グィネヴィア[06]
 戦争開始宣言のあと、ジベルボート伯爵から通信が来て、明日はイズカニディ伯爵ではなく彼女がウエルダを迎えに行くこととなった――

「少し出てくる」
 イズカニディ伯爵はマントをはおり、腰に剣を差して一人で邸から出た。邸を出て高い塀沿いに歩いていると、高い位置から呼ぶ声が聞こえた。
「リディッシュ」
「アーシュ」
 呼んだのはヨルハ公爵邸の屋根に座っているトシュディアヲーシュ侯爵。
 貴族街は各王国ごとに別けられており、大宮殿に最も近い位置に邸を構えているのは各国の王。王族は貴族街に邸は所持していない。
 エヴェドリット王の邸の両隣は言わずと知れたバーローズ公爵家とシセレード公爵家。
 その背後にヨルハ公爵邸、イルギ公爵邸が存在する。デルヴィアルス公爵邸はこれらの邸の隣。
 土地が少なく小さい邸――だが、このクラスの貴族ともなると、大邸宅といって差し支えはない。
「暇なら来いよ」
 手招きされたイズカニディ伯爵は、塀を乗り越え邸に近付き、室内には入らずに壁面を登り、侯爵が待つ屋根へ。
 屋根に座っている侯爵の手にはビールの瓶。
「ほらよ。もっと欲しければ、そこのケースに入っている」
 侯爵は銀色の小型冷蔵庫を指さしながら、先に取り出していたビールを差し出す。
「ありがたくもらう」
 イズカニディ伯爵は隣に腰を下ろし、ビールを受け取り口を付ける。アルコールに酔うことはないが、感じることはできる舌の上で蜂蜜色によく似た液体を味わう。
「ところで、どうしてこんな所にいるんだ? アーシュ」
「仕事が終わったから、一息ついてただけだ。実家に顔出したし、ウチの王にも顔みせてきたし、シアの勉強も見終わったしよ」
「お疲れさま」
「そう言えば、明日ウエルダを迎えに行くの、キャスになったんだって」
「ゲルディバーダ公爵殿下が顔を見たいそうだな」
「なんか、大騒ぎだったらしいぞ」
「なにが?」
「ウエルダは、ゾローデの親友だろ? だから帰還した直後に声をかけてやろうと待っていたのに、見つからなかったから――ウエルダ、人間としちゃあ大きいが俺たちの中だと比較的小さい部類だろう」
「まあなあ185cmほどだから……帝王が180cmで小柄と言われるのが俺たちだから、そうもなるだろう……って見逃したのか」
「俺たちが邪魔だったそうだ。特に前に立っていたドロテオは叱られて小さくなって……イグニアに叱咤されてなんとか立ち直ったらしい」
 ゾローデと会話に花を咲かせ――る前に、ウエルダが居なかったこと、実は自分が気付かなかっただけということを知り、ゲルディバーダ公爵は激怒する。

”僕が無視したみたいじゃないか! 僕、嫌な王族になっちゃったじゃないか!”

 降りる順番としては間違っていなかったのだが、そんなことゲルディバーダ公爵には関係ない。”ドロテオのマントのせいで見なかったんだ!”怒りの矛先を向けられた方は必死に宥めるが、聞き入れてもらえず。
 兄のエヴェドリット王も必死に宥め――途中でウエルダを呼びつけようという話になったのだが、イグニアことテルロバールノル王女エリザベーデルニが「それは下品な王族そのものの行動だ」と諫め、翌朝”ゲルディバーダ公爵が”時間を作り会うべきだと教えた。
 頬を膨らませて眉間に皺を寄せたものの、エリザベーデルニの意見は正しいと認め、ウエルダの予定は迎えにくる側近が違うだけで済ませた。
「さすがエウディギディアン公爵。相変わらず激励はセットじゃないんだな」
 凹んだエイディクレアス公爵に対しては「規範を守ったことを責められ落ち込むのはおかしい。なにを考えているのだ」――彼女はほとんど誰に対してもこの態度を貫く。
「イグニアに激励されたら、怖いだろうよ」
「たしかにそうなんだが」
 侯爵はビールを飲み終え、瓶を青紫の矢車菊に埋め尽くされている庭へと投げ捨て、新しいものを取り出す。
「ユシュリアとギュシュルアスが戦争始めたな」
 栓が開いたばかりのビール瓶から、ひっきりなしに炭酸の弾ける音が聞こえてくる。
「ああ」
 爵位争奪戦の火ぶたは切って落とされ、その報は全エヴェドリット貴族に通達された。
「ギュシュルアスが勝てるとは思わねえが。最初はお前に打診が来たんだよな」
「うん、まあ。兄は領地管理があまり好きではないからな。その点、俺は統治管理は好きだ。戦争してまで手に入れて管理したいわけではない程度だが」
「ユシュリアが取ったら、リディッシュの所に仕事持ち込まれそうだな」
「本当にな。でも、自分の領地なら、それなりに治めると……期待している」
「期待だけな」
「期待だけだ」

