PASTORAL −115

 余は六歳で六歳年上の王女・ザデフィリアと結婚をした。
 結婚した所で、余は未だ男ではないので少々ザデフィリアに待ってもらう事になる。ザデフィリアも余と結婚した当時は十二歳であり、女ではなかったが。
 余の住んでいる場所と皇太子妃ザデフィリアの住んでいる場所は離れておる。ザデフィリアだけを余の部屋へと参らせても良いのだが、偶には余からも訪れることにした。この先の長い夫婦生活の基礎を、現段階で築き上げる目的で。
 皇太子妃と会話をし、部屋に戻る際少しだけ遠回りをした。
 同じ通路を歩くのが飽きたことと、宮殿内を全て知っておこうという試みで。
 暗黒時代以前は相当数の皇族や皇王族が宮殿に住んでいたが、未だにかつての人口には戻っておらず、宮殿は人気の無い場所も多かった。余が初めて通った回廊もその一つである。
 人のいない沈黙している回廊を抜け、正面にある飾り気ひとつない大きな窓硝子。そこから差し込んでくる夕焼け。
 その黄昏に染まる中、いたぁ!!! アレステレーゼに連れられたエバカインが、此方に向かって何かをつぶやいている!
 泣き顔ではなく、とても嬉しそうに! 肩車をされたエバカインがアレステレーゼの顔を覗き込むようにして、そして此方を向き指差し微笑んでいる! 常人ならば逆光と距離で見えないであろうが、余の目は逆光も漆黒の暗闇も物ともせぬ!
 いや、いやその時の視力は287.5を超えていたであろう! 要するに測定不能である! 最新レーダですら余のエバカイン用に進化した目には敵うまい!
 まさに愛! 愛だ! 愛! あの小さな可愛らしい唇が微笑みつつ動く有様! あまりの可愛らしさに、その唇を特別天然記念物に指定したい! というか食いたい! 四日四晩吸い続けられる! 何を言っているのであろう!!
 急いで軍事衛星で音声を集めようか! と思ったものの、そんな事をしてしまえば皇后の知るところになる。ではあの埠頭に向けて集音マイクでも向けようか? だが、高性能の集音マイクがエバカインの呼吸音などを拾おうものならば、余は! 余は! 間違いなくイク! どこかに行ってしまう!
 そこで余は読唇術を学ぶ事にした。これでも天才と呼ばれる余! 尤も、自ら天才だと感じたことは無いが、物を覚えるのは得意であるので、読唇術を一日でマスターし翌日埠頭が見える通路に向かった! だが、翌日は来なかった。
 ふーふー、落ち着けレーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア 七歳! そうだ、毎日毎日通うのは大変だ。
 貴族街に住んでいるとはいえ、余の見た埠頭まで来るのには徒歩で三十分以上かかる。いや、エバカインのあの可愛らしい足ではもっとかかるやも知れぬ。あのふくらはぎは可愛らし過ぎである! 他人の目に触れさせるのが惜しい! 幼児の半ズボン着用禁止令を打ち出さねばならぬほど可愛らしい! ああ! でも観られなくなるのも辛い!!
 それは置いておき、毎日はアレステレーゼの負担になるのは明らか。だが、せめて埠頭に向かう事を教えてもらえれば! とも考えたが、堪えた。
 此処で伝えてしまえば、あの自然な表情を見る事が叶わないであろう。エバカインはあの通りの可愛らしい、空に輝く宵の明星以上の美しさを持つ笑顔を此方に向けてくれるであろうが、共に来たアレステーゼの顔が硬直するか曇る可能性がある。
 あれ程母親と共にいる事が好きなエバカインだ。アレステレーゼが来たがらなくなれば、それを感じ取り自ずと来たがらなくなる可能性があると考え、余は、
「今日もおいでくださったのですか、皇太子殿下」
「そうだ、ザデフィリア」
 毎日のようにザデフィリアの元に通った。
 エバカインのおかげで余は思いの他、ザデフィリアと会話をかわし皇帝と皇后のような関係にならずに済んだようだ。他の者に言わせれば、余は皇太子妃の元にそれは良く通っていたのだそうだ。毎日通って夕食を共にし、その後少々会話して部屋に戻るだけであったのだが。
 毎日夕食を共にする為にザデフィリアの元に通う際通る回廊、その身を焼くような黄昏の中で見つけたエバカイン。此方を向いて笑顔で、
「お兄ちゃん。いつか遊ぼうね」
 唇の動きで読む事が出来た! 読唇術万歳!
 見かける度に窓硝子を額でぶち割って、海を泳いで渡って遊んでやろう! 何度そのように思った事か。
 此処から埠頭までの距離81.55km「インスマンスから来た男」なる異名をも持つ余にとっては泳ぎきるのは容易い! 天才と呼ばれるよりかならば、インスマンスから来た男の方が自分自身しっくり来る!
 ああ! だが泳いでいけば余が弄ばれる、あの可愛らしさに翻弄される! 可愛らしい弟の眼前で大量に海水を飲んで溺れる、溺死する自信満々だ!
 そのうち皇太子妃の部屋へ向かう際、遠回りしている事を怪訝に思われ始めてしまった。全く、余計な事を詮索するのが好きな人間もいるものだ。そこで余は、その回廊近辺が気に入っている事を皇帝に告げ、その海に面した部分を余のものとした。
 海と河の境目であるその場所に、古代の建物を建てさせゴンドラで遊べる水路を作らせることにした。
 大規模に作らせ、施工期間を長引かせ、皇太子妃の元へ行く途中毎日確認する……といったようにしよう。
「殿下、此処がお気に召していらしたのですか」
 早ければ此処が完成する頃には、余は即位して居るかも知れぬ。そうなれば、観に来る事は叶わぬが……そうなればエバカインを呼び寄せよう! 嗚呼! そう思えば皇帝となりたい! だが、ただ皇帝になっても無意味だ。自らの地盤をも確りと作り上げねば、エバカインを呼び戻す事は不可能である。
「そうだ、ザデフィリア。出来上がった暁にはそなたを乗せてやろう。恐らく我々の子が生まれた頃には完成する筈だ。私とそなたと子と共に、景色を楽しもうではないか」
 余の人生の根幹たるエバカインよ! そなたは余にとって唯一の者である!
「はい、殿下」
 ただ、ザデフィリアの事も愛していなかったわけではない。女としては最初でもあり、話も良くしたので思い入れも深い。
 年上ではあったが、子供っぽい所も我儘な所もあり、それを補って有り余るほどの聡明さを持ち合わせ、可愛らしくもあった。
『生きていて』くれたのならば、余はザデフィリアを確実に皇后に添えておった。あれは相応しかった、余が思い描いた皇后に最も近く、あまりにも皇后に相応しかった為に死んだ。
「子は、十人は欲しい所だ」
「殿下によく似た、皇子と皇女を産みますわ」

