ALMOND GWALIOR −50
「お待ちしておりました、帝国宰相閣下」
「メーバリベユ侯爵か。人選はどうした?」
 真面目な女だと思うと同時に、彼女の夫であるセゼナード公爵の視線が気になった。
 この場にいる王子達は知らないが、帝国宰相はセゼナード公爵が《恐ろしい存在》であることを知っている。恐ろしさに直面したことはないが、恭順を見せねばならぬ相手であることは重々理解している。
「お后の側仕え以外は全て決定いたしました。私は、フォウレイト侯爵 カーンセヌム以外の人間を見つけ出す事ができませんでした。皇帝陛下の正妃に仕える以上、それ以下の人間を選ぶ事も私にはできません」
「……ならば、仕方ない。シダ公爵妃を側仕えにするか」
「待った、帝国宰相」
「何か用か? セゼナード公爵」
 帝国宰相はこの部屋にいる、自分の目の前にいるのが《セゼナード公爵であってセゼナード公爵ではない》ことを感じ取った。
 完全に《過去》ではないが、完全に《現在》でもない エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル その恐ろしき存在。
「メーバリベユから聞いたが、フォウレイト侯爵を側仕えにしたくないそうだな。そりゃ、血縁を危険に巻き込みたくないっていう甘さからか?」
「そんなつもりはない。フォウレイト侯爵のことは直接知らぬが、シダ公爵妃ならばその能力を直接見て知っている分信用が出来る、それだけだ。この “人選” においては、細心の注意を払う必要がある」
「それは認める。だが、シダ公爵妃はやめた方がいい」
「何故だ?」
「あの娘に付きっ切りになるからさ」
「どういう意味だ?」
「シダ公爵妃の子達が、あの娘に敵対心持ったら困るだろ? 帝国を動かしている一勢力にはあんたを頂点とする庶子の一団がある。あんた達は、後ろ盾はないがその団結力でここまで来た。それに亀裂を入れるのは不味かろう?」
「そんなことは無か……」
 デウデシオンの言葉が言い終わらぬうちに、その場にいたキュラにカルニスタミアにエーダリロクにビーレウスト、メーバリベユ侯爵までもが一斉に一人の男にして女を指差した。

