ALMOND GWALIOR −257
 デウデシオンは手元に帰ってきた「国璽」を眺め、苦笑しながら握り潰し欠片を床に捨て仕事に戻った。
 十五日間に及ぶ凱旋式典が終わり、明日からシュスタークとロガの結婚式が始まるのだ、帝国宰相であるデウデシオンにはしなくてはならないことが無数にある。

「帝国宰相」
「なんだ? バロシアン」
「陛下がお呼びです」

 後片付けと明日の用意に追われている大宮殿、シュスタークはその凱旋式典終了後主要な人物を全て謁見の間に呼び寄せた。
 四王に大宮殿に居る王子たちにその妃、父たちにザウディンダルを含めた異父兄弟とその妻たち。
 理由はデウデシオンも解らない。
「ロガ」
 全員が揃ったという報告を私室でデウデシオンから受け、謁見の間で待つように言い、部屋に二人きりになってロガの手を引いて謁見の間へと向かった。
 シュスタークの私室から謁見の間までは繋がっている。
 黄金の玉座が見えたところでシュスタークはロガの手を離し、
「あのカーテン傍で隠れて聞いていてくれ。全員が下がったら最後にロガを呼ぶからそれまで待ってくれ」
「……はい」
 ロガもシュスタークが何を言おうとしているのかは解らなかった。
 ただカーテンから隠れて観た先にいる面々に、大事なことを言うことだけは解った。
 シュスタークが用意するように命じた白に裾の長いドレスと王冠を身に付けたロガは、同じく純白のカーテンを軽く握りシュスタークが玉座に座るのを見つめていた。

 謁見の間は大きいが、玉座から入り口へと向かう黄金が埋められている通路に立てるのは王のみ。
 王四名はシュスタークから観て左側から順に並び、膝をつき頭を下げている。
 王子たちは左側にやはり定められた順に並び、その後ろに皇王族が数名並んだ。右側にはデウデシオンを筆頭に庶子兄弟と妻。シュスタークの父たちは自ら希望して、庶子たちの後ろに並んだ。
 集められた者たちの殆どはシュスタークが「なにを言おうとしているのか?」一言も漏らさずに聞こうと神経を集中させる。ただ言おうとしていることを予想している者たちもいた。
 それが自ら望んで末席についた父たち。
 シュスタークは呼んだ者達が全て揃っていることを確認し、
「四公爵、立て」
 眼前で膝をついていた四王を家臣の名で呼び立たせた。
 全員が立ち上がり、シュスタークはどこに視線を合わせるでもなく気負いもなく、呼び寄せた理由を通る声ではっきりと宣言する。

「余は女を好まぬ。性的感情を持つのは男だけだ」

**********


 今の光景は何だ? あの美しい女はディブレシア! 余は見上げている。
―― 帝国摂政の座からバーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵を遠ざけろと? 良かろう ――
 幼い余は誰かに抱きかかえられ、ディブレシアの前に連れて行かれた。
 だがこの腕は知らない。
 女だ、女が幼い余を抱きかかえてディブレシアの元へと連れて行ったのだ。
 抱きかかえている女は、焦っている。
 何を焦っているのだ?
 《早くしないと、ポルペーゼが来てしまう》
 ポルペーゼ公爵? それは余の父、デキアクローテムスのロヴィニア王子の頃の爵位だ。
 勿論バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵になった今も、ロヴィニア王位継承権を持っているデキアクローテムスはポルペーゼ公爵位も持っている。

 余を抱えている女は誰だ?
《急いで! ティアランゼ》
 余が誕生しているのだから確実に皇帝の座に就いているディブレシアに対し 《ティアランゼ》 と呼びかけることが出来る女。それは……それは余の祖母……実父の叔母か!

