裏切り者の帰還[04]
 ナイトヒュスカ陛下の”おかえり”の意味が分からないまま……侯爵に聞こうかとも考えたのだが、なんとなく聞けなかった。侯爵は意味を知っている ―― 答えが返ってくることを恐れている自分がいた。
 理由は分からないのだが意味を知るのが怖ろしい。
 良い表現ではないが、人を殺す時よりも怖ろしい……ような気がする。幸い俺は直接的にも間接的にも人を殺したことがないので、あくまでも想像だが。
 問題から逃げているだけという自覚はあるが、白亜の大宮殿に覆われている帝星ヴィーナシアが見えた時、本当に嬉しかった。
「ゾローデ、お帰り!」
「バルデンズ」
 准将の格好で出迎えてくれたクレンベルセルス伯爵とリディッシュせんぱ……
「さあ、陛下のところに行くよ!」
 落ち着いて周囲を見回す前に手首を掴まれて引っぱられる。
「待て、バルデンズ。いきなりな……」
「ゾローデ、聞いていないのか? ゾローデは今回帝国軍側に属し、エイディクレアス公爵元帥殿下幕僚長として従軍するんだよ。ちなみにゾローデは准将で」

 うん、慣れてきた。慣れるには慣れた。知らないうちに予定が決まっていることは。

「聞いてなかった」
 従軍することは問題ないが、いきなり准将はどうだろう?
 俺はつい二週間ほど前まで中佐で……大佐の試験は……
「そっか! まあいいや、手はずは整えているから。行こう! それと、ゾローデ。髪の毛どうした?」
 頭を刈られていたこと、すっかり忘れていたよ。ナイトヒュスカ陛下、まった触れてこなかったから。
 いや触れるには触れてきたけど。貴族の嗜みである手袋をはずして、俺の後頭部をなで上げているクレンベルセルス伯爵と同じく、後頭部を撫で撫でと。触り心地が面白いのは認める。俺も顔を洗ってから後頭部を撫で上げるのが癖になってきた。
「これか? ゲルディバーダ公爵殿下が切って下さった」
 本当は”刈った”だがご本人は”切った”おつもりなので、切ったとしておこう。
「そうか。良かったな!」
 大宮殿内を移動する際に使われるモノレールに乗りこむ。陛下ねの謁見者用専用車なので、室内は豪華でなにより広い。
 車両一つ(長さ55m・幅6m)に一組だけという割り当てなので広い。車内に給仕が五名ほど控えており、脇には料理や茶が乗ったワゴンがある。
 残念ながら、
「お茶を楽しむのはまた今度の機会だ。謁見の間に到着する前に、この書類とこの書類にサインを。そっちのサインが終わったら、こっちに目を通して」
 そんな余裕はない。

 ウエルダが卒業した帝国士官学校と、俺が卒業した帝国上級士官学校の大きな違いは「経験がある」こと。
 ウエルダたち士官学校卒業生は任務に付いて、昇格する際に書類審査と試験を受けて合格してから、実地の研修を受ける。少尉から中尉に階級が上がると、率いる人数が違うなどがあるので、それらに対応するための研修がある。
 俺たち上級士官学校卒業生は全員が元帥予備軍。「卒業生は元帥までの道が敷かれた」……建前上だが、元帥になれるとされている。
 この”道が敷かれた”というのは、在学中に元帥の仕事まで全部実際にやってみることにある。ある日いきなり元帥になっても、職務が遂行できるように ―― 帝国上級士官学校は軍の全てを学ぶところだから、下は下士官から上は元帥まで全ての階級の実地訓練を行い、合格しなければ卒業できない。
 職務についてから学科試験を受け、合格すると研修などはなく”分かっているもの”として仕事を渡され、それに難なく対応することができる。だからいきなり准将になっても困らない……建前上は。
「バルデンズ……いいのか?」
 書類に目を通すと、俺は大佐と准将の試験を受けて合格したことになっているのだが、試験を受けたのが「代理受験者・クレンベルセルス伯爵」になって……。替え玉試験じゃないのか? これ。駄目だろ、普通に考えて。
「いいんだよ。そうそう、心配しなくていいよ! 恥ずかしくない点数で合格したから。満点は無理だったけど」
 問題はそこではなく……落ち着いたら試験を受けさせてもらおう。非公式でいいから、受けさせてくれ。勉強するから!
