ハーフェズの主、現る

 その神の子が現れた・・・のは、ペルセア王国歴三一二年十一月、ペルセア王国王都ナュスファハーン。時は雪がちらほらと舞う夕刻のことであった。

「調べはついている!」
「大人しく捕まれ!」

 陽は落ちて、空に名残が残っている空の下、王都の北側の下町の一角で、捕り物があった。
 捕らえにきたのは神殿に仕える武装神官。捕らえられるのは、下町で私塾を開いている錬金術師メフラーブ。
 罪状は最近出回っている魔払香のまがい物の作成に関与したこと、錬金術と名乗りながら邪な魔術を行っているという二つ。
 自身が魔物になれば、魔払香の匂いを嫌う。よって魔払香を偽造している者は、魔術に長じ魔に身を染めている ―― この二つは必ずといって良いほど組になる罪であった。
 魔術や魔物が身近なこの世界において、魔払香のまがい物が出回るのは、生死に関わる問題。また魔払香に必須な没薬ミルラを売っている神殿としても、信頼そして信仰に直結する問題であり、厳罰に処される罪であった。

 変わり者として有名なメフラーブだが、嫌われてはおらず、また彼は信仰篤くはないが、同等に邪神を信仰して魔術を手に入れるような人間ではないことを、近所の者は分かっているのだが、神の名のもと武装し正義を行うべく現れた官憲には言い返すことができず、周囲を取り囲み成り行くを見守ることしかできなかった。
 これで頭が悪ければ「そんな筈ない」と叫ぶ野次馬もいたであろうが、悪いことに、メフラーブは頭が良かった。
 魔術というものは馬鹿には到底扱えぬものであるのは誰もが知るところだが、知性を必要とする錬金術師だと誰もが認めるメフラーブ。彼の知性は魔術の一つや二つ使えてもおかしくはないと、やはり誰もが認めるところであった ―― それに手を出す出さないは別として。

「どきな!」

 そんな騒ぎの中に、派手な赤い服をまとった一人の女が踏み込んできた。
 名はバーヌー。東の下町で宝飾店を営んでいる中年の女だが、バーヌーがそれだけではないことは、町の住人は皆知っていた。
 バーヌーは街中の困りごとを、上手く解決する達人で、問題があれば彼女に相談し、助けを求める。相応の代金は取られるが、バーヌーは見事に解決してみせる。

 殺気立つ武装神官たちの間に身を滑らせたバーヌーの腕には、白い狼の毛皮で覆われているものが抱かれていた。
 バーヌーは大股でメフラーブに近づき、その毛皮包みを手渡す。
 訳も分からずにそれを受け取ったメフラーブと、呆気にとられている武装神官たち。

「貴様、邪魔をするつもりか!」
「貴様も捕らえるぞ!」

 気を取り直し血気盛んな武装神官たちが威嚇するが、バーヌーは我関せず、馬鹿にするような鼻にかかった声で言い返した。

「あたしをなんの罪で捕らえるつもりだい?」
「我々の仕事の邪魔をした罪だ」

 槍を構える武装神官をバーヌーはあざ笑う。

「あたしは、間抜けなあんたたちを救ってやったんだよ。なんだっけ? メフラーブの罪は魔払香の偽造と、邪な魔術の研究に没頭し、当人も魔物になりつつあるだっけ?」

 バーヌーは笑いながら、メフラーブの腕の毛皮をはぎ取った。
 メフラーブの腕の中にいたのは赤子。それも普通の赤子ではなく、額が群青で覆われ子であった。
 遠目では群青だが、近くで見れば銀で神の意匠である幾何学模様が描かれているのは、ペルセアの民ならば誰もが知っている。
 周囲で見ていた者たちは歓声を上げ、槍を構えていた武装神官は、驚愕の表情に変わる。
 主神メルカルトの子は、全ての魔を退ける。魔に取り付かれた人間が、メルカルトの子に触れれば死ぬ。
 それは武装神官たちは、誰よりもよく知っていた。
 彼らは魔術を使う邪な魔道師を、確かな筋の情報を手に入れて捕まえに来た筈だったのに、魔道師と目されている男は神の子を腕に抱き、普通にしている。

