混凝土棺・1 - 少年残像≪後編≫
― 起きてくれ
《エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル、久しぶりだな》
― 久しぶりだろうな。かれこれ一年は眠りっぱなしだった。事情は俺から直接探ってくれ
《了承した。ディルレダバルト=セバイン末伯爵を止めるのか、良かろう……》
― どうした、シャロセルテ?
《エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルよ、ルクレツィアの末王も両性具有ということをディルレダバルト=セバインの末伯爵とお前は知ってしまったのか》
― シャロセルテ、あんた知ってたのか?
《知っている……エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエルよ、厄介だぞ》
― 何が?
《エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル、お前が命と引き替えにしてもかまわない親友であるディルレダバルト=セバインの末伯爵は、それに魅せられている》
― “それ” ってカレティアのことか?
《そうだ。ディルレダバルト=セバインの末伯爵はルクレツィアの末王に傾倒し始めている》
― それはとりもなおさず……
《私には解らないが “世界を敵に回しても味方したい“ それが親友なのであろう? エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル、お前はルクレツィアの末王を助けたいとディルレダバルト=セバイン末伯爵が言ったら手を貸してしまうのだろう?》
― シャロセルテがそんなことをさせないだろう?
《お前は私がディルレダバルト=セバイン末伯爵を殺そうとしたら、自殺するであろうが。私はまだ死にたくないよ》
「よく言うよ。もう死んでるってのに」
メーバリベユ侯爵は勉強していた。
デオシターフェィン伯爵を継ぐために、いずれはメーバリベユ侯爵を継ぐために日夜努力を惜しまなかった彼女だが、王族となりより詳しい帝国中枢の歴史を知らなくてはならない。その一つが僭主の網羅。
「ロヴィニア王家から出た僭主は七つ、これらの歴史は完璧と言いきれますが、エヴェドリットは約半数にあたる二十四……多過ぎですね。あの王家の性質からして当然なのかもしれませんけれど」
モニターを食い入るように見つめながら、それに語りかける。
いつもならそんなことはしないが、今は事情が違った。
室内にいる兵士に見張られた状態で、一人画面を眺め続ける。メーバリベユ侯爵は、ロヴィニア僭主ジュカイティアス一派に捕らえられ、監禁されていた。
「僭主狩りのための人質になる度胸はあるか?」とロヴィニア王に言われた彼女は、王子の妃として「あります」と答えて、その大役を引き受けた。
「ヒドリク王女の子孫が今のシュスターとロヴィニア王家、ディルレダバルト=セバイン王子の子孫が今のエヴェドリット王家で、マルティルディ王女の子孫……ではなくサウダライト帝の子孫がケシュマリスタ王家で、テルロバールノルは建国以来変わらずのルクレツィア王の子孫と。対立していたのは……」
人質になる覚悟はあったが、実際人質になり感じる恐怖は想像を絶する。それを気取られないように、彼女は捕らわれた際に「何をされるのか興味はありませんが、時間を無為に過ごすことはしたくはありません。私に知識を得る自由を与えてください」そのように申し出て、学ぶ自由は与えられた。
自分の声が怯えていないことを、自分で聞きながら彼女は《その時》を待っていた。必ず助けると語った「デファイノス伯爵」の言葉を信じて。
モニターに映し出される王家の歴史は、膨大な量では《ない》
暗黒時代に大きく失われてしまい、今再構築中でありそこに新たな歴史を書き足している最中。
「私が生きている間に完了するとはとても思えませんが」
いつか歴史が復元されることを願いながら、今この場で彼女は耐える。
彼女はあっさりと誘拐された。もちろん誘拐と知りながら誘拐されるのだから、お芝居をしなくてはならない。それに関して彼女は自信があった。
うまく誘拐された彼女は、主犯のシーゼルバイアを見て驚きの声を上げる。心の底からあげた声ではないが、彼女はシーゼルバイアを騙しきる事ができた。
「よくやったな、リオンテ」
彼女の誘拐に携わったのがリオンテ。
夫であるエーダリロク直属の部下が “王子の趣味のことで、公爵妃に折り入ってお話が……” と連れだし、そのまま僭主一派に拘束される形をとった。平民のリオンテの接触がもっとも彼女に警戒心をいだかせないだろうという計算からのこと。
「傷つけたりしないので、大人しくしていてくださいね」
シーゼルバイアのかけた言葉を無視し、リオンテは話しかける。
リオンテは彼女が「誘拐されることを知っていた」ことは知らない。ただこの作戦の指揮の一人であり、自分から僭主の情報を受け取り王達に伝えていたジュシス公爵から「公爵妃の身の安全を図る」ように命じられていた。
「身の回りのことはこのリオンテに命じてください公爵妃殿下」
シーゼルバイアの言葉に、彼の眼鏡の向こう側にある皇帝眼をにらみつけてから彼女は勉強する自由を得た。
