君想う[049]
帝国夕凪ぎ 藍后微笑む[100]
「この程度なら黙っておく」
 エルエデスとヨルハ公爵の小競り合いの規模が少しばかり大きくなり小さな内戦状態になった辺りで、寮の秩序を維持する役割を担っている酒乱な寮母がやってきて、二人を銃の柄で殴り落ちつけた。
 どうしようもない男だが強さや戦い方のセンスは抜群で、若い二人は上手に殴り倒されて、その戦い方に感心して大人しくなった。
「ただ単にエデリオンザに報告したくないだけだけどよ」
 そんなことを言い放ち、暴れた理由を聞いて、
「普通は髪の色に合わせるだろう」
 見事というか当たり前の《中間》を提案し、
「ほー」
「へー」
「ああ」
「そうか」
 子爵以外の四人は納得の呆け声を上げた。ただし視線にはまったく尊敬は含まれていない。子爵は”髪に合わせるのが無難だろう”と気付いていたので、驚きはしなかった。
「ローグの小娘と会うための飾り貸してやるよ。来い」
 そして寮母に連れられて彼の部屋で、深緑の天鵞絨が張られて金糸の房で飾られている箱を手渡された。
「これが万能だろう。とくにお前は栗毛で、何でも合う良い髪色だからな」
 箱の中身は真珠の髪飾り。
 均一の大きさで歪みがない天然真珠で、デザインは汎用的なものだが繊細ではなく大振りで、子爵を飾るのには適している。
(長さ1m50cmのネックレス状のもの二本。それを並べて”あいだ”に透かし彫りのような装飾を施す。汎用的は幾何学模様をさす。使用方法は頭を一周させ固定し、残りを髪と絡めあわせて固定する)
「ありがとうございます。してこの髪飾りの由来は」
 素晴らしい髪飾りを借りただけでは済まない。
 聞かれるかどうかは解らないが、由来や産地や細工をした者の名などしっかりと覚えておかなければ貴族ではない。
「真珠の髪飾り。真珠はケシュマリスタのビシュミエラ星のもので、工房はケシュマリスタ王家直属」
 酔っぱらうとどうしようもない男だが、血筋やその他は見事なものなので、所持品が最高クラスであるのは当然のこと。その辺りは借りた子爵も驚きはしなかった。そもそも箱が深緑の天鵞絨で金糸細工が施されているのだから、それ以外の場所から届くはずがない。
「なるほど。贈り主は?」
「先代王太子エリュカディレイスから俺宛だ。寄越した時のあのガキの台詞は”真珠を生かしたデザインだけど、繊細じゃないから僕には似合わないんだよね。大振りだから、造りが大雑把な貴方なら似合うんじゃないかな”だとさ」
「……」

 子爵が言えることなど、なにもない。

 その他の詳細、作成は何年何月やビシュミエラ星の真珠の特性、工房の職人の概歴などを聞き、子爵は部屋を退出した。
 そのまま部室に戻るとザイオンレヴィが誰が見ても高価だと一目で解るエメラルドを持って待っていた。
 髪飾りではなくマントを留めている肩を飾るものだが、
「それ、どうしたんだ?」
「マルティルディ様からもらったんだよ」
「……だよな」
 貴族が持っているような代物ではない。
 子爵が寮母の部屋へと向かったあと、宝石類の話になり、その流れで「身を飾るのに使用できない宝石を持っている」という話題となり、ザイオンレヴィが部屋から持ってきた。
 ザイオンレヴィがマルティルディから《これ》をもらった経緯は、
「エメラルドの肩飾りと白骨で出来たネックレス、どっちが欲しいって言われたからエメラルドのほうが良いな! と思って希望した。希望しても絶対マルティルディ様の白骨ネックレスを渡されると思ったんだけど、エメラルド下さったの」
 複雑そうに見えて、何とも単純。少女の心など解らない少女顔の少年は《まったく気付かず》手元に置いて過ごしている。
「マルティルディ様の白骨?」
「マルティルディ様は白骨の騎士を所持してるんだけど、言う事聞かないのが数体いたんだよね。最近はもう全員支配下に置いたけれども昔はね。それで言う事聞かない白骨の騎士の骨を”めきめき”と剥がしてたんだ」
「それ、マルティルディ様は痛くないのか?」
「そこは大丈夫らしいよ」

