グィネヴィア[11]
「零して服を汚す人もいるから休憩スペースの近くには、着換え専用部屋が必ずあるんですよぅ」
 ジベルボート伯爵の説明を聞きながら、ウエルダは壁一面瑪瑙石で装飾された部屋へと入る。そこには既に儀典省の職員が五名、待機していた。
 大宮殿の部屋は一つの部屋に複数の出入り口が普通である。一つ一つの部屋が大きすぎるので、各壁に小さいながら出入り口を取り付けていないと、目的の場所に辿りつくまでに時間がかかりすぎる。
 身体能力から壁を破壊して行きたい側に行くこともできるが、そんなことをするのなら、最初から出入り口を作ったほうが良い。
 いまウエルダが入った扉から見て左斜め側の扉から儀典省の職員たちは、荷物を携えてやってきた。
「ウエルダさんのお着替え!」
 職員がケースから少尉の制服を取り出し、ウエルダが前ボタンに手をかけ、ジベルボート伯爵が両頬に手をあてて上目遣いに見つめる。
「キャス……恥ずかしいから、ちょっと」
 大きな瞳に可愛らしい唇。月色の髪を揺らして。
「えー気にしないでくださいよぅ」
「キャス」
 イズカニディ伯爵がジベルボート伯爵を捕まえて、ウエルダの視界から遮る。部屋から連れ出すことも可能だが、そこまでするとジベルボート伯爵が本気を出して必死になるので、この程度に留めていた。
「オランベルセ、はなしてくださいよぅ」
 本気ではない彼女の声を聞きながら、ウエルダは着換える。
「そうだ。ねえねえ、儀典省の暇な人」
 制服を運ぶだけなので、一人で充分なのだが、そこは人の数で勢力が決まる貴族。
 ウエルダに失礼がないように――ひいてはゾローデに対して失礼がないよう――五人の職員がやってきたのだが、当然、ほとんどが手持ち無沙汰となる。
「……」
「一番端っこにいる人、君だよ君。茶色と黒髪の間みたいな色の頭髪した、ガリガリな君。あのさあ、リケが汚したエリザベーデルニ王女の洋服って、金額にしていくらなの?」
「存じ上げておりません」
「そうなんだー。でもエリザベーデルニ王女が着てる服って、高価だよね。どのくらい高価なの?」
 声をかけられた職員は、端末を開いて調べる。
「そうですね……一着一着の金額は分かりませんが、被服費用合計額は上位でいらっしゃいます」
「なに当たり前のことを言ってるんだよ。テルロバールノル王族が洋服に金かけるのは、誰でも知ってるよーつまんないなー」
 儀典省の職員は貴族の中でもエリートといっても過言ではない。
 だからこそ、貴族間の勢力図などに詳しくイズカニディ伯爵に抱えられている、ジベルボート伯爵がどのような人物なのか? ウエルダ以上に知っている。

