偽りの花の名[13]
「君はケシュマリスタ王太子の婿になるんだ。分かったね、ゾローデ」

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「グレスの夫、決めたよ」
 異星人から奪った巨大惑星型空母を改良した最前線基地に連絡が入ったのは、ゾローデが自分の人生が変わったと感じた日から遡ること半年ほど前のこと。
『それは良かった。誰なのか聞いていいのか? ヴァレドシーア』
 最前線基地の一角に作られた豪華な部屋に居る、一人の黒髪の男が受け取った。
「うん。聞いて欲しいから連絡したんだよ。名前はゾローデ・ビフォルト・ベロニア」
 鋭さ以外のものを感じさせない眼差しが、遥か遠くにいる「精神感応相手」を射貫く。
『帝国上級士官学校卒の男か』
「あれえ? 知ってるの。驚かせようと思ったのに。つまらないな」
 ソファーに腰を下ろしていた男は足を組み替えて、言葉とは裏腹に楽しげな表情になった相手に手の内を明かした。
『その男、二十五歳だろ。弟の同級生だ』
 兄は弟に嫌われている自覚がある。
「二十五歳だよ。そっか、ラスカティアの同級生かあ」
 弟は帝国上級士官学校を首席で卒業しておきながら、帝国軍には残らず、また自分が属する王国軍にも入らず、まったく関係のないケシュマリスタ王国の国軍に籍を置いた。
『お前、なんでその男に決めたんだ?』
「彼ねえ、ララシュアラファークフなの」

 ララシュアラファークフ。それは随分と昔の名前。すっかりと忘れられていた名前 ――

『そりゃまた。それで俺に連絡してきたったことは、出世のためにこっちで会戦でも用意しとけってことか?』
 男が覚えていたのは、それがヴァレドシーアに関係するためである。
「話が早くていいね。その通りだよ、クレスターク」
『それで時期は何時だ?』
「半年後に照準を合わせて」
『半年も必要ないぞ。すぐに寄越せよ』
「普通の軍人ならね。彼さあ……」

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 廃墟王城の中心。砕かれた玻璃が床一面に散らばっている部屋で、椅子に腰をかけて目を閉じているトシュディアヲーシュ侯爵は訪問者があることに気付いた。
「ラスカティア」
 話しかけられるまで黙っている
「なんだ、ジャセルセルセ」
―― クレスターク絡みだろう
「お前の愛しいお兄さまからご連絡」
 予想は的中していた。
「居ないって言えよ」
 ゲルディバーダ公爵ただ一人の側近である彼がわざわざこの場所に足を運ぶ理由は、この報告以外ないに等しい。
 不仲なことは有名。バーローズ公爵の子息に不仲相手から連絡が来たことを伝えることは避けたい。通信を入れることすら恐れる。
 だから恐怖など物ともしないデオシターフェィン伯爵が伝えにくる。
「お前の愛しく賢く嫌われていることを理解しているお兄さまが、個人的な理由で連絡寄越すわけないだろう……とのことだ」
「分かった」
 立ち上がり玻璃を踏み、やや耳障りな音を上げながらラスカティア立ち去った。
 デオシターフェィン伯爵はその場に残り天井を見上げる。割れた円形のガラスからさし込む光。遠くに見える海鳥の影。