結局、ザデフィリアと共にゴンドラに乗る事はなかったのだが。

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 カウタは元々、あまり物を上手く言えなかった。
 それがある日格段に悪くなった事に気付いた、余が八歳、カウタは十二歳。
 カウタ、いやケシュマリスタの容姿にこの特徴がある事は学んで知っていた余は、誰がカウタに対し暴行を働いたのか考えて直ぐに到達した。カウタは皇族に次ぐ皇位継承者であり、ケシュマリスタ王を継ぐ男。
 その男が暴行され、周囲の者が気付かないはずがない。気付かないのだとしたら、それは相手が相応の権力を持っているか、近しい人物であるしか考えられない。
 権力を持ち、カウタの近くにいる男。
 それは余の父である皇帝クロトロリアか、カウタの父親である筆頭上級元帥ケネスセイラ=ケセイラ、この二名しかいない。
 ケネスセイラはカウタの記憶が格段に悪くなった頃、前線におり該当しなかった。あの男はその時の戦役で死んだのだが、それは当人にとって本当に幸せな事であった。
 ケネスセイラは息子のカウタを同性として愛しておった。だが、あの男は父性が上回っていた、ギリギリのところではあるが。
 戦役から生きて帰ってきたならば、あの男は我慢が利かなくなってしまったであろう。それ以上に、息子に暴行した相手を殺害してしまったであろう。当代随一の騎士は間違いなく宮殿に襲い掛かってきたに違いない。あのオーランドリス伯爵が本気で攻めてきたならば、八歳の余にはとても防ぐことはできなかったであろう。
 消去法で到達した犯人・クロトロリア、余の父親。
 余とて最初から疑いの目で見ていたわけではない。最後の最後まで信じようとはしたが、アウセミアセンが自宅に戻り、皇后と伯母王が会談している隙に、余とシャタイアスは手合わせに向かうとクロトロリアに告げ見張った。その結果、余は父帝が王太子を強姦する姿を見る事となる。
 共に見張ったシャタイアスは何をしているのか解らなかったようであるが、それは当然かも知れぬ。余は二歳の時に『侍女強姦しちゃった。どうしよう』というような、父帝の憎むべき一言を受けて以来、それらは隙なく覚えたので即座に理解できただけだ。
 余はシャタイアスに見張らせ、その隙に皇后と伯母王を連れて現場に踏み込ませた。
 皇太子の余では皇帝である父の暴行を発見しても、処罰できぬ為の策。
 母と伯母が、父である皇帝を罵るところを余は粒さに観ておった。結局カウタの脳神経はクロトロリアのせいでかなり破壊され、元に戻す事はできなかった。ケシュマリスタの脳はどうやっても元に戻らぬ物。クロトロリアとて知っておるであろうが、いや知っていたから仕出かしたのか?
 罵ったところでカウタが元に戻るわけではないが、罵るなとも言いようがない。だが、ただ罵るのを聞いているのも飽きた。
「二人に言っておきたい事がある。今日の事態は回避できた事であるのを忘れているようだな。今から六年前、皇后の侍女が皇帝に犯された際に、厳正な処分を与えればよかったのだ。あの時は、侍女が誘惑したのだと言い、犯された侍女を罵ってお前達は終らせた。あの時、何の権力も無い、カウタマロリオオレトほど美しくもない娘を罵り、皇帝に罪を問いたださなかったお前達の態度、それにこの男は安堵したのだ。一度許せば二度目がある事、解らなかったか? 防げたのだ、お前達ほどの権力を持っている者がそれを用い、厳正な処分さえ下せば皇帝とて二度目を犯す愚はしない。あの娘と私生児に罪を負わせ、全てをなかった事にした “咎” それを背負ったのがカウタマロリオオレトである。私の言い分はこれで終わりだ。後は好きなだけ罵るがよい」

