君想う[075]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[126]
 二週間ほど間をおいてマルティルディの供としてエンディラン侯爵が寮へとやって来た時、
「……!」
「……うわあ。すっごいなあ」
 二人とも予想はしていたが、ガルベージュス公爵がイデールマイスラと共に出迎えた。テルロバールノルの王子は、もちろん疲れ切った表情をしている。
 彼は止めようと努力したのだが、彼の頑張りは届かなかった。結果を出せない努力など語るだけ惨めであると。
「お久しぶりにございます、アディヅレインディン公爵殿下」
「ああ、久しぶりだね、ガルベージュス。ところで君のその格好はなんだい?」
 イデールマイスラに努力及ばぬ惨めさを、ひしひしと感じさせた”その格好”
 首に濃い紫と黄色の横縞模様の蝶ネクタイ、フリルが大量についた灰色のシャツに、七分丈の上着とズボン。裾から覗く足には、蝶ネクタイと同じく横縞模様の靴下、色はピンクと灰色。靴のサイズはわざと大きめにして目立たせて、前髪を黒い噴水のように結って飾ったものと同じく赤いリボンで飾り付けていた。
 そう、以前エンディラン侯爵がヨルハ公爵にさせて「可愛い! 可愛い!」と楽しんだ格好である。
「エンディラン侯爵は”可愛い”ものが好きだと聞きましたので、可愛い格好をしてまいりました」
 完璧な男は顔に赤い丸を描くことも忘れてはいない。
「……」
「……」
 同じ格好なのに、まったく可愛らしくない。赤い丸が描かれていても、滑稽ではない。噴水のように上向きに結われた前髪は、あまりの光沢に笑いもなにもこみ上げてこない。
「ガルベージュス! 二人とも言葉を失っておるわい! 貴様のその格好はヨルハのように可愛くはないのじゃ!」
 あの時ヨルハ公爵の格好を可愛いとは思わなかったイデールマイスラだが、ガルベージュス公爵の格好を見て、二人が可愛いと言った意味を理解した。
「うわぁ。美形って凄いなあ。この僕ですら感動したよ」
 隙のある格好な筈なのに、彼の場合は隙が一切存在しない。
「ガルベージュス公爵」
「はい、何でしょう! エンディラン侯爵」
「ぜんぜん可愛くないんだけど。美形のままよ」
 本当に格好良いのだ。
 上記の格好をしているのに、隙無く崩れることなく美形。手作り黒山羊の面を全裸で被った際、顎だけ晒していても美形と判断されたゾフィアーネ大公と同じく、この格好をして顔に赤い丸を描いても、彼は美形であることを隠せない。
 体格も身のこなしも言葉使いも、全てが整い格好良く美形なのだから、ちょっと格好を変えたくらいでは変わらない。
「儂も言ったじゃろうが! 貴様の格好良さは規格外じゃと! 儂がその格好をしたら滑稽じゃが、貴様は儂のように滑稽にすらなれんのじゃ!」
 実はイデールマイスラ、顔も体格も似たようなものなので、こっそりとこの洋服を着て鏡出自分の姿を見たのだ。
 もしも笑える格好ならば、同じものを裁縫系のクラブに発注して、ガルベージュス公爵と共に着用して二人を出迎えようと。マルティルディを笑わせるというよりは、止めても止めても止まらないガルベージュス公爵の奇行を少し薄めるつもりで。
 そんな思いで着用してみたのだが、鏡に映った自分の滑稽さに打ち拉がれて着ることを諦めた。

―― 内面の愚かしさが露わになっているような気がするのじゃあ……

「わたくし、そんなにも格好良いですか? エンディラン侯爵」
「ええ。本当に格好良い。格好良いだけで、可愛らしさの欠片もないわ、ガルベージュス公爵」
「わたくしの努力が足りなかったということですね。そうですね、ヨルハ公爵に似合い可愛い格好だからといって、わたくしに似合うとは限りませんでしたね。独自の可愛らしさを追求することを怠ったわたくしの怠慢! こんなことでは可愛くなれませんね!」
「……(君はどうやっても、僕の大好きな可愛らしさを得ることはできないと思うな。君、格好良すぎだもん)」
 ガルベージュス公爵《エリア》洒落が洒落にならない、笑いが笑いにならない、すべてを無にする真の美形である。

「儂も止めようとしたのじゃが、止めようがなかったのじゃ、マルティルディ」
「聞かなくてもわかるよ。……君もあの格好してみてくれる? イデールマイスラ」
「よいぞ。ガルベージュスから脱がせて借りてくる」
「え? 本気なの? イデールマイスラ」