 デオシターフェィン伯爵はゲルディバーダ公爵の側近である。トシュディアヲーシュ侯爵やイルトリヒーティー大公も側近として近くにいるが、実際は「夫候補」として傍に仕えるよう、各自の王から勅命が下っていた。
 ゲルディバーダ公爵は皇帝に最も近い ―― 
 ”次の皇帝に”最も近いのではなく、ただ”皇帝に近い”と言われる。要するに現皇帝を退位させて新皇帝として立てようとしている者たちが多数いるのだ。
 公爵が皇帝に立った時、各王家は婿を送る。
 トシュディアヲーシュ侯爵やイルトリヒーティー大公は、その為に近くで待機していた。
 イルトリヒーティー大公は現テルロバールノル王の従弟にあたる。
 現テルロバールノル王には三人の弟王子が居るものの、どれも「無能過ぎて外に出せぬわ」とされ、誰一人結婚することなく王城で飼い殺しにされている。唯一”まし”なのは第三王子で仕事をすることを許されているが、婚姻は許可されていない。
 テルロバールノル王には息子が二人いるものの、まだ二歳と五歳。
 政局が大きく動き、ゲルディバーダ公爵が皇帝に即位することになるとしたら、公爵が王に即位する前。残りは三年弱しかないため、息子たちは婿になるには若すぎる。近親者のなかで婿に出しても恥ずかしくはない男の中で最もゲルディバーダ公爵に年齢が近い者を選び送った。
 エヴェドリット王には八人の子供がおり、そのうち五人が王子。末の息子は二十歳で、婿として充分に送り込めるのだが、彼は自分の子供たちを嫌っているため、親友の娘の婿にしようなどとは考えもしない。
 彼の覚えが良いのは双璧公爵家の者たち。
 現シセレード公爵は妻帯者で前線を守っているため除外。シセレード公爵には二人息子がいるものの、どちらも幼すぎるので除外。シセレード公爵の実弟ネストロア子爵は、妹でありオーランドリス伯爵の側近。ネストロア子爵がいなければシセレード公爵家は回らないため彼も除外された。
 現バーローズ公爵には二人の息子がいる。クレスタークとラスカティア。どちらが現エヴェドリット王に気に入られているか? それは兄であるクレスタークの方だが、クレスタークは家臣としてエヴェドリット王に最も気に入られているので、それは致し方ないことでもある。
 ラスカティアも《思惑はあるにせよ》亡き親友の忘れ形見の夫候補に選ばれる程なのだから気に入られているのは明白である。
 なによりネストロア子爵とクレスタークはヴァレドシーアと同い年の三十二歳、ラスカティアは二十五歳で年齢から見てもゲルディバーダ公爵の夫に相応しい。
 政略結婚では年齢など――とは言われるが、競う相手がいる場合は年齢も重要なポイントとなってくる。

―― クレスタークがラスカティアに連絡を入れる時は、間違いなく深刻で重要な出来事に関することだが。今回はなんだ?

 デオシターフェィン伯爵だけは夫候補としてではなく、純粋な側近として仕えている。
 彼が属するロヴィニア王家が公爵の夫に送り込むのはギディスタイルプフ公爵。優秀な王子である彼に対するロヴィニア王の期待は大きい。
「時勢はビシュミエラが王になることを望んではいない……」
 ゲルディバーダ公爵がケシュマリスタ王になる可能性は年々減り、皇帝となる可能性が上がっていた。
―― 私ですら分かるのですから……お分かりでしょうに、ヴァレドシーア様
 皇帝は地位をゲルディバーダ公爵に譲ろうしている。
 ケシュマリスタ王はそれでもゲルディバーダ公爵に王位を譲ろうとする。
 皇帝には帝国宰相が、ケシュマリスタ王にはテルロバールノル王が ―― テルロバールノル王は皇帝に恭順している意を表す意味でイルトリヒーティー大公を側近として送った。
 そのテルロバールノル王の内心は、
「分からないな」
 デオシターフェィン伯爵にはまったく分からなかった。

 トシュディアヲーシュ侯爵と同じように玻璃の破片を踏みながら、朽ちた中心にある部屋を後にする。

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 ゲルディバーダ公爵が皇帝に即位し、夫を四人迎えることになった場合、ロヴィニアには目の上の瘤が存在する。
 それがエイディクレアス公爵ロヌスレドロファ=オルドロルファ。
 現エヴェドリット王の母親違いの弟で、皇太子の妹を差し置き、皇位継承権第二位を持つ。
 彼が夫に選ばれることになると、皇位継承権で劣るギディスタイルプフ公爵は第一の夫の座に就くことができない。
 だからロヴィニアはエヴェドリット王の行動を焚きつける。
 エヴェドリット王は「実は自分の息子なのではないか? 父親の妃と通じて産ませた子なのでは」と噂される唯一寵愛するエイディクレアス公爵に王位を継がせようとし、子供たちを殺害しようとしていることを。
 エイディクレアス公爵が王位を継いでしまえば、皇位継承権は放棄されるのでギディスタイルプフ公爵が実質三位に繰り上がる。十三人兄弟の下から二番目の彼、兄や姉たちのほうが皇位継承順位は高いが、それは殺害してしまえば良いこと。
 邪魔であれば殺害する。
 そう現バーローズ公爵が第二子であったクレスターク=ハイラムに跡を継がせようと、第一子を殺害したもの、貴族社会ではよくある出来事。

(エイディクレアス公爵の皇位継承権は母親から受け継いだも。彼と母親が違う他のエヴェドリット王族よりも継承順位が格段に高い)

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 クレスタークもラスカティアも死んだ姉についてはなにも感じはしない。殺されたのが悪いと―― 殺された理由であるクレスタークは悔やみはしない。父親に勝ってくれたら楽だったのに、と”偶に”考えるくらいで。
「なんの用だ。王から特別な司令は受けていないが」
 偶に考える切欠はラスカティア。
 公爵家を継ぐよりも戦争していたいと言えば、公爵家を継いでも戦争し続けることは出来ると返される。
 クレスタークは父親の思考を完全に読んでいるので、それ以上のことは言わない。
 間違って”ラスカティアに継がせたら良いだろう”と言ってしまったら、ラスカティアが殺されることは手に取るように分かる。

 姉の死には無頓着だが弟は生かしておきたいのか?