―― なぜこの平民少尉閣下は、よりによってこの性悪……いや……

 帝国騎士として帝国軍にも属する彼女の制服を作る際に、何度か会ったことがあるので、誰もが出来る限り気分を害さないようにしないと危険だと理解している。
「申し訳ございません……リケ・ターン大佐とケシュマリスタ王妃が出会った年の被服費用総額から儀式用被服費用を引き、またケシュマリスタ王妃は毎日新しい洋服に袖を通されることと、予備の洋服が用意されていることを考慮し、一年四百二十三日の倍で八百四十六着用意されているとして割ってみたところ、一着おおよそ三百万ロダス(約三千万)と言ったところでしょう」
(帝星の公転周期は一年十三ヶ月四百二十三日。他王家もそれと同じ)
「えー大佐の給料ってそんなに安いの? もう十年は働いてるよね。まだ返しきれないの?」
 ”一着三百万ロダスって高額ですよ”と、正しい平民思考で話を聞いていたウエルダは制服を着終え、儀典省の職員が最終チェックをするに任せていた。
「終わりました」
「ご苦労」
 ウエルダの制服を整えた彼らは、退出の挨拶をして早々に部屋を後にした。
「ウエルダ、もう少し待ってくれ。後の二人も、もう少しで来る」
「はい。あの……リケさんって本当に無給なんですか?」
「無給ではない。テルロバールノル王は無給で人を使ったりはしない。リケ本人が受け取らないだけだ……正確には受け取っているが、少額を実家に仕送りして、あとはエウディギディアン公爵に預けているそうだ」
「そうなんですか」
 両親と妹にはなにも告げずに故郷を出て、以来十年間、帰国したことはない。
「出来高制が好きなんですよぅ。農民の矜持だそうですぅ」
「出来高制?」
「殺した貴族たちの資産を奪ってるんですよぅ」
「えーと」
「語弊があるだろう、キャス。リケは”殺した貴族資産の何割か”をもらい、それで生計を立てている。だから裕福ではある。ただしその金でエウディギディアン公爵の洋服を弁償するつもりはない。これもみんな知っていることだから、ざっと説明すると、リケはキャスが言った通り”出した結果”で金が欲しいと考え、テルロバールノル王から憲兵になるように命じられ、仕事の説明を受けた時に――少尉の給料は要らないので、殺した相手の資産を下さい――と言った。当時のリケは王が平民に貴族を殺すように命じるなど、信じられなかった……ウエルダも信じられないだろう?」
「はい」
「話を聞いたテルロバールノル王は”しばし待て”と言われ、一週間後、リケを再び呼び出して大量の資料を広げて言われた”ロヴィニア王を殺害した場合は、やつらの総資産の一割りを支払ってやる”と。そして説明が始まった」
 テルロバールノル王はリケに本気の姿勢を見せた――テルロバールノル王は本気ではない提案などしないのだが、当時のリケにはそのことが分からなかった。また帝国上流階級の仕組みも。
 憲兵に処分された皇王族の資産は、すべて皇帝の元へと返り、てテルロバールノル王の懐に金は入ってこない。
 皇王族は爵位により資産の限度額が決められているため、
「テルロバールノル王は全額計算し、ご自身の資産で賄える範囲の割合を決めた。皇王族男爵なら三割、子爵も同じく三割。これはリケが一度に男爵から大公までの全皇王族を殺害した場合、テルロバールノル王が支払える限度額だと提示した」
「え?」
「皇王族の資産は陛下に返却されちゃうんですけど、その何割かをテルロバールノル王が支払ってくれるってことですよぅ」
「資産表を前にじっくりと説明され、あのリケも怖くなったそうだ――なんで俺、あんな提案しちゃったんだろう――とな。それだけで終わらないのがテルロバールノル王。帝国の全貴族の素行状態と資産状況から、支払える額を提示した。悪いことをしでかしそうな家柄のやつらは割合が低く、この長きに渡って帝国にありながら悪いことをほとんどしたことのない家柄の者は割合が高く設定されている。サベルス男爵がまずいことしでかしたら、総資産全額を払ってくれるそうだ」
 ジベルボート伯爵の夫の一族サベルス男爵家は、悪事に手を染めず、犯罪者を出すこともなく(二親等まで)続いた希有な名門貴族。
「僕の伯爵家は五割。サベルス男爵家よりも信頼されてないって感じです。腹立つけど、テルロバールノル王の眼力は確かだとおもいますですぅ」
「へえ……」
「俺の実家は結構な資産持ちで、エヴェドリットなんで二割だけどな。言い訳になるが”全額支払ってやろうではないか”とテルロバールノル王が言われたのは極僅かだ」
「サベルス男爵家が全額負担なのはいいんですけどぅ、ローグ公爵家が全額負担なのは、僕納得いかないんです」
「あの家は、悪いことはしないからな。王家に忠実なだけで」
「でもむかつくの!」
 テルロバールノル王の本気は自らにまで及んだ。
「テルロバールノル王家の場合まで算出してくださったそうだ」
「……」
「皇帝陛下と皇太子殿下に関しては、触れないように通達が出されている。そして最後に”儂の見立てが正しいかどうか? 儂の目が曇っておる可能性もある。貴様自身で見極めよ”……と。以降リケはリストと睨み合って、悪事を働いている貴族たちの素行調査をして、その正確さに感服しつつ仕事をこなしている」
「なるほど……」
 ウエルダは他に色々と聞きたいこともあったのだが、扉が開いた音に続き、足音が聞こえたので口を閉じた。
「唯一の例外は、アレですよ」
 その足音に向かってジベルボート伯爵が指をさす。その先にいたのは、グレイナドア――なのだろうとウエルダは解釈した。
 隣に並んで歩いているクレンベルセルス伯爵は、王家の本気の前には例外には含まれないだろうと。
「おはよう、ウエルダ」
 ウエルダも見慣れた准将の制服を着たクレンベルセルス伯爵と、
「おはようございます、バルデンズさん」
「貴様とは一時停戦だ。ありがたく思え、ウエルダ・マローネクス。だから、おはよう」
 見ることはあるが、間近で見る機会はいままで無かったロヴィニア王家の第一級正装。身長よりも長く裾を引きずる空色地のマント。図案化されたロヴィニア王家の花・鈴蘭が純白で大きく描かれている。この色調は、処女雪の如き銀髪と白い肌であったロヴィニアの初代国王が最も美しく見えるよう計算されたものなのだが、
「おはようございます、殿下」
 正反対とも言える色彩、褐色の肌に黒髪のグレイナドアにも非常によく似合っている。
「私は心が広いからグレイナドアと呼んで構わんぞ」
 ゾローデとは違い、美容師が整えた彼の顔に似合う、少々前髪が長めの短髪に、青い帽子を被り、白い歯を覗かせる。
「どうせまた戦端が開くんだから、殿下でいいじゃないか、グレイナドア殿下」
「クレンベルセルス……まあいい。では行くぞ! この私が案内してやる」