※ ※ ※ ※ ※


 その頃子爵たちは部屋で、執事から借りてきたヌビアのネックレスキットを開いていた。去年まではこの部屋でエンディラン侯爵と話しをしていたのだが、今年からは皇帝より「エンディラン用の部屋を用意しておけ」と通達があったので、そちらの部屋で彼女としては、したくもないであろうが、皇帝の顔を立てる意味で、たまにその部屋でガルベージュス公爵と会って話をすることを了承したのだ。

「よーし、再生するぞ」

 子爵の部屋には子爵にヒレイディシャ男爵とメディオン。ザイオンレヴィにジベルボート伯爵。そしてヨルハ公爵とエルエデスがいた。
 七人が見るのは執事が貸してくれたネックレスキットの、説明書代わりとも言える《組み立てている時のヌビアの映像》
 愛想がなく、どんな相手を前にしても緊張しないと言われている通り、皇帝と皇太子(当時は親王大公)軍妃の前で実演した際のもの。
 もちろん皇帝一家は映っておらず、説明用なのでヌビアだけが立体映像でどの角度からも見ることができる。
「簡単に作りおったのお」
 ヌビアの手の動きを見てから、メディオンは目の前に広げられている部品を見る。
「本当に簡単ですよね。実は簡単なんじゃないんですか? 触ってもいいんですよね」
「もちろん」
 三分弱の映像を見終えた、子爵とヒレイディシャ男爵以外の、初めてキットに触れる面々は先ずは触れてみることにした。
 子爵は今回かして貰った説明書代わりの映像を繰り返し見る。
「……あれぇ? 映像通りに重ねたつもりだったんだけどなあ。あ、ザイオンレヴィ、やってみます?」
「うん。えっとさ、このワイヤーに描かれた絵柄を合わせていけば……あれえ? なんで?」
 見ている分には本当に簡単そうなのだが、実際にやってみると《意味が分からなくなる》
「わ、儂もやってみたい!」
「どうぞどうぞ」
 今度はメディオンが挑戦。その隣で、ヒレイディシャ男爵が、前回執事から聞いたヒントにもなり得る情報を教える。
「メディオン。ギュネ子爵が言った通り、そのワイヤーの絵柄を合わせれば組み上がるようじゃ。その絵柄は楽譜で”バルグールの超絶技巧練習曲・変ロ長調・草原”じゃそうだ。助けになればと思って楽譜を持ってきたのじゃが、意味なさそうじゃ」
 ”バルグールの超絶技巧練習曲・変ロ長調・草原”はその名の通りで、世の超絶技巧練習曲と同様、五線譜は塗りつぶされているような状態の楽譜である。
「うぉあああ!」
 メディオンが組んでいたワイヤーは音もなく外れて、ばらばらに戻った。
「……力もなにも入れておらんかったのに」
「少しでも間違うと外れるそうじゃ」
「ディーグ、楽譜借りてもいい?」
「構わんぞ、ヨルハ公爵」
「ヴァレンでいって、ディーグ」
「善処はしよう」
 ヨルハ公爵とその両肩越しに最近楽譜が読めるようになったケシュマリスタの二人。
「お主等、楽譜読めるのか? ケシュマリスタは楽譜読めぬと聞いたが」
 メディオンの驚きに、
「僕はイルギ公爵に習ってます」
 音痴改善までは程遠いが、楽譜はト音記号だけならば、読めるようにはなったジベルボート伯爵が答え、
「僕はエルエデスさんから」
 覚えたことを片っ端から忘れてしまいそうなくらいに頭を叩かれつつ、それでもエルエデスに習っているザイオンレヴィも答える。
「才能だけではなく、興味を持ち覚えてゆくとは、立派じゃのう」
「あ、ありがとうございます。メディオンさん……」
 褒められて驚いた二人は感謝して、沸き上がる不可思議な照れを隠すように楽譜に向かう。
 そのザイオンレヴィに音符というものを教えてやっているエルエデスは、ネックレスの組み立てに挑戦中。
 すでに二回ほど崩れているのだが、無言のまま組み合わせてゆく。
「ゼフ、どうだ?」
「楽譜は暗記したけれども、あれと同じように組み合わせるとして」
「やってみろ」
「うん!」
 エルエデスがワイヤーを手渡し、ヨルハ公爵は丹念にその表面の絵柄を見る。
「この楽譜ってヌビアが描いたんだよね? ディーグ」
「そうだ。先日執事殿から聞いたが、怖ろしいことにその絵は組み合わせてから描いたものではなく、組み合わさった時に楽譜になるように一本一本別々に描いたそうだ」
「十八本全部?」
「そうだ」
「どういう頭と指先があったら、こんなこと出来るんだろ」
 0.05mmの古銅色のワイヤーを指先で回しながら眺める。
「戦いの天才と名高いヨルハ公爵が、もっともヌビアに近いと思うのじゃが」
「うーん、多分違う。戦いと創作だからというのじゃなくて……ねえ、シク」
 説明書用映像を見終えた子爵に声をかけてくる。
「なんだ?」
「ヌビアの両親や親戚に器用な人はいなかったんだよね」
「居なかったそうだ。ヌビアが語るところによると、両親も祖父母も親戚も、回り近所で遊んだ友達も、みんな普通だったそうだ」
「ディーグ、やっぱり我とヌビアは違うよ。我は始祖にあたる天才じゃないから。ヌビアはヌビアの前がない、要するに天才の始まりだ。我は天才の才能を受け継いだ存在だ。やはりそこには大きな違いがあるよ」
「……ああ……なるほど。そういう物か」
 天才にはさまざまな天才があるのだなと、ヒレイディシャ男爵はヨルハ公爵の骨張った手を見ながら、遠い天才の世界を思い描いた
 ヨルハ公爵は二回ほどチャレンジして、子爵に渡す。
「シク! もう少し進んだ形を見せてくれ!」
「わかった」
 子爵はそれを受け取り、先程の映像を参考にして組み立て始めた。
 ネックレスキットは、0.05mmのアクセサリー用合金ワイヤーが十八本。ワイヤーの色は古びた銅色をしている。
 そのワイヤーにヒレイディシャ男爵が説明したとおり、組み合わさった時に完成する超絶技巧練習曲の楽譜を、合成銀塗料で描いた。本当の銀を使用しなかったのは、手入れを簡単にするためのこと。
 組み合わせて描いたものとは違い、一本一本に描かれた音符の処理も良い。
 ”バルグールの超絶技巧練習曲・変ロ長調・草原”は平面のノートに書き写すのも難しく、間違いも多いのだが、ワイヤーの画像を取り込み機械で処理して確認したところ、一つの間違いもなく、それどころかどの音符の大きさも同じであった。もちろん五線もヌビアが手で引いたものだが、幅に寸分の歪みもない。
 七つあるネックレスヘッドの留め具は三角形をした一見するとシンプルなものだが、両サイドに皇太子(十七代皇帝)の名前や領地などが、肉眼では読む事が不可能なほど小さな文字で刻まれている。ヌビア本人は無くしても見つかるようにと、簡単に名前を刻んだだけのこと。このヌビア特有の《肉眼では読めない文字》は、刻んでいるヌビア本人にも読む事はできない。ヌビアは頭に描いたイメージそのまま手を動かすことができるので、それが可能であった。
 ネックレスヘッドはというと、これもワイヤーで形が作られている。ワイヤーを組み合わせただけのもので、小さな空洞が390個あり、そこに石をはめ込む。空洞はほとんど同じに見え、計測すると同じなのだが、本当に収まるべき所に収まると工作用ボンドで止める必要は無い。仕組みは当然誰も分からない。
「ヌビアは石の表面の突起を上手く使えと言ったらしいが……」
 さすがに指先の器用な子爵は、挑戦した中でもっとも組み立てたがワイヤーが十五本目のワイヤーを差し込んだ時、すべてが崩れて散った。
「差し込む角度、間違ったな」
「前回より、上達したではないかケーリッヒリラ子爵」
「まあな。触っていると上達してくのが分かる」
「それでいて、作れなくても、途中で壊れても苛つかない。そうじゃないか? ケーリッヒリラ」
「エルエデス」
「我は力で解決できない物は嫌いだが、これは違う。作っている途中で壊れても腹が立たんし、誰かが作っているのを見ていても”こうしたほうが”とも思わん。ただ純粋に面白い」

