ALMOND GWALIOR −125
 宮殿に連れて来て以来、ずっと一緒に寝ていたのだが……
「少々出てくるが、心配しないで先に寝ていてくれ」
「はい」
 余が自由になる時間は……皇帝にしては結構あるのだが、ロガに心配をかけないでとなれば、ロガが眠りに就いた後しかない。ただロガと一緒に寝ると、余の方が先に寝てしまったりするので……まあその……不甲斐ない。
「フォウレイト、頼んだぞ」
「はい」
 ロガの寝所のことは任せて、余は部屋から出た。

**********


 シュスタークが出ていった後、ロガはベッドに横たわりブランケットで顔を隠した。フォウレイト侯爵は皇帝の命に従い、ロガの枕元に椅子に座り控えていた。
 本来、皇帝や正配偶者の寝室で”控える”場合は、直立のままでなくてはいけないのだが、ロガが気にするので、椅子に座らせることにしていた。
 奴隷として生活してきたロガに、近衛兵が一晩中直立不動で待機し、召使いもすべて起立している部屋で寝ろというのは酷というものだ。
「……」
 耳を澄ましたフォウレイト侯爵は、ロガがブランケットの中ですすり泣いていることに気付き、部屋に控えている者を全て下げて、優しく方に手を置いた。
「后殿下。どうなさいました?」
 泣いていることが気付かれたと知ったロガは、体を縮めてブランケットを強く握り締める。
「お顔を見せて下さいとは申しませんが……一人で泣かれて済むことですか?」
 ロガの答えはない。
「陛下がお戻りになるまでには、泣き止んでくださいませ。陛下がお戻りになったとき、后殿下が泣かれていては、陛下より后殿下のことを信頼して預けられたこのフォウレイト、陛下に会わせる顔がありません」
 ロガの丸まっている背中を優しく撫でながら、フォウレイトは自分の娘くらいの少女に、なにもしてあげられない自分の無力さに苦笑した。
 ロヴィニア王に皇帝の状況を説明しおえたメーバリベユ侯爵は、部屋からフォウレイト以外が下げられたと聞き、
「解りました」
 寝室へと向かう。
 身の回りの世話を任された侍女が、下がれといっても通常であれば近衛は下がらないが、彼女の異母弟は帝国最高権力者の呼び声高いデウデシオン。
 命令を聞かないわけにはいかない。
 ロガの身の回りに配置された者たちは、女官長と近衛兼務の侍女の意見が対立した場合、どちらを優先するべきか? 非常に悩んでいた。
 今のところは仲は良いが、彼女たちの背後に存在する「ロヴィニア王」と「帝国宰相」は「皇帝最優先」ではあるが、全てが同じ意見ではない。両者は自らの利権を得て、皇帝を補佐しているのだ。立場の違う二人は、利権が同じくなることは少ない。