「なんだい? メフラーブは魔術をつかっているだっけ? 誰だい、そんな嘘の情報を持ち込んだのは。そしてそんな嘘情報に踊らされて、怒鳴り散らしている馬鹿共は何処の誰だい」

 隊を率いてきた責任者が、槍と剣を部下に渡し、危害を加えぬ証しとして両手を頭の後ろに置き、ゆっくりとメフラーブに近づき、再び狼の毛皮に包まれた赤子の顔をのぞき込む。

「ところでバーヌー。これ・・どうするんだ?」

 そんな武装神官のことなど意に介さず、メフラーブは腕の中の赤子の処遇について尋ねる。

「そのメルカルトの娘。あんたの養女さ」

 覚えのない罪で捕らえられかけ、いきなり手渡された毛皮の中身が神の子。そして養子だと言われ ――

「分かった。名前は」

 メフラーブはある程度事情を察し、抱いた赤子を十歳まで育てることにした。

「そいつは、その子の父親であるあんたが名付けなきゃ。なんて名前にするんだい?」

 赤子の額を見た武装神官は、恐怖に引きつった表情を浮かべ、急ぎ彼らから離れ、隊を連れて脱兎の如く引き返した。
 そんな彼らに憎まれ口を叩くわけでもなく、完全な無関心を突き通したメフラーブ。彼は日の明かりが消えた群青が残る夜空を見上げた。

「ラズワルドだ」
「そいつは良い名前だね」

 こうしてラズワルドはメフラーブの養女となった。

「この子の親から預かった養育費だよ。全額だよ全額。がめついあたしだって、仲介手数料なんて取らないよ。あとは任せたよ」

 バーヌーは革袋を置いて立ち去った。変わり者で独り者のメフラーブは、十一月の新月の日の夕刻に、こうして父親になったのだが、彼が一人で赤子を育てられるなど、誰も思いはしなかった。

「今日はうちで預からせてちょうだいな」

 武装神官はいなくなったが、いまだのが引かぬ往来で、そう話し掛けてきたのは、メフラーブのはす向かいに住んでいる一家の妻だった。
 一週間ほど前に三人目の子を産んだ子育てに慣れている母親からの申し出に、メフラーブはありがたく頼んだ。

「ありがたい。明日には必要なものを用意して迎えにいく」
「ゆっくりでいいわ。あらおしめ濡れておりますね。いま直ぐに取り替えますので、お待ちくださいラズワルド公」

 はす向かいの母親は毛皮に包まったラズワルドを自宅へと連れてゆく。室内に入ると子どもの驚愕の叫び声が響いた。
 それを聞いていたメフラーブはバーヌーから渡された革袋を持ち自宅の二階へと上がった。
 彼の家は二階建てで、外階段で二階に昇るようになっている。

「すっかり暗くなっちまったな」

 ちょうど明かりを灯そうとしていた時に武装神官たちが訪れ、外から大声で呼びつけられそのまま外に出たので、室内は黒で染まりほとんどなにも見えなくなっていた。
 養育費が入っているとバーヌーから渡された革袋を放り投げ、手探りで蝋燭と火打ち石を探り当てると、それらを持って再び外へと出て芯に火を付けてから二階へと戻った。
 蝋燭を燭台に立て、それを頼りにランプに明かりを灯す。
 玄関側に置きっぱなしだった革袋を掴み上げ、クッションに腰を降ろして、養育費が入っていると渡された革袋それを赤色がすっかりと褪せた古びた絨毯にぶちまける。
 中から出てきたのは大量の銀貨と、大人のこぶし大ほどの袋が一つ。
 まずメフラーブはは革袋の中から転がり出てきた袋の中身を確認した。中身は金貨五十枚と宝石が八個と布にくるまれたもの。大事なものなのだろうと、注意深く中身を取り出すと王侯以外が身につけることは許されないであろう、豪華な首飾りが現れた。
 それは金製で大きな瑠璃ラズワルドが幾つもはめ込まれている。中心部の縁は錦糸を束ね端を瑠璃ラズワルドで飾った房飾りで覆われている。