 皇帝陛下より帝国軍准将位を授与されて、
「ヴィオーヴ、戦功を上げて帰還せよ。大将位を用意して待っているぞ」
 一会戦で二階級上がるということは戦死。
 准将から大将となると三階級ですから。陛下は俺のことを中将と勘違いしているのか? 思わず渡された階級章を見直したが、准将位だった。
 なんいせよ、こうして俺は正々堂々替え玉試験により、晴れて帝国軍准将となりました。
 謁見の間の前で待っていてくれたクレンベルセルス伯爵が、また手首を掴み、大股で歩き出す。
「さあ、行こう!」
「今度は何処へ?」
「エイディクレアス公爵元帥のところだ」
 俺は殿下の幕僚長になるんだったな。幕僚長、幕僚長……リディッシュ先輩と侯爵がいるから何とかなるだろう!
 またモノレールに飛び乗り、今度は幕僚関係書類に目を通し。全部に目を通す前に元帥殿下の元へと到着。待たせるわけには行かないので、書類をまとめて急いで車内から降り、衛兵たちがずらりと並んでいる……衛兵は中将で、見覚えのある顔ばかり。先輩に後輩に同学年。彼らが作っている列を通り抜けて、
「お待たせいたしました!」
 覚悟を決めて”デセネア王子”の居る部屋へ。扉を開けるとエイディクレアス公爵殿下の他に、ウエルダとリディッシュ先輩が居た。俺が陛下より准将位を授与されている間に移動したようだ。
「ゾローデ先輩。俺のこと、覚えているか」
 ”デセネア”
 この銀河帝国の二代皇帝。初代皇帝シュスター・ベルレーと初代皇后ロターヌ・ケシュマリスタの間に生まれた一人娘。線が細く儚げな容姿。風に舞う小さな花弁、幽けし月の光の如き……その消えてしまうような美しさと言われる最大の原因は、夫であった初代エヴェドリット王から受けたとされる暴行。
 同意のない行為で二代皇帝デセネアは、三代皇帝、四代皇帝を儲けた ―― ”以来この顔はレイプ顔って言うんだよ”入寮式の際に自己紹介してくださったのが、エイディクレアス公爵殿下その人。
「もちろんですとも……ドロテオ”くん”」
 繊細な顔、というのを殿下で初めて知った。綺麗で華やかなのに儚い。清楚さとも違う、清らかではなく……万人が儚く感じるであろう容姿。
「では改めて自己紹介だ。エイディクレアス公爵ロヌスレドロファ=オルドロルファ。俺の幕僚長になってくれたこと感謝する、ヴィオーヴ侯爵ゾローデ」
 感謝される意味が分かりませんが、しっかりと手を握られて、興味深げに側頭窩のあたりを……触りたいのかな?