 奴隷の正妃を挟んで、両者が対立しないことを願いながら、彼等は職務についていた。

 椅子に座っているフォウレイト侯爵に、泣きながら抱きついているロガの姿。驚きはしたが、動揺を見せずに礼をして近付く。
 泣いているロガの傍に膝をつき、メーバリベユ侯爵はロガが語ってくれるのを待つ。”迎えられた”その日から今日まで、ロガは一度も泣いたことはない。
 我慢強いのか? 無理をしているのか? メーバリベユ侯爵としては「両方でしょう」と認識していた。
 ロガは我慢強くて打たれ強いのか? 我慢強いが打たれ弱いのか? 実は無理をしていて、本当は全く我慢などできず、ストレスに弱いのか? 
 家臣一同は「我慢強くて打たれ強いロガ」を期待してしまうが、果たしてそうなのか?
 メーバリベユ侯爵は自らの「人を見る目」を、全て信じているわけではないが、使えて数ヶ月だが「期待してもよい性質」の持ち主だと感じていた。
 ただそれと、泣くのは別。
 泣くことは問題ではなく、泣いた理由や、その後。泣いて陰鬱に過ごし、皇帝にまで心配をかけるか、それとも自分で打開策を見出そうと行動するか。
 それはメーバリベユ侯爵にとっても重要であった、打開策を見出そうと行動に移す際に、信頼して事実を語るに”値する家臣”と認識してもらえたか否か?
 ロガはフォウレイト侯爵から離れ、ブランケットで顔を拭いて、
「ナイトオリバルド様のために何もできないのが……辛い……んです」
 泣いた理由を語り出した。
「いっつも、私のことを心配してくれるナイトオリバルド様が、困ってるのに……私、何もできない……なにかできること……」
「陛下が心配なのですね?」
 ロガは涙を浮かべたまま、ブランケットを握り締めて何度も頷く。
「陛下のご心痛の理由が解らないことも、辛いのでしょう」
 深く頷いた。
「私以外の人は……ナイトオリバルド様が悩んでる理由を知ってるのに……私だけ知らない。バロシアンさんが”陛下に理由は聞かないで下さい”と言いましたし、ナイトオリバルド様も聞いて欲しくなさそうだから……でも、でも……」
 ”ハーダベイ公爵バロシアン”の突然の登場に、侯爵二人は顔を見合わせ、互い頭を軽く振る。ロガの話しぶりでは、本日会って会話したとしか思えないが、面会希望もなければ、会ったという報告もない。
 皇帝は正妃が自らの異母兄弟やその息子たち、男性家臣たちと会うことに関し、疑いなど微塵も持っていないが、周囲はそうも言っていられない。
 後ろ盾のない血筋どころか、足を引っ張ってしまう血筋である「奴隷」
 奴隷正妃は噂一つで、最悪の事態に陥る可能性もある。
 そのためロガが他の男性と会うことは、相当に制限されていた。もちろん、皇帝もロガ本人もそのことは知らないが、制限されている方も理由は理解しているので、特別不平などは出ていない。

**********


 ロガはまだ波のように悲しさが襲い涙がにじむが、それをぐっと堪えて、
「ホットチョコレートですよ」
 メーバリベユ侯爵が作ってくれた、暖かいカップを受け取る。
「メーバリベユ侯爵のホットチョコレートは本当に美味しいですわ。ホテルで出されている物よりはるかに美味しくて」
 息をかけて舌をつける。
 ロガはずっと”貴族は料理など作らない”と思っていたのだが、自分の傍にいる「元皇后候補」メーバリベユ侯爵は料理も文句なく上手い。料理だけではなく裁縫から軍事に金融まで、ロガにしてみると出来ないことなどないかように感じられる。
「いかがですか? 后殿下」
 湯気の向こう側にいる癖の強いややくすんだ銀髪と、灰と緋の瞳のメーバリベユ侯爵が尋ねる。
「美味しいです」
 ”何でも出来るって凄いな……”と感動しながら、ロガはもう一度息を吹きかけて、少し口に含む。
 ホットチョコレートを必死に半分ほど飲んだところで、ロガは自分が落ち着いたことに気付いて、少しだけ落ち込んだ。
 暖かくて甘い物を飲んだだけで落ち着いてしまった自分の”あまりの”単純さに落ち込んだのだ。

―― でも、奴隷だから雑草のように打たれ強くないとね!

 せっかく落ち着いたのだからと、顔を上げて「悩みを明日に持ち越さないためにも」相談に乗ってもらうことに決めた。
「あのですね……何からお話ししたらいいでしょうか……」
「私はハーダベイ公爵閣下とお会いした辺りのことを聞きたいですわ」
 その様にメーバリベユ侯爵に言われたので、得に気にすることもなくロガは話はじめた。

「葉っぱで覆われている所から少し離れたところを掘っていたら、バロシアンさんが来て私に気付いて、近付いてきて聞いたんです”陛下は巴旦杏の塔の中に?”その時まで私、あの葉っぱいっぱいの建物が、巴旦杏の塔っていうの知らなくて”あれは巴旦杏の塔って言うんですか?”聞き返したら教えてくれました」
 
「私は巴旦杏の塔がなにか解らないので”陛下はその中にいますよ。私はここではありませんが、待っているように言われました”と答えました。そうしたら”陛下に塔の中でのことは聞かないでください”って」

「私はどう答えようか悩んだんですけど、ナイトオリバルド様が恐いお顔で入られたから、聞かない方がいいかもと思って”はい”と答えたんです。答えた後にバロシアンさんは私の格好を見て”何をなさっていたのですか?”と聞かれたので、正直に穴を掘っていたと答えたら、不思議そうな顔をされたので……」

