王と公爵妃・1 - 少年残像≪中編≫
母は何時も泣いていた。父も何時も泣いていた。
学校に通うと「貧乏貴族」と指差された。部屋が三つしかない、昔は父の屋敷の庭の一角にあった東屋。散策途中に休憩するために使われていた場所が私の家。
十歳の時に母が狂ったかのように泣き叫んだ。手紙が落ちていた、それを拾いあげて読む。
[新メーバリベユ侯爵 ナサニエルパウダを祝うために侯爵家に来い]
「私が継ぐはずだったのに! 私が継ぐはずだったのに!」
荒れた東屋で髪を振り乱して泣き叫ぶ母が、この侯爵家を継げるとはとても思えなかった。
みすぼらしい格好をした私と母と父は、迎えの宇宙船に乗せられてメーバリベユ侯爵領へと連れて行かれた。
母は本当に現メーバリベユ侯爵の一人娘だった。家名のない子爵であった父と恋仲になり、それを祖母侯爵に引き裂かれ、決められた相手と結婚する。その男性は八年後に死亡し、当時七歳のナサニエルパウダが残った。
父と母は私に侯爵家を継がせようとしたらしい。姉であるナサニエルパウダはデオシターフェィン伯爵を継ぐことが前提であったので、それだけで充分と……勝手に決めていたらしい。
だがナサニエルパウダはロヴィニア王子と知己を得て、侯爵家を継ぐ算段を整えてしまった。
『ロヴィニア王子に会わせてやったのは私なのに』と母は叫んでいたが、周囲の人達は馬鹿にして嘲笑っていた。嘲笑の対象になっても仕方ないだろうと、息子の私も思う。
会っただけでは、出会っただけでロヴィニア王子の知己を得て、尚且つ侯爵家を継ぐ協力などしてもらえる訳は無い。
そこまで母が整えてやったのならば、恩着せがましい発言をしても解るが……
「名前はなんと言う」
癖の強い灰色の髪の持ち主が私に声をかけてきた。
「リデランディスと申します、伯爵閣下」
母よりも、亡くなった父親に似ているらしいナサニエルパウダ。その態度と優雅さは居並ぶ貴族達の中で群を抜いていた。
類縁の頂点に立つ侯爵の後継者という肩書きなしでもわかる程に。この人が、あのみすぼらしい母の子とはとても思えなかった。血ではなく、育ちというものがあるのだと半分は同じ血を持つ自分は確かに感じた。
「ここに縁者一同を集めた理由解っておるな。メーバリベユ侯爵を孫であるナサニエルパウダに譲る。それに際し、幾つか必要なことがあるのでな」
毅然とした私の祖母に当たる人が口を開いた。
泣いているのは私の母だ、父は俯いたまま。
「ビレヌ男爵」
「はい」
「その方の実弟との結婚により、デオシターフェィン伯爵家の途絶は回避された」
姉の父親の兄か……結構な御歳のようだが確りとしている人だ。
「誠にありがたく」
「それでだが、折角整えたその方の息子との縁談、破棄させてもらう」
驚いたように顔を上げた、私の父に近い年齢の男性。あの人がビレヌ男爵の息子か。
「息子のデゥレライゼルトに何か落ち度でもございましたでしょうか?」
「落ち度ではない。これは新侯爵の我侭であり、まだ十七歳と歳若いデオシターフェィン伯爵に私が爵位を譲る理由でもある。ではデオシターフェィン伯爵、自ら説明せよ」
堂々としているナサニエルパウダは、立ち上がり、
「デゥレライゼルト卿、今日この日を持って私との婚約を破棄してください」
気負い無く彼に語りかけた。
「理由は」
「私は皇帝陛下の正妃となります」
周囲がざわめいた。
父や母はすっかりと貴族社会から取り残されているので何を言っているのか理解できなかったようだ。
私は貴族の決まりごともあまり知らないので、目の前の姉は『皇帝陛下のお妃になるんだ』と素直に受け入れた。それがどれ程のことなのか解らないまま、ただ純粋に憧れた。
「試験を受けられると?」
「違います」
「ロヴィニア王殿下の開く選抜試験を受けなくてはならないと聞きましたが?」
「受けるのではありません、絶対に受かり私は陛下の正妃となります。私はその自信があります」
姉の言葉にデゥレライゼルト卿は膝をつき、姉のマントの端を掴んで口付け、
「ナサニエルパウダ卿、今日この日を持って私のことはお忘れください。ですが私には貴方のことを忘れないでいる自由を許しください」
婚約破棄を受け入れた。
「私のことを忘れないでいて、妻を得そびれても知りませんわよ」
銀河帝国皇帝の正妃を目指す姉の笑顔は美しかった。
他の者達も姉に圧倒されたかのように頭を下げて、
「良いな、みなの者」
祖母侯爵の言葉に従った。
皇帝陛下の正妃になるには「デオシダーフェイン伯爵位」だけでは足りないと判断し、祖母侯爵に位を譲るように言ってきたそうだ。
母と父はその後、どこかに連れてゆかれた。
漠然ともう母と父とは会えないのだろうと、私は理解した。
「リデランディス」
「はい、伯爵閣下。いえ、侯爵閣下」
「ナサニエルパウダで良いですよ」
「あ、はい……」
「本日から貴方はこの侯爵家で教育を受けていただきます。皇帝陛下の正妃を目指す私にとって、有用になるものは全て使います。貴方は極貧にありながらも有能です。私の弟として侯爵家に籍を置くに相応しい。私が皇帝陛下の正妃になる為に、この屋敷に残って貴族としての作法を磨きなさい」
「喜んで」
それ以来、父と母には会っていない。