ALMOND GWALIOR −70
 ザウディンダルが目を覚ますと、傍にいたのは、
「おはよう! ザウ!」
「アニアス兄? 仕事は? 陛下のお菓子は?」
 皇帝陛下の料理人の一人、アイバス公爵 アニアス=ロニ。
「今日は公的休暇」
「そうだったな、疲労は味覚を狂わせるから、定期的に休み取らないといけないんだったな」
 ザウディンダルは体を起こし、アニアスが背中にクッションを入れる。
「ああ、デウデシオン兄は少し席を外しているけれども、すぐに帰ってくるから安心してね。私が付いていてあげるから、泣いちゃ駄目だよ」
「泣かねぇよ!」
 頬を膨らませたザウディンダルを優しげに眼を細めて眺めた後、
「ザウディンダル、はい」
 彼は公的休暇の時間を使い、ザウディンダルを喜ばせる物を作ってきた。
「凄い!」
 目の前に出された小さなケーキ。成人男性の爪先程度の大きさ。
「これが今年陛下の生誕祭に並んだ、私の作った菓子だよ。是非食べてくれ」
「相変わらず凄いなあ」
「まあね。これだけは謙遜する気は無いよ」
「する必要なんてねえよ」
 ザウディンダルはトレイを飾るケーキの数々を眺め、その脇でアニアスは茶を淹れる。
 ”これは何味?” などと聞きながら茶を飲んでいたたザウディンダルと、細かく教えるアニアスの元に戻ってきたデウデシオンは、
「なんでそんな顔してるんですか? デウデシオン兄。あ、アルカルターヴァと喧嘩したんですね!」
 酷い顔だった。
 アニアスの言うとおり、牢にぶち込まれたカレンティンシスと罵りあった後に、暗がりにして止めを刺してきたが、それを引き摺っているのではなく、部屋に戻ってきてみた 《菓子の数々》 がデウデシオンの表情を強ばらせていた。
「違う。こんなに大量に菓子を作ってきおって! ザウディンダルの体調を考慮して、普通の食事だけを与えようと考えていたのに」
「食事だけじゃあ絶対につまらないですよ。菓子は潤いですよ」
「潤っ……」
 そこまで言って、デウデシオンは 《しまった!》 と口をつぐんだが、最早後の祭り。
 アニアスは握り拳をつくり、独裁者さながらに演説を始める。
「デウデシオン兄! いいえ、帝国宰相閣下! このアイバス公爵 アニアス=ロニ・ラディラクス・フォレンビンレン 政治経済に関しては帝国宰相閣下に意見出来ぬ男ですが、栄養学に関しては帝国宰相閣下 ”ごとき” の知識で意見される程度の人間ではありません」
 こうなった彼を落ちつけるのは至難の業だった。
 普段は良い人なのだが、食事関係になると人が変わる。
「解った。落ち着け、アニアス」
 ”私が悪かった” と下手に出るデウデシオンと、先ほどまでと形相が全く違うアニアス。
「本当におわかりでしたら! まずは! ザウディンダルに三食以外の潤いをですね! この私が全て計算して!」
 皇帝陛下誕生祭の料理を担当しているので、ザウディンダルの病人食に携われず、公務と兄としての気持ちに身を引き裂かれていた(本人談)は、その気持ちを長兄に延々とぶつける。
「解った解った……ザウディンダルの体に障るからそのくらいにしろ。あまり食べ過ぎるなよ、ザウディンダル」
 アニアスから視線を逸らし、切り札のザウディンダルの名を出して黙らせた。
「うん。そして……ありがとな、アニアス兄。今回は食べられなかったけれど、今度暇な時に、作ってくれようとしてた体に優しい食事作ってくれる?」
「もちろんさ! 任せなさい、ザウディンダル。この私が……」
 料理の説明を開始した弟を前に、帝国宰相は両手で頭を抱えるも、ザウディンダルが ”菓子食べても良い?” と話の腰を折り、アニアスはあっさりと中断する。
『私が折ると、怒るのだがなあ』
 デウデシオンは腕を組み、苦虫を噛んだ表情のまま大きく息を吐き出す。
「ザウディンダルは美味しそうに食べてくれるから、私も材料を選んでいるときから嬉しいのだよ。ザウディンダルが喜んでくれると思いながら作る菓子は楽しい」
「美味しい……兄貴……うわっ! 失敗した」
「何をしている……」
 菓子を摘み、両手の人差し指と親指で注意深く分けようとしたのだが、思いの外柔らかく指で潰す形になってしまった。
「どうみたって、デウデシオン兄に分けてあげようとしただけでしょう? まぁったく鈍いんですから」
 ”はぁ” と大げさに溜息をつく弟を脇目に、
「……指を貸せ、ザウディンダル」
「はい……っ!!」
 デウデシオンはザウディンダルの右手首を掴むと、ケーキを 《潰してしまった》 指を口に入れて舐める。
「兄……あの、兄……」
「左の指はお前が食え」
 口から指をゆっくりと抜き、抜けた辺りにまた舌で指の腹を舐める。
「私はお邪魔ですね! 失礼します! ザウディンダル! デウデシオン兄と仲良く食べてね! デウデシオン兄は真面目にザウディンダルを食べて下さいね! ザウディンダルも食べられちゃうんだよ!」
 嬉しそうに去っていった弟を見送った後、デウデシオンは椅子に腰を下ろして、
「半分ずつ食べるか」
「うん!」
 最高の技術で作られた菓子を前に笑った。

