PASTORAL −124

 クロトハウセがエバカインの事を幼少期から知っているのには理由がある。
 クロトハウセはその大公名からも解るように、クロトロリアを意識して付けられたものだ。余のザーデリアが “ザデフィリア” を連想させるように付けられたのと同じである。
 皇后が侍女(アレステレーゼ)の子の安全を図りたければ! と迫り、その結果生まれたのがクロトハウセ。可愛い弟二人が生まれた当時、余の力は皇后には遠く及ばなかった。
 それを痛感したのが、四歳のクロトハウセが余と初めて二人きりで会話した時のこと。
「兄上! 兄上は賢く何でもご存知だと! それで、教えていただきたいことがあるんです!」
 余とクロトハウセ、他のカルミラーゼン、ルライデも頻繁に話をした事はない。
 皇后にとって余は皇太子であり次代皇帝であり、他の弟達はあくまでも家臣であるという認識しか持っておらなかったため、頻繁に会ったり、他愛ない会話するなどという時間は設けられていなかった。
「お前は兄である私に何を聞きたいのだ、クロトハウセ」
「あのですね…… “あの女の「子」にだけは負けない” ってなんですか?」
 皇后は何時の間にかエバカインの身体データを取ったらしい。
 余の知らぬ間に、恐らくエバカインが三歳になるよりも前に。
 皇后の権力を持ってすればそれは可能だ。余はそのデータを見ていないが『クロトハウセ』に向かってそのように言ったという事は『エバカイン』はクロトハウセと同じ系統の能力を持つ可能性が高いと推測できる。
「クロトハウセよ、お前は秘密を守れるか? 私から聞いた事は、皇后にも皇帝にも兄弟にも決して言わぬと誓えるか?」
「…………あ、あしたお返事してもいいですか?」
「考えてから来るがよい」
 余はその後、エバカインの身体データを取ってくるように側近に命じた。
 結果は当然ながら機動装甲の素質を有し、身体能力も優れたものを持っておった。これを観た皇后は、自分が産んだ「クロトロリアの子」なる意味を持つクロトハウセに負けるなと言い聞かせたのであろう。
 翌日会いクロトハウセに話を聞くと、皇后はつい最近、皇帝のカウタ強姦が発覚するまで、毎朝晩クロトハウセの髪を梳かしながら、言い聞かせていたのだそうだ。
「あの女の “子” にだけは負けないのよ。いい事? 貴方は軍人として皇帝陛下の家臣にしてあげる為に産んでやったのですからね」
 子が欲しかったのはお前ではなかったのか、皇后?
 その皇后は今現在、すべて放棄し自分の殻に閉じこもっておる。皇后がその殻に閉じこもっているおかげで、余はこうして弟と自由に会うことが出来る。皮肉と言うべきかなんと言うべきか。
 クロトハウセの事だが、能力の優劣でいけば、エバカインはクロトハウセには遠く及ばないので、そのような事を口にする必要は一切ない。
 皇后にとってクロトハウセは半ば意地で産んだものらしく、この黒髪の弟を見る都度、孕む理由となった「皇帝の浮気相手」を思い出すらしい。アレステレーゼは黒髪であったからな。
『あの女の “子” に負けるな』
 クロトハウセに、アレステレーゼに直接言えぬ恨みをぶつけていたものらしい。ルライデ(金髪)に関してはほぼ放置状態でクロトハウセにかかりきりであったのは、アレステレーゼへの恨みを忘れない為のことらしい。
 そこまでして恨みを持続せんでも良いような気もするのだが、これが女性の心だというのならば確りと理解しておこう。
 弟達には何時話すか悩んでおったが、皇后がその存在を暴露しておるのだ、今の段階で知らせても良かろうと余は噛み砕いてクロトハウセにエバカインの存在を告げた。
 クロトハウセはショックを受けたかのように見えたのだが、
「兄上、その方の映像を見せていただけませんでしょうか?」
「良かろう」
 その翌日、余はカッシャーニの宮へと向かった。
 カッシャーニは妹のセベルータ共々、デバラン侯爵に可愛がられておる。そのおかげで、この二人は皇后の権力に抵抗もできるのだ。それ故に余はカッシャーニに、エバカインの映像を撮影させた。当時の余は映像は持っておらぬ。音声とアレステレーゼの報告文字だけ。
