裏切り者の帰還[11]
「我、悪くない」
 なんのことか? 聞いたところ、元帥殿下と最強騎士は初めて出会ったのがこの格納庫で、最強騎士は無言で元帥殿下の髪を毟ったのだそうだ。
 元帥殿下十歳、最強騎士五歳の出来事 ――
「痛かったんだよ」
 頭を両手で押さえて目を潤ませながら叫ぶ元帥殿下と、
「痛いだろうが、そこは仕方ない」
「それは仕方ないことじゃ」
 意見が合っているクレスターク卿とヒュリアネデキュア公爵。
「虐げられる顔なんだから仕方ないよ、ドロテオ」
 そして脇で笑いながら結構酷いこと言うサロゼリス卿。

 詳しい自己紹介は後まわしで、機動装甲を動かす為の訓練が行われることになった。

 一生着ることなどないと思っていた搭乗スーツ。体にフィットする見た目非常に硬そうなスーツ。
「昔よりは良くなってるらしいがな」
 通常の軍服を脱ぎ全裸になり、専用の下着を着用……これは、普通の物と変わらず、材質が違うだけ。その材質も着やすい物なので、問題なく着ることは出来たが、搭乗用のスーツが大問題だ。
「そうなんですか」
 侯爵が着せるのを手伝ってくれると……本当は断りたかったんだけどね。侯爵がクレスターク卿を嫌う要因の一つが機動装甲に乗れないことだと。本人から直接聞いた訳じゃないが。
「これからやるのは、専用の装置にお前の中に眠っている因子を目覚めさせるもので、難しいことは何一つない」
「はい」
 搭乗スーツは全身一体型で、首の部分を広げて体を押し込めるのだが、ふくらはぎの部分で足がひっかかって。急いでズボンはいた時、足がつっかえてしまったような状態。
「待ってろ。ほらよ」
 俺には広げられなかったスーツが侯爵の手では簡単に。侯爵、お世話をおかけいたします。スーツは着ている時は伸縮性はあまりないように感じたが、完全に着用すると締め付けも苦しさもなく、あまり変わらない。
「行くか」
 侯爵はガラスケースからヘルメットを取り出して、ついて来いと右人差し指で合図しながら部屋を出てゆく。遅れてはいけないと、急いで後を追い……人が増えていた。
 帝国騎士全員は覚えていないが、さすがにこの面子は分かる。エヴァイルシェストの皆さんが勢揃いだ。
「緊張しますね」
「そうか? かもな」
 侯爵が手を引いたので、まだ挨拶をしていない人たちには会釈をするだけにして、専用の装置とやらへ急いだ。
「操縦室を抜き出したようなもんだ」
 装置の前で待っていたクレスターク卿の後ろにあったのは、機動装甲の基礎フレーム操縦室そのもの。それを薄紫色をした板で作られた上が閉じられていない箱状の物に”浮かせて”いた。
「箱の中の薄紫色した液体はバラーザダル液だ」
 箱を満たしている物体の色を正確に映しているところから、板は透明なのだろう。
「はい」
 操縦室は筒状で、内部にはレバーやらボタンなどが多数。一応は何処を押せばどうなるかは分かるが、今は必要ないよな。
「バラーザダル液注入ボタンは分かるな」
「はい。この左側の上から四つ目にある、丸形のアナログボタンですね」
「そうだ」
 操縦中は操縦室はバラーザダル液に満たされるが、最初から満たされているわけでもなく、戦闘中はずっと同じ液を使っているわけでもない。途中で成分を変えたり、新しい液にしたりする。バラーザダル液は操縦室の回りを取り囲んでおり、それは八層にもなる。
 機動装甲は何時でも最新の技術が用いられるが、最新技術故の脆さを解消するために、生命に直結する部分はシンプルで強度を追求した物が使用される。
 操縦室にあるレバーや射撃用ボタンもそれ。
「無意味ってか、慣習みたいなものがあってな」
「なんでしょう? クレスターク卿」
 クレスターク卿はひらりと飛び上がり、箱の縁に立った。
 俺の見立てではゆうに十五メートル以上あるのですが、それはそれは事も無げに。
「来い、ゾローデ。お前は落ちても平気だから。ラスカティア、来てもいいけど注意するんだぞ。落ちたら大変だからな」
「誰が落ちるか!」
 左手にヘルメットを持ったまま、ポケットに両手を突っ込んで侯爵は飛び上がりこともなげに縁に立つ。
 俺はちょっと助走をつけてから跳び上がった。いや、箱を蹴っていなら助走つけなくても飛び乗れたが、箱の材質が分からないし、見知らぬ装置を蹴るわけにもいかないからな!
 エヴェドリット貴族に身体能力で劣るのは、恥ずかしいことじゃないしさ!
 箱を作っている板は厚く、二十p以上はあった。その足元に広がる薄紫色の液体。
「ゾローデ。髪を一本引き抜いて、液に入れてみろ」
「はい……す、済みません、一本抜くのはちょっと難しい……」
 髪が短すぎて、一本引き抜くことが出来ません!
「クレスターク、バカじゃねえの。どう見たって無理だろう」
「そうだな、ラスカティア。俺が受け取った履歴書の写真には、綺麗な髪が特徴的な青年士官が映ってたんだがなあ」
「ファティオラ様の本気を舐めるな。あの人の不器用さは、天然皇帝由来だ」
「グレスの不器用さは、確かに俺”たち”も天然皇帝由来と認めるが」
 天然皇帝って誰だ? そんなお名前を持つ御方など……居るわけないよな。
「よお」
「うわっ!」
 対角線上にいたクレスターク卿が十メートルはあろうかという距離を音もなく跳び越えて……心臓に悪い……ではなくて、
「危ないですよ! クレスターク卿」
 俺用に作られているバラーザダル液に落ちたら、それこそ大事に!
「心配してやる必要なんてねえよ、ゾローデ」