 当時の余はまだ女を良く知らなかった為にこう口にした。成長した後には、女は夫の浮気相手を責める事を知ったが、知っていたとしても同じ事を言ったであろう。
 
 十歳の時に『クロトハウセのお嫁になる!』などと言った事も忘れてしまったかのようであった。今でもクロトハウセの事は気にはいっているようだが、最早その事を思い出せるような状態ではない。
 今にして思えばケネスセイラは皇帝を信頼していなかった。あの男はカウタのことを余に懇願するばかりで、皇帝には一切依頼しなかった。
 何処かで感じ取ってはいたが、行動に移さぬ限り皇帝を糾弾はできない。身の内にカウタに対する劣情を抱いていたのは、ケネスセイラも同じ事。その為に強く出れなかったのであろう、憐れな男だ。
 クロトロリアはケネスセイラの劣情に気づいてはいなかったようだが、ケネスセイラが自分を警戒していることには気づいたらしく、ケネスセイラが傍にいてはカウタを犯せぬと戦役の責任者に任じ、王国軍と帝国軍を率いて臣民を守る為に出征させた。
 そしてケネスセイラを見送った後、無防備になったカウタを襲った。
 自白剤を使われた皇帝は、この短い期間に十三回の暴行を行った事を証言する。
「ムームー、あのさ……なんだったけ」
 ケネスセイラが必死になって教えた、『レーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア』も『ベロファーゼ・サフォント』も余の父の鬼畜な行為によって無くなってしまった。
「どうした? カウタマロリオオレト」
「……僕のお名前?」
「そうだ。お前の名前だ、カウタマロリオオレト・テリアッセイラ=リサイセイラ・ザリマティアスタラーザと言うのだ」
「ムームーなんでも知ってるんだね」
 今度は余が、余の名をお前に教えよう。
「そうでもない」
 余はこの壊れてしまった永遠の友を守る為にも、皇帝にならねばならぬ。
 臣民は皇帝を選べぬ。選べぬのならばせめて “マシ” な皇帝の方が良かろう。
 余は少なくとも、四十四代よりはマシな皇帝になろうではないか。
「ムームー! ムームー!」
「どうした?」
「あれなに? あれなに?」
 嬉しそうに夕暮れ時の空を指差す。
 あの星が見えるからここは帝星となったのだ。宵の明星が望めるこの惑星を。
「ああ、あれか。あれは宵の明星。銀河帝国においてのお前だ、カウタマロリオオレト。私にとってのお前だ」
「ムームーは何なの?」
「漆黒の宇宙」
 六年前、余の頼みを叶えてくれたお前。今度は余が、お前のあの日の願いを叶えてやろうではないか。
『ラスのお嫁さんになりたいです』

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