裏切り者の帰還[39]
エゼンジェリスタと皇太子に通信を送ったイズカニディ伯爵は、少々思うことがあり、
「改まって話をしたいって」
「任せてくれ!」
侯爵とクレンベルセルス伯爵に”アーシュと折り入って話したいことがあると連絡を入れた。二人きりだと行き詰まる可能性もあるので、第三者の立場から見て欲しい”と。
二人きりだと行き詰まり、純粋皇王族(両親共々皇王族)が第三者となれば、話題がなにかくらい簡単に想像がつく。
イズカニディ伯爵はウエルダから時間を貰い(どうぞ、どうぞ、ご自由になさって下さい、リディッシュさん――)クレンベルセルス伯爵と侯爵を与えられている個室へと招いた。
帝国軍の准将に与えられる個室は、応接室と書斎、そして寝室が一つ。荷物を収納する部屋が三つと、自由に改装し使うことのできる部屋が四つ。あとは従僕の部屋が一つ。
イズカニディ伯爵は改装自由の部屋の一つを調理室に、あとの三つは作業部屋に ―― 従僕は伴っていないので、その部屋にはエヴェドリットの楽器であるピアノを置いた。
二人を招いたのは前回招いた応接室ではなく調理室。食卓に帝国上級士官学校卒業生なら分かる「缶詰」を積み、缶切りと専用のスプーンをカップに無造作に差して出迎えた。
二人とも各自好きな缶詰を ―― 気配りのできる先輩イズカニディ伯爵は、後輩が好きな缶詰のリサーチも忘れてはいない ―― 手に取り、缶切りで地道に開ける。
侯爵の腕力をもってすれば……だが、これは缶切りを使って開けてスプーンで食べるのが決まり。
各自が好きな缶詰を開き食べ始めた脇で、イズカニディ伯爵はグラスにウィスキーを注ぎコースターに乗せ自分も椅子に腰を下ろす。
「話というのは、エヴェドリットの王太子についてなんだが」
出来るだけ自国の立太子関係については回避する、その考えは変わっていないが、避けるためには情報や根回しが必要となってくる。
「だろうな」
たっぷりの蜂蜜が練り込まれたパンをスプーンで上手に口に運んでいた侯爵が”分かっていた”とばかりに返す。
イズカニディ伯爵はもともと”これら”が嫌で、側近などの職に就かず地下迷宮のメンテナンスに性を出していたわけだが、ウエルダの側近にジベルボート伯爵がなったことで……と。だがコレに関して文句はない。ウエルダのことが心配で側近になったが、側近になると決めたのは他でもない自分。
政治的なあれこれに巻き込まれることを分かってのこと。
「でしょうねえ」
イズカニディ伯爵がこれらから離れた生活をしていたことは知っているので、忙しく動かなくてはならないことを二人も理解している。
ただ理解はしているが、立場は全く違う。クレンベルセルス伯爵は、全くといってよいほど関係はなく、侯爵は昔から対策を練っているので、何があってもほぼ万全の状態。
「ディークスが困ってたんで、ケシュマリスタ側にあたってみると答えたのだが、よくよく考えたらケシュマリスタはアーシュが押さえている部分がある。だから動向を聞かないといけないと」
「俺は中立だ。リディッシュもだろ?」
「ああ。だがアーシュ、中立でいられるのか? ケシュマリスタ軍を率いて出ると、中立にはならないぞ」
「ウチの王も、ヴァレドシーア様の手を煩わせるようなことはしないだろう」
現ケシュマリスタ王はあまり関係がないものの、ゲルディバーダ公爵は祖父母がエヴェドリット王族に縁が深いため、継承戦と無関係ではいられない。
事実ゲルディバーダ公爵は、祖母より受け継いだエヴェドリット王位継承権をも所持している ――
「ケシュマリスタ王がやれといったら?」
関わらないようにすることはできるが、関わろうとしたら幾らでも深く関わってくることができる。
「その時の総指揮官は俺じゃねえな。それは間違いなくゾローデの仕事だ」
「そうか」
「だからこそ、先にこっちを決めたんだ。後まわしにすると、折角のゾローデの出番がなくなるだろ」
”こっち”とは当然、ゾローデを婿に迎えること。そうしなければ、イズカニディ伯爵が心配した通り、侯爵が軍を率いることとなり、若干面倒なこととなる。
「じゃあ、やっぱり出すの?」
「出さない予定らしいが。それでディークスか……あいつも面倒だな」
だが、これらの面倒を避けようとしているところからも分かるように、両国は継承争いに関して関与しない方向で話を進めている。
「本人も言ってます」
ディークスのエヴェドリット王位継承権は当たり前だが、ゲルディバーダ公爵よりも上。
権力も武力もないのに、武力争奪戦必死の王位継承権を持つディークスと、二つの王位継承権と一つの皇位継承権を持つ、帝国を支配する者・ゲルディバーダ公爵。
「お前の実家は独立中立だろうし……俺がディークスに何かしてやると面倒だしなあ。あいつ、王位継承権剥奪を望んでるのか?」