「嬉しいなあ。俺のことは誰も心配してくれないからなあ。ラスカティアなんて全然心配してくれないんだぜ。俺はいつも弟のことを心配してるっていうのに」
 言いながら俺の頭を撫で……後頭部がやはり気に入ったようで、しょりしょり、しょりしょりと。そして、親指の腹で目の下を撫でるようにした。クレスターク卿の親指には血。急いで自分の顔を触ると頬まで血が滴っていた。
「顔を前に出して、バラーザダル液に血を入れろ」
「はい!」
 手袋をはめている親指で、どうやって切り傷を作ったのか? 疑問だが、いまは言われた通りに血液を液体に流し入れよう。
 薄紫色の液体へ落ちていった血。血液はバラーザダル液に投入された時の状態のまま、漂う。
「ほらよ」
 傷口に治療用パッドを貼られ……何が起こっているのか、よく解らない状態の俺に、液体内で踊り遊んでいるような血液を指さすようにして説明してくださった。
「バラーザダル液が合致するかどうかを確認する儀式だ。通常は髪の毛なんだが、体の一部ならどれでもいい」
「あー俺専用のバラーザダル液でない場合は溶けてしまうのですね」
「そうだ。一応確認してから乗るのが慣わしでな。俺、そのうち禿げそうだ」
 豊かな黒髪を俺の血がついた手でかき上げられる。いつも出撃なさっているということだな。
「禿げちまえ……」
 侯爵の声が響いてきた。
「これで確認は終了。あとは任せたぞ、ラスカティア」
 クレスターク卿は箱から降り、俺も続いて飛び降りた。
「ほらよ、ヘルメット」
 侯爵が渡してくれたヘルメットを被る。
 機動装甲はヘルメットに連結されるコードにより、考えるだけで動かすことが可能なのだが、様々なことを加味し ―― 例えば十六年近く前のオルドファダン大会戦の時のクレスターク卿が戦った時のように ―― 手動でも操作できるようになっている。
 侯爵がコードを繋ぎ、
「後はクレスタークの指示に従え……大丈夫だ、お前ならできる」
 離れていった。
 リラックスできる体勢、座っているわけではなく寝ているわけでもない、ゆるやかな体勢のシートに体を預けて上を見ている。
 操縦室が完全に閉ざされると、内部に数々のモニターが映しだされた。俺がいま居る箱を映している画面もある。
『ゾローデ。バラーザダル液を注入しろ』
「はい」
 かなり”渋い”バラーザダル液注入ボタンを力を込めて押し、操縦室が満たされるのを待つ。ヘルメット内以外の全てが液で満たされる。
 モニターを見ると、俺が入っている操縦室は、箱の中心辺りまで沈んだ。
 バラーザダル液の色を映していた透明素材で作られていたと思っていた箱が、突如輝きだす。回路が通された特殊材質 ―― 機動装甲の内装に使われるイルドバリーダ板だったんだな。
『ゾローデ。まずは深呼吸して、ヘルメットの中にバラーザダルを入れろ。初心者ってか、大人になってから機動装甲を操縦するようになるヤツにとって、最初に躓く部分だが……お前なら大丈夫だ。色々とやっただろう、学生時代』
 液体に満たされると思うと、息ができるとは分かっていても抵抗がある。治療器に入る時は意識ないから良いんだが、これはなあ……。
 いやできる筈、できる筈だ。
 ……深呼吸ってことは肺のセンサーとヘルメットが連動して、素材が浸透率を変化させるってことだから。よし、落ち着いて深呼吸をしてみよう。
 ……全然入ってこない! 恐怖しているんだな。大丈夫、大丈夫。これは死なないから。多少窒息したって死なないって、ほら身体検査も合格しただろう。上級士官学校に入学するためには、身体能力もある程度ないと合格できないって。―― 軍妃ジオには及ばなかったが ―― 軍妃陛下、貴方はどれ程の強さを。
 窒息といえば学生時代、水泳大会で死にかか……思い出しちゃだめだろう。
 精神を落ちつけて何度か深呼吸していると、コツを掴むことができた。
「お待たせいたしました」
『気にすんな。それじゃあ次の段階だ。バラーザダル液に因子に影響する薬剤を投与する。これは戦闘時には使わない薬剤だ。体に害はないが、精神にやや作用する』
 精神に影響するほうが怖いのですが。もちろんそんな泣き言、言いませんが。
「はい。どのような影響があるのですか?」
『知らない記憶が沸き上がって来る』
「幻覚というものですか?」
『いいや、幻覚ではない。それは眠っている過去だ。幻覚じゃないから安心して”それ”に身を委ねろ』
 説明を聞くよりも、やってみろ! ってことだな。
「わかりました。投与お願いします」
『おう』
 眠っている過去って、子供の頃のことを思い出すとか? そういうことなのかなあ。
 バラーザダル液の成分表を写しだしているモニターの数値が、細かく変化する。俺の脳内が変化するまで暇なので、その数値を見ていたら、突然なにも考えられなくなった。
 考えられない事は解るが、えっと……
 耳の奥、脳と言ってしまうには躊躇うような”どこか”から聞こえて来る声。
 王の声に似たような声がなにかを……歌っているのか、喋っているのか?
『ゾローデ、歌を追うな。身を委ねろ』
「はい」
 心拍数が上がり、頭が破裂しそうなほどだ。歌、これは歌なんだ ―― ああ! 王が歌っていた驢馬に乗った少女、ではなくて藍凪の少女か。
 王の声から、似ているが別人の透き通るようでありながら全てを圧倒する声に変わり、そして似ているが圧倒される迫力のない、美しいだけの声に変わって……

