査を行うような事はなかった。
 それどころか、直ぐに多数の愛人を抱える。
 尤もそれは、副王がタナサイドの目を完全に逸らす為に行った事なのだが。
 そして元は皇族である王妃の死、当然皇帝にも報告は届くが、届けられた皇帝もおざなりに目を通すだけ。クロトロリアには年下の叔母の事故死など、興味のない事だった。
 タナサイドがそのような行動に出る事を、当時のゼンガルセンは知っていたのか? そう問われればゼンガルセンは笑って答えるだろう。
 知っていた、と。
「ああ、エセンデラを殺した事か。くっ……本当だ。お前知らなかったのか」
 指を組んだ手を顔の前に持ってきて、薄っすらと口を開ける。
 その口から出てくる言葉は、何時もと変わりがない。そう、何時も人を殺している時と変わりのない喋り方。
「知ってはいたが、確証はなかったからな」
 タナサイドは第一子のアウセミアセンを特別に扱った。対する王妃エセンデラはゼンガルセンを可愛がった。
 『馬鹿な子ほど可愛い』なる言葉もあるが、エセンデラは出来の良い実子の方が可愛かった。逆に言えば彼女がゼンガルセンを可愛がったのは、彼の「容姿」「才能」が「帝国でも上位」であったからであり、それ以上のことはなかったが、可愛がられていたゼンガルセンはそれすらどうでも良かった。
 エセンデラには何の才能も持ち合わせていない。ただ「容姿」と「血筋」だけは持ち合わせていた、四十二代皇帝と皇后の間に生まれた皇女として。
 ゼンガルセンは「それら」を生まれた時に既に授かっており、それ以外の物を持たぬエセンデラなど、彼にとっては何の役にも立たないようにしか思えない。
 そんな中、皇太子サフォントより打診があった。
『私が即位した直後にオーランドリスに叙爵する男を、貴様の保護下に置かぬか? 貴様の兄アウセミアセンは異母弟に全てにおいて劣る故、目の仇にしておる。貴様ならば “劣る” ことを認め、異母兄の才を “認める” ことも出来よう』
 シャタイアス=シェバイアス。三つ年上の異母兄、戦争狂人の血を色濃く引く帝国最強騎士に最も近い男。
 ゼンガルセンにとって、自分の兄に相応しいと映ったシャタイアス。
「確証など必要あるのか。必要だというのなら、サフォントに直接言ってやるが」
「……何故殺した?」
「お前が欲しかったシャタイアス。あの女、妾妃の子など絶対に城に入れぬ、エヴェドリット領などに立ち入らせぬと喧しいので殺した。サフォントが “くれる” といった最強騎士となるお前、あの女の感情如きで諦めるなど出来ようものか。あの女とお前、比べるまでもない事。我はお前が欲しかった、シャタイアス」
 言いながらシャタイアスの髪を掴み顔を傍に引き寄せる。
「ゼンガルセン」
「お前が我を裏切るのは自由だ、幾らでも心の赴くまま自由に生きろ。お前が我を裏切ろうと、我はお前を手放さぬ。裏切った程度では手放さぬ、裏切った程度で手放せるような男ではない。自由になりたくば我を殺せ。出来るか? シャタイアス」
「何故わざわざ私がお前を殺さなくてはならないのだ。第三の反逆王。私はお前に忠実だ、私の忠誠心はこの程度の年数では届かないか」
「信じているさ……シャタイアス」
「何だ、ゼンガルセン?」

