ALMOND GWALIOR −181
 デウデシオンはアシュレートの声に自分にしがみついているシュスターククローンを見下ろす。

―― 兄貴 ――

ザウディンダル、お前だけは幸せにするから……ここで狂っても……

―― 兄貴 兄さん 兄上 帝国宰相 兄さん 兄さん ――

 つい先程まで狂うかのような記憶が渦巻き、デウデシオンを支配していたのに、いま見えるのは”あの時の一場面”

「デウデシオン!」
「怒鳴らずとも……」
 狂気に溶けかけた脳を揺すり、億劫ながら返事を返す。
「……陛下」
 自分の足に全身の重みをかけているシュスターククローンに、過去にしたかったことを”する”

**********


 陛下の摂政に選ばれた直後、ザウディンダルが熱を出して危険な状態にあると聞いたが、忙しくて様子を見に行く暇などなかった。せめて顔くらい見せてやってくださいと世話と監視を命じたタウトライバに言われたものの、そんな余裕もなく一ヵ月が過ぎた。
「いつもと違うお庭が見たい」
 何処に行かれたことがないか解らないので、皇帝の父達に尋ねて向かったことのない庭へとお供させていただいた。
「デウデシオン! これは何だ?」
 見る物全てに興味を持たれ、次々と質問してくださる陛下に、
「申し訳ございません。不勉強で解りませぬ」
 全てお答えすることが出来なかった。
「陛下、帝国摂政でもわからないことはありますよ」
 膝をつき陛下と御話している時、視線を感じ陛下に気取られないようにその方向を見ると、病み上がりのザウディンダルがいた。

『あ、あの子……だれ?』

 窓硝子に手をあてたまま泣き出すザウディンダル。
 ”駄目だったろうか? クレメッシェルファイラ”
 “とっても良い名前よ”
 “ザウデード侯爵グラディウスのように幸せで、周囲も笑いが絶えないようになればいいな”
 “いつも楽しいよ、デウデシオン。デウデシオンと一緒だと楽しいよ”
 “本当にお前はいつも笑っているな”
 
「デウデシオン」
「どうなさいました? 陛下」
「余は知っておるのだ」
 陛下は摘まれた花を手に持ち、嬉しそうに話される。
「何がでしょうか?」
「そなたが余の兄であることを」
 その表情に蔑みもなにもなく、純粋に笑顔で言われた。
「私は陛下の兄では……」
「“しせーじ” なのが問題なのだそうだな。余が明日 “ぜんいん” を “しょし” と “にんてい” し “しゃくい” もさずけてやろう。だからデウデシオンは余の兄となれ」
 言わされている箇所は解ったが、
「本当でございますか」
「うん」
「ありがとうございます!」
 受け取れるのならば、認定してもらえるのならば!
「それで、余の頼みを聞いてくれるか?」
「何でも言いつけてください」
 陛下は手を差し出してきて、
「握手してみたい」
 そのように言われた。

  私はその手を私は握り締め微笑むと、陛下もにっこりと笑われた。
 ― ザウデード侯爵グラディウスのように幸せで、周囲も笑いが絶えないようになればいいな ―
 その対象はザウディンダルではなく、今手を握り締めている陛下でなくてはならないのだと。
 私はその為に摂政となったのだから。

