ハーフェズと主、野宿する

「おはよう、ハーフェズ」

 一般人が畏怖し、触れることを躊躇うメルカルト文様で覆われている目蓋を手でこすりながら、ラズワルドは先に目を覚まし、一足先に起きて窓を開けていたハーフェズに朝の挨拶をする。

「おはようございます、ラズワルドさま」
「昨日は夜更かししたな。眠いよ」
「そうですね。随分と夜更かしした気がします」

 まったく夜更かしなどしていないのだが、当人が夜更かししたと思っているのだから、なんの問題もない。

「さて、バフマン爺さんを見送るとするか」
「そうですね」

 埋葬前の祈りに並ぶ前に食事を取ることは禁止されているため、二人は腹を鳴らしながら礼拝堂へと向かい祈りを捧げ、そして埋葬場所まで付いて行き、墓穴に埋められ鎚をかけられてゆく棺に声を送る。

「バフマン爺さん、またな・・・!」
「ありがとうございました、バフマン爺さん」

 埋葬を終えてから二人は朝食を取り、寝具を受け付けに返し、

「返金額間違ってるぞ。宿屋が間違ってどうする」

 空になった水桶も食堂に返してから、羊肉の香草焼きとピタパン、ミントとコリアンダーを二人分注文する。

「ピタパンはちょっと強めに焼いてくれ」
「畏まりました、公柱」

 運ばれてきた料理の一人前を二人で分けて食べ、残りの羊肉とミント、コリアンダーをナンに挟み、持参してきた荒い麻布で包み鞄にそっと入れる。
 これは夕食までの間に腹が空いた時ように準備したもの ―― この時代は食事は朝と夜の二食が一般的。
 昼食を取る者も居るが、そう言った者は総じて金持ちである。
 庶民は日の出と共に活動し、まだ日の明かりが残っている間に夕食の支度をして食べ終え、完全に日が落ちたら寝る生活。食事を作るのにも時間が掛かるので、昼食を作っていと家事が立ちゆかないので、必然的に二食になる。
 だがやはり日中腹が空くことはあり、その際は果物などを摘まんだり、朝食の残りを食べたりすることもある。
 二人は後者、朝食の残りのピタパンに具材を詰めて、歩いている途中でもすぐ食べられるよう準備をし、水筒に水を足して、二人は帰るために墓地を後にする。

「もう少ししましたら、驢馬車が到着しますが」

 棺を運んできた驢馬車に乗って王都に帰るのが一般的なのだが、

「歩いて帰る」
「今日は初めての野宿ですよねー。ラズワルドさま」
「楽しみだな」

 二人は今日中には王都に到着しない予定である。

「ありがとうございました、武装神官さん」
「達者でな、武装神官」

 麦わら帽子を被り、手をつないで二人は来た道を引き返す。

「露天商を冷やかすぞ!」
「お菓子とか、買っちゃだめですか? ラズワルドさま」
「買っていいぞ」

 二人は道ばたの草花を眺めたり、露天の商品を手に取り値踏みをしたり、水筒が空になったので水を買って水筒を満たし、小腹が空いたので、道ばたに腰を降ろして持ってきた朝食の残りを頬張り、ハルヴァを一かけ購入して味を楽しむなどして、気ままに時間を過ごした。

 墓地詰めの武装神官が離れたところから見守っていたが、二人は全く気付いてはいない。そして地平線を傾いた太陽が染め始めたころ、

「明日の朝ご飯のハルボゼメロンを手に入れた!」
「今日の晩ご飯の、羊肉の串焼きと、乾燥ゼレシュクを手に入れました」
「串焼きは少し残して、朝ご飯にしような、ハーフェズ」
「はい、ラズワルドさま」

 露天商で夕食と朝食を購入し、野宿するための場所を捜すため、二人芝生の広がる街道の脇へと入った。街道の両脇は下草が広がり、まばらに樹木が生えている。
 王都に程近いここで野宿をする者も多いので、所々に野営のたき火跡などが残っていた。