「初めての幕僚長ゆえ、至らぬことも多いとは思いますが、誠心誠意務め上げさせていただきます……触ります? 後頭部」
 クレンベルセルス伯爵がまた手袋を脱ぎ、触って見せる。
「……うん! 俺も触るぞバルキーニ!」
「どうぞ、ドロテオ。手袋は脱ぐべきでしょうね」
 二人に後頭部を撫でられていると、
「そのくらいにしてください、ドロテオ」
 リディッシュ先輩が”はいはい、また今度”と割って入ってきた。
 撫でたりないようで、切なげな表情でリディッシュ先輩を見上げるが、
「そんな顔しても駄目ですよ。バルキーニもな」
 兄が弟を諫める……いや、父親が息子を注意しているような……。残念そうに二人が手袋をはめ直していると、不躾極まりない音を立てて扉が開いた。
 現れたのは、帽子を被っている御方。
「ウエルダ・マローネクス! お前に勝負を申し込む」
 ……ウエルダ、ロヴィニア王子になにかしたのか? いや、なにかする筈ないよな。ウエルダと王族を繋ぐのは俺なので、俺が理由を聞こう。
「あの、フィラメンティアングス公爵殿下。ウエルダがなにかしましたか?」
 王族にしては珍しい短髪。俺とは違い、普通に短髪。癖のない黒髪で前髪がやや長目にカットされ、褐色の肌。白銀に雪のような肌でロヴィニア顔は凶悪詐欺師的なイメージになるが、この色合いでその伝統的なお顔だと、やや野性味が感じられて格好良い。……通常の色彩でも格好はいいさ、全財産有無を言わせず奪われそうなイメージがあるだけで。
「私のオランベルセを返してもらう!」
 リディッシュ先輩を? 返す? ウエルダに勝負?
「グレイナドア殿下、先ずは主たるゾローデに挨拶をするべきでしょう」
 俺の疑問をよそに、クレンベルセルス伯爵が「最後のロヴィニア王子」ことフィラメンティアングス公爵殿下に促すと、
「そうだな。私はお前の側近になったフィラメンティアングス公爵グレイナドアだ! ありがたく思え!」
 名乗って下さった。
 三人目の側近にして、テルロバールノル王も「動かし辛い」といったのは、グレイナドア殿下のことだったのか。他国の王子となれば、色々と面倒もあるのだろう。
「よろしくお願いします、フィラメンティアングス公爵殿下。ところでウエルダ……」
「近寄るな、バイ!」
 開きっぱなしだった扉から、軽やかに駆ける足音が聞こえてきて、そのまま止まらずジベルボート伯爵が飛び込み、フィラメンティアングス公爵殿下にキックを。”もろ”に食らった殿下は、元帥殿下の執務机に腹部を強かに打ち、天板に抱きつくようにして動かなくなった。
「グレイナドアは両刀使いなんだ」
 元帥殿下は俺の疑問に答えてくれた。殿下は女性関係が華やかなので、両方を好むとは知らなかった。
「聞いてくださいよ、ヴィオーヴ侯爵。グレイナドア殿下って両刀使いなんですけど、女は来る者拒まずで、男は好みにめちゃくちゃ煩いっていう、ホモ寄りの両刀使いなですよ。それでオランベルセのことを気に入って、側近にしてから手を出そうと画策した馬鹿でもあるんですよ」
 ジベルボート伯爵、俺、それに対して頷くことも否定することも出来ない。
「こら、キャス」
「僕はエゼンジェリスタとも仲良しだから、オランベルセのことを守って……」
「ジベルボート!」
 体を起こしたフィラメンティアングス公爵殿下が怒鳴りつけたが、
「なんですか? ミーリミディアを側近にしようとしたお馬鹿王子さま」
 ジベルボート伯爵は投げキッスをしながら軽くいなした……強いなあ。
「フィラメンティアングス公爵殿下、ミーリミディアを側近になさるとは」
 ”ミーリミディアさん”が誰なのか見当も付かない……いや、思い当たる人が一人。ケシュマリスタの名門ウリピネノルフォルダル公爵閣下のお名前のような。
「オランベルセ、私のことが心配になっただろう! 心配になったであろう!」
「いいえ。グレイナドア殿下でしたら、ミーリミディア相手でも負けることはないでしょう」