陛下のご希望で手を繋いだまま庭を後にした。その姿をザウディンダルは見ていたであろうが。

**********



―― 兄貴 ――
 狂気や絶望の果てからいつもデウデシオンを連れ戻したのは誰であったか。
「陛下……私は……私はあのとき!」

―― 貴方の手を払いのけて、ザウディンダルの所へ行きたかった ――

 デウデシオンは立ち上がりながら、床を擦るように腕を動かし、拳でシュスターククローンの腹を狙うも、
「ざんねん」
 積年の感情の全てが篭もった拳は空を切った。
 ”慣れた”ステップでかわし、デウデシオンの間合いから離れた場所で口笛を吹く。
「かわすと思っていたさ」
「まけおしみ?」
「そうではない。そこで私の拳が当たったら、反逆せねばならぬ……」
 皇帝を嫌いで手を払いのけたかったわけではなく、ザウディンダルを嫌っていたから無視したのでもない。
 デウデシオンを狂気から救い出してくれるのはザウディンダル。狂気の傍へと追いやるのは、かつてはディブレシア、今はシュスターク。その両者の間でデウデシオンは均衡を保っていたのだ。
 昔から、そうだったのだ。
「デウデシオン」
 アシュレートは声をかけると同時にデウデシオンの頬を上から下へと殴りつける。
 口の端が切れて血が床に数滴零れ落ちる。
「なんのつもりだ」
「腑抜けだな。我の攻撃もかわせぬようでは頼りない。エダ、デウデシオンと共に征け」
 袖で口の端を拭ったデウデシオンはエダ公爵を見て頷き、
「メーバリベユも来い」
 シュスターククローンに狙われる可能性がもっとも高いメーバリベユ侯爵をも連れて、この場から脱出を試みる。
 シュスターククローンは神殿から外部に繋がる一本しかない道を既に陣取り、三人を嘲笑いながら見つめていた。
「もちろんですとも。私一人でこんな所から脱出できませんわ」
「生還率が最も高そうだがな」
 首を傾げ両手を楽団を指揮するかのように前に置き、シュスターククローンは歯を見せる。
 デウデシオンは立ち真っ正面からシュスターククローンと向かい合い剣を構えた。デウデシオンは背後のことは考えはしない。正面を突破し、メーバリベユ侯爵の腕をひいてこの場を脱出するだけ。
 後のことは《皇帝を殺害するために存在する一族》に任せる。信頼ではなく彼らの矜持に全てを預けて、作戦に復帰するのだ。
 床を蹴り最高速度で剣を突きつける。殺意は”ある”が、同時に避けられるだろうと思い、安堵していた。
 デウデシオンにとってシュスタークは最初から、死ぬその時まで皇帝なのだ。盲目的に従うような皇帝ではなく、叛意を持っても良心が痛まないような人物でもなく、苦労をかけてくれるが、それ以上の喜びを与えてくれる。
 デウデシオンにとってザウディンダルは《存在しなければ死ぬ》存在だが、シュスタークは《存在しなければ生きてゆけない》存在だ。
 鋒はシュスターククローンの服を斬り、その隙を縫ってエダ公爵はメーバリベユ侯爵を抱えて走る。
 突進し脇を抜けるような形になったデウデシオンの背後にかかる影。―― 足か ―― 風を切る音を聞きながら剣を持った腕を背にまわし、半円を描くようにして威嚇する。
「ライフル弾?」
 神殿通路の先からのライフル弾をエダ公爵はかわし、そのまま撃った相手のいるところまで下がった。
「バーローズ公爵」
「いけ」
「言われなくても」
 二人よりも遅れて来たデウデシオンとバーローズ公爵は無言のまますれ違った。

「この先どうする?」
 大宮殿はいま安全な場所などないが、開けた場所でエダ公爵は足を止めメーバリベユ侯爵を床に降ろして尋ねる。
「作戦通りに動く。メーバリベユ侯爵」
「はい」
「お前にはお前の作戦があるようだが? 何処かへ向かうのならばエダ公爵に」
「私の役目は貴方が裏切らないように見張ることです。ご一緒させていただきます、帝国宰相閣下」

**********


「なにをしている、ザンダマイアス」
「ティアランゼさま……なぜ此処に」
「何用だ」
「……予期せぬ仕掛けを発見したので、お知らせしようと思いまして」
「そうか。余は行く、あとは自由にするがいい、ザンダマイアス。ジルオーヌ作戦通りに動くもよし、簒奪するもよし。ではな」

