ALMOND GWALIOR −61
 ザウディンダルはジュシス公爵アシュレートが苦手だった。
 アシュレートは父親が王太子のまま死亡したため「王子」ではなく「公子」と呼ばれているが、エヴェドリットの中では最も礼儀正しく王子然としている。
 王子然としているアシュレートは、元々貴公子として名高いカルニスタミアと仲がよい。
 エーダリロクとビーレウストのような仲の良さではないが、王族同士としての節度ある親交が深い。
「悪いな……です」
 カルニスタミアと一緒にいることの多いザウディンダルは、このアシュレートに会う機会が頻繁にあったのだが、とにかく苦手で、訪問した場所に居合わせたりすると、すぐにその場からいなくなるほど ”苦手” だった。
「気にするな。名誉の負傷なのだから」
 アシュレートの何が気にくわないのかと言われたらザウディンダルは上手く答えられられないのだが、苦手意識が強い。
「あ、う……うん」
「だが……」
 気性はエヴェドリットとは思えない程に穏やかだと言われている……が、
「何だ? ジュシス公爵」
「羨ましい」
「何が……ですか?」
「陛下と殴り合いかあ。支配音声抜きでやり合えたら、さぞや楽しいだろう」
「はい……いや、あの……」
 それは別だった。
 だが露わになる破壊衝動も何処か控え目。当代、最もエヴェドリット気質の強いと言われるビーレウストと一緒にいる事の多いザウディンダルから見ると、穏やかで、常軌を逸した行動を取ることなく、責務を全うするアシュレートは誰よりも 《王子》 らしく感じれた。
「ザウディンダル」
「はいっ!」
「なぜお前は我と話す時、それほど緊張するのだ?」
「だって! 王族だし! その……」
「お前は我よりも身分の高いライハ公爵を “カル” 呼ばわりしているだろうが。あれは普通に呼べて、我は無理なのか? 幾ら恋人同士とは言え身分を考えると、世間的には公衆の面前で “カル” 呼ばわりするほうが、余程緊張するとおもうのだが」
「えっ?」
 異母弟の恋人だと聞かされていたフォウレイト侯爵は、アシュレートの言葉に驚き思わず声を上げてしまった。
「どうした? フォウレイト」
「何でもございません」
 非礼を詫びる為に膝を折り頭を下げる。
 立ち上がれとアシュレートは声をかけ歩き続ける。
「ジュシス公爵違う! カルはこ、恋人じゃなくて……」
「遊びなのか? その方がもっと恐ろしいだろうが。よりによってあの儂王の実弟が浮気相手とは恐れ入る」
「うわぁぁ! 違う! 違う! で……あああ!」
 貴族の名前は長いが省略して呼ぶのは、言うまでもないことだが非礼にあたる。
 例外的に身分の高い者が低い者の名前を略して呼ぶことは、行儀の悪いこととの認識があるが黙殺されている。
 ビーレウストやエーダリロクが “カル” や “カルニス” と呼ぶのは身分から帝国として許容範囲だが、ザウディンダルが “カル” と呼ぶのは不敬以外の何物でもない。
 キュラがカルニスタミアに対し決して “カル” と呼びかけないのは貴族としては当然のこと。カルニスタミアは呼びかけても良いと一度は言ったが、キュラはそれを断っている。
 この不敬はもちろん罪に問えるが、問う場合、略して呼びかけられた当人の申し出が必要。カルニスタミアが申し出るわけもなく、ザウディンダルの事は全くの不問となっている。それが貴族法典や礼儀に煩い兄王との諍いの一つでもあった。
「カ、カルはね」
「ビーレウストやエーダリロクは名前を略さずに呼ぶのにな」
「あいつら一応王子だから」
 ザウディンダルにとって、自分が物心ついた頃から宮殿で陛下とその父親達と共に育てられた二人は、宮殿にいる王子と刻み込まれたが、宮殿で育ったわけでもなく、成長してから会う事になったカルニスタミアは前者の二人よりも『王子』という認識が低い。
「ライハ公爵も王子だぞ」
 カルニスタミアは決まり事にもっとも厳しい王家で、王子であるようにと育てられ事もあり、ほぼ同等の立場であるエーダリロクやビーレウストの名前を略することは無い。
「あの男は実利主義のロヴィニアや、破綻の多いエヴェドリットに混じって、テルロバールノルの頑固さが崩れたように見られるが、根本は全く変わっていないだろう。あの男が頑固でなくなっていたら、此処まで騒ぎは大きくはならない」
 正面から全く同じ気質と、一歩も引かない頑固さぶつかりあってしまうので此処まで酷い状態になってしまったのだが。二人のうちどちらかが、別の性格をしていたら仲が悪くても、ここまでの状態にはならなかっただろう。
「あのさっ! そのフォウレイト侯爵もいるから!」
 異父兄の異母姉、要するに全くの他人なのだが ”デウデシオンの姉” の前で、男性と紹介された自分に、王子の恋人がいると説明されるのは、ザウディンダルとして恥ずかしかった。
 恥ずかしい理由は解らないのだが、とにかくアシュレートが淡々と語るのが恥ずかしく、顔を赤らめて痛む体も忘れて暴れ出す。
 移動用の医療ベッドについている、痛覚レベル判断用のパネルが警告色に染まったのを見て ”落ち着け、落ち着け” アシュレートは声をかけて、
「我にはあまり気にせずに、カルニスタミア達と同じように話しかけろ。それと一つだけ言っておく」
「なに」
「我がお前と敵対せずに守る方向にいるのは、ライハ公爵からの依頼だ」
「……」
「あの男が我に依頼……とは少々違うが、取引でお前に対して注意を払っている。あの男は王族らしく一切表情に出さないが、あれでも随分とお前のことを気にしている。ロッティス」
 アシュレートの言葉に声を失ったザウディンダルは、説明を求めようとしたのだが、
「ありがとうございます、ジュシス公爵殿下」
「早く治療してやれ、伯爵。ではな、ザウディンダル」
 それだけ言うと、フォウレイト侯爵を連れて歩き出し、ザウディンダルはそのまま治療室へと連れて行かれた。
「大丈夫? ザウディンダル」
「あ、あの、ごめんなさい……御義理姉様」
 ロッティス伯爵はミスカネイアの爵位。平素は団長の妻として『イグラスト公爵妃』と呼ばれているが、仕事をしている際は爵位である『ロッティス伯爵』と呼ぶ。貴族の基本的な礼儀だ。
「御義理姉様じゃあ解らないから、ミスカネイアって呼びなさい」
「は、はい」
 ミスカネイアは優しく治療を開始した。
 この少し前に『何で止めなかったんですか! 帝国宰相閣下! 私の患者になんて事をぉぉ!』とデウデシオンを叱り飛ばしていたのだが、周囲の者達はそれを決して口にすることはない。