『ゾローデ・ビフォルト・ベロニアって男のこと教えろ』
 クレスタークはこの少し年の離れた弟を気に入っていた。
 兄弟として暮らしたことなどないに等しいのに、自分を兄として意識する姿が少々楽しかった。故人である姉はただ優秀過ぎる弟を恐怖し、死を甘んじて受け入れる程度でしかなかったが、弟は勝てないなりに牙を見せてくる。
 友人には「悪趣味だ」と言われ、自分でも理解しているが、どうしても楽しいのだ。
「俺の同級生だったゾローデのことか?」
『そうだ』
「成績はちょっと下程度だったが、性格は悪くなかった。下級貴族ってこともあったから、無茶もさせなかったが」
『させても平気だったようだ。ララシュアラファークフだとよ』
「そりゃ知らなかった」
『当人も知らないだろう。で、そいつがグレスの婿だとさ』
「……なる程。で、俺になにを」
『ヴァレドシーアはグレスを驚かせたいそうだ。だから内密に』
「俺から言ったりはしないが」
『だろうな。それでな婿に迎えてすぐに会戦に出して階級を一気に引き上げるそうだ』
「ゾローデのことだから、いま中佐だろう。それほど急がせなくとも」
『一度の会戦で大将まで上げる』
「やり過ぎはあまり良くないんじゃないか? ゾローデなら後方で着実に実績を積んで、文句なく大将まで上がっていける」
『それが、そうでもないんだ。そいつ……』
 作戦の概要を聞き、
「分かった。最後に、カーサーは元気か」
 何時もと変わらぬ終わりの挨拶をする。
『カーサーのことより、自分の妃のこと聞いたらどうだ?』
 これも最早決まり文句。
「……」
 ラスカティアは書面ではヨルハ公爵と既に結婚している。昔から帝国上級士官学校卒業後、即結婚という流れがあり、その場合、地位が高い者から順に結婚して行く慣習がある。
 ラスカティアは下から数えたほうが早いが皇位継承権を持つ男なので、地位が高く、また婚約者がいた為、慣習を無視することができず、十八歳で卒業すると同時に当時四歳のヨルハ公爵(この頃はまだヨルハ公爵ではない)と結婚した。
 慣習など無視するのがエヴェドリットだが、希望と王の命令が合致してケシュマリスタ王国軍に赴任することになる。
 首席卒業なので即座に中枢に入るのだが、ケシュマリスタ王国軍門カロラティアン伯爵はテルロバールノル王の妹を妃として迎えていたこともあり、そこから「慣習を無視する輩を軍には置けない」と命じられ……式は挙げていないが書類上では結婚している。
 ラスカティアがケシュマリスタ貴族であれば内政干渉で少しは持ちこたえられたが、帝国軍人になったエヴェドリット貴族がケシュマリスタ王国軍配属という、奇怪なルートを辿ったため、またエヴェドリット王が極度の面倒嫌いで”どうせ子供を作らなくてはならないのだから、大人しく結婚しておけ”とやる気の無さを発揮してくれたことと、
『折角の美男子が台無しだぞ、ラスカティア』
 テルロバールノル王のケシュマリスタ王に対する鉄拳制裁を前に”結婚して下さらないと、うちの王が死んでしまいます!”とケシュマリスタ貴族軍人たちの嘆願により ――
「うるせえ……」
 ラスカティアは帝国軍に残り、指揮官として前線へと赴き兄クレスタークに会うよりもヨルハ公爵と結婚する道を選んだ。
『俺と会うより余程マシだから結婚したんだろうが』
「うるせーうるせ……」
 年の差を見て解る通り、ラスカティアが入学してからヨルハ公爵は産まれており、故郷に顔を出すこともなかったので、彼は結婚する時まで婚約者の見た目が「ヴァレン」と呼ばれる特殊なタイプであることを知らなかった。
 もっとも知ったとしても、彼と彼女は婚約しており破棄することなどできないのだが。

 通信を切ったあと、クレスタークは笑った。
「うちの弟のこと頼むぜ、ララシュアラファークフの末よ……って、あ、お前は言わないのか?」

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