**********

 現皇帝シュスターク誕生日から三週間開催される生誕式典も終わりに近付いてきた。
 たった一人だけしか存在しない皇族であり、独身の皇帝が民衆の前に直接姿を現すのは一年でこの期間のみ。人々の大歓声に応えるシュスタークの身辺警備は完璧と言っても誰も異議を唱えない程。
 皇帝を殺害し、皇帝の座を奪おうとしている僭主もこの時期は敢えて避けているらしく、二十一回目の皇帝生誕式も今まで通り何事もなく終わりそうであった。
 帝国建国者シュスター・ベルレーの前身が職業軍人であったこともあり、皇帝の誕生式典のイベントには多数軍事的なものが含まれる。それらに出席する際には皇帝は、帝国軍総帥としてであり、列席できるのは帝国軍に籍を置く者だけと決まっている。
 四王のケシュマリスタ王とエヴェドリット王は「帝国騎士」として帝国軍にも籍を置いている。残りの二人ロヴィニア王とテルロバールノル王は国軍の総帥のみで、帝国軍には籍を置いていない。
 その関係でテルロバールノル王は体が空いていた。その隙を見て帝国宰相からの命令を受けたハーダベイ公爵バロシアンが《理由は解っていらっしゃいますね》と無理矢理連行して、帝国宰相の部屋に備え付けられている牢屋に放り込む。
「貴様ぁ! 下郎の分際でぇぇぇ! うでぃあああああ!!」
 怒鳴られるも気にせずに入り口を施錠し、テルロバールノル王の側近達の言葉も無視してその場を立ち去る。

 その頃、帝国軍に籍を置くテルロバールノル王族で最も地身分の高いカルニスタミアが代表として式典に参加していた。
“ビーレウストはともかく、エーダリロクは……”
 当たり前のように王が帝国軍に属している軍閥王家、その気楽な先代の五男坊ことビーレウストは、何時もサボるが今回は特に理由があるとして王子として参列する必要のある式にも出ずに 《皇帝陛下の奴隷》の住む衛星へと戻り、彼女の身辺警護にあたっている。
 ビーレウストは王も実兄も年上の甥も帝国軍に属する王族だから良いが、エーダリロクは兄王も無性の姉も帝国軍には属していない。
 ロヴィニア王族で最も身分と地位の高いエーダリロクが参列する必要があるのだが、
“上手く逃げた……のか?”
 皇帝の式典に参列する際は、座ることはない。椅子は用意され場合もあるが、皇帝の前で着席することは許されないので、その場合は誰もがその椅子の後ろに立ったままの状態で式が続けられる。
 プラチナの枠組みに空色の天鵞絨の張られた皇帝の従兄の椅子には「ただいまマイクのテスト中」と殴り書きされた紙が画鋲で貼り付けられていた。
 
“見つかったら、ただじゃ済まんだろうなあ……”

