PASTORAL −116

 余が九歳になる頃に、アレステレーゼから頼みがあると告げられた。
 三年前のあの日以来、向うから日々の『激しく萌える音声』を届けてくれているアレステレーゼ。偶に余も『望みがあらば忌憚なく言え』と告げておったが、今まで向うから望みや頼みなどは一言もなかった。
 そのアレステレーゼの頼みだ、なんとしても叶えてやらねばなるまい。
 アレステレーゼの依頼とは、エバカインの入学に関してであった。余はすっかりと失念しておったのだが、市井に生きる奴隷階級以外の者は、一定の年齢に達すれば学校に通わねばならぬ。余は選び抜かれた専属講師陣によって教育を施されるが、エバカインは学校に行かなくてはならぬ。
「学校に入学させるとなると、戸籍などが問題になるな。エバカイン専用の私立学校を建てるか」
 そう思ったのだがアレステレーゼは出来ればエバカインは下級貴族と平民が混じって通う、公立の学校に入れたいと言ってきた。
 アレステレーゼの望みがそうであり、エバカインが公立学校に通うのを楽しみにしておるのならば……よし!
 余はアレステレーゼに通いたい公立学校を聞きだし、そこに入学願書を出すように命じた。むろん下級貴族『エバカイン・クーデルハイネ・マクセーヌ・ラリウ』として登録するように。それで全て済むとアレステレーゼに告げたところ、喜ばれた。
 そこで余は訊ねた。何故もっと前にどこかの幼稚園なりに通わせなかったのかと。
 返って来た答えは「一晩放置してたから、人より長い時間に一緒にいないと」困ったような、泣きそうな声で。
 そうか……お前がそのように思えるようになったのならば、余は嬉しい! でもちょっと羨ましい! 余も! 余もっ! 余も一緒に!
 それはさて置き、エバカインが公立学校に入学する前に余はせねばならぬ事がある。
 余は皇太子として帝星にある全ての公立学校に寄付をし、全ての公立学校を建て直させた。その際に、エバカインが通う予定の学校の制服を一新させた。
 あの学校の制服似合わぬからな。

 余のエバカインには麦藁帽子と半ズボンとハイソックスとローファーが良く似合うのだ! それだけは譲れぬ!

 学校の教師の性癖やら家族構成やら評判などを調べる。不適な者は即刻排除、むしろ教師にもしておけぬ! その首野に晒せ! という者も発見できて非常に有意義であった(懲戒処分・即刻実刑に処した)
 その後、公立にあって評判の良い教師をエバカインの通う学校に集める。無論、全てを集めたわけではない。他の子供達も余の大事な臣民である故に、良き教育を受けて欲しいので。
 エバカインの戸籍に手を加え、役所であってもエバカインは下級貴族の子とされるようにしておいた。
 アレステレーゼが学校側提出した書類が公的機関に照合される場合、公的機関ではなく余の元に送られて来るように学校の通信システムに細工を施す。念のために帝星全ての通信システムに “エバカイン” が検索されたら余の元に記録が届くようにしておいた。
 七年前無力であった余は、何とかこの程度ならば出来るようになったぞ、エバカイン。
 待っておれ! そなたが帝星以外におったとしても、完全に身の安全を図ってやれるようになれるまで、余は勇猛邁進にして切磋琢磨、努力怠らぬからな!
 『入学しました。お力添えありがとうございます』
 エバカインに身の危険が及ぶ可能性を考慮して、制服姿の映像は手元に置けぬが、
 フェルト帽(麦わら帽子は夏着用)+上着+ベスト+白いブラウス+半ズボン+紺色のハイソックス+茶色のローファー+笑顔
 間違いなく、誰よりも似合っておったであろう。
 それを想像するだけで目が! 目が! 神々しさの前に目が! お兄ちゃん頑張って良かったよ。何時かお兄ちゃんって呼んでくれ! さて、自分の学業に戻るか。
「殿下、本日は量子力学の歴史です」

