偽りの花の名[02]
「どうなさいました?」
 ガルトロデア大将に案内され、大宮殿の深部を抜けているとき、懐かしさに足が止まった ―― 他の場所ならいざ知らず、そんなことあり得るはずもない。だが俺はいま三つに分かれた廊下の右側奥に見える、黒い小さな扉を懐かしく感じている。
 黒い扉はおそらく黒曜石で、描かれている藍色の向日葵はからすると……
「いいえ……あまりにも壮麗で足が止まってしまいました」
「そうですか」

 そんなこと、あるはずがない。

 自分に言い聞かせながらガルトロデア大将率いる部隊と共に重たいマントを羽織ったまま、第三十八宇宙港へと戻った。大将たちが去ったあと、部下たちはなにが起こったのかについて聞きたそうな顔をしているが、尋ねてはこない。俺が皇帝陛下の所へ連れて行かれたのは分かっているらしいが、それ以外のことは……分かるはずもないだろうな。
「帰ってくるのが遅くなって悪かったな」
「いいえ」
 俺は責任者室に戻り簡素なテーブルに両手をついて肩を落とす。疲弊しきったので座ろうと椅子を引いたが、このマントに腰を下ろすのは避けたい。
「外すわけにはいかない……か」
 実感はないのだが、王族となった以上、職務中にマントを外すわけにはいかないはずだ。
「髪の長さは足りてるのか?」
 ロッカーを開けて全身を映し出せる鏡の前に立ち、癖のない所々光る灰色の髪をつまむ。下級貴族の私生児だから、髪を伸ばしたものか切ったものか? 悩んで、どちらにも取れるような長さにしている。
 前髪はやや長目で、輪郭にかかるように毛先に軽さを入れている。肩につくほどの長さがなければいかなる場所でも帽子を被らなくてはならないが。
「後ろがギリギリ越えてたか?」
 後頭部にあたりを毟るように掴んでみると、それなりの長さがあったので……おそらく被らなくてもいい。できることなら帽子は被りたくない。
 俺の記憶では帽子は細かい規則が多くて面倒だった。生花を差す必要があったり、それも一日二度取り替えなくてはならない……など、その他色々。
 鏡に映った自分の姿を、意識して見つめる。自分をこんなにもじっくりと見たのは、初めてかもしれない。
 癖のない灰色の髪は所々光る箇所がある。肌の色は象牙色がもっとも近い。夜空の下を歩くと真珠色の肌に見えることもあるが、基本は象牙色だ。瞳の色は下級貴族らしく両目同じで灰蒼色。顔は取り立てて目立つパーツはないが、配置だけは黄金比。体型は軍人らしい体格……一歩手前といった辺り。
 故郷で奴隷たちの中にいると頭二つ以上大きく体格もしっかりとしていたつもりだったが、上級士官学校に入学してみたら身長は普通だわ、体重は軽めだは、体格は劣るわ。身体機能はそれなりあったので、学業との合わせ技でなんとか卒業することはできたが。
 その体格なんだが「見事なシンメトリーだ」とは言われた。全身が完璧に左右対称なんだそうで、また黄金比でもあるそうだ。
 自分の体格だの顔だのをそんなに事細かに分析する趣味はなかったから、分からなかったが”そうらしい”
 ただし周りの同級生 ―― 皇王族や上級貴族たち ―― もほとんど”そう”だったので、俺が目立つことはなかった。周囲の中に埋没していた。それで卒業後、飛び抜けて優秀だったわけでもなく、貴族とのコネクションも築かなかったので、閑職に配属された。
 卒業した頃には俺の第一目的 ―― 正妻の息子よりもよい学校を出る ―― は達成されたので、晴れやかとは言わないが受け入れられた。
 正妻の息子、俺と一ヶ月しか違わない兄。正妻は夫が奴隷と自分を同時期に抱いていたことに怒り、その矛先を俺に向ける。
 本来ならば俺は奴隷として生きて行くはずだったのだが、苦しめるために下級貴族の私生児として届けを出した。
 いまは正気を失った正妻本人が言ったのだから間違いないだろう。正気を失った理由は、自分の息子よりも奴隷の産んだ私生児がより良い学校に入ったことが原因だ。正気を失ったと聞いたときは薄汚い優越感を覚えたもんだ。
 卒業後俺がさほど栄達せず燻っていると聞き、大分正気が戻ってきたと聞いたが。
「俺が王族になったって聞いたらどうなるんだろうな」
 憤死しかねないが……こればかりはどうしようもない。