「望んでると言ってましたよ」
「俺が王に直談判してみるか」
「そんなことしたら、アーシュがディークスの父上に恨まれるんじゃないの?」
「キールドルオスタに恨まれてもなあ。つか、あいつを殺したほうが早いか」
キールドルオスタとはディークスの父親で、現エヴェドリット王の実弟。
「それは確かに王も喜ぶでしょうが、ディークスの立場はあまり変わらないので」
故にキールドルオスタを殺害したところで、彼の息子であるディークスの継承順位は変わらないどころか、優先順位が上がってしまい、望みとは逆方向となる。
「だよな。やっぱ、王に王位継承権を整理するよう進言してみる」
「今更聞くのもなんだが、王の意志はドロテオで決まっているのだよな」
今まで故郷の王位継承問題に関して、背を向けて生きてきたイズカニディ伯爵は”もっとも重要”なことを、真意を確実に知っているであろう侯爵に正面から尋ねた。
「ああ」
返事は短かったが、はっきりとしたものであった ――
二人の会話を聞くだけで、口を挟まなかったクレンベルセルス伯爵は、一つめの缶詰 ―― 五種類の貝と、同じく五種類の根菜を酒蒸しし、オリーブオイルとバター、塩胡椒で味をととのえたもの ―― を食べ終え、スプーンを空になった缶詰に差し、グラスを手に持ち、琥珀色の液体を軽く波立たせながら、皇王族らしい質問をした。
「エヴェドリット王はどうしてそんなにドロテオに拘るの? 父上や伯父様から昔はエヴェドリット王はドロテオのこと嫌ってたって聞いたよ」
「……え?」
甘やかせるだけ甘やかし、甘えられるだけ甘えている、そんな王と弟王子しか見たことのないイズカニディ伯爵は、体を硬直させるほどに驚いた。
「リディッシュは知らない?」
「あ、ああ。昔から王のお気に入りだとばかり」
クレンベルセルス伯爵に”間違いだろ? 担がれたんじゃないのか?”という気持ちを隠さずに、牙を隠すのも忘れて。
「……それな……」
まだ中身が入ったままの缶詰をテーブルにおいた侯爵は、言い淀み、険しい表情になって小首を傾げるようにする。
「事情通、アーシュ!」
「事情通でもなんでもねえよ、バルキーニ」
侯爵は自分の右頬を左の人差し指で軽く叩くようにしてから、
「俺も不思議には思ったんだよ。どうして王があれ程までに入れ込むのか?」
表情を戻して、真偽の程は定かではないが”嘘は言っていない”と肌で感じたことを二人に話すことにした。
「ふんふん」
クレンベルセルス伯爵は興味津々、イズカニディ伯爵は困惑を隠せずに侯爵の話に耳を傾ける。
「親父に聞く気にはなれねえ。クレスタークの野郎も同じだが……聞くとしたらクレスタークだろってことで聞いた。で、クレスタークの野郎が言うには、似たような女を好きになったのが最大の要因じゃないかと」
クレスタークは嘘を言うことも多いが、あの時は本気だった――
「はい?」
「似たような……女?」
そしていきなり”第三の女性”の存在を出された二人の伯爵は、顔を見合わせて互いを指指しあって、首を力強く振る。
「ウチの王とドロテオの母親が噂になったのは、年が近いこともあるが、若い頃、王は大宮殿で皇族が住む区画に頻繁に出入りしていたことが元になっている……らしい」
話している侯爵も、聞いている伯爵たちも、エヴェドリット王の行動を直接見たわけではない。
「聞いたことある。エヴェドリット王は王妃を捜してたんだよね」
だがクレンベルセルス伯爵は生まれた時から”そこ”で生活しているので、聞いたことはあった。
「その頃はもう結婚してるから、王妃を捜しているに関しては、何とも言えないが。とにかく大宮殿で皇族が住む区画に頻繁に通ってた。それで、結論から言うとな、ウチの王のお目当ては皇女フォルケンシアーノだったんだとよ」
前の帝国最強騎士、前のアルカルターヴァ公爵の妃。ゲルディバーダ公爵の母親の側近。【現ケシュマリスタ王妃の母】
「唐突だが、言われると白髪の姫君よりずっと納得できるな」
白銀の髪と褐色の肌を持っていた、帝国騎士としても、そして近衛兵としても強かった女性。今までなにか釈然としなかったイズカニディ伯爵は、それを聞いて理解するよりも先に納得した。
「だろ? あの人が欲しかったのは、そっちなんだ。だから皇帝が皇女ミロレヴァロッツァを下賜した際に、父親であった王から奪わなかった……んじゃねえかって、クレスタークの野郎がな」
エイディクレアス公爵の母親であるミロレヴァロッツァと、エウディギディアン公爵の母親フォルケンシアーノは正反対。名が同じゆえにオーランドリス伯爵の母親である黒髪に対し、白髪として対比されるが、本当に比較するのならば皇女フォルケンシアーノと対比すべきである ―― 血筋も嫁いだ先もほぼ同じなのだから。