 強い夜風が吹き青紫の矢車菊が一斉に揺れる――

「エゼンジェリスタは期待だけじゃどうにもならないぞ」
 風で少し乱れた黒髪を抑えた侯爵は”まるで困った弟にむけるような笑顔”で、イズカニディ伯爵にはっきりと告げる。
「そうだな。ローグ公爵家は倒せない。エゼンジェリスタが悲しむなどではなく、軍事力が我が家の比ではない」
 ローグ公爵家はテルロバールノル王国において、王家の次に軍事力を保持しており、国内外で突出している。それはエヴェドリット上級貴族であるイズカニディ伯爵の実家であろうとも、太刀打ちできないほどの軍事力。
 この「貴族」と互角以上の軍事力を所持し”勝てる”のはエヴェドリットの双璧公爵家のみ。
「ははは……ローグは俺の実家と互角張るからなぁ。協力してやりたい気持ちもある。俺が管理できるならいいんだが、なにせ親父がな」
 侯爵の親父ことバーローズ公爵は、協力依頼を必ず引き受ける。だがそれは引き受けるだけで、あとは自分が好きに戦う。
 彼が引き受ける理由は、建国以前からの敵シセレード公爵にある。
 シセレード公爵家はナイトヒュスカ大皇より前線基地を預かった際、テルロバールノル王国軍元帥の地位が付属するようになった。
 侯爵のように実力で得たものではなく、爵位に付随するタイプ。他国の貴族になぜそのような階位がつくのか?
 その理由はナイトヒュスカ大皇が得た領域と、広大な前線にある。
 広げられるだけ広げられた前線は、帝国領にエヴェドリット領、そしてテルロバールノル領に跨る。前線を託されたのがシセレード公爵であったため、帝国領とエヴェドリット領は問題はなかったのだが、テルロバールノル王国が難色を示す。
 前線となったのは領はテルロバールノル王国内でもかなり大きい領域。ただ全てではなく一部であったのだが、前線にかかっている分だけ切り離し、帝国に差し出す――ことのできない、特殊な領でもあった。
 テルロバールノル王の一人がその領を”そのまま維持”するようにした。遺言で残すなどではなく、本人が生前から各国に働きかけ、三王と皇帝の許可を得て揺るぎないものとした。
 そのテルロバールノル王の名はカルニスタミア。彼が王弟であった頃の爵位ライハ公爵位と、恋人であったケシュマリスタ王の庶子に与えた「ベル公爵」位を合わせて「ベルライハ公爵領」とし、決して切り離すことも足すこともしてはならないと定めた。
 ”これを反故にするのは、帝国を拒否するに等しい”とまで言われるほど、周到にそして完璧に整えたそれは切り離せず、まして他国にくれてやるわけには行かぬとなり、結局「シセレード公爵が一時テルロバールノル王の家臣ともなる」妥協案で収めるに至った。

