グィネヴィア[03]
 皇太子宮を退出後、
「御大。本部のほうに顔出しましょう」
「わかった。ウエルダ、また」
「少尉、殿下、閣下。これで失礼いたします」
 ジアノールとオーランドリス伯爵は帝国騎士本部へ顔を出すために、三人と別れた。
「お前たち、この後はどうするんだ?」
「儀典省の役人を呼び出している。式典用の軍服の最終確認だ」
 ウエルダ明後日執り行われる、ゾローデの結婚式典に参列することになっている。皇帝と四王の前で執り行われるその式典、正式な格好で並ぶのは当然であり、新品を着用するのが慣わしとなっている。もともと貴族は一度袖を通したら廃棄というのが主流なので(ロヴィニアは除く)当然なのだが。
 ウエルダは普通の少尉であったため、手持ちの制服は十着。多いようにも見えるが、仕事に着ていく制服で、何度も洗って使用しているので、新しい制服が必要であった。
「なる程な。少尉の制服か?」
「はい、殿下」
 先程ジアノールは「少尉、殿下、閣下」の順で挨拶をした。偉い人から先に名を述べる――少尉ことウエルダはゾローデの側近であり、なによりオーランドリス伯爵が唯一名を挙げたので最初に。次は一応王位継承権を持つ殿下ことダーヌクレーシュ男爵ディークス。最後の閣下がイズカニディ伯爵。単純に所持している権力でいえば「閣下、殿下、少尉」の順なのだが、それだけではないのが貴族というもの。
「俺のことは殿下じゃなくてディークスでいい」
「あ、あの」
「ディークス。ウエルダが困るだろう。黙って殿下と呼ばれていてくれ」
「殿下呼びされると、痒くなるが……」
「そこは我慢だ……まあ、いずれ呼んでもらえるだろう」
「ま。気が向いたら、ディークスって呼んでくれ。……じゃあ、俺はここで」
 先程皇太子宮を訪問する際に使用したモノレールの前で、ディークスは手を振る。
「頑張れよ、ディークス」
「それなりに。じゃあな、ウエルダ。オランベルセ」

 ディークスに見送られ、二人はモノレールに乗り込んだ。

「頑張るとはなんですか?」
 モノレールで二人きりになったウエルダは、ディークスの渋そうな顔を思い出して、ちょっと気になりイズカニディ伯爵に尋ねた。
「祝賀会というやつだ。総司令官帰還のお祝い。ドロテオの生還を祝してエヴェドリット王が開くもので、帝星にいるカーサー以外の本物のエヴェドリット王族全員が出席しなくてはならない」
「そうなんですか」
「身内で開くのが慣わしだ。平民も家族が帰還を喜んで、パーティー開くだろう? それと同じだ」
「ですね」
 今日帰宅すると実家に連絡をしたウエルダも「まっすぐ帰ってきなさいよ」と母や姉に言われているので、制服の採寸が終わったら帰る予定である。「兄さんの好物山ほど用意して待ってるよ」と弟からも連絡があった。
「貴族はそれに、権力やらご機嫌伺いやら、色々と他の要因が絡んで面倒になるだけだ。ディークスはそれが苦手でな」
「あー」
 嫌な親戚もいなければ、仲が悪い兄弟もいないウエルダとは縁遠い理由がそこにはあった。だがそれは、珍しいものではない。むしろウエルダのほうが珍しい――とも言える。