**********

 フォウレイト侯爵を引き渡す予定の場所で、ジュシス公爵はこれからの事を簡単に説明する。
「フォウレイト侯爵」
「何でございましょうか? 殿下」
「お前が近衛兵になるためのカリキュラムを組むのは我だ。最終的に我がお前が近衛になれるかどうかを決める事になる。それほど緊張するな、我も同族ならば厳しいがお前にはそれほど厳しくするつもりはない」
 思慕を抱いているメーバリベユ侯爵から直々に依頼され、引き受けたアシュレートだが、たとえ思慕など無くとも引き受けたと本人もはっきりと言い切れる。
 皇帝の正妃の傍仕えと親しく出来るのは王家としても好ましい。
「はい。至らぬ者ですがご鞭撻よろしくお願いいたします」
 近衛としての基本的なメニューをアシュレートが教えていると、
「ジュシス公爵殿下。遅くなって申し訳ございませんでした!」
 フォウレイト侯爵の迎えであるバロシアンが駆け寄り、土下座をする。
「頭を上げろ。ハーダベイが時間よりも遅く到着したと言うことは、何かがあったのだろ? 我もそのくらいは解る」
「誠に申し訳ございませんでした」
「ではな、ハーダベイ。フォウレイト」
 そう言ってアシュレートは陛下の誕生祭に関する自分の仕事へと戻っていった。
 バロシアンはアシュレートの足音が聞こえなくなるまで頭を下げていた。フォウレイト侯爵は礼儀正しい公爵なのだろうと思ったが、彼が頭を下げていたのは異父兄の異母姉で、伯母にあたる人物と視線を合わせる覚悟が此処に来てもまだ定まらなかった為だ。
 出迎えに遅れてしまったのもそれが原因。
 足音が消え去り静寂に満ちた広間で、バロシアンは ”ぎゅっ” と瞼を閉じてから、ゆっくりと立ち上がり、
「ハーダベイ公爵 バロシアンと申します。ご案内いたしますので」
 何時もの笑顔でフォウレイト侯爵に挨拶をした。


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