君想う[054]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[105]
 ロフイライシ公爵バベィラ=バベラ。
「キシャーレン王子、もうじきゼフがやって来ますよ」
 手足を拘束されて檻の中で座っているサズラニックスに声をかける。殺意を極限まで押さえ優しげな口調だが、
「ロフイライシ、顔恐いですよ」
「地顔だ。仕方あるまい」
 その表情は怖ろしいの一言に尽きる。
 バベィラは容姿は上級貴族なので整い美しい。エヴェドリットにしては細身で、当然ながら手足もほっそりとしている。
 ややくすんだ金髪で、髪質はエヴェドリットそのもので”ふんわり”としつつ癖がない。前面から見える範囲では髪型は肩に掛かる程度の長さだが、後ろから見ると首を隠すように後頭部の髪だけが伸び、それをやや低めの位置で一本にまとめている。既婚者としては無造作すぎる結い方だ。
 両サイドが髪が切られているのは眼帯を着用し易くするため。
「そうですけれども、一応」
 同い年の夫は慣れた口調で軽く流してバベィラの後ろに立っていた。

※ ※ ※ ※ ※


「初! エヴェドリット領に着地!」
 言いつつ笑顔でザイオンレヴィとハイタッチをするジベルボート伯爵。
「領域に入った時から凄かったけど、これで通常状態なんだよね! ケーリッヒリラ子爵」
 ジベルボート伯爵とハイタッチをしながら、出迎えからのことを振り返りながらザイオンレヴィが尋ねる。
「まあ……ここまで凄いのは珍しいが、大なり小なり……まあ、なあ」
 帝国領を通りバーローズ領が《見えてきた辺り》から、ケシュマリスタの二人は驚いた。なにせ正面モニターにはずらりと艦隊が映し出されていたからだ。

『出迎えの艦隊だよ』
『え? 出迎えですか? シク』
 その戦艦すべてが砲門を完全解放状態。
『この艦隊の中心に辿り着いたら、艦隊移動する』
『そういうものなんですね、エルエデスさん』
 臨戦態勢の戦艦になれているヨルハ公爵やエルエデスは動じないが、ケシュマリスタ勢には初めての経験。
『ねえ、ケーリッヒリラ子爵』
『どうした? ギュネ子爵』
『どの戦艦の砲門も全部こっち向いてない?』
『エルエデスが搭乗しているからな。もっとも乗っていなくても、普通状態で砲門は全開がエヴェドリットでは普通だ』
『あー』
『我も実家に帰ると、ここまでの大部隊ではないが一中隊くらいの出迎えはある。もちろん砲門は開かれている』

 こんなことを話ながらバベィラの待つ惑星に降り立った。

 旅客船から降りてまず目の飛び込んでくるのは戦艦。宇宙港に泊まっている船は、子爵たちが乗ってきた物以外はすべて戦艦。
 帝国旗と王国旗と公爵旗が掲げられているのは何処でも同じだが、ここでは軍旗も掲げられている。
 それを見つけたザイオンレヴィが無言で軍旗を指さして、子爵のほうを再度向く。
「戦争しているから軍旗を掲げているわけじゃない。いつでも戦争できるという意思表示として軍旗を掲げているんだ」
 軍旗を常時掲げているのはこの国だけである。
「そんなこと、意思表示しなくたって……」
 ”誰もが知ってるよ”とザイオンレヴィは語尾を曖昧にして眼差しで語り、
「他からみたらそうだろうとは思うが」
 子爵はそれをしっかりと受け止めた。
「ゼフ」
 家臣を連れてやって来たバベィラが笑いながら声をかける。
 その笑いは両側の口角が上がっている。だがその上がり具合は人好きするようなものではなく”にやり”としか表現できない嗤いに近い。だがバベィラ本人は本当に楽しい時しかこの表情をしない。
「バベィラ様!」
 ねっとりとしているという湿った感じはなく、無機質な白い仮面に張り付く裂けた冷たい笑いに似ている。
 出迎えに応えるべく駆け出すヨルハ公爵を、客人である四人は動かず眺めていた。
「あの引かれて来た檻の中にいるのは」
「サズラニックス王子だ」
「……どうしてここまで連れてきたんでしょう?」
 エヴェドリットではなくとも理由は解っている。だが敢えてその場面になるまで触れたくはなかったのだ。
 バベィラに駆け寄っていったヨルハ公爵は、嬉しそうに飛び上がりそのまま蹴りを見舞う。
「エヴェドリット流の再会の抱擁?」
 ザイオンレヴィの問いに、
「抱擁はしていないだろう。エヴェドリットでもこんな出迎えはそうそうしない。全く無いとは言わないけどな」
 バベィラとヨルハ公爵の戦いを「聞いていた通りです」と輝く眼差しで見つめるジベルボート伯爵の隣で、この先起こることを解っている子爵は事前に見せて貰っていた避難経路を脳内で再確認する。