リオンテを小間使い代わりにし、四人ほどの警備に囲まれながら彼女は自分は誘拐されても平気だといった態度を崩さずに七日間過ごし、八日目の夜がおとずれた。
閉ざされた彼女の監禁されている空間にも警報が鳴り響き周囲が騒がしくなる。
「何が起こったのですか?」
「ロヴィニア王国軍が攻めてきました」
「僭主狩りというわけですか。私はどうしたらよろしいのかしら? リオンテ」
彼女は警備達に囲まれ、リオンテの案内でシーゼルバイアの元へと連れて行かれた。
「予想通り、デファイノス伯爵か。作戦開始」
画面に映し出されている流線型フォルムの強襲揚陸艇。赤いそれにデファイノス伯爵の紋が大きく描かれている、対空警備を無効化する速度で突撃することができる揚陸艇。
垂直に落下してくるそれは地面に突き刺さり壊れながら上陸する。
「貴女を助けに来たのでしょうね」
「そうですか」
「デファイノス伯爵が辿り着けることはまずないでしょうが」
「どうしてか、理由を聞いて欲しそうですわねシーゼルバイア」
画面に映し出されている揚陸艇を眺めながら、二人は会話を続ける。
「ええ、私は無知な者に教えてやるのが大好きでして」
「では聞かせてもらえるのかしら?」
「デファイノス伯爵が遠距離銃撃を好む真の理由をご存じですか?」
「知りません」
「彼は血に酔ってしまう性質なのです。彼は血を浴びると、正常な判断能力が働かなくなるのですね」
「シーゼルバイア、貴方が知っているということは有名な性質なのでしょうね」
「そうでもありませんよ。王族でも限られた人しか知りません」
自分も限られた人間であると言わんばかりに彼は語る。
「貴女を救出するために必ず通らなくてはならないルートに大量の “血” を設置しておきました」
「駆け抜けられたら終わりでは?」
「トラップの設置はダバイセス。リスカートーフォンお得意の原始的なトラップですよ」
言いながらシーゼルバイアは設置されたトラップを彼女に見せた。そこに映し出されたのは生きている人、それに銃口が向いている。
「彼が扉を開くと同時に一斉射撃が開始されます。もちろん伯爵に向かってではなく、トラップに向かって」
その言葉に彼女は奥歯を一度強く噛み締めた後、
「それで私に見物していろとでも?」
何事もないかのようにシーゼルバイアに言い返す。彼女がもっと怯えるかと思っていたシーゼルバイアはいささか拍子抜けしたが、
「見たければどうぞ。見たくなくとも、音声はここに届きますので」
気を取り直して虐殺をお楽しみくださいと告げた。
リオンテに椅子を用意させた彼女は、画面を眺める。
出来ることなら見たくも聞きたくもないものであったが、直視して聞かなくてはなくてはならないものでもあった。彼女はただの貴族ではない、この先を王族として生きてゆくためにも、全ての現実を直視し事実に耐え、それを乗り越えてなくてはならない。
ビーレウストは周囲を見回して道を選ぶ。彼女の心音を聞き分けて、徐々に中心部へと近づいている。
一斉射撃により粉末となった人の血肉を浴びながら突き進んでくるビーレウスト。そのうち、手が震えだし右手に持っていた銃を捨てて左手の震えをさえ込みながら的を狙い撃つ。
「デファイノス伯爵は血に酔うと射撃の精度が落ち、最後には銃を持っていられなくなるのですよ」
「……」
それは恐怖の震えではなく、歓喜の震え。浴びる血肉と、踏みつける骨粉にビーレウストの意識は徐々に赤く染まってゆく。
だが自分でもこの状況はまずいと、ビーレウストはトラップの仕掛けられている最短ルートを避けてようとする。
「その耳の良さが仇となります」
言った後、シーゼルバイアは側にいた兵士に指示を出し、指示を受けた兵士は彼女の両手を拘束した。突然のことに驚いた彼女は声を上げられなかったが、画面に映し出されている震える手で銃を持っている黒髪の男は、動きを止めた。
「失礼しますよ、セゼナード公爵妃殿下」
言いながらシーゼルバイアは彼女の着衣をナイフで引き裂き、下着に手をかけて引き裂く。露わにされた張りのある乳房と、柔らかな陰毛に隠された性器。
声も出せず動きもとれなかった彼女だが、その音は全てビーレウストに届く。
トラップを避けて通ろうとしていたビーレウストは引き返し、その血の中へと突進を開始する。
「申し訳ございませんね。デファイノス伯爵をトラップに誘い込むためにも、貴女がどうしても必要だったのですよ。ほら、叫び声などを上げてくださると、もっとデファイノス伯爵は血の中へと誘われます。上げてください」
シーゼルバイアは彼女の乳首に吸い付き噛みつく。
「いたい……」
“ガシャン” その音が聞こえ、画面を見たとき彼女は少しだけ世界が滲んでいた。
画面に映し出されているデファイノス伯爵は、手から銃を落とし頭をがっくりと下げ、薬物中毒の禁断症状を思わせる程に震えている。
「狂ったか!」
シーゼルバイアはその有様を見ながら叫ぶ。
それに反応するかのように、ぴたりと震えが止まり頭をもたげる。せわしなく動く眼球と、口からあふれ出している唾液。
「いつ見てもおぞましい姿だな」
彼女も自分の胸が露わになっていることを忘れて画面に見入った。
正気を失った眼球の動きが止まり、同時に口の周りを長い舌が舐める。意識を失うかのように瞳を閉じ、次の瞬間に開かれた時、ビーレウストの右目は明るい空の下にいる猫の瞳のようであり、左目は闇夜の梟のごとき瞳となっていた。
「シーゼルバイアァァァ! ウォォォォォ!」