− 我が死ぬ時、兄と呼ぶ

 ゼンガルセンは強く握っていた髪を放し、話をはぐらかした。
「……いいや……何時か……な。そういえばお前、老女とサフォントとの会話で興味深いことがあると言っていたが、何だ?」
 はぐらかされた事に気付きながら、シャタイアスは髪を手で梳かしながら重要と思える情報を語る。
「サフォント帝とデバランの会話なのだが “陛下、エバカイン・クーデルハイネ・ロガとお幸せに” それに対するサフォント帝の言葉は “受け取っておこう” 奇妙な会話だが『皇君』が本当であれば……本当なのかも知れんぞ、第三皇子が皇君だという噂」
 その言葉を聞き、ゼンガルセンはある事に思い当たった。
「もしかして、それは……あの皇子が、そう考えれば辻褄が合うか」
「ゼンガルセン?」
「あの第三皇子、今年二十三歳だったな。腹の中に入っている歳から数えれば大体二十四年。皇后リーネッシュボウワを止める事が出来る権力を当時から持っていたデバラン。第三皇子が皇君である事が真実ならば、これらの事が全て繋がる。第三皇子の助命を依頼した。依頼した経緯は解らんが、その頃から気に止めていたとなると思い入れも相当強そうだな。身内には確かに甘いが、その第三皇子は自らの命と引き換えでも生かしておきたかった……のかも知れん」
「第三皇子の命と引き換えに自分の命を危険に晒した……のか? あの人が……そういえば……いや、だが……」
「どうした? シャタイアス」
「関係ないかも知れんが、昔何度か陛下の影武者を務めたことがある。初めて影武者を務めたのは陛下が “死後皇后” に叙されることとなったザデフィリア妃との結婚儀礼式の前日。無論、陛下のお考えやその日の行動については尋ねたりはしなかった。それで、陛下は次の日の朝まで戻って来られなかったのだが……」
 シャタイアスはその日の事を思い出し、奇妙な事を口にする。
「だが、どうした?」
「その日陛下に従った側近の一人カシエスタ伯。あの名門伯爵は陛下がザデフィリア妃と結婚儀礼を済ませた後に、側近を辞めた。その事に当時の帝国筆頭上級元帥ケネスセイラ=バラヒアム、カウタの実父が関係しているらしい。カウタの父はケシュマリスタ王婿、となれば当然デバランの支配下にある。そして、第三皇子の能力検査は陛下が初お忍びをした “前々日” に行われていた形跡がある。帝国騎士統括を任されてから、能力数値データに一通り目を通した。そこに【氏名不明・没】と記された廃棄データを発見した。我々の能力数値は生まれ持った物で、変わる事はない。それに目を通した時は何も感じなかったのだが、前回の戦闘でのあの皇子の戦い方を見て思い出した。昔見た数値を持つ人間ならば出来るのではないだろうか? そう思い確認した所、第三皇子と【氏名不明・没】の数値は全く同じだった。あんな特殊な波形が出るのはあの皇子だけだろう。それを調べたのは昨日の事だが」
 シャタイアスの言葉を聞き、ゼンガルセンは小さく何度も頷いて考えを纏めるために思ったことを言葉にする。
「先日我々の元に派遣されたデバランの暗殺者達は『私生児』そして、帝国騎士の能力及び近衛兵団に属する能力を有する第三皇子は当時『私生児』。ケネスセイラはデバランと通じている、そしてサフォントのお忍び。廃棄データの照会は帝国最強騎士しか許可されていない。それは、皇帝でも無理だったな。……はっきりとは解らぬが、過去にお前がサフォントの影武者となった日、どうやら相当な事があったようだ。面白い、尋ねてみるか」
「陛下はお答えなどしてくれまい。それにお前も知っているだろうが、陛下の側近を務めていたカシエスタ伯は既に他界し、娘が後を継いでいる。現伯爵が何か知っているとは考えにくい」
 サフォントの口の堅さは言うまでもなく、多少の追求など余裕でかわすことが出来る。
 皇帝相手には高圧的には出られないが、
「もう一人、当事者がいる」
 もう一人、真相に近い人間がいる事にゼンガルセンは気付いた。
「誰だ?」
「第三皇子の母親。クロトロリア、リーネッシュボウワ、前ケシュマリスタ王、そしてケネスセイラ、この年代の当事者で生きているのは第三皇子の母親だけ。会って話す価値はあるだろう」
「今まで誰にも語らなかった、かなり口の堅い相手だ。お前が尋ねたくらいで真実を語るだろうか?」
 シャタイアスは時計を指差し “そろそろ時間だ” と無言で告げる。
 勿論時間になれば使者が伝えに来るのだから、ギリギリまで話していても問題はない。
「言わないのなら、言いたくなるように仕向けるだけだ。幸い相手は先代妾妃、強攻策に出ても構うまい。サフォントに何か言われたら “妃にするつもりだ” とでも言っておけば、それ以上は言って来るまい。第三皇子の母親だが、実際は別人と書類にある以上、あの男は我が何を仕出かそうが黙認するであろう」
「襲うのか……それに関して私は賛成しないな。むしろ止めて欲しい。私が見ている前でやろうとしたら、絶対に止めるからな」
「第三皇子の母親の出方次第だ、その母親が簡単に喋ってくれる事でも祈っておけ、シャタイアス。さて、その母親に会う前に第三皇子こと皇君に挨拶にでもいっておくか。叙爵式が終ったら一番に訪問させていただこうじゃないか、体調不良で列席してくださらぬようだからな」
「今私が話した事、裏は取れていないぞ」
「皇君かどうかは直接サフォントに問う。違っていたとしても、デバランとの会話を知っているという示威にはなる」

「式が始まります、ガーナイム公爵殿下」


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