**********


 イズカニディ伯爵の生還、滅多に前線から離れることのないオーランドリス伯爵が帝星にやってきたこと。
 ソイシカ星に縛りつけられている状態のゲルディバーダ公爵が夫であるゾローデと共に訪れたこと――久しぶりに直接会うことができて、エゼンジェリスタは嬉しくて仕方なかった。
 実父であるヒュリアネデキュア公爵も滞在しているのだが、彼に会うことは考えていない。薄情なのではない。なにせエゼンジェリスタは「ヒュリアネデキュア公爵の娘」であった期間よりも「皇太子妃」である期間のほうが長いので、父親として理解していても、親子として接するという考えが持てないのだ。
 礼儀として明日、父と会うが、ウエルダ達に会った時のような楽しさはない。
「グレスが幸せそうでなによりじゃ」
 義理父である皇帝と共に食事を取り、部屋へと戻ってきたエゼンジェリスタは、
「ん? ……なんじゃ?」
 端末に私信が届いていることに気付き、画面を開く。
「カーサーか。なんじゃ?」
 皇太子妃である彼女に、この手の通信で連絡を取ろうとする者はほとんどいないし、彼女も受け付けることは滅多にないのだが、オーランドリス伯爵は別である。
「カーサーから連絡が欲しいとあったのじゃが」
 返信すると、画面に現れたのはジアノール。
『申し訳ございません。少々お待ちください』
「構わぬぞ」
 ジアノールはオーランドリス伯爵が皇太子妃に通信を送ったことを知らなかったので、大慌てでシャワーを浴びている彼女の元へと急ぐ。
 余程の相手でもない限り、オーランドリス伯爵を急かすことはないが、エゼンジェリスタは”余程の相手”の一人。
「御大! 皇太子妃殿下から通信が」
 髪の毛を洗おうとシャワーを頭から被っていたオーランドリス伯爵は手を止め、
「急ぐ」
 そのまま部屋へと戻る。
『待たせた』
「待っておらぬが。入浴中じゃったのか、悪いことをしたのう」
 水浸しのオーランドリス伯爵の頭を後ろから必死の形相で拭くジアノールを眺め、そして胸直前で切れているモニターに安堵と”ちょっとその下にある胸の膨らみを見たかった”なる好奇心を抑えるエゼンジェリスタ。
『オランベルセは婿候補から外す』
「お、おお。あの」
『ウエルダ少尉と一緒に行った時、話すつもりだった。でも麦チョコの話面白くて、忘れた』
 オーランドリス伯爵が皇太子の元を訪れたのは、これが理由であった。
「わざわざそれを言うために、足を運んでくれたのか」
 足を運んだが麦チョコの褥のせいで綺麗に忘れ去り、本部へと行き、そこに居たヒュリアネデキュア公爵を見て”喋るの忘れた……”ことを思い出し、オーランドリス伯爵は急ぎ、忘れる前に連絡を入れたのだ。
『うん。でも会えて嬉しかった』
「おう。ありがとうな。体冷える前に、風呂に戻れ」
『分かった』
 素気なく通信は切れたが、エゼンジェリスタが気にすることはなかった。
「儂も風呂に入って寝るとするか。明日はたしか……」


 エゼンジェリスタが夢の国を散歩し始めた頃、皇太子は一人、書斎でブランデーが入ったグラスを手のひらで遊びながら、様々な考えごとをしていた。
「お呼びと」
 呼び出されたのはデーケゼン公爵ヒルグブレディネ。彼女を呼び出した理由は、婚約者の戦死を悼む為ではない。
「デーケゼン」
「なんでしょう」
「君一人で、エゼンジェリスタを守りきれるか?」
 今までずっと皇太子が内心で考えてきたことを初めて口に出した。それは後戻りできない――
「正直にお答えしましょう。儂一人では無理です」
 いつかはこの話をしなくてはならないと考えていたデーケゼン公爵だが、彼女から皇太子にこの話題を持ちかけることはできなかった。この話をするということは、皇太子が廃嫡になることを前提にしなくてはならない。
「そうか」
 皇太子は自分が皇位を継げるとは思っていない。それに関しては彼は納得している。決して諦めているのではなく、賢い故にどのように立ち回っても、自分が皇帝になる道などないことが分かってしまったのだ。
 廃嫡された皇太子の末路は死。
 それも彼は受け入れることはできるのだが、過去の事例が彼を苦しめる。
 皇太子が廃嫡されるとき、その配偶者も殺されてしまうのだ。
 彼は妃など欲しくはなかったのだが、立太子条件の一つに妃を迎えることを提示され、皇帝になれない彼には、それらに抗う権力などなく、王女ではなく名門公爵家の幼い娘――エゼンジェリスタ――を娶ることとなった。
 彼にとって十三年下の、出会った時には少女というより幼女であったエゼンジェリスタは、妃とは呼べず、娘のような存在であった。
 彼女がイズカニディ伯爵に恋をした。それは彼にとってとても幸せな光景であった。友人と大切な娘のような存在の恋未満の関係。
 やっと少女となったエゼンジェリスタが、自身の廃嫡の際に巻き添えで殺されるのは避けたい。だが抵抗出来ず妃を迎えた彼は、ここでも生かす方法がなかった。
「皇太子殿下」
「デーケゼン」
「はい」
「君とイズカニディ伯爵が協力しあって、どうにかできないか?」
「……」
「リディッシュも覚悟を決めたのだと思う」
 いままで権力から遠ざかっていたイズカニディ伯爵が、大権力者に近い者に仕えるようになった。それは、意志の現れと見て間違いないだろうと。
 皇太子は誰よりも友人であるイズカニディ伯爵に期待していた。大事なエゼンジェリスタを救ってくれるのは、彼しかいないと。
 だがデーケゼン公爵は首を振る。
「廃嫡皇太子の妃を救うなど、生家も巻き添えになります」
 いままで廃嫡皇太子が生き延びた例はない。廃嫡皇太子を庇おうものなら、その家ごと破壊される。
「そうだね」
「儂は善いのですが、他属の貴族を潰すような真似はできませぬ」
「……」
「儂はデーケゼン公爵家当主ゆえ、儂の一存で潰せますが、イズカニディ伯爵は駄目です。あれはデルヴィアルス公爵ではありませぬ」
 イズカニディ伯爵には”いや、特に仲良くないですよ”と当人がいうものの、貴族にしては良好な関係を築いている両親と兄弟がおり、親戚関係も落ち着いている。それらを巻き添えにするのは、皇太子としても避けたい。
「ああ……」
 皇太子の口から漏れる声は、嗚咽にも近かった。
「儂はエゼンジェリスタ殿下を救うためならば、なんでも致します。ですが……相手が上手すぎます」
 ”相手が上手すぎる”普通であれば”相手が悪すぎる”だろうが、デーケゼン公爵でもそうは言えない。相手の目が在るから――ではなく、本当に相手が上手いのだ。なにより、相手が行おうとしていることは、彼女にも納得できる。
 帝国に対し、一切悪いことはしていない、むしろ帝国の為になることだけを行っている。だから”上手い”としか言えなかった。
「悪かった」
「いいえ。悪いのは儂です。儂が単独で皇太子妃殿下をお救いできないのが、全ての元凶に御座います」
「いや、君は悪くない」
「いいえ。主を救えぬ側近など……儂も努力いたしますが……なにか帝国宰相に動きが?」
 皇太子を排除を考えているのは帝国宰相。
 皇位継承権を持つ、大叔父にあたる人物の前に、皇太子は為す術なく――だが、皇太子は帝国宰相を嫌ってはいない。帝国があるのは彼の手腕による所が大きいことは、誰もが理解している。その彼が皇帝にと望むのがゲルディバーダ公爵。今は亡き兄と、誰よりも尊敬している兄のたった一人の孫。五十後半になってもまだ独身の帝国宰相は、ゲルディバーダ公爵の即位に誰よりも固執していた。
「違うんだ」
「では、なぜ」
「久しぶりにグレスに直接会った……皇帝に近づいている。デーケゼンも感じただろう?」
 明後日にはそれが帝国宰相の固執ではなく、誰の目にも当然のことであると皇王族や王族に強く印象付けられてしまう。
 皇太子は久しぶりに会った愛しい少女を前にして、はっきりとそれを感じ取った。
「お答えしかねます」
 デーケゼン公爵も感じていた。ゲルディバーダ公爵を見送たあと、エゼンジェリスタも「なんじゃろうなあ、皇帝の風格というか……我が儘しか言っておらぬのに」呟いたほど。
「そうか。話はそれだけだ」
「では失礼いたします」
 また一人になった皇太子は、深く溜息を吐き出す。

