3.皇子と王女 【2】
「これが海なの! 県令」
「そうですよ、朱」
 県令共に国を出た皇子は《朱》と名乗ることとなった。今皇子は国に残っている県令の息子の県尉であって、朱ではない。
 皇子は県尉に位を渡すことに異義はない。
 方伯国では男児しか国を継げず、皇子は踊り子であった母が妃となるために必要だったので皇子として育てられていただけであり、母が妃として万全の地位を得ている今となっては皇子が皇子である必要もなかった。
 それに突然北の大国から第十王女が送られてこなければ、皇子は県尉と結婚していたはずであった。
 互いに兄弟のように育ち、異性には思えない関係だが国のことを考えれば何れ皇子は事故か病で《死んだ》ことにされ、県尉が国を継ぎその妃に皇子が納まると、皇子を含めすべてのものがそう考えていた。
 死んだ前方伯も息子を引き止めるために踊り子の娘を皇子としたが、それは娘に男児がいたからこそ許したこと。
 男児である県尉がどんな形にせよ方伯国を継ぐことが前提であり、その伴侶が皇子であろうが北の国の第十王女であろうが代わりはない。
「県令、何度も聞くけれどいいの?」
「構いませんよ」
 県尉が国を継ぐのは解っていたことだが、それは《県尉が国を継ぐ》のであって《県尉が皇子に成り代わり国を継ぐ》ことではなかった。県尉が皇子となってしまえば県尉と県令は親子ではなくなってしまうだけではなく、県尉が消えてしまう。
 皇子も人生が消えてしまう道を歩まなくてはならなかったのだが、納得するまで時間がかかった。
 僅かながらも存在する自分の人生を断ち切り、ある日から別の人間となり同じ人達に違うように接する。折り合いをつけるのに、非常に悩みもした。
 だがそれで国が治まるのならと覚悟を決めていた矢先に降って湧いた結婚騒動。
 県尉に国を継ぐ覚悟はあったが、皇子になりかわり年上の大国の王女の夫となるとは思ってもいなかった。
「ところで朱、その格好のまま向かわれるのですか?」
「もちろん。今更女性の格好をする気にはなれません」
 もう男の格好をする必要はないのだからと県令は言うのだが、皇子は恥ずかしくていつも通り男装をしていた。
 国にいる時、母が内密に姫の格好をさせてくれたりし、父がそれを見て喜んだりしていたが、皇子はそれがとても恥ずかしかった。姫に戻ればしなくてはならない格好だが、男の格好の方が動きやすく何よりも自分に似合っていると感じていた。
「あれ? 行き倒れのようよ。県令、助けてあげなさい」
 そんな会話をしながら海沿いを進んでいるとき、皇子は行き倒れている異国人を助ける。
 小柄な異国人は金がつき、三日食べられないで動けなくなったと口にしたときに、一週間分の食事を平らげていた。皇子よりも小柄な女性の食欲とは思えない凄さに県令と皇子は目を丸くしたが、食べきった本人は何故驚かれているのかは解らなかった。
 小柄な異国人は助けてくれたことに礼を述べ、恩に応える金がないので代わりに占星術で何かを占って差し上げようと申し出てきた。
 南の国の占星術師は当たると評判で、城に向かえば直ぐにお抱えになることができ、金にも困らないはずなのにどうしてだと尋ねると、小柄な異国人は自分は悪い占い師を追ってきたのだと告げた。
「あなたが必要ですから」
 二人には意味が解らない言葉を発した後、淡々と語り始める。
 小柄な異国人は国を滅ぼそうとしている占い師を追ってきた。
 南の国で占星術を覚えた腕のいい占い師がいたのだが、その男が何時の頃からか吉兆ではなく凶兆ばかりを占うようになり、何時しか凶兆をさも正しいことのように告げるようになった。
 その行為は占星術師の地位を傷つけると国を放逐され男は何処かに消えた。事件はそれで終わったに見えたのだが、現在南の国で最も優秀な占星術師がこの大陸の凶を視た。
 その凶はこともあろうに南の国を放逐された占い師がもたらしたもので、本来ならば起こる筈のない凶。
 占い師は星の並びを無理矢理変え、災厄をその国に降らせた。かつて自分に占星術を教えてくれた男の凶悪な行動をなんとしても止めたかったのだが、彼は足が不自由で国から出ることができない。
「代わりに私が止めに来たのです」
 小さな異国人はそういい終えて、皇子の手を取り、
「災厄を止めるために必要な人と会うことが最初の目的でした。その人は ”男装の少女” 師匠が言った通りの方です」
 手を握りにっこりと笑った小柄な異国人を皇子は力強く握り返した。


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