 カルニスタミア以外の人もそう思いながら、目立つ空椅子を横目で眺めつつ、式典は滞りなく進んでいた。
 その頃エーダリロクは【本当に】マイクのテスト中であった。正確には【マイクテストの結果報告】
「奴隷を殴らせた事と、あのライハ公爵の言葉も後押しになって奴隷正妃への道は開かれた。だがあれは本当に必要があったことなのか? エーダリロク」
 帝国軍の式典に参列する必要のないロヴィニア王は、先だっての大騒ぎの発端になった実弟に真意を問いただす。
「必要だった」
 エーダリロクは言いながらロヴィニア王の前に映像を立ち上がらせ、ある箇所を指さす。エーダリロクが指したのは、通信技術局が行う、音声と映像の一斉テストの日付。
「当然だろうな。陛下の生誕式典前日に最終の確認を行わねば、あの技術局のヒステリー長官の気が収まることはないであろう。何より陛下の誕生式典に不備があっては……エーダリロク、あの映像を帝国中枢に届けるのが目的だったのか?」
「さすが兄貴、ご名答……と言いたい所だが、俺が届けたかったのは映像ではなく音声のほう、結果的に映像もついて良い方向に向かいそうだが。通常あの衛星に陛下がいらっしゃる時の音声は王と帝国宰相の一族、陛下の父達にしか届かない。だがあの日は違う」
 翌日から三週間続く皇帝陛下の式典を全宇宙に向けて発信する為の、最終調整が行われる。
「……」
「帝星と二時間以内に帝星に到着できる範囲すべての惑星、衛星、要塞との警備網を繋げて丸一日通信テストを行う日だ。奴隷正妃のいる衛星は帝星から三十分以内、必ず通信テストの際に音声が拾われる」
「音声を拾ってどうする? 陛下がザロナティオンであることを知らしめることに意味があるのか?」
 ロヴィニア王の言葉にエーダリロクは首を “違う” そうゆっくりと首を振り、
「俺の役職に関係することだ」
「はん! お前は役職が多いから解らんな」
「俺は技術庁の開発部門に属し、そして巴旦杏の塔の管理者だ。俺はあの音声で通信システムの脆弱性を暴露し、両性具有に正式な役職を与える手はずを整えるのが目的だ」
 他に類を見ないほどに支配音声が発達しているシュスタークは別として、大なり小なり持っている者が多数存在する。
 この支配音声が作られたのは、帝国建国以前で完全無人の自動通信システムが確立していた頃のこと。支配音声を持っていた戦闘個体達と通信システムは全く重なることはなかったのだが、ある事件により通信システムは完全無人から有人へと戻された。

 暗黒時代に行われた、全情報の消去

 完全無人化されたシステムを外部から攻撃を加えて消し去った者がいた。
 作られたシステムは、システム以上の演算能力を所持していた皇女の前に為す術無く、積み重ねた歴史を全て手放す。
 結果、帝国法典など皇帝の即位や身分に関する正式な文章が、帝星から一斉に失われることとなる。
 その行動を知り、王家でも次々と情報システムを攻撃し白紙化して、簒奪を企てる者があふれ出すように現れた。
 暗黒時代終結後、情報管理システムは無人から有人へと戻される。それと同時に全ての情報の管理を無人のみで行うことの脆さ警戒し、無人システムはバックアップ的に、メインは有人システムへと移された。
 通信も情報システム一つであるため、人が必ず携わる事となる。

 支配音声と支配される個体が存在してから、初めて通信システムが有人化された

「俺達はあの支配音声で自由を失う。通信システムの全てに人が入っているのは良いが、必ず動けるヤツが必要だ。通信途絶は戦争では致命傷だ」
 貴族や王族そして皇族など、血の頚木に属する階級は支配音声にあらがう事は出来ない。だが通信システムは情報管理システムにも繋がるために、血の頚木に属さない一般階級《人間》を登用することは避けている。
 それらを除外すると、支配音声が及ばない個体は三種類。後天的変異体「我が永遠の友・其の永久の君」精神感応開通者同士は一対一ならば支配を受けない。そして全ての支配音声に耐えうるのが先天的の「無性」と「両性具有」
「後天的の場合一対一で、全体をカバーするには話にならねえ。対する先天的な無性と両性具有は、全ての支配音声に対して抵抗力がある。通信システムが有人化され、陛下の状態から考えても支配音声は後百代は消えないだろう。そうなった場合、血の頚木に属しながら決して干渉を受けない個体を通信システムの管理者にする必要が出てくる。それが出来るのは “両性具有” のみ」
 エーダリロクの言葉を兄貴であるロヴィニア王は一言も漏らさないように、息をするのも忘れているかのように聞いている。
「無性は法典に記されている “自然” な受精・妊娠ができないうえに、遺伝する確率が極めて低い。確実に次代の誕生が不可であり、この場合は無意味。だが両性具有は自然妊娠が可能で、隔世遺伝する確率が極めて高い。通信システムを稼働させる最後の砦を確実に増やすことが可能なんだよ。兄貴がザセリアバのヤツと画策している “帝国騎士を量産するためのレビュラ公爵の確保” もそうだが、今は両性具有を隔離して遊んでいる時期じゃあねえ。兄貴やザセリアバは両性具有から欲しい物が手に入ると知りゃあ隔離にすぐに反対するが、他の二王はそうはいかない。特にあの技術庁長官で最古の王家の王様を納得させるとなりゃあ、ヤツと取り巻きの目の前で納得するような実験と結果を見せてやらなけりゃあ動くわけねえ。これだけの証拠があるんだ、あの男も両性具有ザウディンダルの正式採用を持ちかけられたら、長官として取り巻き共をまとめるために動くだろうよ」
「…………」
「通信局副局長には、立場強化と保護を考えて既にナドリウセイス公爵クリュセーク、レビュラ公爵の異父兄を配置している。あとは適した体質の者を局長の座に就かせるだけだ」
 エーダリロクの言葉にロヴィニア王は美しい顔立ちを損ねるような半眼となり、舌なめずりして “次” を問う。
「次は何をしたい。私は何をしたら良い?」


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