「何、全員で俺のこと指差してんだよ!」
「………………」

 指差された方は、ソファーの上で抗議の声を上げるが、それを見ていたデウデシオンの方は声を詰まらせる。
 言われてみれば、確かに前例が居た。それも、かなり根に持って何年も皇帝を嫌っている一人が。
「ああいった前例もあるわけだ。特にシダ公爵妃は夫と共に前回 “あれ” の育成を見事に失敗したわけだから、今度は誠心誠意仕えるだろ? となりゃ、子どもは殆ど投げっ放しだろうなあ。俺達みたいに投げっ放しってか、育てるのと産むのは違う人間だっていう教育されてりゃ別だけどよ」
 鋭さを感じさせる目尻と、帝国宰相に対して《子供》に向けるような眼差し。目の前にいる勝つことに疑いを持っていない、自分の意志が通る自信に満ちあふれている男。
「タウトライバとアニエスの間の子はどれも大人だから、あんな風にはならん」
 帝国宰相の言葉に抱き締めていたクッションに顔を押しつけて落ち込むザウディンダルを見て、メーバリベユ侯爵が、
「帝国宰相、止め刺してどうするんですか」
 “もう!” といった風に声を上げて、ザウディンダルに近寄って耳元に口を寄せて小声で励ます。
「あんたが巻き込みたくないのは解るが、帝国宰相の異母姉、今まで放っておいてくれたからこの先も……ってことにはならない筈だ。あの奴隷を正妃にしたら、殆どのヤツはあんたが権力を完全に握るために奴隷を “迎えさせた” と取るだろう。そして、それはあんたの目指す所だろ?」
「そうだ」
 皇帝が奴隷を正配偶者として迎える。皇帝が望んだことであったとしても、それを声高に叫ぶわけにはいかない。皇帝が奴隷を求め、それを受け入れるのが普通になってしまえば、血が薄くなりそして広まる。
 それを避ける為に “皇帝が奴隷を望み、それを得た” 事実であり、曲がる事はない真実ではあるが、そこに利害関係や力関係を持たせる必要がある。
 帝国宰相が権力を維持する為に、皇帝が好んだ何の力もない無学で無害な奴隷を正妃に推したとされたほうが貴族は納得する。その間違った納得は、皇帝の正妃の座におさまった奴隷に対する嫉妬以上に、帝国宰相に憎悪をいだかせる。
 彼等が欲しい “間違った真実” を与え、その真実によって奴隷正妃に対する風当たりを少しでも自らの方に回すのが帝国宰相の “帝国宰相としての存在意義” でもある。
「なら、塗り固めろよ。帝国宰相閣下は、陛下には自分、正妃には自分の異母姉で固めろ」
「それをするには、フォウレイト侯爵は弱すぎる。だから排除しただけだ」
 フォウレイト侯爵が奴隷の側仕えになれば、帝国宰相の血縁である以上、彼に対する風当たり以上のものがぶつかるのは明らか。
 シダ公爵妃は既に帝国軍代理総帥の妻という確固たる権力の庇護下にある故に、王家側としては自らの庇護下における余地があるフォウレイト侯爵のほうが良い。
 フォウレイト侯爵の方がより王家が介入する隙ができる為に “いい人選” なのだ。
 帝国宰相としても皇帝の外戚ロヴィニアの庇護を受けた側仕えを置いたほうが良い。帝国宰相と皇帝の外戚王が権力を握ろうとしていると警戒されても、それはデウデシオンとロヴィニア王、そしてこの王弟エーダリロクにその妻メーバリベユ侯爵で対抗できる。
「メーバリベユの報告書を見たが、随分と強いようだな。父は近衛兵で異母弟は近衛兵団団長をも超えると噂されている男、その血縁が弱いはずないよな。メーバリベユは儀礼では他者に遅れを取ることはないが、身体能力に問題がある。普通貴族出のシダ公爵妃も同じことだ、奴隷妃は言うまでもない。この帝国の安定していない時期に、近衛級の身体能力を持つ傍仕えが居ないのは問題だろ? お前がシダ公爵妃を押しても、ロヴィニアは身体能力の低さから認めないし、メーバリベユ侯爵も返して貰う。メーバリベユが奴隷妃につかないということは、ロヴィニアが引き上げることをも意味する」
 帝国宰相が奴隷を 《皇后》 にする為に絶対協力してもらわなければならないロヴィニア王家。
「ロヴィニア王と話をしてみなくては。お前はロヴィニア王弟であって王ではない」
「あんまりロヴィニアを怒らせるなよ」
「どういう意味だ?」
 デウデシオンは確かに甘い。彼としてはできることならば、自分の存在を生涯知らせないで姉には貧乏ながらも苦労しながらも、権力とは縁遠い所でひっそりと生きていって欲しかった。そのため、今まで叔母が方々に手を尽くし、彼女から領地を奪ったりしても何の手助けもしなかった。
 命に関しては細心の注意を払いはしたが、それ以上のことには手を出さなかった。
 だが、その注意も “金と強請と恐喝で王となった” と言われるロヴィニア王家の前には無駄に終わる。彼等の情報網に抗えない事実が捕らえられていた。

「この苺は美味いな。ハーダベイ公爵も好きか?」

 食卓に残っていた苺。それを徐に口に運びながら、目を細める。
 帝国宰相とビーレウスト以外の者は、それが何を指し示しているのかは解らなかったが、
「苺はハーダベイ公爵も気に入っている」
 即座に帝国宰相は答えた。《その言葉》の意味するところを瞬時に理解できないような帝国宰相ではない。
「そうかい」
 少し間視線をかわし、デウデシオンが先にそこから逃れ『負け』を認めた。
「メーバリベユ侯爵、お前の夫は遣り辛い。そしてセゼナード公爵が政治にこの先もあまり興味を持たない事を願おうか。解ったフォウレイト侯爵を傍仕えに決定する。どうせお前達のことだ、ロクなことはせんだろう……私も用意して向かう、お前達は先行するがいい。責任の一切は私が負う」
 今日が休暇であって良かったのかと苦笑を浮かべつつ呟く。
「兄貴! 俺もカルニスタミアのに乗っていくからな!」
「儂はそんな話は聞いていな……」
 そこまで言った所で、キュラとビーレウストに足の甲を思いっきり軍靴のヒールで踏まれ、口を閉じる。キュラに踏まれるのはたいした痛みでないのだが、
『骨……折れたぞ』
『行く前に治せるって』
 ビーレウストに踏まれた方は、完全に骨が折れていた。折れる際に僅かに音がしたのだが、全員無視したまま話が続く。
「……好きにしろ。どうせ駄目だと言ってもライハ公爵はお前に甘いから連れて行くだろうからな」
 エヴェドリット族がいる場所で、骨折などでいちいち会話を中断させていては話が続かないのは暗黙の了解となっている。
 文句は言ったが、歩くのには問題ないとカルニスタミアはザウディンダルを抱えて、他の四人達と共に部屋を後にした。
 やかましい『若い』のが立ち去った後、デウデシオンは残っていた位苺を一つ摘み上げ、
「来い、ダグルフェルド」
「はい、閣下。ここにおります」
 静かに部屋へと入ってきて、頭を下げる執事を眺めながらテーブルにゆっくりと置いた。
「連れて来る以上、お前に会わせぬわけにもいかぬ。覚悟を決めておけ」
「はい」
 三十八年も前に生き別れとなった娘と再会することになった『死んだことになっている男』にそれだけ告げ部屋から下がらせ、デウデシオンは六人を追う用意を始めた。警備の方は武官である弟達に任せてあるので何の問題もない。
 今年の式典ではそれ程の用事はないが、念のために代理としてバロシアンに式典全体を見るようにと注意を与える為に呼び出しをかける。
 『末弟』の到着を待つ間に、既に先行していった帝国騎士達を追うために自らの機動装甲を動かす用意をさせ、持って行くものなどの最終確認をする。全自動制御の倉庫には、デウデシオン以外の人間は一人も居ない。