 終業時間はまだで、いつも通りする仕事もないから時間もある。……俺がどうしてケシュマリスタ王太子の婿に選ばれたのか? 簡単には教えてもらえなさそうなので考えてみることにした。たまには時間を有効に使うべきだろうな。
「ゾローデ」
 そうしていると、仕事上がりのウエルダがやってきた。頻繁にやって来るので部下たちもすっかりと顔を覚えており、簡単に通す……普通はやってはいけないことだが、ここは元々なにもない宇宙港だから特に問題視はしてなかった。
「ウエルダ」
「うわ……それ、なに?」
 ウエルダは見慣れないマントを指さしながら、擦れたような声をあげる。
「王族の証」
 言いながら乾いた笑いがこみ上げてきた。
「王族って……結局どうなったんだ?」
「ケシュマリスタ王太子殿下の婿になった」
「ゾローデ、なにがあったんだ?」
「良い質問だ、ウエルダ。全部包み隠さず説明するぞ。謁見の間へと行き、陛下が婚約は無かったことにするように俺の父親と兄と向こうさんに命じて、ケスヴァーンターン公爵殿下殿下が”王太子の婿”と言ったと思ったら、王族以外受けることができない皇族爵位を陛下より与えられて退出。そして戻って来た。これが全てだ」
 俺だってこれ以上のとは分からない。
「えっと……ゾローデ殿下って呼ぶべきか?」
「謹んで辞退させていただく」
「だよな。でもなんで?」
 俺自身も誰かから理由を教えてもらいたいが、ウエルダの質問はもっともだ。
「学歴と出自が丁度良かったんじゃないか? と俺は考えている。このまま王太子殿下が王子を夫に迎えると、皇室がまた揺れるだろうから、それを避けるためにな」
 俺は生まれが悪い。俺にはどうすることもできないことだが、事実でもある。
 学歴は特段優れているわけではないが、帝国最難関を突破し卒業したという実績はある。
「皇太子殿下とケシュマリスタ王の間に産まれたお方だもんな」

 俺が結婚する……いや、もしかしたらもう結婚してしまったのかもしれないが、ケシュマリスタ王太子殿下は先代ケスヴァーンターン公爵殿下と元皇太子殿下の間に産まれた一人娘。
 対する現皇太子殿下はエルタバゼール帝と皇后の間に産まれた王子だが、皇后は普通貴族の出で、エルタバゼール帝の母君は下級貴族。それどころか……

「底辺でマシなのを捜したら俺になった、って所じゃないかな」
 現皇太子殿下は血筋がまずい。俺のような下級貴族の私生児や、普通平民のウエルダからみたら高貴だが、高貴な世界では間違いなく下位。
 俺の底辺のマシと同じくらい矛盾しているが、そうとしか言いようがない。
「底辺でマシって……言いたいことは分かるけどよ」
「卑屈になってる訳じゃない。卑屈になって良いのは年齢一桁までだ。もうとっくに卒業したよ……ちょっと戻りかけたがな」
 テレーデアリア嬢との結婚も勝手に決まっていて、二年ほど付き合っていた恋人と別れてくるように命じられた。手に手を取って逃げるほど好きではなく、だが別れがたい ―― 激情が生まれるような恋ではなかったが……今となっては何を言っても虚しい。

 なにより、それどころじゃないからな。

 そうこうしていると終業時間になったので、
「ケシュマリスタ王太子殿下の婿になり、王族以外は授けられない皇族爵位を授かった。以上が今日俺の身の上に起こった出来事だ。これ以上のことは聞かれても、俺も答えられない」
 部下たちに全てを語り、夕食でも取ろうと思ったのだが、どうにも背中を覆い隠すマントが慣れなくて、ウエルダが食堂へと行き、料理を詰めた箱を持ってきた。
「王族になった祝いに奢ってやるよ」
「安い祝いだな。ありがたく受け取る……じゃあ明日な」
「おう」
 元々の予定では今日はテレーデアリア嬢と見合いしたことについて、いろいろと愚痴……語る予定だったのだが、彼女と会うことも二度とないだろう。
 テレーデアリア嬢は高慢ではなかったが、鬱陶しい性格だった。俺自身それほど朗らかな性格ではないが、その俺からみても鬱々としている感じで……好みではなかった。
 最初から好みではないだろうと思いながら会ったということもあるが、それを差し引いてもなあ。上級士官学校時代同期の皇王族なみに軽やかな性格は望まないし、アレは別方面で困るが。