 卒業までかかっても子爵たちは、当然というべきか、残念というべきか、ネックレスを完成させることはできなかった。そして子爵たちが卒業すると同時に、所有者である執事フェルディラディエル公爵が寿命を終え、新しい所有者はゾフィアーネ大公になった。以降このネックレスキットと、二十個のヌビア作”死の知恵の輪”は、ガニュメデイーロが継承してゆくこととなった。
 ネックレスキットはヌビアの意志通り、気軽に貸し出し触らせるが「死」と冠のついた知恵の輪は厳重に隔離された。
 それというのも、ネックレスキットは中毒性がなく、触らせても学業に差し支えはないのだが、知恵の輪は中毒性が高く生命を危険に晒すほど。無人島に持って行って暇潰しになるのがネックレスキットだが、この二十個の知恵の輪のどれか一つでも持たせて無人島に放置したら、全てを忘れて没頭し死ぬ迄続けてしまうほどの中毒性がある。
 外すのが難しいというのではなく、外して嵌めなおして……が止められなくなるのだ。この知恵の輪、普通の知恵の輪を遊ぶ時とは違う部分の脳が刺激されて、通常では考えられない快感が押し寄せ止められなくなる。

 ヌビアがどうしてこの知恵の輪を作ったのか? それは有名な件の事件が原因である――


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