―― くるぞ……そろそろ来るぞ……

 バベィラの夫がサズラニックスが入っている檻を開け拘束具を解除する。
「シャアアアアア!」
 叫び声と共に檻を後方に蹴り飛ばし再会の殴り合いをしているヨルハ公爵とバベィラに襲いかかろうとする。
「……っ!」
 そのサズラニックスの顔を拳で殴り飛ばして割って入るのはエルエデス。
 飛ばされたサズラニックスはすぐに体勢を直し、今度はエルエデスへとかかってくる。
「シセレードに王子との殴り合いを取られるのは悔しいなあ」
 そう言いバベィラは「尾」を伸ばし、サズラニックスにも攻撃をしかける。
 バベィラの尾は黒みの強い灰色で、鋼鉄に似た光沢があり、本人の体格と同じく細めで形状は魚の”えい”を思わせる。
「あの尾って凄い固いんですよね」
「そうみたいだよね」
 最強の白骨尾を持つマルティルディの配下である二人は、風を切るのはもちろん遠くの戦艦まで、余波で切り裂いているその尾を見ながら”ぼけっ”としていた。
「逃げるぞ! 二人とも!」
 その二人を両手に抱えて子爵は脱出口ではない方向へと走った。
「シク? どこへ」
「避難経路はあっち」
「避難経路が避難経路だけであると思うな! 疑え!」
 子爵は叫び二人を降ろして、自分で考えた避難経路を走った。
 召使い用のロビーを抜けてそこから建物の裏側、施設管理区画へと入り込み、配線やダクトの間を抜けてゆく。
「こっち大丈夫なのか? ケーリッヒリラ子爵」
 建物がどのように維持されているのか? ザイオンレヴィはこの年までまったく興味を持ったことがなかった。明かりが付くのも空調が完備されているのも、そういう物なのだろうな……と、ごくごく普通の貴族として過ごしてきた。設備というものが存在し、それが維持の為に動いているということを知ったのは帝国上級士官学校に入学してからのこと。
 その中で「裏を知っている人でも通ってはいけないような場所はたくさんあります」と教えられたので、少しばかり不安になり子爵に尋ねた。
「おそら……あまり大丈夫ではないようだ」
「どうしたんですか? シク」
「先客がいる……止まれ、そして動くな。トラップが仕掛けられいる」
 先頭を走っていた子爵は足を大きく開き、片手を床におくようにした。必然的に上にあがる手には短い剣を持ち、設備に傷をつけないようにして”それ”に斬りかかる。
 斬りかかられた相手は、その攻撃をかわして三人の前に姿を現す。
「オルタフォルゼ」
 色合いは子爵とほぼ同じだが、顔の造りや雰囲気がややとげとげしい子爵の兄ネーサリーウス子爵オルタフォルゼ、その人が待ち伏せていた。
「エディルキュレセ」
 二人が短剣を持って構えて睨み合っている脇で、
「さすがですよね、ザイオンレヴィ。避難経路以外を通ることを予測して待ち伏せしてるなんて」
「そうだね、クレッシェッテンバティウ。こういうのを目の当たりにすると、エヴェドリット相手に戦って勝てるなんて思わないし、逃げ切れるって感じもしないよね」
 二人は間抜けで気合いの入っていない会話をしていた。
「……」
「……」
 この「互いの手の内を知り尽くした、同程度の身内」というのは、非常に厄介である。
 罠を張っていた兄のオルタフォルゼとしては、罠に完全にかかってくれなければ相手の数が勝っている分厄介である。
 オルタフォルゼは子爵の兄らしく冷静で、帝国上級士官学校の生徒であるザイオンレヴィとジベルボート伯爵の実力を甘く見たりはしない
 罠にかかるのを回避した子爵だが、このまま後退とは行かない状況で罠を突き破り進むのは難しい。一人で逃げ切ることも、三人で撤退するのも、兄の手の内を知っているのでどうするか? 悩み過ぎ足が動かない。
「……殺しにきたわけではない、エディルキュレセ」
「それは解るが、どうしてここにいるのだ? オルタフォルゼ」
「話がある……」