***********

 余はカウタにムームーと呼ばれようが、ザデフィリアに殿下と呼ばれようが、皇后にベロファーゼとしか呼ばれなかろうが別に気にはならなかった。
 余に『エバカインの報告』を持ってあがる筈のシャタイアスが、予定の時間を過ぎても訪れなかったのは、余が十二歳の春の事。シャタイアスは皇后の監視から外れていた故に、シャタイアスを余と可愛いエバカインの母であるアレステレーゼの中継地点にしておいた。
 側近を使うと皇后に気付かれる恐れがあった為の措置だ。
 余は何時まで待っても訪れぬシャタイアスの元へ出向く事にした。シャタイアスは母親が『羽根の皇女』であるせいか、少々塞ぎこむことが多くなった。
 まだ幼かった頃は『羽根の皇女』を怖がるだけであったが、物心が付き始めてから母親に対し、複雑な感情を抱くようになると、元々は明るかった性格が徐々に暗くなってきて来ておった。
 シャタイアスは余にとって非常に役立つ家臣であるが、宮殿においておくのは良くないとも感じておる。後ろ盾がおらず、宮殿内にいるのは辛いものだ。特にシャタイアスのように妾妃の子は、確りと片親が付いていなければ。だが、その頼みの母親があれでは。
 そのシャタイアスを父親の家であるリスカートーフォンの方に帰さなかった理由は、アウセミアセンの性格がよろしくなかったせいである。
 シャタイアスを向こうに置けばアウセミアセンが何を仕出かすか、それを考えると行けとも命じられないでいた。
 母親の事で暗くなっているシャタイアスに追い討ちをかける事になるのでは? そう思っていた所、良い人材が現れた。あまりに才能があり過ぎる男・ゼンガルセン。
 アウセミアセンの弟で、余の可愛らしく美しく、それでいて可憐で “はむり” と噛み付きたくなるような尻を持つ弟・エバカインと同い年だが、まあ中々に中々な男だ。既に男と呼びたくなる、まさに男である。
 次男であり第三子でもあるゼンガルセンを、王は殆ど宮殿に伴って連れて来たりはしないが、王城ではアウセミアセンの居場所が既になくなる程の人気と、勢力を兼ね備えておるとか。
 幸いと言っては悪いが、ゼンガルセンの母親は先だって死去したので、妾妃の子であるシャタイアスをそろそろ送ってもよかろう。ゼンガルセンの方にも連絡を取り、向こうも良い返事を返してきておる。
 困るのはアレステレーゼからの連絡だが、それにばかり気を取られておるわけにはいくまい。
 ゼンガルセンの元に送る際は、それ相応の相手もつけて送ってやれば……そんな事を思いながらシャタイアスの元を訪れた。
「シャタイアス」
 余が訪問した時、シャタイアスは返り血を浴びて立っており、その足元には冷たくなった羽根の皇女が転がっておった。
 血塗れた剣を持ったシャタイアスは、小さな声で同じ事を何度も呟く。
「一度くらい、一度くらい名前呼んでくれたって……」
 羽根の皇女は狂人ではあったが、強かった。何時も壊れ刃物で羽根布団と隠語で隠しているが、実際は本当の鳥を切り裂いて羽根を毟り奇声をあげている女。
 その凶暴性と強さから召使も誰も傍には控えていない。羽根の皇女の一番近くにいるのは、何時も息子であるシャタイアスだけであった。
 余は、皇帝にも皇后にも名で呼ばれた事がないので、この感情は解らなかった。
 己の名など、墓にも刻まれぬ余にとっては名の重み、名を呼ばれる事を欲する感情は理解できぬ。
 側近に後の事を任せ、余は大至急シャタイアスの妻を選んだ。妻が正式な王女、それもかなり気が強い王女であれば、アウセミアセンは傍にも寄らぬであろうと。
 その後ゼンガルセンに連絡を入れ、帝国最強騎士になりえる男を送ると告げた後、皇帝の元へと赴き一連のことを報告した。
 クロトロリアは『うん、うん、それで良いと思う。やっぱりサフォントは頭が良いな。それでやっておいてくれるか?』そればかりだったが。
 自分の後始末すら出来ぬのだから、当然だろうが。
 ただ一人、行きたがらない人物がいた。シャタイアス自身が、どうしても行きたがらなかった。
「お前を嫌っての事ではない。宮殿にいるよりかならば、向こうの方が気楽であろう。それに後ろ盾に私の妻の妹を添え、第二王子もお前を配下にすると言っておるから、向こうでの生活には心配はない。第二王子の噂はお前も聞き及んでおろうが」
 それでも自分は余の家臣だといい続けるシャタイアスを、余は『私の間諜になれ』と言いつけ送り出すことにした。
 向こうに行き、ゼンガルセンと上手くいくようになれば、今日の言葉も忘れよう。間諜になれと命じた事が重荷となるのならば、後に外してやればよい。余はゼンガルセンの首に鈴をつけるつもりはない。鳴る鈴は、首につけている本人にも聞こえるもの。