 そんな話をしながら借りた真珠の髪飾りを装着して、髪の通し方を全員で試行錯誤。翌日の夕食後、寮の談話室で、

「ロメララーララーラが香水を送ってきたよ。ロメララーララーラは調香師としてはもう仕事してるからね」
 素っ気ないとしか表現のしようがない透明の瓶をザイオンレヴィが差し出す。
「お、ありがたいな」
 子爵は家族用に作っている香水をまだ使用している。自分用の香水を作らせたいとは考えているが、香りの最終段階は自身での吟味なので、他にやることが多すぎ手が回らない状態。
「白檀がベースだって。ロメララーララーラが”ケーリッヒリラ子爵は白檀が似合うタイプだから楽しい”って言ってたよ」
「僕やザイオンレヴィは白檀とか似合いませんもんね。お花の香りしか似合わない」
 見た目だけなら”ほんわか”した二人を見て、子爵はエンディラン侯爵が作ってくれた香水の匂いを嗅いでみる。一々指示を出して吟味するよりかは、自分の趣味に合っていたら多少高額でも依頼しようと考えながら。
「たしかに二人には似合わ……どうした? エルエデス」
 子爵から取り上げて、渋い顔をして頭を振る。
「他の時ならまだしも、女と会うとき別の女が作った香りはやめておけ。とくに未来のテルロバールノル出皇后の側近になる女と会う際に、未来のケシュマリスタ王の側近になる女が作った香りなど。ケーリッヒリラが女という危険に飛び込むのが好きならば止めはしな……って! ゼフ!」
 エルエデスの尤もな説明の最中、ヨルハ公爵はその香水を”ひょい”と取り上げて子爵にかけてて、匂いを嗅ぎ始める。
「シクに似合ってるよ。香りの広がり具合も絶妙だ。本当に上手だね」
「たしかにケーリッヒリラには似合っているが、あのエンディランのことだ。絶対にリュティトを苛つかせる為に作って寄越したはずだ。そう思うだろう、ジベルボート、ギュネ」
「……」
「……」
 ザイオンレヴィもジベルボート伯爵も、エルエデスの言葉を否定することはできなかった。それどころか、それ以外の理由で作って送ってきたなど考えてすらいなかった。
「……要するにお前たちは、エンディランが嫌がらせ込みで送ってきたことは解っていたんだな」
 二人の微妙な表情に”ぴん”ときたエルエデスが詰問する。
「あ、うん。そうです」
「ケシュマリスタ女は嫌がらせ目的以外で贈り物しないー! ごめんなさい! オヅレチーヴァ様ああああ! 僕はそんなつもりは! そんなつもりはありません! 先代への最高の嫌がらせはサルヴェチュローゼン様なんて、僕は聞いておりません!」
「贈り物って大体そんな感じじゃないの?」
 ザイオンレヴィはジベルボート伯爵の叫びに重ねるように「僕も似たようなものだけどね」と儚げに見える笑顔で答えた。
「本物だな、ケーリッヒリラ」
「そうだな、エルエデス」
 エヴェドリットも大概エヴェドリットと言われるが、ケシュマリスタも大概ケシュマリスタなのだ。
 結局香りは元々使用しているものを用いることになり、エンディラン侯爵が贈ってくれた香水は彼女と会う際に身に付け、その時に改めて依頼することに決まった。
 明日は楽しんで来いよ! と、全員に声をかけられて、子爵も笑顔で返した。そして部屋に戻った子爵はエルエデスに通信を入れた。
「エルエデス」
『どうした? ケーリッヒリラ』
 先程まで直接会っていた相手からの連絡に、エルエデスは怪訝さを隠さずに尋ねる。
「いや、改めてお礼を」
『なにがだ?』
 画面越しのエルエデスは、実際に会っているエルエデスよりも表情が良く現れるように子爵は感じた。
「エルエデスがいてくれて良かった。男だけではやはり足りなかっただろう」
『そんなことか。礼には及ばん。お前の失態はエヴェドリット全体の失態に繋がるからな。それは避けたいと思ってのことだ』
「それでも本当にありがたかったよ」
『そうか……我がお前とこうやって会話し、楽しめるのは在学中だけだ。卒業したら同属ながら他属よりも遠いところにいるだろう。……だからなんだ? と問われると困るが……今は楽しもうと思っている。だからお前も我に付き合え、ケーリッヒリラ』
「喜んで……」
『……ケーリッヒリラ』
「なんだ?」
『お前は兄から家督を奪おうと考えたことはないのか?』

 子爵がエルエデスを苦手とする理由は《これ》本人自身わかっていないことだが、この性質の違いが苦手意識を持たせていた。
 子爵は本来であればエルエデスのように兄に牙を剥く性質でなくてはらないのだが、彼にはそれが備わっていない。エルエデスの性質が彼の生きる世界では正しいとは解っているのだが、その正しさがどうしても受け入れられなかった。だが子爵は自分はエヴェドリット以外の規範では生きていけないことを知っている。だからその正しさを身に付けなくてはならない。

「それが無いんだ」
『実力は拮抗しているだろう。頭だけならお前の方が良さそうだが』
「まあ……なんだろうなあ、本当に家督を奪う気持ちというのが沸かなくてな。断っておくが、我は長兄として生まれていたら、逃げ出さずに家督は継ぐであろうし、弟が戦いを仕掛けてきたら戦い地位を守る。争いを仕掛けてきた弟を躊躇わずに処刑する。その地位を捨てるような真似はしないが……弟である我は欲しないのだ。エルエデスから見たら不思議だろうし、我も何故心の奥底から沸き上がってこないのか、自らの心中ながら疑問なのだが……こればかりは」
 地位を嫌うわけではない。この能力を持っていたとしても、家長を継ぐ立場であれば逃げ出さずに妻も迎える。
 だが現実において子爵は弟であり、それらの責任を負う必要がない。
『お前は生きやすいだろう』
「そうだな。大変なことはあるが、生きているのが楽しいな」
『それはそれで良いのだろう』
「エルエデスが家督を狙うのはどうしてだ? 本質だけが理由じゃないだろう?」
 本能的に争いを好むと言われるエヴェドリットだが、争いを好むだけが理由にはならない。実際エルエデスよりも争いを好むヨルハ公爵は、菓子を破棄されるまでは家督を欲しはしなかった。
『欲しいものが手に入らないから、その代わりに地位が欲しい』
「……」
『シセレードの地位さえ手に入れば、それで諦めようと思っている』
「なにが欲しいのか我には解らんし、地位を狙う理由としては漠然としているが、地位を狙うものは概してそうなのかも知れないな」
『狙っている我自身、はっきりとは解らんが。ただな、先程お前の話を聞いて思ったのだが、我は家督を継げる地位にあったとして、弟に地位を狙われたらあっさりと譲るような気がする。我は手に入らぬ物が欲しいだけであって、地位そのものには執着していないようだ。お前も執着はしていないだろう。我も執着はしていないのだが、逆の結果になる』
「執着していないといっても、様々ある……というわけだな」
『そのようだ』

 子爵は通信を切り、明日の準備を整えてベッドに入った。


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