 マントを羽織り、食堂料理を詰めたパックを持ち、無料バスを待つ姿は異様だろう。実際遠巻きに見られている。俺は無心になったつもりで官舎直通のバスに乗り込み、座らずに立ったままで。
 独身佐官専用官舎前で降り軍人証をパネルにあてて鍵をあけ、エレベーターも同じようにする。地方の官舎は平屋の一戸建てだが、帝星は土地が少ないので佐官程度は高層住宅になっていて、地位が高いほうが下層。
 佐官だから第二准佐・第一准佐・上級士官候補生・少佐・中佐・大佐の六階級が住む六十八階建て。一階級で十階が割り当てとなっており、残りの八階分のうち六階は各階級ごとのエントランスホール。残り二つは一階のエントランスホールで、最上階は生活保全係員が働いている。
 保全係は洗濯を請け負ったり、仕事に行っている間に買い物をしてもらったり、室内掃除をしてもらったり、食事を作ってもらったりと。生活の細々としたところを補助してもらえる。
 ただし食事に関しては軍食堂のほうを利用している人のほうが多い。理由はあれだ、種類が少なく、メニューが六ヶ月半固定状態なのが飽きるんだ。
 軍の食堂は一週間おきに変わるし種類も豊富で料金も同じとなれば、そうなるだろう。
 十二階にエレベーターが到着し、ドアが開く軽快な音が鳴る。いつもは何も考えずに降りるのだが、今日はマントが引っ掛かったりすると嫌というか……命に関わりそうなので慎重に降りた。
 廊下のタイルは音を小さくする、歩き易い素材で、壁は柔らかなクリーム色で統一されている。簡素な作りだが、一応は佐官用なので質は良いらしい。
 ウエルダが住んでいる一般独身兵士官舎に行って初めて知ったんだがな。
 十六号室 ―― の鍵を開け、部屋に入る。出て行った時となんら変わらない、備え付けの家具しかない室内を見回して、テーブルに料理を置き、端末を立ち上げてマントの外し方を調べることにした。
 上級士官学校の寮の同室が皇王族の伯爵で、私服の時マントを装着しているのを見たことがあるから、大体は分かるが……そんな”なんとなく”で済ませられるような代物じゃない。
「えっと、被服でマント……と」
 人生においてマントの構造を調べる日が来るとは思わなかった……どうやって検索したもの? 本当に手探りだ。
「マントってこんなに種類あるのか」
 マントの項目には辿り着いたが、種類が多すぎる。
 皇族だけでも、皇帝、皇太子、立太子前皇太子候補、親王大公(皇太子実弟妹)、親王大公(第二子)……と、まだまだ続く。
「皇位継承権所持者と王族と……どこ調べりゃいいんだよ!」
 分類は分かっていても、それに関する着衣の決まり事なんて分かるか! 被服全般を扱う儀典省はエリート部署だったな。そりゃそうだろうな、これらを全部管理するとなりゃあ、そうもなるだろうよ。
 簡単なマントの外し方 ―― なんて物はあるはずなく、俺は頼りない装着した時の記憶を呼び起こして、最後から最初にもどるようにして、
「なんとか外れた」
 苦節約二十五分、無事にマントを外すことに成功した。
 我が家にはマントをかけるような設備はないので、ソファーに広げて皺にならないようにする。寮の同室はマントを専用のハンガーに掛けていたが、そんな物普通の店で売っているとは思えないが、念の為にと調べてみた。
「……やっぱり取り扱ってないか」
 当然と言うべきか、取り扱っている店はなかった。
 同室だったクレンベルセルス伯爵に明日会えるかどうか連絡を入れてみよう。今はたしか帝国歴史編纂委員の一人として活動しているはずだから、帝星にもいるだろうし。
 ソファーを覆うような形になっているマントのモノグラム。
 四つの文字の一つはヴィオーヴという皇帝名で向かって左側。並び右側にあるのはイスタンベルディーズの頭文字。ヴィオーヴ帝の本名の第一名。で、恐れ多くもその二つの頭文字の上に位置するのが”ゾローデ”の頭文字だが、その下がどうしても分からない。
 俺のもう一つの名であるビフォルトではなく、ヴィオーヴ帝の本名のイスタンベルディーズ・グレンシェドネラ・キュドラスウィオのどれでもない。
 この頭文字からすると「ラ」で始まる名のようだが……
 聞いて答えてもらえるものかどうかは分からないが、皆目見当がつかないまま考えても仕方ない。俺はテーブルに置きっぱなしにしてた料理の蓋を広げ、牛肉のアスパラ巻きにフォークを突き刺した。熱々ではないので間に入っているチーズが垂れるようないが、固まってもいないので食べやすくそれでいて美味い。
 こんな出来事に遭遇したら食欲がなくなるのかもしれないが、元々なにがあっても食欲が無くならない性格だ。今日も夕食が美味かった!

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