「公柱の誕生を祝して作った……ってわけじゃないだろうし……まあいいか」

 一日や二日でできるような代物ではないので、実の両親のどちらかの家に伝わる逸品なのだろうと ―― メフラーブは布でくるみ直しため息をつく。

「銀貨は……数えるのも一苦労だな」

 言うも数える必要があるので、メフラーブは一山十枚を手際よく作りながら数える。銀貨の小山は五百を数え ―― それらを全て革袋に戻し、金貨と宝石が詰まっていた小袋も放り込み口を固く締め、ものが雑多に詰め込まれている納戸に放り込んだ。

「寝るか」

 半分ほどになった蝋燭を消しランプの明かりは残し寝床に入る。冷えきっている布団の中で、メフラーブは明日用意するものや、これからの生活について考えながら眠りに落ちた。


「メフラーブ! メフラーブ!」

 翌朝メフラーブは、扉を容赦なく叩く音と、少し離れた所に住んでいる筈の母親の声に、無理矢理起こされた。
 温かい寝具から身を起こし、上着を羽織り、白い息を吐きながら玄関へと向かう。

「なんだ、お袋に親父にリリまで。こんな朝早くから」

 玄関を開けると、そこに立っていたのは、荷物を抱えたメフラーブの母親と父親、そして一ヶ月前に生まれたばかりの長女スィミンを抱いている上の妹リリがいた。

「卵の配達屋からお前が養子を取ったって聞いたから、急いで準備して来たんだよ! 赤子はどこだい?」

 母親は息子のメフラーブを押しのけながらずかずかと上がり込み、赤子を捜す。

「はす向かいのおかみさんが、一晩預かってくれた。最近生まれた子と一緒に乳を飲ませてくれるそうだ」

 生まれたばかりの赤子は乳しか飲めず、乳を飲まねば死んでしまう。それもかなり頻繁に与えねばならず ――

「良かった。兄さんのことだから、そういうの気付かないで放置してるんじゃないかって心配で心配で」

 ぐずりだした我が子スィミンに乳を与えながら、リリが心からの安堵の表情を浮かべた。

「布はこっちで用意するから、おしめを縫ってくれないか」
「当座の分は持ってきたよ」

 父親が背負ってきた籠の中から、スィミンの為に用意していたおしめが六枚ほど入っていた。

「それはありがたい。お袋とリリがいるなら、連れてきてもいいか」
「あたしも一緒に行くよ。手ぶらって訳にはいかないから。ほら、さっさと案内しな」

 母親はメフラーブの朝食用の干し棗椰子が入っている籠と持参した毛織物のアフガンを手に、櫛を通していないぼさぼさ頭に髭がまだらに生えている息子の尻を叩いて急かす。
 メフラーブは欠伸をしながら、棚に無造作に置いていた銅貨を十枚ほど握り、母親を伴いはす向かいの家を訪問した。

「済みません、メフラーブです」

 扉を叩き訪問を告げると、すぐに扉が開かれ、家の主である夫が出迎えた。
 お礼を言おうとしたメフラーブだったが、母親に押しのけられる。母親はひとしきり礼を述べてメフラーブの朝食である干し棗椰子の籠をお礼にと差し出す。

「いえいえ、お礼など」
「受け取ってくださいな」
「いや、本当に。むしろ此方がお礼をするのが筋かと」
「……お礼。どういうことだい、メフラーブ」

 乳をくれた側がお礼をしたいと申し出る状況に、母親はメフラーブに理由を問う。

「見りゃ分かる」

 奥からやってきた妻の手には白い狼の毛皮。その妻にまとわりつく子供たちが、

「もう帰っちゃうの」
「うちにきてくれたんじゃないの」

 ”うちの子にしようよ”と ―― 口々に言う。

「残念ながらうちにお越しになったお方じゃないからな、ほら下がれカーヴェー、ヌーリ」
「はあい」

 父親に言われて子どもたちは下がり、

「驚かないで下さいね」

 家主の妻はそう言い毛皮をずらし、ラズワルドを母親に見せた。

「…………!」

 息子が迎えた養子が神の子だったと知った母親は、腰を抜かして玄関先に座り込んでしまった。干し棗椰子を受け取って貰い、メフラーブは母親に肩を貸し、ラズワルドは向かいの妻が抱いて家まで連れてきた。
 玄関先に母親を座らせ、ラズワルドを受け取る。