 映像は持っておるのが知れれば危険な為。
 カッシャーニは笑顔で余とクロトハウセを出迎え、
「さあ、お望みの映像ですわ」
 言いながらそれを見せてくれた。
「…………」
 か、可愛らしすぎ。
 その時のエバカインは、寝起きで髪の毛がはねていて、ビスケットを口に運びつつ、ミルクの入ったオレンジ色のマグカップを持っていた。ビスケットを噛みながらミルクを口に注ぎ込んで、咽て鼻からミルクだしておった。
「兄上! この方が! この方が!」
「落ち着けクロトハウセ」
 その後クロトハウセが興奮状態に陥って、やっと宥めた。
 余はクロトハウセと頻繁に会う事は出来ぬ故に、カッシャーニに一任した。
「あの状態では、宮殿を抜け出して会いに行きかねぬ。それらの制止等カッシャーニ、お主に任せてよいか?」
「もちろんですとも」
 エバカインに会いに行きたくて仕方のないクロトハウセ、そのクロトハウセを阻止するカッシャーニ。
 最初の頃は類稀な身体能力だけを頼りにエバカインの所に向かおうとしていたクロトハウセだが、年上のカッシャーニには叶わず、手段を変える。
 潜入技能を学び始めたのだ。通常身体能力が優れている騎士型は、潜入技能を学ぶ事は無いが、クロトハウセは宮殿を秘密裏に出てエバカインを直接観に行く為に努力した。努力するが、それを上回るようにカッシャーニは身体を鍛えた。
 小手先の技など真の力の前には無力。
 それを知ったクロトハウセは今度、技能を磨きつつ身体能力を上げ始めた。
 対するカッシャーニは信頼の置ける同年代で、身体能力の高い皇王族の王女三名を仲間に引き入れる。ゼマド大公、ルビータナ大公、ザルガマイデア大公だ。
 クロトハウセVS四人の女大公。その戦う様、他者には唯の軍事訓練にしか見えなかったようだ。理由を知っておる余ですら、唯の実践型白兵戦訓練にしか見えなかった。そう見せる為にあの四大公は努力してくれたのであろうが。
 後年、カッシャーニは余に言った。
「私が強くなったのは、クロトハウセ親王大公殿下のおかげですわ」
「そうか」
 余よりも大柄で、クロトハウセよりも背の高くなった女性嗜好の女大公カッシャーニ。
「陛下、お願いがあるのですが」
「何だ、言ってみよ」
「あのエバカイン・クーデルハイネ殿下の初のお相手、私が務めたいのです。皇王族ですから私も一度は男性と肌を合わせなくてはなりません。殿下でしたら我慢できると思いますし、殿下はその後陛下が……でございましょう?」
「立候補する者がおるとは思わなかった」
 初の相手にも色々とある。誰も生まれの低いエバカインの相手をしたがらず、余が下階級の皇王族に命じようと考えておったのだが、カッシャーニであれば、何の問題もない。余に最も近い皇王族側の親戚(カッシャーニの父はクロトロリアの実弟)
「お二人の大事な弟君にして兄君。私でよろしければどうぞ」
 エバカインの初の相手としてはこれ以上ない。
「お前の格に傷が付くぞ」
 エバカインの身分には傷は付かぬが、エバカインを相手にしたカッシャーニは傷が付く。何処に付く傷かは知らぬが、相手の格が低ければそう言われもする。
「ご冗談を。後で他の女共に嫉妬される事は理解しておりますが。いつかあの方を、大切な役職に付かせるのでございましょう? 先物買いですわ」
 カッシャーニはそしてエバカインと床を共にする。
 その後、委細を告げた。
「そうでしたら会わない方がよろしいですね。今度会う時がありましたら、初対面を装いますのでご安心を」
 一つだけ間違いがあったとすれば、カッシャーニは全く傷が付かなかった事だ。あれは自分の力で他者の口を封じた。
 その後の三人、最後に婿に出す直前にもう一度確認の為に相手をさせた、ゼマド大公、ルビータナ大公、ザルガマイデア大公。三名の大公も他の者の言葉など気にせず、何時の間にか誰もそれを口にもしなくなった。

