貴方に会えて幸せでした
赤と黒が目立つマントの後ろ姿が遠ざかるのを眺めながら、
「本当に変わらないのですね」
「そりゃそうだ。でもビーレウストはエヴェドリットにしちゃあ、良い方だぜ」
「分かっておりますわ。イデスア公爵殿下の遺産処理を私に任せると、しっかり遺言を書き直させましたね」
「おう、それは間違いなくやった」
本来であればエーダリロクのほうが長生きする筈であったので、遺言は「セゼナード公爵に遺産の処理を任せる」となっていたのだが、こうなってしまったので、その仕事は妻であるメーバリベユ侯爵が請け負うこととなった。
「そうですか。ではもう心残りはありませんね」
「そうだな」
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”子供達のこと頼む”
そんなこと言う必要なんてない。なにせ今まで彼女が立派に育てていたのだから。でも、
「子供達のこと頼むわ」
「お任せください。立派に育て上げますので」
「心配はしてないんだけどな」
「少しは心配してくださいませ、殿下。私は生粋の王族ではないのですから」
「いや、全面的に信じてる」
口に出して言ってみた。
背中の肉が裂ける音が響いた。肉が裂ける音は嫌なもんだ。痛みをほとんど感じないのが唯一の救いかな。
なんの手段も講じなければ痛みで絶叫を上げるところだが、薬が効いたらしい。
”帝国のこと頼む”
これも言う必要がないな。彼女は帝国に対する忠誠心は見事なもんだ。簒奪の気があるラティランクレンラセオの野郎より、忠誠心はずっとある。
でも、一応頼んでおこう。
「帝国のことも頼むな」
「はい。ご安心ください。帝国貴族として産まれより、一度たりとも帝国に忠誠を誓わなかった日はありません」
「解ってるんだけどな」
「声をかけてくださって、ありがとうございます」
血が逆流ってか、血管が破れだして、目立つ穴から血が滴り落ちだした。
耳や口、鼻、そして目からもか。痛くはないがひでぇ有様だなあ。体内の翼が蠢き、裂けた部分をより大きく開く。
ビーレウストのことは頼んだから、俺が死んでも幸せにな……これはちょっと違うなあ。そうだ……何度も言ったけど、最期にもう一度言っておこう。
「俺はお前のこと愛している、ナサニエルパウダ」
「私も愛しておりますわ、エーダリロク」
一つ目の翼が勢いよく体外に飛び出し、俺の意図に反して翼を広げる。数枚の羽が舞い落ちてきた。
正面にいるメーバリベユ侯爵の膨らんだ腹に、押しつけないように注意して額を乗せる。
「元気に育てよ」
腹の中にいる娘に、聞こえるかどうか解らないが声をかけた。
「もうすぐ産まれてきますわ」
「そうかよ……俺、他人が考えていること読めるんだけど、胎児の思考は読めないんだよなあ」
「お父さま、ありがとうございます。そう言っていますわよ」
「母親の特権ってやつ?」
「十ヶ月も体内で育てるんですもの。そのくらいの特権がなければ」
エターナ=ロターヌなら娘になにかを伝えられるのかな……翼が体を突き破ってゆく。これが広がったら最期だ。
腹部から頭を上げ、最期にナサニエルパウダの顔を ―― 予想通り、あんたは綺麗な笑みを浮かべてる。
澄み渡った青空。空に登った太陽。小鳥が飛び、蝶がゆらゆらと。
「空に舞わぬ純白の翼持つ銀狂の帝王よ。この花を見るたびにこの腕の中で死んでいった貴方を想う。そして……私は貴方に会えて幸せでした、エーダリロク」
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そして彼女は二人を送る。かつて神聖皇帝が帝王に贈った言葉で銀狂を。自らの言葉で夫を。
貴方の翼の下で泣く ”女” が 憐れと思うなら 貴方を見送らせて 青い空 消える貴方の全てを欲しいとは言わないから 言わないから 最後まで傍に居させて
「俺も……だ」
均等に広がった飛ぶことのできぬ四枚の翼がさざめき、血で染まった瞳は目蓋に覆い隠された。
Sub Rosa【完】