「皇女フォルケンシアーノだったら奪った?」
「かもな。あの頃、皇女フォルケンシアーノはハヴァレターシャ様の側近で、ウチの王はファティオラ様の父親と仲良しでと……あの頃は幸せだったんじゃねえの? それで、バルキーニが言う通りフォルケンシアーノが王妃になるまでは、ドロテオのことは顧みることもなかったそうだ。ドロテオを手元に置いたのはハヴァレターシャ様が死んでから」
その幸せは、様々な要因により終わりを告げる。
ハヴァレターシャ亡きあと、フォルケンシアーノはエウディギディアン公爵を出産し、すぐに前線へと赴き戦い、そのことが原因で体調を崩し、三歳の娘を残して死んだ。
「それだと納得できるね」
「というと?」
血筋を脳裏に描くことができるクレンベルセルス伯爵は理由を察したが、イズカニディ伯爵は最近の系統だが記憶から呼び出すのに手間取る。
「ではクドイ説明をさせてもらうよ、リディッシュ」
「ああ」
「まずは……面倒だから名前でいこう。エレスヴィーダ王は皇女フォルケンシアーノが好きだった。皇女フォルケンシアーノは五十六代皇帝の最後の夫オルガレア殿下の一人息子ウリルダの子。要するにエレスヴィーダ王の親戚だ」
このオルガレアという人物は、侯爵の祖父でもある。
彼は年の離れた妹皇帝の元に最後に送られ帝婿となり、彼女との間に一人の子を儲けた。
「ウリルダ皇子は父親が違う姉のフラミアル皇女と結婚した。フラミアル皇女の父親はロヴィニア王子」
フラミアル皇女は皇帝と皇婿ザロストノルスとの間に最初に生まれた親王大公で、ウリダル皇子よりも年上。当然というべきか、彼女は弟と結婚する前に別の男性と結婚して、死別している。
「エレスヴィーダ王の正式な婚約者はロヴィニア王女でフラミアル皇女の妹ジュジアの子。エレスヴィーダ王がどれほど皇女フォルケンシアーノとの結婚を望んでも、現王妃との婚約を破棄する理由がないわけだ」
「ああ同系統なんだな」
「むしろジュジアが産んだ現王妃のほうが、若干だが上だ」
「エレスヴィーダ王の父王が後王妃として皇女ミロレヴァロッツァを迎えたのは、当然といえば当然。彼女はまあ……結局そうなってしまったが、妊娠に耐えられない弱い体の持ち主。彼女を息子の妃にとは考えなかっただろう」
ロヴィニアの強みは生殖・繁殖機能の高さ。
「妊娠に耐えられない体だってのに、妊娠はできちまうってのが皮肉だよなあ」
現王妃は跡継ぎとして認めてもらえないでいる王子、王女を数名産んだ。彼女は自分の使命は産んだことで果たしたとし、立太子されない長男やその他の子供たちと距離を置いている。
王の座を自力で得ることのできない者に、維持などできないであろうということで。
「そうだね」
「どう転んでも、王は皇女フォルケンシアーノを手に入れることはできなかった……と」
「だろうな。エヴェドリットとエヴェドリットの兄妹を掛け合わせた皇子の子なんて、もらっても血筋の広がりはねえ。それは別の国に出すべき扱いになっちまう」
親王大公同士から生まれた子は、親王大公ではないが”皇女”あるいは”皇子”と呼ばれるが、親王大公と区別するために「名前の前に」称号が付く。侯ヴィオーヴと呼ばれる皇族爵位と似たようなものである。
これら皇族爵位や、親王大公同士の組み合わせにより生まれた者の呼び方は歴史が浅く、八百年弱前に制定されたもの――
「なにより皇女フォルケンシアーノは強かったから、そういった点も納得できるよ」
強い者を好むとされるエヴェドリットの王が愛するに相応しい女性だと、クレンベルセルス伯爵は納得した。
「ドロテオはエリザベーデルニ殿下のことは、自分から好きになったんだよな?」
イズカニディ伯爵は若干王を疑ったが、
「それは確実だ。イグニアは強いからな」
侯爵は”王が好きになるように誘導したわけではない”と否定した。
「ちなみに聞きたいんだけど、アーシュもやっぱり強い人がいいの?」
「ん……改めて言われると悩むな」
「ずっと聞きたかったんだけど、聞いてもいいかな?」
「なんだ? バルキーニ」
「エヴェドリットって強ければ、同性でもいいの?」
「……」
―― バルキーニ、なぜそこで突撃するんだ! 退いてくれバルキーニ!
話が過ぎ去った過去の出来事ではく、現在の危険水域ギリギリの話題に”するり”と移行したことにイズカニディ伯爵は焦ったが、
「考えたことなかったな」
「アーシュより強い人、そうそういないもんね」
キラーパスの天才と自覚無い同性愛者は、そんなこととは知らずに楽しそうに話しを続けていた。
―― 止めるんだ。それ以上、その話題に触れて……
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