―― なにを言っているラグラディドネス。バーランロンクレームサイザガーデアイベン侯爵を含む余の夫たる四名を帝国摂政の座から遠ざけてやったが、お前を帝国摂政にしてやるとは言っておらぬ ――

―― ザロナティウスは良い子だ ――


△▼△▼△▼△▼△▼ △


 《何をした! ラグラディドネス!》
 《ひぃっ!》
 余は落とされた。腕から落ちた。
 あれ? 余は立ち上がった……余が生まれたばかりの頃の話ではない。
 余は立ち上がり、ディブレシアを見上げる。
 頭上でデキアクローテムスと、祖母。そうだ皇太后ラグラディドネスが言い争っている。
 母が笑う。余を観て笑う。嗤っている……やめくれ! やめてくれ! 余はもしかして! この頭の奥に燻る物の正体は!
―― そうだ。四人の誰かが帝国摂政の座に就こうものならば、ザロナティウスは同性愛者になる
―― そのようなことには……
―― ザロナティウスは生まれつき同性愛者だ、デキアクローテムス
―― なっ!
 《怒るな、デキアクローテムス》
 《ですが陛下! 幾ら皇太子殿下がシャロセルテを有しているからと言って……》
 《なあに。この女に相応の罰を与える事を許してやるのだから、それで引け》
 《ティアランゼ?》
―― それを余の暗示で封じ込めている。余の後継者は一人しかおらぬ。余が封じ込めてやった性質を解放して、帝国を混乱の渦に巻き込むか? なあ、ウキリベリスタル。お前の《息子》もそうだが、エターナ似の王太子の多いこと
―― ……

△▼△▼△▼△▼△▼△


 《取引とは?》
 《ん? こんな子供の居る前では語れん取引だ。ウキリベリスタル》
 《はっ!》
 《皇太子を連れて行け。そしてデキアクローテムス、他の夫達も呼んで来い。そして皇太后、お前は部屋で処罰を待て》
 《畏まりました、陛下。それでは殿下、このアルカルターヴァと共に》

 秘密なのか? アルカルターヴァ

「ラグラディドネスは死んだようだな、ウキリベリスタル」
「はい。四王で処刑いたしました」
「ふむ。では余の生母を殺害した王の一人である貴様に、良いことを教えてやろう」
「……」
「ザロナティウスの暗示を解く方法はもう一つある」
「……」
「ザウディンダルが両性具有だと知ることだ」
「……」
「巴旦杏の塔に設置した”あれ”が教える形にしたのは、お前に都合の良い時に教えられるようにした為だ」
「あ、ありがとうございます……」
「精々頑張って、ザウディンダルが両性具有であることをザロナティウスに隠せよウキリベリスタル。そしてお前の息子を皇位に就けようとした時に解き放つが良い」
「ご存じでしたか」
「上手く行けば良いな、ウキリベリスタルよ。余はお前をずっと見守っておるぞ。ずっと、ずっと、ずっと、ずっとな」