 鈴が付いたことが解らぬ相手など、鈴をつける必要もない。そして余だけに聞こえる鈴の音となりえる事は不可能であり、鈴が間違った知らせを齎す可能性もある。

「申し訳ございませんでした」
 説得を受けたシャタイアスはそう言って、余に提出するはずだったアレステレーゼからの報告書をそっと余のポケットに忍ばせ礼をして去っていった。
 その後、タナサイド王に連れられリスカートーフォンへと向かう。
 報告書から聞こえてきた、
『母さん! 早く行こうよ! 旅行! 旅行!』
 弾んだエバカインのそれは可愛らしい声と、笑いを含んだ大人の女の声。
『早く行きたいなら手伝いなさい』
 たったこれだけの音声と、その後に出たアレステレーゼからの文字。
“息子と二人きりで、思う存分楽しんでくるつもり。何時まで経ってもお母さん、お母さんって煩い子、もう九歳にもなるのに。土産話は少し長めの音声がいいかしら?”
 これが引き金になったのだ。シャタイアスには酷であったのだろう。
 一度たりとも焦点の合わぬ目を覗き込み『母上』と呼んでも返ってくるのは奇声のみ。

 何時かシャタイアスは余を裏切ると思うたが、それはなかった。鈴は永遠にその音を鳴らした。

「お前は偶に、間違った情報を流させて此方を混乱させようとは思わぬのか」
「鈴の音が正しく鳴っていなければ、帰る場所がなくなるでしょう。我は “あれ” よりも長く生きるつもりはありません、そして誰にも “あれ” を家臣として与えるつもりはありません。我が死ねば “あれ” は貴方の家臣とするのでしょう? 戻る際には、鈴の音の美しさが必要となるでしょうよ」
「お前の言葉、全面的に信用はせん、ゼンガルセン王よ」
「是非、猜疑心に足を取られてください。サフォント帝」

 シャタイアスよ、確かにお前は両親には子として思われておらぬどころか、何とも思われておらなかったが、余とゼンガルセンにとって掛け替えのない一人であった。
 解っておる、解っておる、それを言っても詮なきことであると。
 それが何の意味もない事を、良く知っておる。
 エバカインが余の手を離しアレステレーゼに向かって走っていたあの日、余は敵わぬことを知った。全ての親子がそうであると言わぬが、エバカインとアレステレーゼの関係には敵わぬであろう。
 それは権力や愛を語るのとは違う、もっと根底にあるもの。前線で死から逃れられない兵士が最後に叫ぶ、名ではない記号『お母さん』。皇帝という記号など太刀打ちできぬ、その圧倒的な存在。
 だがそれを持てぬ者も確かに存在する。捨てた者もおれば、必要ない者もおる。そして、欲しくても手に入らない者も。
 シャタイアス、お前が欲しかったのは主君ではなく母であったのだろう。
 だがそれは余には用意できぬ。だから余とゼンガルセン、二人の主君で我慢しろ。

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