水精姫の選択

【13】

 翌朝パルヴィはゆっくりと眠りから覚める途中、隣に誰かがいることに気付いた。大きな暖かな感触に触れながら擦れた声で問いかける。
「だれ……だれなの……」
「俺だ、パルヴィ」
 隣にヴォルフラムが寝ていることに気付き、すぐに覚醒してベッドから飛び起きようとしたのだが、腕を掴まれて押し倒され逃がさないように体ごとベッドに押しつけられてしまった。
「公爵……閣下……」
 息苦しさにもがくパルヴィの顔を見下ろして、悪戯心というには若干度が過ぎる遊びを思いついたヴォルフラムはそのまま行動に移した。
 鼻を指でつまみ、空気を求めている口を皮肉よりも残酷がよく浮かぶ口で塞ぐ。
 口付けられたなどという優しげなものではなく、命の危険を感じるほどの苦しさをもたらすそれに、持てる力のすべてで抵抗したパルヴィだが逃げることなど到底できず、恐怖を感じあの独特の涙を流して意識を手放しかけた。
「なにをしているのですか……」
 ゲルティ前王の出棺時間を考えてジークベルトが呼びにやってこなければ、窒息死まではいかないが、また意識を失うことになっていた。
「あなたと言う人は!」
 解放されベッドで跳ねるようにして息を求めるパルヴィの肩を叩いてヴォルフラムは立ち上がる。
「ほらほら、裸の王女さまの部屋にいちゃ駄目だろう王さま。王妃さまが怒るよ」
 目覚めから周囲のことに気をまわすことができず、いまも酸素を求めて喘いでいるパルヴィは自分が裸であることに気付いてはいなかった。
「うるさいですよ。侍女、あとは任せました。あなたも早く服を着なさい、ヴォルフラム
 そして隣に寝ていたヴォルフラムも裸であることも。
 部屋の入り口で待たされていたイリアは、ジークベルトの合図で部屋へとおずおずと足を運び、魔人二人を避けてベッドへと向かいまだ咳き込んでいるパルヴィの背中をさする。

「あなたは彼女になにをしたいのですか?」
「別に。ただ少し遊んだだけだ」
「あなたの遊びに付き合わされて、死にかかっている彼女の身になったらいかがですか?」
「そんなこと、俺が考えるとおもうか? ジークベルト」
「思いません」
 着換え終わったヴォルフラムと共にジークベルトは部屋をあとにした。

 石造りの暗い城の回廊を進み、棺が安置されている部屋の前で待っているハイデマリーと会う。
 ジークベルトの苛ついた表情と、殊更楽しそうなヴォルフラムの顔を見て、ハイデマリーは父親が部屋に連れていった王女の身に悪戯をしたことを感じ取り、自分付きの医者でもある薬師のテレジアを遣わすことにした。
「テレジア」
「はい」
「王女の部屋へ。治療してやれ」
「畏まりました」
 彼女が予想した「悪戯」は性的なことで、王女の純潔を興味本位だけで散らして、その現場をジークベルトに観られでもしたのだろうと考えていた。
 喪服の黒すら色褪せるほど艶やかな黒檀のような黒髪のハイデマリーが、すこし疲れたとばかりに溜息をつく。
 襟の高い喪服とまとめ髪の隙間からのぞく白い項に、ヴォルフラムは先程までパルヴィの口を塞いでいた唇を寄せて息を吐く。
 その息は攻撃的なもので、異形を前にした時に吐くもの。
「肌が粟立ってるぞ、ハイデマリー。調子悪いんじゃないのか」
「そうだな。王の薨去から今日までなにかと忙しかったから。この出棺の儀さえ終えれば少しは休める」
「無理をしなくてもいいんじゃないか? なあジークベルト」
 青ざめた白い肌と浮いた汗にジークベルトも部屋で休むように言い聞かせ、彼女は従うことにした。大事な身であることもそうだが、嫌な予感がしてならなかった。
 侍女たちと共に部屋へと引き返すハイデマリーを見送って、二人は出棺を行った。
 八名の兵士が国旗がかけられた棺を担ぎ上げ、剣を持った兵士が先導し、親族である二人は棺の後をついてゆく。
 城内を歩き回り働くすべての者が持ち場を離れ、廊下へと出て頭を下げる。そして城から出て首都の大通りへと向かう。
 大通りも城内と同じく人々が暗い色の服を着て並び頭を下げ弔意を表していた。ゆっくりと進む棺は用意されていた馬車へと乗せられ、運んできた兵士たちが馬車から離れる。
 白百合の花環で飾られた黒馬がひく葬儀馬車。
 棺の脇にヴォルフラムが立ち、馬車とともにゆき、ジークベルトは馬に乗り馬車をおってゆく。
 首都からすこし離れた場所にある王家の墓所には国内の有力者が待機しており、用意されていた穴に棺を降ろしヴォルフラムたちが二度ほど土をかけてから、墓守たちが浮浪者の遺体を埋葬するときと変わらぬ手つきで土を盛ってゆく。
 葬儀が終わり有力者たちも引き上げた新しい墓。
 残っているのはヴォルフラムとジークベルト、そして墓に土を盛った者たちだけ。
 ジークベルトはその者たち一人一人に自らの手で日当を払い、去るように命じた。墓には馬車を飾っていた白百合の花環がかけられており、それが風に揺れる。
「これで無事に葬儀も終わりましたね」
「そうだな。じゃあ俺もそろそろ領地に帰るとするか」
「そうですか」
「引き留めたりしないのかい、ジークベルト」
「あなたがいるとハイデマリーも疲れるようですし、ビヨルクの王女も酷い目に遭いますし。さっさと帰って欲しいです」
「そうかい」
 ひどい言われようだがヴォルフラムはとくに気にはせず、ジークベルトはもっと言いたいこともあったがこの程度で収めて馬に乗る。
「俺に歩いて帰れっていうのか?」
「平気でしょう? 城で帰りの馬車を用意しておきますから」
「そうかい。じゃあゆっくりと城に戻ることにするか」
「出発前にビヨルクの王女を連れて魔女に会いに行きます。それくらいの責任は負ってください」
 ジークベルトは返事を聞かずに馬の腹を蹴り、体調が芳しくないハイデマリーのもとへと急いだ。
 長い金髪を後ろで結い、黒尽くめの格好しているヴォルフラムだが、その笑いを浮かべている表情は墓所にあって異質であった。
 鳥のさえずりに笑っているのか、墓の下にいる冷たい死体に笑っているのか。それとも別のものに対して笑っているのか。
 彼は空を仰ぎ見て、墓所でしてはならないと言われている口笛を吹く。