**********


 シュスタークの性的嗜好はディブレシアによってねじ曲げられていた。
「四公爵よ、驚いているようだな」
 四人は互いに顔を見合わせ首を振る。
「だがこれにはそなた等の父王たちも関係しておる。そこにいるデウデシオン、余の異父兄が帝国摂政になったことにな。そなた等の父たちが当時私生児であったデウデシオンが摂政の座につくことを黙認した理由だ。デウデシオンが帝国摂政でなければ余は女に一切の興味を示さないと、ディブレシアはそなた等の父たちに暗示をかけていた」
 実際シュスタークにかけられた暗示は《男に興味を持たないようにする》こと。
 ウキリベリスタル以外の真実を知らなかった先代三王たちは《デウデシオンが摂政でなければシュスタークは女に反応しない》と暗示をかけられていた。
「そして父たちは、自分たちの誰かが摂政の座に就けば《暗示が解ける》と言われた。余はこの容姿もあり、誰もが危険を冒す気にはならなかったようだ。その判断が正しかったのかどうか? 教えようと思ってな。余の性的嗜好は男性だ。男を好み、両性具有を好む。女には一切興味はない」
 ディブレシアは立場ごとに似ていながら根本はまるで違う暗示をかけていた。その階級の者が拒否したいことと、譲っても良いことを絡めて暗示をかけ、それは見事に発動し続けてここまで来た。
 驚く者たちの中にいて、ザウディンダルとカルニスタミアだけは驚いてはいなかった。
 黄金の通路を挟んだ向かい側同士、誰もがシュスタークの方を向いている時に二人は目が合い頷く。
「陛下、よろしいでしょうか」
「なんだ? ランクレイマセルシュ」
「陛下は思い出されたのですか?」
 ランクレイマセルシュはディブレシアと同じく暗示を操ることができるので《帝国摂政》が暗示の開始あるいは解放ポイントになることは解るが、同時に《帝国宰相》が暗示の開始、解放のポイントにはならないことも理解している。
 皇帝が十八歳になった時点で、摂政の役は終わりとなるので確実なポイントとして設置することが出来る。対する宰相は皇帝が任じる必要があり、それが摂政から続くという確証はなく、確実に任じられるものではないので、暗示のポイントとしては役立たない。
 だからといってデウデシオンを宰相にするという暗示をかけておけば良いというものでもない。摂政から宰相に任命するとなると、摂政を終えてから宰相にしなくてはならないのだから僅かながら《空白》が生じる上に宰相は摂政と違い、任期が定まっていないので解放ポイントの設置が不可能になる。
 デウデシオンが帝国摂政から帝国宰相と役職が変わったのは、八年も前のこと。その頃からシュスタークの暗示が外れていたとはとても考えられなかった。
「解放ポイントは二箇所あった。一箇所は今言った通りで、二箇所目は父たちも知らぬことであろうな。ザウディンダルが両性具有であることを知った時に解けるようになっておった」
「……」
「これは勝手な予想だが、デウデシオン。ディブレシアはそなたにも暗示を施しておったのだろう。余がザウディンダルのことを知ったらどうなるか? という暗示をな。その暗示は残酷なものでそなたは余にザウディンダルが両性具有であることを隠す必要があった」
 デウデシオンは口に手をあてて、自分の中にあったシュスタークに対する「不信」を探った。シュスタークを誰よりも知っている自分が、ザウディンダルのことになると沸き上がってくる不協和音を奏でる感情。
 全てがディブレシアからもたらされた物ではないとは解っていても、幾つかは《生母》が植え付けていった物としか思えない。

―― ああ、そうか。そういうことか!
《エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル、どうした?》
―― 説明する。聞いててくれ!

「陛下!」
「どうした? エーダリロク」
「発言をお許しいただきたい」
「なにに関してだ?」
「陛下の暗示に関することです」
「良かろう」
「陛下、暗示の解放ポイントが二箇所設置されていた理由はお気づきになりましたか!」
「それは解らぬな? 用心ではないのか?」
「用心などではないでしょう。ディブレシア帝のかけた暗示の一つは陛下が十八歳になられた時には解けていたことでしょう。帝国”摂政”にかけた暗示です。ここで暗示が解けては困る者が居たと思われます。それが誰かは陛下はご存じかと」
 帝国摂政はシュスターク以外の者の手によって定まるが、帝国宰相は皇帝が任じる必要があるので、暗示解放ポイントとしては確かではなく設置する筈がない。