 皇太子も長年考えてきた。実妹のリエンジェリアから皇位継承権が失われてからは、自分が死ねばエゼンジェリスタを解放できるのではと考えて、一度は実行に移したのだが、ケシュマリスタ王の手により阻止された。
 未遂で終わった彼に、ケシュマリスタ王は ―― 君が自殺したら、エゼンジェリスタ殺すし、リエンジェリアの皇位継承権を復活させる。それでリエンジェリアが殺されたら、エレスに戦争仕掛けてドロテオを奪い取って皇帝にする。ドロテオが巻き添えで死んだら、ニヴェに戦争しかけてイグニアを奪ってくる。できないと思ってる? カーサーとクレスタークに全面攻撃を仕掛けるように言うよ。クレスタークは僕の言うこと絶対に聞くから……エゼンジェリスタを生かしておいて? 知らない。僕、エゼンジェリスタのことどうでもいいし。何で僕が? だって君が次の皇帝になるんだよ。廃嫡とか知らないし。暫定皇太子なんて知らない ―― そう言った。

 ケシュマリスタ王は皇太子が即位することを誰よりも望んでいる。だからエゼンジェリスタを助けるということは考えない。それを考えるということは、皇太子が廃嫡になることを認めることになる。それを考えたら最後、ケシュマリスタ王の精神は崩壊してしまい、

―― 殿下が廃嫡になる前に、エゼンジェリスタを殺しかねない ――

 助けたい少女を殺してしまうことになる。
 ゲルディバーダ公爵を皇帝の座に就けようとしているもう一人、ギディスタイルプフ公爵に忠告され、以来皇太子は自殺する素振りは決して見せぬようにしていた。
「分かっているから、聞かないのだろうなあ」
 ケシュマリスタ王は皇太子が廃嫡になることも、愛しい少女グレスが皇帝の座を継ぐことも分かっているが、それに抗い続けている。だから余計に皇太子の話を聞きたがらない。彼の中でゲルディバーダ公爵はケシュマリスタ王に即位して、幸せに暮らし、なんの憂いもなく死んでゆく。苦難の道など歩ませない。
 皇太子はグラスに残っていたブランデーを飲み干し、明日の為に眠りについた。

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