「ま、まあな。オランベルセは私のことを良く理解しているな! ……実はな、サゼィラのところのルキレンティアアトをも側近にしようとしているのだ!」
 クレンベルセルス伯爵が”捨て身や自爆を通り越している”と呟いた。
 ミーリミディア様やルキレンティアアト様がどのような方かは分からないが、リディッシュ先輩の興味を引くために側近にしようとしていることだけは……先輩がウエルダの側近になってくれたのは、ジベルボート伯爵を止めるためと、俺はクレンベルセルス伯爵から聞いたが、フィラメンティアングス公爵殿下はそれを誰か別の人から聞いたんだろうな。
「ケシュマリスタの将来の王婿の側近をなさるのですから、最良の人選だと思いますよ」
「私のことが心配ではないのか! オランベルセ」
 ジベルボート伯爵が月色の髪の先を指で玩びながら、
「どっちと結婚する気なんですか? ロヴィニア王族王位継承権最下位さんだから、どちらかからも選んでもらえなさそうだけどぉ」
 とても可愛らしい笑顔で……
「え、どっちかと結婚するの? グレイナドア」
「しないって、ドロテオ」
「今キャスが結婚するって。二人とも恐くて、美しいけど怖ろしくて、触ったら折れそうな体付きだけど、鞭さばきが容赦無くて……女なら来る者拒まずって凄いね!」
「違う! ドロテオ」
 事態をどのように収拾すべきか? 悩んでいるところに、
「リィィィディッシュゥゥ!」
 やたらと聞き覚えのある声が。リディッシュ先輩は表情を変えず――
「ゾローデ、怖ろしい、殺されそうな声が」
 俺と同程度、話について行けていないウエルダが、服の袖を引っぱり青い顔をして咆吼について聞いてきた。
「トシュディアヲーシュ侯爵がリディッシュ先輩のことを呼んでる声だ」
「トシュディア……侯爵って、バーローズ公子の?」
「ああ。俺も最初はびっくりしたんだが、トシュディアヲーシュ侯爵はご機嫌だと、あんな感じ」
「ご機嫌?」
「うん、ご機嫌。とってもご機嫌。最初は俺も、リディッシュ先輩を威嚇しているのかと思ったけど、違うんだってさ」
 開いている扉を更に叩き付け、壁にめり込ませてしまう。普通ならば機嫌が悪い時の行動だが、侯爵は逆で機嫌がよいとそうなる……扉を壁に全部めり込ませるなんて、普通の人はできないが。
「久しぶりだな、リディッシュ」
「久しぶりですね、アーシュ」
 口の両端が持ち上がり、鋭い眼差しに殺気というか血に飢えた気配というか。
「……」
 ウエルダは目を見開き首を振る。その瞳は思った通り乾いている……恐怖に潤むと思われがちだが、度を超した殺意に晒されると全身から水分がなくなる。血の気が失せるの真の意味を理解した。
 侯爵にしてみれば標準殺意で、この位は普通らしい。まさに一般人が直視してはいけないタイプの人だ。
「ラスカティア! 貴様にオランベルセは渡さんぞ!」
「うるせえ! グレイナドア」
 グレイナドア殿下はあまり強くはないようで、俺でも見える速度で侯爵が殴り飛ばした。天井まで吹き飛び、ヒビを入れて落下して……元帥殿下が床に叩き付けられるのは回避してくださった。
「気失ってるね」
「煩いから、このままにして出発するぞ、ドロテオ」
「そうだね、アーシュ……心配しなくていいよ、ゾローデ先輩。グレイナドアは戦闘センスないけど、体は丈夫だから」
 エヴェドリット王族と王族に並ぶ強さを誇る大貴族の二人から見たら、大体の人は戦闘センスはないと。
「ロヴィニアの面の皮並の強さ……って、起きたのか!」
「オランベルセ! 逃がさないぞ。ラスカティア、貴様遠征中にオランベルセを口説くつもりだろう! 貴様もオランベルセを側近にと希望していた一人。私には分かる、貴様が諦めていないことを。ウエルダ・マローネクス勝負っ……」

 帝星に帰ってきた時は安堵したものだが、今は一刻も早く前線に向かいたいと思うのは……身勝手な男だ、俺は。

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