 「まとまり」こそないが、いままで「すらすら」と喋っていたロガが、躊躇った。

「どうなさいました? 后殿下」
 言葉は悪いが、そこに食いつかない女官長ではない。

「あとでお話します。それで、泥が付いた服を誤魔化す方法を考えて貰って、木登りすることに」
 メーバリベユ侯爵としては知りたい事の一割も聞けてはいないが、聞き方さえ間違わなければ、知りたいことは全て的確に答えてもらえるだろうと。

**********


強くなってきた夜の風に揺れる葉の音は、不安をかき立てる。エーダリロクはそんな事は気にせず、夜の闇に昼間よりは確りと見える、青白い光に指先を”かけた”

**********


 自分では話し終えたと考えたロガは、残りのホットチョコレートを一気に飲み干してフォウレイト侯爵にカップを渡した。
 そしてメーバリベユ侯爵から受け取ったタオルで口を拭き、カップを置いたフォウレイト侯爵にリップクリームを塗って貰う。
「香りだけでも楽しんでください」
 ロガはメーバリベユ侯爵が次に用意した、暖かいハーブティーを受け取り、手の内側にある可愛らしいカップから立ち上る湯気に目を細めた。
「まず后殿下にお聞きしたいのは、なぜ地面を掘り返していたかです」
「……わ、笑わないでくださいね」
「笑いませんよ」
「信じてもらうとは思わないんですけど」
「いいえ、信じさせてください」
 そしてロガは恥ずかしさに近いような、でも全く違うような感情を押し込めて語り出した。
「あのですね……幽霊がいたんです。ナイトオリバルド様によく似た幽霊が」
「陛下に”よく似た”幽霊ですか? あの辺りに”出る”ことのできる幽霊で、陛下に似ているとなると、オリバルセバド帝などでしょうかしら」
 《幽霊である》と信じた場合、場所からして皇帝の以外はないだろうと思い、シュスタークとそっくりと皇帝の名をメーバリベユ侯爵は上げたが、
「それは違うのでは」
 フォウレイト侯爵は否定した。
「どうしてですか? フォウレイト」
「オリバルセバド帝でしたら后殿下は”よく似た”ではなく、”そっくり”と言われる筈ですよ」
「あ……そう言えば」
 オリバルセバド帝とシュスタークは「外見だけ」は全く同じといっても良い。ナイトベーハイム帝も容姿の基本は同じだが、そちらは「初代皇帝 シュスター・ベルレー」の髪型を模し短髪であった。
 そのため一瞬見ただけでは”よく似ている”とは誰も思わない上に、普通その容姿を見たものは”シュスター・ベルレーに似ている”と言う。以前のロガならば”ナイトオリバルド様に似ている”という可能性もあるが、今は一般教養範囲内の帝国の歴史を学んでおり、初期皇帝の顔と名前は確りと覚えていた。
「あの、違うところは目の色が左右反対だったんです。ナイトオリバルド様のお顔で見慣れてるから、すごい違和感があって直ぐに気付いたんです」
 侯爵二人は”よく似た皇帝”には、全く心当たりはなかった。それらに関しては後で調べればよいと、聞くことを続ける。
「なるほど。それで、その幽霊はなにを?」