 いつまでも戦争を続ける訳ではない、必ずや終わらせてみせると――

 決意そのものは良いのだが、シセレード公爵が成り行き上テルロバールノル側に属していることで、バーローズ公爵はテルロバールノルに攻撃を仕掛ける機会があれば、そのままシセレード公爵を攻めることは、最早暗黙の了解にすらなっている。
 だからイズカニディ伯爵は迂闊に軍を借りることも、協力を要請することもできない。
 シセレード公爵は逆にローグ公爵を討つ軍を貸してやるわけにはかない。無論、シセレード公爵自身が討つのならば問題はないが、同属に貸すわけにはいかないのだ。領地の問題上、テルロバールノルの干渉が大きく、これでシセレード公爵が胡乱な動きを見せたら、前線の管理者はテルロバールノルに移される可能性すらある。
 それは帝国側としては避けなくてはならない事柄であった。
「いや……俺は欲張りでな、アーシュ。できることならエゼンジェリスタの心を傷つけることなく、殿下もご無事であって欲しいと考えている」
 イズカニディ伯爵は人殺しも争いも好きではないが、何かを得るために戦わなくてはならない時は戦える。だがそれは、本当に最後の手段であり、確実に勝てる策を得た時のみに行われる。臆病と取られるかもしれないが、イズカニディ伯爵は確実が欲しいのだ。それさえあれば、あとは何も要らない――
「それは欲張りだな。まあキルヒャーがローグ公爵姫なんて娶るから面倒なことになったんだが。ファティオラ様の母君のようには行かないぞ」
 ゲルディバーダ公爵の母親ハヴァレターシャは元皇太子。立太子されていながら、父であったナイトヒュスカ大皇が退位する際に、当人も廃位してケシュマリスタ王太子の妃となった
「そうだな……」
 ハヴァレターシャは”アエロディク”という、帝国でも稀な個体で――通常は女性で、一定期間”無性”となる――この個体は処刑してはならないことが定められている。
 帝国を支配する人造人間には女性と男性の他に「無性」「両性具有」という、通常では存在しない(人間の場合は薬を投与してどちらかの性にしてしまう)性が存在する。
 両性具有は基本処分で”あった”。
 無性は神聖とされ、決して処刑されることはない。
 帝国の法以前の決まりにより、ハヴァレターシャは処刑されずに廃位され新たな地位を得た。
 他にも理由はあった。次の皇位を継ぐように言われたエルロモーダ帝が、ハヴァレターシャを害さないことが即位の条件だと言ったことも、エルロモーダが継がなければ長年ナイトヒュスカ大皇と対立してきた第一皇女ケルレネスが皇帝の座に就いてしまうことなど。

 だがそれらがの事情があっても、テルロバールノル王家はハヴァレターシャを殺害しただろう――彼女がアエロディクではなかったなら。

 イズカニディ伯爵は空になったビール瓶を持ったまま、眼下で揺れる矢車菊を見つめる。
 残念ながら皇太子もエゼンジェリスタもアエロディクでもなければ、もう一つの特殊性別、通常は男性で一時的に無性となる個体ではない。
「最大の敵はテルロバールノル王家とローグ公爵家。戦争仕掛けるようなもんだ」
 よって伝統の王家は皇太子夫妻の殺害を求めで、エゼンジェリスタを生かしてはおかない。
「ああ……」
 娘であろうがローグ公爵家の一員である以上、逃れられない。
「娘を助けろとは言わねえが、殺すために嫁がせる必要もなかっただろうが。殺すつもりなら、ハステリシアでもあてがっておけば良かったんだよ」
「それは……」
 侯爵は自殺した姉の名を挙げる。
「だが現実に皇太子妃になったのは、エゼンジェリスタで……どうすることもできない」
「そうだなあ。ローグとアルカルターヴァは、ファティオラ様の我が儘が効かない相手だし、なによりあの方は大っぴらに言えないからな。エゼンジェリスタの去就を心配してるなんて知られたら、ヴァレドシーア様が女傑様に宣戦布告しちまう……俺はどっちに転んでも、あいつらと戦争か」
「…………アーシュ」
 二人が無言となり、外の空気が冷え始めたころ、
「お風呂上がり!」
 邸の主であるヨルハ公爵が、風呂上がりとは思えぬ血色の悪い顔を屋根に覗かせた。
「シア」
「邪魔している、シア。家主に挨拶しないで……」
「問題ないよ。ねえねえ、オランベルセ。降りておいでよ! バーローズ公爵からティアラもらったんだ! 見て見て!」

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