「どこで寝ようかな」

 二人は低木の隙間を抜け街道から離れてゆく。

「平らなところがいいですね、ラズワルドさま」
「そうだな。地面は平らに見えても、意外と平らじゃないからな」

 話ながら野営地を捜す二人の背後に力強い馬蹄が近づき、馬の嘶きとともに声を掛けられた。

「ラズワルドではないか」

 ハルボゼメロンを抱きしめていたラズワルドは聞き覚えのある声に振り返ると、そこには馬に乗っている、ファリドとシアーマクがいた。

「二人どうしたの? 早く帰らないと、城門閉まるよ」

 この頃既にラズワルドは、王都に滞在している神の子とは、全員と顔見知り。その中でも特にヤーシャール、ファリド、シアーマク、アルダヴァーンとは頻繁に会っていた。
 シアーマクはその名の通り黒髪シアーマクで、肩に掛かる程の長さ。母方が西のラティーナ帝国の方から来ているので、顔だちはやや西側寄り。額のメルカルト神の紋章は、額の上半分から髪の生え際まである。

「ファリドと二人で少し遠乗りしたら、こんな時間になってな。急いで帰る理由もないから、この辺りで野宿しようと思ったら、街道から外れて小さくなってゆく二人を見つけたのさ。なあ、ファリド」

 馬から軽やかに降りたシアーマクが、持参した水筒で喉を潤しながら事情を説明する。

「二人も野宿するの?」
「そうだ」

 もっとも説明の内容はほぼ嘘 ―― ラズワルドとハーフェズが野宿するとヤーシャールから聞き、精霊王の守りが付いているとはいえ、子ども二人きりにするのは不味かろうと、遠乗りで遅くなったと装い、一緒に過ごす算段を立ててやって来たのだ。

「じゃあ気を付けてね!」

 ラズワルドの素っ気なさに、わき上がってきた笑いを堪えてシアーマクは話を続ける。

「ラズワルド。俺たちも野宿に混ぜてくれないか」
「いいけど。晩ご飯とかないよ?」
「それなら心配はない。なあ、ファリド」
「遠乗りついでに、狩りも楽しんできたのだ」

 馬から下りたファリドが積んでいた革袋を地面において手を突っ込み、頭が切り落とされ内臓が抜かれ羽根が毟られた野鳥を見せる。

「どっちが狩ったの?」
「羽根を毟ってしまったので、はっきりとは分からないな」

 ファリドが地面に置いた袋の中には、下処理された野鳥が三羽ほど入っていた。
 四人の野営地は、先ほどよりさらに街道から少々離れた、馬をつなぐのにちょうどよい太さを持つ木が生えている所にした。
 二人が手綱を木に括り、馬に餌を与えている間に、ラズワルドとハーフェズは薪を拾い集め、野鳥を焼くために精霊を呼び火を付ける。

「……はい! 火付いたよ!」
「相変わらず、見事なものです」

 火打ち石を持っていたファリドは、瞬く間に起こった火に感動する。この力を彼らが見たのは始めてではないのだが、何度見ても驚かされるものなのだ。

「本当に凄いな。だがラズワルド、たしか薪がなくても火をともせると聞いていたのだが」
「分かってないな、シアーマク。肉を美味しく焼くためには、薪が必要なんだよ。なーハーフェズ」
「はい。一回精霊だけで焼いたら、なんか変な味になりました」
「そういうものなのか。もっとも普通の精霊使いは、精霊の力だけで鳥を丸ごと焼くことはできないらしいが」