―― あーてーしーの ろばー

「ぶほっ」
 音程が外れて現実に引き戻された。なんだ、今の声は? う、歌? 歌っていたのか?
『なにが見えたゾローデ』
「なにも見えませんが、ちょっと歌の音程が外れましたが」
『そうか。じゃあ今度は歌を追え。音程が外れている歌を追うんだ』
「は、はい」
 なんでまたそんな事を……疑問だが、やらなければならない。それにしても”あてし”とは儂が訛って……やばい、余計なことを考えていたら歌が途切れた。どこに行った?
 どうやって捜せばいいのか? 実際聞こえているわけではないが、気持ちとして耳を澄ませてみよう。
 床が近くなった。身長が縮んだ ―― 眠っている過去? 現在と入り交じっている? ここは大宮殿だ。つい最近、初めて立ち入った大宮殿の深部。皇帝陛下の謁見の間近くの扉。黒曜石で出来ている大きな扉を見上げる。この角度から見上げた時、もっとも美しく見えるように刻まれた向日葵の紋だったのか。でも俺はこの角度から見ていないはずだ。
 先程までの歌ではなく、鼻歌が。音痴から程遠く、王の声に近い。
 扉から目を離して鼻歌のほうを振り返る。

―― ふふふふーん!

 ジャッ! ジャスィドバニオン? いや、ちがっ! 体つきは似ているが顔は別人だ。こっちのほうが顔は繊細で王や元帥殿下寄りでありながら、皇王族的な華やかさが!
 これ……じゃなくて、この方間違いなく皇王族!
 腰布一枚で大宮殿を歩けるのは、ガニュメデイーロだけだと。いや、待て……ちょっと待ってくれ。白地で四隅に金糸で秋桜の葉だけが刺繍されている、由緒正しきガニュメデイーロ様。
『どうした? ゾローデ。なにが出てきた』
「ガニュメデイーロが! ジャスィドバニオンじゃないガニュメデイーロが!」
『よし! それに食らいつけ』
 軍人ですから上官の命令には従いますが、本心では嫌です……

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