 皇君やタバイを見抜いたロガの洞察力でなければ、左右の瞳の色の違いは解らなかったでろうし、なによりも”よく似ている”ではなく”そっくり”と評したに違いない存在。

「私にまるで”付いてきて欲しい”と言うような身振りをしたので、付いていったんです。そして少し離れたところで地面を指さしたので、そこに埋まってる人なのかな? と思って、枝を折って……あ、ごめんなさい。勝手に枝折っちゃって」
「枝を折る行為は確かに良くはありませんが、人助け……この場合は幽霊助けとでも言うのかしら? 助けようと思った行為からの行動ですから、問題などありません」
「それで掘ったんですけど、なにも出てこないんです。そうやって掘っているうちに、バロシアンさんがやってきて……バロシアンさんには見えなかったんです! バロシアンさんの隣に立ってるんですけど、全く気付かなくて……途端に不安になったんです。私だけにしか見えてないのか、私が変になっちゃったのかなあ……って。幽霊が見えるって騒いで、おかしくなる人の話とか聞いた事あるから」
 先程の空白は”これ”であった。
 ロガにははっきりと見ているのに、バロシアンは気配すら感じない。
 その事がロガを不安にさせた。
「女性にしか見えない幽霊だったのかも知れませんよ? 陛下に良く似ているということは、男性の可能性が高いですし、女性だけにその姿を見せたい人だったのかも」
「そ、そうなんでしょうか……バロシアンさんが、私とナイトオリバルド様が来たのとは”反対方向に帰ったのを見送ったあと”しばらく掘ったんですけれど、何も出てこなくて。ナイトオリバルド様にお願いして、掘る道具を貰おうかなと思ったんですけど……それどころじゃないみたいで。なんか私一人だけ変なことしてるなあと思ったら、哀しくなってきちゃって……」
 
 周囲が事実を教えてくれていなかったことを知り、遭遇した不可思議な存在の有無の危うさに、一瞬にして不安になったのだ。

「あの辺りは暗黒時代の初期に、爆撃で地形が変わったと、私の夫セゼナード公爵から聞いたことがあります。元はあの辺りに湧き水があり、小川が流れて、レモンが鈴なりだったと。もう少し開けていて、開放感のある空間だったそうですけれど、それも全て無くなったそうです。とうぜん地面も抉れてしまって、土を別の所から運んできてならしたと聞きました。幽霊はおそらく地面が抉れたことも知らず、そこに本当に”ある”のかも解らない状態なのかもしれません」
「あ……」
「大丈夫ですよ。セゼナード公爵に調べていただきますので。あの人は、あの辺りの管理者。何かが埋まっていたとしたら、今の今まで気付けなかったあの人の責任になるので、内緒にしておいてくださいね、后殿下」
 内緒にして下さいというメーバリベユ侯爵の意図に気付かないロガではない。
「……はい!」
 自分が語った事を吹聴はしないからと、遠回しに言ってくれていることが解って、徐々に笑顔となる。
「それはそうと、后殿下は幽霊を恐いと思いますか? 正直に答えてください」
「いいえ。住んでいたところが墓地でしたから、幽霊とかは恐くないです」
「それは良かった」
「どうしてですか? メーバリベユさん」
「皇君宮、いずれ后殿下が住まう予定の宮なんですけど、幽霊話があるのですよ」
「え?」
「長い歴史と、それ相応の暗い閉ざされた過去がある宮ですから、幽霊話を作るのには事欠かないのですけれども……幽霊退治の方法を調べているのですけれども、決定打はなくて。武器を作って倒せるものなら、夫に作ってもらって、大親友のデファイノス伯爵にでも撃ってもらえば済むことなんですけれども……どうしました? フォウレイト」
「実は私、幽霊の類は大の苦手でして……どうしましょう」
「だ、大丈夫ですか? フォウレイトさん。ゾイも嫌いだったんだけど、嫌いな人は本当に嫌いで」
「あの、后殿下に心配していただくのは……」
 話は”恐い話の忘れ方”となり、ある程度のところで会話は打ち切られた。
「后殿下ともっとお話していたいのですが、陛下がお戻りになったときに眠っていないと、陛下が心配してしまうでしょうから」
 メーバリベユ侯爵に言われて、
「はい。ナイトオリバルド様にご心配をおかけしないためにも、私寝ます」
 ロガはベッドに横たわり、ブランケットを自分で引っ張り上げる。
 本来はかけられるのを待たなくてはならないのだが、今日は特別に。
「お願いいたします。フォウレイト、陛下が戻られるまで后殿下に」
「はい」
「それでは私はカップを下げて、大至急夫を幽霊捜しに向かわせますので。幽霊と言えばやはり夜ですから、急いで教えてあげないといませんから。失礼します……おやすみなさい、ロガ后殿下」
「お休みなさい! メーバリベユさん」

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《神殿の何処まで入るつもりだ? エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル》
―― 深層まで行こうと思ってたが、巴旦杏の塔のこともあるから、万が一のことを考え以前帝国宰相と話をしていても安全だった表層で止める。ディブレシアが”R・S・T・I”に細工を施せるとは思っていないが、途中に何かが仕組まれて、生きて出てこられなかったら困るんでな


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