 ラズワルドとハーフェズは、鳥の丸焼きが出来上がるまで羊肉の串焼きをつまみ、鳥が焼き上がると、ファリドが取り分ける。

「ラズワルド、ハーフェズ。どこが食べたい」
「腿肉がいい。掴んでかぶりつくんだ! ハーフェズも腿でいいよな!」
「はい」
「分かりましたよ」

 まだ熱い焼きたての鳥をファリドが掴み身から腿を引きちぎる。

「さあ、食べなさい。遠慮はいりませんよ、ハーフェズ」
「……ありがとうございます」

 綺麗に整えられヘナで染められている形の良い爪と、無骨さとは無縁にしか見えない手のひら。青き薔薇の君と讃えられる花の顔で、焼けた鳥を素手で無造作に開く。

「胸骨を開きますね、シアーマク」

 開かれた胸から立ち上る湯気と芳香。そして、

「背骨を引き抜いておきますね」
「手間をかけます、ファリド」

 弾力を失った腱が千切れ、骨が軋むまもなく折られる。

―― この気持ち、なんて言うんだろう

 腿にかぶりついているラズワルドの隣で、ファリドの顔を見ながらもそもそと食べているハーフェズは、幼さゆえに自分の気持ちを言葉にできなかった。彼が感じた気持ち、それは「顔と力強さが合っていません」 ―― 後々成長した彼は、的確な言葉を発見したが内心に秘めておいた。
 たき火を囲んでの会話は弾み、

「ヤーシャールから、錬金汁という飲み物があると聞いたのですが」
「あるよ。メフラーブが作る飲み物。色はフェロザーターコイズで綺麗なんだけど、味が酷いんだ」
「でも楽しみにしていると」
「色が綺麗だからな」
「飲んでみたいものですね」
「うちに来たら飲ませてやるけど、マズイよ。素直に薔薇水や橙花水飲んでたほうが良いと思うぞ」

 冴えない錬金術師が子どものために作る「作らないほうが良いのでは」と近所の人たちが思っている、危険な飲み物まで話題に上った。

 子ども二人は腿肉で腹がふくれ、大人二人は追加でもう一羽焼いて平らげ、皿を敷いて水で手を洗い、その水を馬に飲ませ、野宿用の厚めの絨毯を敷く。
 ラズワルドは鞄から薄っぺらい布を取り出し敷き、ハーフェズが持ってきた同じく薄っぺらい布をかけて休むつもりであったが、

「絨毯を二枚敷いた間に、その布を敷いて休むといい」

 並べて敷かれた絨毯の真ん中に布を敷き ―― ファリドとシアーマクに挟まれて眠ることになった。

「わあ、野宿ですよ。ラズワルドさま」
「そうだな。楽しいな! ハーフェズ」

 辺りが暗くなったので、四人は床に入る。地面に背中を預けた視線の先は夜空。闇に包まれているのにもかかわらず、満天の星が所狭しと輝き、空は煌めいていた。

「綺麗な夜空だな! ハーフェズ」
「メルカルトの子の瞳のほうが綺麗ですよ、ラズワルドさま」
「……そうか?」
「はい」
「そっか」

 布に潜り込み、そんな話をしている二人の両脇で風よけになっているファリドとシアーマクは違いの瞳を見つめ、少しだけ笑った。
 夜空が美しいか? 瞳が神秘的か? の話をしていた二人は、昨晩に引き続き夜更かしするのだと言っていたものの、やはりすぐに眠ってしまった。

「寝てしまいましたね」

 ファリドは自分の毛布をそっとハーフェズにかける。

「夏の入りとは言え、昼間じゅう歩き回っていたら、疲れもするであろう」

 反対側にいるシアーマクが、隣で眠っているラズワルドに同じように毛布を掛けた。乾燥地帯のペルセアの夏は暑いが、夜になるとぐっと冷える。

「そうですね……シアーマク」
「どうしました? ファリド」
「野宿って、楽しいですね」
「同感。是非とも機会をつくって、野宿しよう」

 ラズワルドやハーフェズほどではないが、シアーマクやファリドもこの野宿を楽しんでいた。

「ファリドが楽しんでいるのでは仕方ない。今回は譲りましょう」

 子ども二人旅の夜の守りのためにやってきた精霊王は、楽しげにしている子どもたち・・を見て、闇の中へと消え去った。