―― 秘密なのか? アルカルターヴァ ――

 シュスタークの頷きに、
「この者に関しては言いませぬ。ですが二箇所目が外れたのは一年近く前のことです。なぜ今になって?」
 エーダリロクが再度尋ねる。
 困る者とは、先代テルロバールノル王ウキリベリスタル。カレンティンシスを上手く巴旦杏の塔へと押し込み、カルニスタミアに王位を継がせる時間が必要であった。
 それには最初の暗示であるデウデシオンの摂政在任期間、十五年は短すぎた。
 ウキリベリスタル以外の三王は、焦りは感じていたがウキリベリスタルのような裏がなかったので、普通に皇帝の正妃を見つけることに頭を悩ませていただけだった。
 彼ら三王の寿命もシュスタークが十八歳になるまでは続く筈だったのだ。エヴェドリット王ガウダシア以外は、普通に生き抜くつもりであった。
 だがガウダシアは誰もが予想した通り戦死し、ウキリベリスタルはデウデシオンに暗殺され、バイロビュラウラは己の無性遺伝子により寿命変更が起こり急死し、ファンディフレンキャリオスは皇君オリヴィアストルの手で殺害され、全員が寿命を迎えずに死亡した。
 《シュスターク帝が男に興味を示さない》
 さほど力のなかったデウデシオンを排除しきれなかったのは、これが大きかった。
 四王はシュスタークが十八歳になるまでに、デウデシオンが帝国摂政の座を失う前に、全てを終わらせようとしていたのだ。
「エーダリロク。余もかなりロヴィニアであったようだ。疑い深く”実際にこの目で確認”するまでは信じられなかった。それが奇妙な暗示となって余を支配しておったのだ」
 巴旦杏の塔にいた《ティアランゼ》から語られたことを、シュスタークは信じ切ることができず、暗示の残骸が精神のそこかしこに突き刺さり、完全にかかっている時よりも情緒が不安定になる……はずだった。
「……そうでしたか。私の発言はこれで」
―― ディブレシアはこれも予想の範囲内だったんだな
《気が狂いかけることがか?》
―― そうだ。完全に解けない暗示が精神を嘖む。あんたには覚えがあるだろう?
《ある……まさか》
―― そうだ、ディブレシアの中にいる《あんたの一人》から手に入れた情報を、陛下に使ったんだ。でも陛下には……
《あの奴隷がいた》
 脆くはないが崩れやすく発狂しやすい”はず”であったシュスターク。
 だがその時既に、シュスタークの傍にはロガがいた。
 壊れそうになるシュスタークをロガが支えていた。二人ともそれを解ってはいなかったが、ディブレシアの暗示に耐え抜き、
「デウデシオン。帰還途中にザウディンダルの身体を観させてもらった。見ただけで何もしてはいない。余を信じろとは言わぬ、だがザウディンダルは信じろ。よいなデウデシオン」
 暗示を消し去った。
「御意」
 シュスタークは帰還途中でザウディンダルの身体を見て、両性具有であることを確認し、そしてザウディンダルに自分が男性しか愛せない性質であったことを告げた。
 聞かされたザウディンダルは驚いたが、続く告白に今までと変わらないことを知って、嘘をつく必要もなかったので誰にも語りはしなかった。
「ここまでの発言を理解したな。では核心部分を語ろう。余は暗示が解けた今でもロガを愛しておる。触れたい……いや言葉を濁すまい。抱きたいという欲求を押さえつけている状態だ。だがなそれはロガだけだ。他の女にはそのような欲求が沸き上がることはなく、男に対してももう性欲は感じない。余は余を解放し理解した。その結果、余が傍におけるのはロガただ一人。この先いくら女を傍に置こうと無駄だ。王女が生まれ余に寄越したら躊躇いなく殺す。男性に性欲を感じることは同時に残虐性をも封じておった。余は四公爵との関係を損ないたくはない。よってここに宣言したのだ」
 己の嗜好も残虐性も誤魔化さずシュスタークは全員に告げた。
 何かを言いたい者達ばかりではあったが、誰も何も言うことを許されず、
「全員下がれ。余はこれから后と話すことがある」
 右手で払うようにし”下がれ”と命じる。
 自分を見つめているザウディンダルに頷き、デウデシオンを指さす。
 最後まで残ったカルニスタミアが頭を下げ、
「陛下。あのことを語らせていただきます」
「あのこととは?」
 一人だけ真実を知っていたカルニスタミアが、あることを告げるとシュスタークに言ったのだが、
「后殿下と初めて会った日のことです」
「……余には良く解らないのだが」
 シュスタークはその事を理解してはいなかった。
「そうですか。では後日。いまは皆を鎮めて参りますので。それでは失礼いたします」

 カルニスタミアも謁見の間から去り扉が閉ざされた。無言の驚きに溢れていた空間は穏やかさを取り戻し、シュスタークは肘を立てて頬杖をついて、
「ロガ」
「はい」
「来てくれ」
「はい。ナイトオリバルド様」
 全てを聞いていたロガを玉座の前へと呼び寄せた。


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