PASTORAL −90

「晩飯食いに行くか」
 夜のパーティーに出席するのが俺の唯一の仕事。
 毎日人が入れ替わるので、毎日パーティーしてるんだ。
『鬱陶しければ出席せずとも良い』
 と言われたんだが、この夜のパーティーに出ないと兄上のお顔を見る機会すらない。
 ゼンガルセン王子に『警護は任せた』……ような事を言われたのに全く側にいない上にお顔すら見ていないのでは、宮殿に戻った後ゼンガルセン王子に合わせる顔がない。
 いや、出来ればあまり顔を合わせたくはない、お相手ではありますが。ですがこれから一介の軍人として働くと思うので、そうなれば王子とは頻繁とまでいかなくとも、顔を合わせる事になるでしょう。情けなさ過ぎて、再び戦争の一族の足を引張りに行く使命を帯びるかもしれない。
 『使えるやつ』と思われるのは到底無理だけど、せめて『足手まといにならない』くらいにはなりたい、ちょっと言ってる事が矛盾してるが。
 前回の戦闘は無かった事にしておいてください……クロトハウセとかレズ大公の皆様方は優しいから『大公殿下お見事でしたわ』等と言ってくれたけど、正直居た堪れなかった。
 なんと言うか俺個人の問題ではなく、俺があまりに駄目だと、兄上の尊厳や威厳それに神秘性、クロトハウセの栄達や出世に色々と絡みそうなので。あの王子なら俺の駄目さ加減から、色々やれるのは間違いない。例えば俺を皇子にした事に対する燻ってる不満とか炙り出してくるよ、あの人なら……怖っ!
 何にせよ、役立たずにも程があるので、パーティー前に簡単にご挨拶に行って、しばらく会場で食事をして、退出の礼をして部屋に戻るのが俺の離宮に来てからの日課になってる。
 その都度優しいお言葉をかけてくださる兄上に、恐縮しきりの毎日。
 今日もその流れで、のんびりと食事をしていた。
 兄上は、会場に設えられた椅子にお座りになって、話しかけたくて仕方ない貴族達の挨拶を受けていらっしゃる。毎日毎日、あの挨拶を受け、表情一つお変えにならない兄上は偉大だと思います。俺だったら厭きて凄い顔になってるはずだ。むしろ疲労して目の下に隈作ってそう。
 それにしても……
『兄上、お腹空かないのかなあ』
 俺はそればかりが気になった。兄上、椅子に座られている時は皆の挨拶を黙って受けてらっしゃる。途中、飲み物を口にされる事すらない。
 それを下から見つつ、ブランデーを飲んでいる異母弟がいるわけですが。
 飲み物もそうだけれど、食事もなさらない。パーティーは大体五時間。長くなる事はあっても、短くなる事はない。その長時間、兄上は座ってらっしゃるか、供を連れて会場を歩き声をかけたりなさるだけで、一切何も口になさらない。
 俺なんて、食いたいだけ食ってますが……。
 いや! 言い訳のようだが! それに誰に向って言い訳しているのかは不明だが! 俺も三日前に兄上がお食事なさってらっしゃらないのが気になり ”理由はわからないが自分だけ食べているのも悪いな” そう思い何も口にしないで会場を後にしたら、後で兄上が使者を立てられて、
『体調が悪いのであれば、無理に会場に来ずとも良い』
 とのお言葉をいただいてしまった。
 兄上、よくあの会場で俺がダラダラ歩いて何も食べていなかった事に気付かれましたね……臣は本気で感動いたしました。
 なので、兄上に余計な心配をさせない為にも必死に食べる事にした。
 今日も兄上は席から立たれ降りていらして、会場を歩かれます。
 膝を付いて兄上のマントの裾に口付けする人々を、俺は会場の隅で魚介類のマリネを頬張ってその一連の動きを見ている。
 こうやって、離宮で兄上のお傍に初めて近寄れ、感動する貴族を見るにつれ、偉大な方と一緒に過ごさせていただいているんだな……改めてそう思う。
 ぶっ! 口に入れ過ぎっ! 鼻から玉葱……でない! でない! 出してる場合じゃないよ! 恥ずかしいな! 俺じゃなくて兄上の尊厳に関わる。あ痛いててて……マリネのビネガーに咽つつも、兄上の偉大さに感動中。大量に口に入れ過ぎたよ……兄上に食べている所をお見せしようとしていたら。
 あー痛てー。イタダダ……
「料理の味付けに不満はないか? ゼルデガラテア」
 いつも俺にまでお声をかけて下さる兄上。俺は一応大公なのでここに居る貴族とは礼儀が違うため、立ってお話をする。
 周囲が兄上に傅いている中、立ったまま兄上と話をするのは何回経験しても、とても居心地悪いのです。若干マリネにも咽ているし。涙目だし。
「どれも美味しいです、陛下」
「そうか。ところで、離宮はどうだ?」
「語彙の少ない私には表現できない美しさで、感動しきりでございます」
「少しでも気に入ったのならば、この離宮くれてやろう。市井でのお前の呼び名 ”氷の美貌” を体現したような造りだ。どうだ?」
 兄上、気前良過ぎです! それと氷の美貌ってナンですか?
 ソレ聞いた事ありますが、俺の事だったんですね……で、どういう意味だ? 氷って解けやすいとかそういう意味か? ああ! そうか、ぬるま湯的な環境にいると直に堕落するとか! そういうヤツか? ……違うか?
「そっ! そんな……」
 そんな意味の解らない美貌なんてどうでもいい! この「偉大なる皇帝の迫力を体現化した」兄上とのお話中なのだから!
「遠慮などせずとも良い」
 兄上! 俺はその……クロトハウセから貰った惑星すら、カルミラーゼン兄上が代理で管理して下さっているくらいに統治能力が低い男でして! カルミラーゼン兄上が『整えてから渡してやろう』と。ゼンガルセン王子がくださった軍を編成しなおし(あの方、人まで込みで下さったので彼等の給料とかの……解らない)、交通網の警備を完全に移行させてから俺に与えてくれるのだそうで。
 それらは普通、領地を治めている大公自身の一番大切な仕事のような……でも、参考資料を開いてもあまり意味が解らなかったので、ついついお願いしてしまった。
 俺の昔の就職希望先は気象制御官だったので、そっちの勉強に力を入れてた。正直、政治経済は苦手。というか、給与形態とか手当てとか軍の施設・規模とか全く! 申し訳ございません。
 正直、宮中公爵に戻りたい気持ちで一杯です。というか、今の状況は宮中公爵と同じでもうなんだか。
 ですので、せめて慣れてからそのような話題を! いや、慣れても欲しくはありません! 離宮なんていただけませんよ! 何かこう……話題を変更したい! どうしたらいい? えっと……
「陛下。陛下もお食事なさいませんか。マリネ美味しいですし、あのタルトも絶品でした。僭越ながら、陛下の御口にも合うと」
 兄上は若干驚いたような表情をなされた。間違い、驚いたような雰囲気をつくられた。兄上のお顔が変わる事はないので。その、雰囲気から読み取るしかない。
 た、多分驚いたんだとおもう。
 やっぱり、話題の逸らし方、不自然過ぎましたか!
「お前が選んで運んで来るのであれば、食そうではないか。それでは、待っておる」
 兄上はそう仰られて、またお席に戻られた。
「トレイを」
「……はっ! はい! ただ今! そ、その、こ、ここにある物でよろしいのでございますか! 大公殿下」
「ああ」
 俺は給仕から受け取ったトレイに、皿とグラスを乗せて飲み物を物色。兄上は恐らく、今も『政務』の最中だと捉えられていらっしゃるはずだから、アルコール類はお勧めできない。
 兄上は真面目でいらっしゃるので、酒気帯びで政務を取られることなど一切ない。
 お酒はとても強いけどね。
 皿にタルトとマリネ、チーズと何種類かのカナッペとオレンジジュースをグラスに注いで、兄上の前まで行くと、
「ここまで来るが良い」
「失礼いたします」
 自分で言った事だが、兄上の座っている隣に近寄るのは、緊張する所じゃない。
 隣まで行って、膝をついて兄上にトレイを差し出した。
 お気に召してくださったのか、全てを食べてくださって、
「お前は余の味覚を理解しておるようだな」
 などと言っていただいた。
 その後、部屋に戻って帽子をドレッサーに放り投げる、ベッドに腰をかけて体中の緊張をほぐしていた時、それが来た。
 ドアをノックする音、召使いがドアの所で会話していた。
『お礼?』
 部屋は広いが、まあそれなりに耳も皇族(王族)並には良い俺は、それを聞き取れたんだが、意味が解らない。何故俺がお礼をされるのだ?
 投げた帽子を掴んで、出口に向った。
 どうも、俺の部屋に入ってこられない身分のものらしい。……気にはしないんだけど、周囲の目がある場合は杓子定規な対応しか出来ないんだよ。
 裁量ってのが、どうも苦手で。規則と例外をすり合わせる努力はしたいと思うんだが、これがなあ。あんまり度を越してると色々と問題になって、最終的に俺だけの問題では済まなくなる。
 俺の育ち云々ではなく、皇族を統制している兄上に諸問題が降りかかってしまうので、無難に書類に書かれてある通りに接してる。
 『裁量なんて一生無理だよな』思いながら部屋から出ると、廊下にズラリと平伏している一団が。着衣から料理人だとは解るが?
 料理長が代表でお礼を述べてくれた。
「我らの陛下の御口に料理が運ばれるなど、思ってもおりませんでした」