「早く来い。汽水育ちの天族たち」

 羽ばたく鳥たちに天族を重ね見て、ヴォルフラムは口笛を止めてその口を大きく開けた。

◇◇◇◇◇

 急ぐことをせずに戻ってきたヴォルフラムは、正面からではなく馬車置き場から城へと入った。そこには用意されているはずの馬車はなかった。
「どうした?」
「王妃さまがお呼びです」
「そうか」
 階段を駆け上がりハイデマリーの寝室へとむかう。寝室のドアを無遠慮に開けると、そこにはハイデマリーと寝室のもう一人の主であるジークベルトが待っていた。
「親父」
 ハイデマリーは横になり少しは楽になった体を起こして手紙を差し出す。
「なんだ? ハイデマリー」
「フリーデリケが兄貴の手紙持ってきた、親父を首都にとどまらせておけってさ」
 兄のテオバルトからの手紙を差し出す。
「理由は」
 受け取った手紙にヴォルフラムは目を通すが、具体的な理由はなにひとつ書かれてはいなかった。
「さあな」
「フリーデリケはどうした?」
 理由を知っている可能性が高い義理の娘が何処にいるのかを、実の娘に尋ねるが、答えを返したのは義理の息子だった。
「ビヨルクの王女の見張りにつけました。私としてはすぐにでも帰って欲しいのですが」
 同じ色合いながら硬質さを感じさせる容姿を持つジークベルトの本心よりの拒否にヴォルフラムは笑う。
「そう言われたら残りたくなるじゃないか、ジークベルト」
 ヴォルフラムの容姿は硬質さはないが、柔らかでもない。
 ハイデマリーは父親を見ていると、不意に自分が深き森に置き去りにされたような感覚を覚える。樹木が日の光を遮り、木漏れ日だけが頼りの人は誰もいない深い原始の森。人間が足を踏み入れてはいけない禁忌の森に連れ込まれ、置き去りにされて苦しむさまを喜ぶような感覚。
 けっして悪い容姿ではないどころか申し分のない美丈夫だが、少しでも触れようとすれば引き込まれ、恐怖して逃げようとする後ろを追ってくる。逃げ切れないと知りながら、息を切らせて走り続けるしかない。
「あなたは本当に嫌な男ですよ。……で、テオバルトはどうしてあなたに残れと言ったのでしょうね」
「さあね。前国王の葬儀も欠席した男が首都に来るってんだから、かなりの重大事件かもな」