 なにがどのように例外なのか? 気にはなったが、すぐに気持ちを切り替えて皇帝との面会に全神経を集中させた。

**********


 途中までは側近の二人も付いてくることはできたが、皇帝と直接会う場所は二人は別室で控える。
 ゾローデの側近三名だけとなり、通されたのは湖の中心にある人造の小島。品種改良され花が咲き続ける藤棚と、一本だけ咲いているストック。
 下に飾り気はないが、高級であることがウエルダにも解る椅子とテーブルが置かれていた。
 藤棚も見事だが、湖の中にはウオーターヴァイオレットが咲き乱れ――帝国軍人でなくとも、この場所がどこなのかは大体の者は見当がつく。

 初の平民出身の皇帝正配偶者、軍妃と謳われた皇妃ジオ・ヴィルーフィと賢帝オードストレヴが逢瀬を重ねた場所である。

 皇帝はもちろん、帝国宰相も着席しており、
「よいしょ!」
 側近三人の中で、皇帝にも帝国宰相にも頻繁に会っているグレイナドアが、なにも聞かずに腰を降ろす。
 誰も注意はせず、だがその動きに倣うこともなく。
「良く来た」
 ウエルダは膝をついて頭を下げ、クレンベルセルス伯爵は右手を胸の前へと持ってゆき頭を下げる。
「わざわざ呼ばなくても!」
 受け答えはグレイナドアが担当。決めたわけではないのだが、身分的にこれがもっとも無難。
「会って話をしたかったのだよ、グレイナドア」
 皇帝とグレイナドアはかなり年が離れているが、祖母は同じ五十六代皇帝。
 また帝国宰相が”おじ”という点では同じ。違うのは皇帝にとっては”叔父”であり、グレイナドアにとっては”伯父”であること。
「そうなのか。二人とも、聞いて驚け! 私は皇帝と親戚なんだぞ!」

―― それは存じております……

 ウエルダは意味もなく噴き出しそうになり、
「知ってますよ、グレイナドア殿下」
 クレンベルセルス伯爵はいつも通り淡々と返事をする。
「なに? お前、知っているのか!」
「クレンベルセルスは上級士官学校を出てから、歴史編纂室にいたから詳しいのだよ、グレイナドア」
 優しい皇帝が、いつも通りのグレイナドアに優しく教えてやる。
「そうなのか! 歴史編纂すると、詳しくなるのか! ではウエルダは知らなかっただろう!」
「……」
 ここで知らないと答えるべきか? 知っていると答えるべきか? ウエルダは悩んだが、
「知っているに決まっているだろう」
「何故だ! 伯父上!」
「軍人だから……と答えておこう」
 人の悪そうな顔つきに、顔つきの何億倍も性格が悪い帝国宰相が代わりに答えてくれた。
「そうなのか!」
「ところで、グレイナドア」
「なんですか! 伯父上」
「お前、ウエルダに勝負を挑んでいるそうだが、なんで勝負するつもりなのだ? なんの勝負でも良いが、私と陛下が審判を下してやるから、ここで決着をつけろ」

 皇帝に会うだけだったはずなのに、無理難題を持ちかけられたウエルダ。だが彼が何かを言うことはできず――
「…………なんで勝負すれば良いかな?」
「やっぱり考えてなかったか」
 クレンベルセルス伯爵は胸元に置いていた手を滑らせ、左腕脇まで持ってゆき誰も見えぬ場所でVサインを作った。

―― 帝国宰相が良い人に見える!

 数多の悪人伝説を持つ極悪帝国宰相とは思えない、優しい語り口に、ウエルダは騙されかけていた。

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