……あっ!

 兄上のお食事は兄上専属の料理人が作るのであって! 兄上はそれ以外の者が作った食事は、口になさらないんだった!
 そうだよ! 一般の貴族の立食用食事を作る料理人と、兄上のお食事を作る料理人は並ばない。
 当然あの場にあったのは一般貴族用の料理であって、材料だって御料で作られた物じゃないよ! 兄上が驚かれた意味がわかった!
 兄上に勧めて良い料理じゃなかったんだ! なんてバカな事しでかしたんだよ! それでも食べてくださったのは……あの場で俺の無知をさらけ出させる訳にはいかないからだ……申し訳ございません、兄上。
「今回一度だけの事だが、栄誉と思い、これからも料理の道に邁進せよ」
 感動に水をさすわけにも行かないので、料理人達に声をかけて帰らせた。
 彼等は良い思い出になっただろうさ……俺は
「陛下のお部屋へ」
 謝罪をしに行こうと思うわけです。
 こういうのは伸ばしてしまうと、駄目だと思うので。直に謝罪に行くべきだよな。
 フラフラと兄上の寝室まで来て、取り次いでもらおうとしたら、
「どうぞ」
 兄上に確認すらなく通されてしまった。
「良いのか?」
「殿下が参られましたら、直に通すよう通達されておりますので」
 そう言われて、兄上の寝室の扉を開けたら、

「ああっ! 陛下ぁ!」

 最悪な場面に踏み込んでしまった……

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