**********


「艦隊戦では勝ち目無しか? リグレムス」
 帝星周辺に迫ってきた僭主艦隊と交戦しているのは「突撃速度の五倍の帰還速度」と揶揄されるロヴィニア王国軍。
「申し訳ございません、王。僭主の……」
 ロヴィニア王国軍の総指揮はロヴィニア王ランクレイマセルシュだが、彼は軍略に関しては知っていてもあまり動かせない。
 カレンティンシスと似たような物だが、一つだけ決定的に違うところがあった。
 彼、ランクレイマセルシュは全てを名誉ではなく、金で換算すること。それが一つにして大きな違い。
「長ったらしい説明を聞いてやるつもりはない」
 ロヴィニア王の異母弟リグレムス。彼は過去に一度、ケシュマリスタ僭主と手を組んでロヴィニア王を殺害しようと「考えた」ことがあった。話に乗る寸前にロヴィニア王の異母弟であることを選んだほうが”得”だとして、僭主を裏切り生き存えた。
「機動装甲の出撃を」
「許可するつもりはない。あれは金が掛かりすぎるし、敵が圧倒的戦力を前にして、全軍撤退しても困る」
 ランクレイマセルシュはハネストの一族が帝国の次代を担うことには異存はない。だが同時に自分の一族にも取り込みたいと考えていた。
 ザセリアバは入れ替えるのに「帝星襲撃部隊」を選んだ。これはハネストに近い血族が必ず組み込まれていることが解っているので将来的に王女を手に入れることが可能であることと、襲撃部隊の強さを欲してのこと。
 それ以外で血が濃いものをどうするか? ザセリアバは”ロヴィニア”に譲ることにした。売るのではなく譲るとしたのは、捕まえるのが面倒なため。
 売るとなるとエヴェドリット側で捕まえて血族の証書や、女性が生まれる保証書などをつけなければロヴィニア側が買わないことを熟知しているからだ。
 その点「譲るから自由にしろ」であれば、殺そうが捕らえてロヴィニアに組み込もうが、エヴェドリット側としては手間がかからない。
「ですが……」
 ロヴィニア側としても自らの裁量、どこまで節約して手に入れる事ができるか? その腕の見せ所でもあった。
「ふむ。帝国宰相の異母姉たちの艦隊はまだか?」
「もうじき」
 デウデシオンの父ダグルフェルド子爵は娘のフォウレイト侯爵と「孫」バロシアン、そしてセルトニアードとその恋人ギースタルビアと共に、四十年近くぶりに領地へと戻って、バロシアンの妻との対面、そしてダグフェルド子爵の妻の墓を参っていた。
 この時期だったのは、言うまでもなく帝星襲撃に対しての布石。
 フォウレイト侯爵の領地に、彼女の跡取りとなる少女と結婚するバロシアンが出向き、この二人の婚姻を簡易ながら認めるために、バロシアンの異父兄であるセルトニアードと、その恋人が従った。ダグルフェルド子爵のことなど、誰も気にもしていない。
 艦隊で向かったのはフォウレイト侯爵の経歴と、今までの騒動で「なにかあるかも知れない」と理由をつけてのこと。
 だがバロシアンもフォウレイト侯爵も軍人ではない。艦隊を動かすためには軍人がいる必要があるので、この二人が選ばれた。二人とも近衛兵で、指揮はできないが階級上は総司令になることが出来る。
 セルトニアード一人で事足りるのだが、ギースタルビアが伴われたのには理由があった。彼女が元ロヴィニア僭主の投降者であること。
 投降者の常として彼女はロヴィニア王に忠誠を、試されていた。今回の彼らとの同行もその一環だった。
「ふむ。ではそろそろ私が動くとしようか」

 柔らかく波打つ黄金の髪。白く透き通るような肌。優美な顔立ちが露骨なまでの執着心を振りまき、まるで別の物へと変わってゆく。

「この世に金に換算出来ぬ物はない」


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