「困ったことがあったら、何時でも声を掛けてちょうだい。それではラズワルド公、また」

 帰り際に何時でもと声を掛けられ、メフラーブは握っていた銅貨を差し出したのだが、固辞されてしまった。

「どうも。少ないですが、これを」
「神の子にお乳をあげて、お金をいただくなんてできません」

 扉を閉めると、リリが顔を出した。

「母さん? どうしたの」
「メフラーブの娘が……」

 近づいてきたリリは、兄の腕の中にいる毛皮に包まれてる赤子の顔をのぞき込み、母親と同じく腰を抜かした。

「お前等なにをしにきたんだ」

 その有様を見てメフラーブはため息をついた。
 窓から朝日が差し明るい場所で見たラズワルドは、彼らが知る一般的な神の子とは比べ物にならないほど、大きな「メルカルト文様」を持っていた。
 メルカルト文様とは額に浮かぶメルカルト神の意匠で、大体は眉間を中心に眉にそって現れる。
 群青に銀で文様が描かれているのだが、通常額は肌色の面積の方が多い。

「兄さん、この子! だって!」
「いやいや、これだけ大きい文様を持つ公は初めて見たな。噂に聞くファリド公以上なんじゃないか」

 文様は大きい者と小さい者がおり、生まれ持った大きさが変わることは基本的には・・・・・ない。
 衝撃から立ち直り、今度は興奮している母親の手に抱かれているラズワルドは、額だけではなく、こめかみから目蓋、涙袋にまでメルカルト文様がかかっていた。それだけではなく、

「首の後ろまであるぞ、この子」

 頭部全体に耳朶、そして項まで全て群青で覆われ、メルカルト文様が描かれていた。

「これほどの子で、親がいないのならば、神殿につれてゆくべきだろう」

 メフラーブの父親は、あまりに立派な文様を持つ赤子ゆえ、間違いがあってはいけないので、神殿に預けたほうが良いのではと促す。
 普通親と死に別れた赤子は奴隷商人に買われ育てられる。だがメルカルトの子は、乳児期から神殿が養育してくれる。

「おそらく親はいる。その親が十歳まで神殿ではないところで育てたかった……子供の成長をひっそりと見守りたいんだろう」

 メルカルトの子は遅くとも十歳までに神殿に入るのだが、十歳までは当人が望まない限り神殿に入ることはない。
 当人が幼い場合は親の意見が重視される。力尽くで神殿に入れられるようなことはない。相手は神の子であり、神の子と縁のある人物に対して、神殿も貴族もそして王家も居丈高な態度を取ることはできないのだ。

「親いるのかい。それも優雅に見守れるような親が」
「銀貨がおおよそ一千枚に金貨五十枚。養育費だとさ」

 母親の問いにメフラーブは根拠を上げた。

「それなりの家のお嬢さんなんだね……神の子は大体貴族か大金持ちの家にしか生まれないんだっけ」
「この毛皮も立派なものだ。おそらく生まれてくる子のために用意したのだろう」

 リリと父親の言葉にメフラーブは具体的には答えなかったが、生まれて来る子のために、狼を仕留め毛皮を用意するのは貴族、それも武門の貴族の習慣。用意された養育費の額もそれを物語っている。
 これほど裕福な貴族であれば、出産か肥立ちが悪くて母親が死んだとしても、手元において養育するのには、なんら問題などない ―― ただし正妻であれば。
 ラズワルドの母親は正妻ではなく妾で、ラズワルドを産み儚くなり、父親である貴族は神殿に預けず、また正妻に事情を説明することもなく、十まで成長を見守りたいと考えてバーヌーに依頼した。

「色々あるんだろ」

 メフラーブはそう推察し、事実もそうであったが、彼はそれ以上は興味なく親が誰なのかなど調べることはなかった。またラズワルドも育ての親同様に、実の父母に興味を一切持たなかった。
 ラズワルドの両親が名乗りをあげることもなく、バーヌーは彼女の元へとつれて来た人物の名を誰にも語らず ―― ラズワルドは生涯メフラーブの娘であった。