 『苺』はフォウレイト侯爵家の家紋

「隠し通せるかと思っていたが、甘かったようだな」
 デウデシオンは十三歳のころから約三年間、母親であった皇帝の寝所に通っていた。肉体関係を持つことを命じられた為だ。
 実の息子にそれを命じた皇帝は、自分達が生かされている理由も同時に語ってくれた。

[この気が狂ったと言われるディブレシアに与える男として “飼育” されたのだ]

 宮殿が彼等を生かしていた理由は、優しくはない。善意や哀れみではなく、利害であった。ディブレシアの元に送る男を増やすのが目的。唯の貴族よりかならば、皇帝の血を引いている私生児達は身体的に強かろうといった理由で。
 母と息子の間に子が生まれようとたいした問題ではない。
 デウデシオン以下、シュスタークとザウディンダル以外の男児は、皇帝ディブレシアを満足させる為の性奴隷にしか過ぎない。ディブレシアは全ての息子を遊ぶつもりだったようだが、唯の性奴隷であるデウデシオンがそれを押し留める。
 彼は皇帝に楯突き、他の男達を犠牲にして弟達を守った。
 ディブレシアは何時の頃からか、他の息子達に対して興味を示さなくなり、デウデシオンただ一人を『陥落』させることに興味を持つ。ザウディンダルの祖母に対する暴行の強制もその一つであり『近親相姦』の末のバロシアンの出産もデウデシオンに対して仕掛けた行為であって、他に何の目的もない。

 デウデシオンはそう思い信じている

 そして母との間に生まれた実子を殺そうとしたのだが……

「お待たせいたしました、帝国宰相閣下」

 バロシアンは生きている。長兄の父であり末子の祖父に当たるダグルフェルド子爵が抵抗したためだ。
 当時のデウデシオンに取って[それ]に対し、抵抗する父の意図する所は全く不明であったが、今となってみれば理解できる。
 子爵は殺させたくなかったのだ、息子に弟である実子を縊り殺させたくなかったのだと。それを言葉にしなかったのは、何時か理解して欲しいという事だったことも。語るのは簡単だが、それは押し付けとなろうと子爵は語らず、大公はそれから二十年かけて自ら理解するに至った。
「私はフォウレイト侯爵の元へと向かった六名を追う為に帝星から離れる。四大公爵の方、今は問題あるまいし警備も完璧だ。アクシデントに関しては全てお前の裁量に任せる。それと、フォウレイト侯爵にはお前の事も紹介する。覚悟を決めておけ」
 驚きを隠さずバロシアンは言い切った。
「……父と、皇帝との間に子を儲けたと……名乗られるつもりですか」
 彼は目の前の兄が父である事を知っている。
 特殊金属の保管に適した人には冷たく感じられる温度に保たれた倉庫の中で、驚きながらも声を抑えて言ったバロシアンに、はっきりと言った。
「一度だけ説明しておく。それで理解できぬのならば、フォウレイトもそれまでといった所だ。……恐らくフォウレイトは独身で生涯を終えるだろう。跡取りの夫には皇帝の庶子でも良かろうな。侯爵家に連なる遠縁の娘の中で、最もお前の好みの者を探しておけ。それでは」
 その命令に黙ってバロシアンは頭を下げ、出撃するまで一度も顔を上げなかった。

CHAPTER.1 − 永遠と永久の騎士[END]


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