水精姫の選択

【02】

 山の中腹の湖畔に佇む硝子窓がはめこまれた大きな城。
 白く塗られた城は要塞としてではなく、勢力を見せつけるものであり、パルヴィの暮らしてた城よりもはるかに大きい。
 その化粧が施された城や手入れの行き届いた庭よりも、美しい湖にパルヴィは心を奪われた。
 パルヴィが暮らしていた城にも美しい湖はあったが、これほど美しい湖を見たのは初めて。
「……」
「どうさいまいした? パルヴィさま」
「どうしてかしら……懐かしいような気持ちに」
 懐かしさと同時に故国を旅立つ時の不安や、国境を越えた時の焦燥とは違う、だが似た気持ちに押し潰されそうになっていた。

◇◇◇◇◇

 気候的には暑さの増す季節だが、湖畔に面した城の庭園では、妖精と競うかのような少女たちが歓声を上げて走り回っている。
 それを室内から見ている男が一人。
「失礼します公爵。面会希望者が一名」
 公爵と呼ばれた男は、猟から帰って来たかのような軽い格好をしていた。城主であり公爵でもあるのに軽装を好み、一人で出歩くのを好むのがこの公爵の悪い所で、周りの者たちにいつも心配をかけていた。
「麗しい女性か」
 飛び回る少女たちを眺めていた窓から離れ公爵は、執事に人を食ったような笑みをむける。
「喪に服している時期ですからお控えくださいね」
「へえ、本当に女性かい? お前のことだから喪が明けるまで女は排除するかとおもったんだけどね」
「事情が事情ですから」
「事情?」
「はい。身罷られた大王の、度を過ぎたお戯れを覚えていらっしゃいますか?」
 公爵はここよりも南にある首都よりも更に南から取り寄せた、籐で編んだ椅子に座り、自分とは違いしっかりとした格好をしている黒髪の執事の表情から記憶を探り出す。
「もしかして、パルヴィとか言う王女か。……そう言えばそろそろ到着する時期だったな」
 公爵はその時のことを思い出した。
 王太子は他国の王女を金に物言わせ、コレクションに加えるといった王に酷く腹を立てていた。
 水精の落とし子を、飾り羽の美しい風鳥と並べて飾ると水晶で棚を作るよう命じる姿を見るのが、清廉潔白な王太子に辛かった。
 公爵は王を説得するように依頼されたことで初めて知ったのだが、公爵自身は『算段』があり反対はしなかった。
 反対しなかった理由を王太子に求められ、さきほど執事にむけたのと同じ笑みで語り納得させた。
 もしも公爵が反対していたのなら、王女を買う事は王も諦めていたことだろう。
「まあ、通しな。せっかくここまで来たんだからな」
「畏まりました」
「所で、噂通りになのかい? その王女」
「どうぞ、その目でお確かめください、公爵」
 公爵は無造作に束ねている長い金髪を解く。
「女性に会うまえに髪くらいは梳いておくか」

―― 水精の落とし子なあ……この湖にも水精がいたという記述は残っているが

 公爵の前に現れたのは、少し汚れてはいるが充分美しいという表現をして差し支え無い王女であり、奇異な容姿を持った少女。
「ビヨルク・パルヴィだな」
 身代わりを仕立てることのできない瞳の色を公爵は黙ってみつめる。
 パルヴィも自分が本物の王女であることを証明するために、視線を外さずに公爵を見つめる。

 時が移ろうのが、こんなにも遅いのは初めて――
 パルヴィは赤褐色の鋭い視線に震えながら必死に耐える。
 公爵の口元は笑っているのだが、瞳は冷ややか。公爵の噂を聞いていたから感じるものではなく、聞いていなかったとしても同じ恐怖を感じただであろうと。
 整えられてはいるが色の塗られていない爪が、手のひらに傷をつけるほど手を握り時が瞳の色を変えてくれるのを待つ。
「本物のようだな」
 赤から蒼に変わった瞳を見て公爵はパルヴィを認めた。
「挨拶が遅くなったな。俺はヴォルフラム、グリューネヴェラー公爵ヴォルフラムだ」
 椅子から立ち上がり、怯えているパルヴィに近付き頬に触れる。
 小刻みに震えていたパルヴィが身を大きく翻し逃げようとしたので、ヴォルフラムは腕を掴み耳元で囁く。
「どうして逃げる」
 笑いを含んだ声だが、その笑いは純粋な楽しさではなく、恐怖を感じさせるもの。
「申し訳ございま……」
 言い終えるまえにパルヴィは意識を失いヴォルフラムの腕に崩れ落ちる。ヴォルフラムは銀の髪をかきわけ、閉じてしまった目を指で触れると、鉱物の粉が付着した。
「噂通りのようだな」
 パルヴィの涙は宝石の粉が含まれていることでも有名であった。
 涙が価値のある大きさであったり、稀少価値があったり、砂金や砂銀などであったならば、もっと早くにヴェーラやベステーリが奪っていたであろうが、幸いと言うべきかパルヴィの涙は光りに輝くだけで含まれる鉱物も高価なものではなかった。