 オルタフォルゼがこの場にいた理由を聞くのは、もう少し後になってからになる ――

 轟音が外へと抜けて行く。
 建物の外壁を剥ぎ設備を叩き潰しながら現れたのはエルエデス。建物を壊さぬように気を付けて走って逃げてきた子爵の後を追ってきた彼女の後ろには、空を望む事ができた。
「建物の一部が毟られて放り投げられてしまったってことなのかなあ、クレッシェッテンバティウ」
「そうなんじゃないですかね、ザイオンレヴィ」
 菩提樹蜂蜜色の髪は、先程の《挨拶代わりの殺し合い》で頸動脈が切れて血がこびりつき変色している。
「お前がケーリッヒリラの兄か」
 そう言いエルエデスはオルタフォルゼの脇を四人の目では追えぬ速さですり抜けて、背後の罠を力で粉砕する。
「本当にお前等兄弟は手先が器用だな」
 幾つかの罠にはかかり負傷はしたものの、エルエデスの超回復能力の前には罠は意味を成さない。
「オルタフォルゼ。エルエデスが一瞬でも怪我するような罠って……我等を殺す気か」
「お前なら引っ掛からない罠だ、エディルキュレセ」 
 残っていた罠の殺傷力を奪い、エルエデスが引き返してきてオルタフォルゼの眼前に拳を突きつける。
「さて、お前を殺すか」
「……」
 殺す事に理由がいらない、殺されるほうが悪い一族に属している者同士、そこで声があがることはない。
「エルエデスさま! 駄目というか、このバーローズ公爵領で殺したら困った事が起きそうってか!」
 焦って《人を不安にする声》が出てきてしまっているジベルボート伯爵に、エルエデスが事も無げに答える。
「構わん。シセレードの我が、バーローズ公爵領にいる貴族を殺害したところで、誰が困るというのだ。大体殺してケーリッヒリラを侯爵にしてやったら、感謝されるに決まっている。なにより我は跡取りの兄という存在が嫌いだ!」

―― まったく持ってその通り。おまけに跡取り兄と言う存在が嫌いときたもんだ

 子爵は目を細めて口を半開きにして、殺されかかっているオルタフォルゼの方を見る。彼もまた子爵と同じような顔をしていた。

「表情がそっくりですね……僕もこんな場面に遭遇したら、兄と同じような表情になるのかなあ。兄と同じ表情とかなんか……」
「大丈夫。ザイオンレヴィはテールヒュベルディさんと似てませんから! どうやっても同じ顔にはなりませんから! テールヒュベルディさんは男と解りますけど、ザイオンレヴィは女にしか見えませんから! それにテールヒュベルディさんは、内側からにじみ出てくる人の悪さがあからさま。いや! その! あのーそのーほら、でも二人ともお父上のイネス公爵とも似てないのは幸せじゃないかなと。なにその、そっち方面にぎらぎらしてるっていうか、なんて言いますかエロおやじらしさといいますか」
 エルエデスは拳を下ろし、
「ケーリッヒリラ、それを止めろ」
「はい」
 オルタフォルゼの命は救われた。


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