 エバカインの初陣後、罪を被った四大公に余は声をかけ、その後会話をした。

「殿下、本当に覚えていらっしゃらなくて残念でしたわ(今にも参戦してきそうな陛下の目の前で)お相手させていただきましたのに」
「本当に。 “初めてお会いしました” ってお顔で。(今にも参戦してきそうな陛下の目の前で)お相手させていただいたのに」
「私など、(今にも参戦してきそうな陛下の目の前で)殿下の初のお相手でしたのに」
「優しいお方なので、余計にショックでしたわ(今にも参戦してきそうな陛下の目の前で)あれ程優しくしていただいたのに」
 四人とも特にショックは受けておらぬ。それにしても口が堅く、余が信頼するに足りる者達だ。
「当たり前だ! 兄上が慕われているのは総帥だけ! お前達なんぞ覚えてなくて当然だ! 兄上は総帥の御寵愛だけを求めていらっしゃるお方だ。お前達のように次から次へと相手を渡り歩いて楽しめるような者達など、覚えておく必要はない!」
 クロトハウセが四人に向かって吼えると、
「その言葉、そっくりそのまま親王大公殿下にお返しいたしますわ」
「そんな事言ってはいけないわ、ゼマド。ほら、親王大公殿下は実は一人だけを愛していらっしゃるのかも」
「そうね、ルビータナ。手に入らない一人の方の代用なんでしょう。何故か年下ばかりなのが気になりますが。あの方は年上でいらっしゃるのに」
 ゼマド、ルビータナ、ザルガマイデアが畳み掛けるように言葉を繋ぎ、
「親王大公殿下。所で私の妹セベルータの結婚相手の男爵はどうなりました?」
 カッシャーニがしめる、見事だ女大公達よ。
 セベルータはカッシャーニの妹で、クロトハウセの相手を務めた。
 そして『絶対に女とは結婚したくありません。ですが、陛下がお望みとあらば何でも出来る事を表明したく、異性を抱きました』そう宣言した。それに関して問題はないが帝国では『独身主義の男性』は髪を結い上げなくてはならぬ、これを表明するのはある一定の年齢(四十歳)に到達した場合と、兄弟姉妹で自分よりも年少の者が結婚した際には、即座に結婚相手を決めるか独身主義かを表明せねばならぬ。
 ルライデは結婚する事は決まっておる、そしてクロトハウセは結婚したくはないが髪も結い上げたくはないと申しておる。
 カウタが黒髪を気に入っておるのが最大の理由のようだ。
 クロトハウセの長い髪を掴んで引張り「蟻」と呟いては殴り倒されておる。クロトハウセ本人は『結い上げるのが嫌いなだけです!』と言い張っておったが。どうしても結い上げたくない為に、偽装結婚をする事にしておった。偽装といっても皆が知っておる表面上の夫婦。その相手も決まっておった。
 だが今回、策略上エリザベラと結婚したが、それは予定していたものではなかった。
 当初は最初の相手・セベルータと仮面夫婦になる予定であった。一度結婚をすれば、相手が死亡しても髪を結い上げる必要は無い。
 よってセベルータと結婚する必要はなくなる。必要なくなれば偽装結婚など当然せぬ方がよい。だが、元々クロトハウセと結婚する予定であったセベルータは婚約している相手も候補もおらぬ。その為に相手を見繕って『くださいませ』とカッシャーニに詰寄られたのだという。
 その時クロトハウセは、エバカインの第一の側近となるサベルス男爵の結婚相手を探しておった。
 クロトハウセは
『幾らあの男の家柄が安全であったとしても、それは過去の事! あのお美しく、そうオルランザン庭園に咲く金木犀の如き……』
 しばし形容詞が続いた後、
『そんなロガ兄上様に魅せられぬ訳がないのです! あの男は、確りとした監視下に置くべきであります! 何せロガ兄上様はあのラサラ砂で焼き上げた陶器の如き……』
 その後二百分ほど続いたな。
 止まることなく地球を一周走り続けられる程体力のある男が、肩で息をしながら興奮気味にエバカインの美しさを語り続けておる。
 そろそろ止めてやらねば、呼吸困難か興奮による痙攣で倒れかねぬ。
「解った、そなたの好きにせよ」
 許可を与えた後、クロトハウセはカッシャーニの元に行き『お前の監視下で、尚且つそれ相応の女を紹介せよ』と言ったようだ。確かに女を見る目はクロトハウセよりもカッシャーニの方が上であろう。
 そこにいたのがセベルータ。サベルスの顔写真を見たカッシャーニの妹は、
「いい男ですわね! 私が結婚して差し上げますわよ!」
 一目惚れしたのだ。
「え……」
 クロトハウセも驚いたようだが、最早後の祭り。
「ではお願いしますわね、親王大公殿下」
「……男爵……だぞ? いや、悪い家柄ではないがな」
「構いませんわ! お姉さま、綺麗だと思いませんこの方! 名前はなんと言われるのですか!」
「サベルス男爵アダルクレウス・ハルテメロウセウ・サンレスサアーサ……」
「貴女は優男顔が好きだったものねえ。あら、これは本当に好みね。線が細めのケシュマリスタ系の強い、優男ねえ」
「いや……男爵……だぞ」
「私でしたらお姉さまの監視下ですし、宮殿での地位もありますし、血筋にも問題ございませんでしょう!」

「…………と、言う次第にございます」
 クロトハウセが小さくなって持って参った。
 これは余としても意外であった。クロトハウセもカッシャーニも軍人。選ばれるのは間違いなく軍人であろうと。
「先に言っておくべきであったな」
 カッシャーニの妹であるセベルータは文官である。宮殿に多数存在する宮の家令達の統括をしておる。
「な、なにか?」
「そなたとカッシャーニが選ぶ故、軍人が選ばれるとばかり思っておった。エバカインを余の元に置く以上、ケシュマリスタにそれ相応の軍人を送らねばと思っておった。家名違いの配偶者であっても、サベルスの配偶者であれば、その任に付けようかと考えておったのだが。最初に軍人を選べと言わなかった余の失態だな」
「……兄上! 今から行ってなかったことにして参ります!」
 余の部屋を飛び出してゆこうとしたクロトハウセを羽交い絞めにしつつ、足を絡める。二人でいい勢いで背中から倒れたが、
「皇帝たるもの背中は付かぬ!」
 とりあえず頭でブリッジだ。
「陛下! 命に代えましても! あの結婚話を流して! 軍人女性を見つけてまいります!」
 余の上で暴れるクロトハウセ。押さえるのは至難の業だが、
「皇帝たるもの膝は付かぬ!」
 皇帝は色々とついてはならぬものがあるのだ。
「うぉぉ! 兄上! お放しください! このクロトハウセ!」
 手を床に着き、余の拘束から離脱しようとしておるが、そうは行かぬ。
「話を聞くがよい、クロトハウセ!」
 床の上で激しく二人だけで揉み合っておると、
「陛下、少々よろしいでしょうか?」
 突如現れたのはナディア。
「どうした? ナディアよ。余に頼みでもあるのか」
「はい」
 ナディアが余に頼みとは珍しいな。
「言ってみるがよい」
「私、ゼルデガラテア大公殿下の側近になりたく」
 余の腕の中のクロトハウセの動きが止まった。
「ほう? ゼルデガラテアの側近とな」
「いけませんでしょうか?」
「構わぬ。ではそなたが休暇より戻ってきた際に、ゼルデガラテアの側近となれるよう整えておいてやろう」
 ナディアは満面の笑みを浮かべつつ、
「所で陛下。親王大公殿下と何をなさっておいでなのですか? マントまで着用してくんずほぐれつ、紅蓮の赤毛と漆黒の黒髪が交じり合ってそれは阿鼻叫喚ですわ」
 ふむ、この場で真相告げるわけにはいかぬからして、
「エアツイスターだ。脳裏にマットとルーレットを描きプレイ中である」
 ルーレットまで脳内で描いておっては意味がないのだが、逆に相手にとって最も難しい場所に手足を配置できる故、高度と言えば高度。
「さようでございましたか。仲のおよろしい事で。それでは失礼いたします」
 遠ざかってゆくナディアの足音と、余とクロトハウセの骨のきしむ音。
「兄上! よ、よろしいのですか!」
「ナディアのことは良い。クロトハウセ、このままで話し続けても平気か」
「ちょっと苦しいです」
 苦しいと言ったクロトハウセを放し、正座させてから語る。
「良いかクロトハウセよ。今お前がここでセベルータの結婚話を潰した所で、あれが黙って言う事を聞くと思うか? お前が次に選んだ女性軍人を姉に襲わせて、結婚をなき物にする事くらい容易にやってのけるぞ」
 クロトハウセの顔から血の気が引いてゆくのが解る。
「そ、それは……そこまでは考えておりませんでした!」
「よって、然るべき女が現れるまで暫し待て。いや、暫し待たせよ。良いな」
 カッシャーニに襲われて抵抗できるような女でなくてはならぬ。そうなるとかなり絞られてくるな。そして、余自らセベルータの婚約破棄調停をせねばなるまい。それも皇帝の仕事であるゆえ全力を持って臨もうではないか。エバカインを余の掌中に収めておく為に。
「御意! 身命を賭しても、あの姉妹からサベルスを守って……守ってみ……まも、まも、まもー?」
 頭を下げながらも、心にもない事は口に出ぬようだ。素直な弟で、可愛いことだクロトハウセよ。
「まあよい、守るのは最終的にはケシュマリスタだ。それだけは心せよ」
「はっ! それは身命に変えても……そんな事よりも兄上! 兄上との新婚旅行をお楽しみください!」
「ああ。ではな、クロトハウセ」
 こうして余は、メイドエバカインと共にバルメスハイカスタ離宮へと向かった。

「お、お兄様。お茶だけは人にお出しできる程度には淹れられるので。よ、よろしかった……ら、どうぞ」

 少し照れながらもそう言って余に紅茶を差し出してくるエバカイン。
 ふふふふふふふふ、到着する前に萌え死にそうだ、エバカインよ。
 到着するまで二万リットルは飲んだであろうな、エバカインの淹れてくれた紅茶や珈琲。
 至福のひと時である。
「お兄様って、お好きなんですね」←紅茶・珈琲
「ああ、勿論だ」←エバカイン

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