我が名は皇帝の勝利


― 久遠の花嫁  ―


狂える程に愛していた訳ではない

「特に話す事はないが、今日は……またソファーが擦り切れてしまってな、これで三度目だ」
 前通路に置かれたソファー。元々はそこには何もなかったのだが、鬱陶しく立っている俺に呆れ、国でソファーを設置した。
「軍用の、頑丈さだけが取り得の物でいいと申し出ているのだが」
 擦り切れた柔かい革張りのソファー。
 誰もいない通路で寝るのも慣れた。むしろ心地良いほどだ。
「弁償すると申し出ても聞き入れてもらえなくてな。安心しろ、それほど貧しいわけではない。誰一人養う必要もなく、何一つするわけでもない。金は余る程にある……何に使えば良いだろうな、インバルト」
 死んだ妻に話しかける。返事などある筈もないのに。だが、話しかけている時が最も落ち着く。
 他人から観れば「空間に向かって話す、侘しい哀れな男」なのかもしれないが、俺は幸せだ。
 他人の評価などどうでもいい。他人がどう思おうが、どうでもいい。
 此処に戻ってくれば、お前のかつての姿があり、それに話しかけられる。それだけで、幸せだと。生きている時のお前と話せたら、もっと幸せだったのかもしれないが、今更言ってもどうにもならない。

『皇帝の勝利』

 柩が安置されている扉の前通路から離れがたくなったのは、戦争が終結してから。
 たった五年で全宇宙を征服し、再統一を果たした。戦争に『勝利』する必要がなくなったこの国は、皇帝の勝利を戦艦から降ろし、軍施設の奥深くに安置する事に決めた。
 誰も来ない施設の奥に、安置室を作り”そこ”に置かれるようになる。
 真白な床に赤い絨毯、ドーム状の天井は内側から外を観る事が出来る。外側からは中を窺うことは出来ないが。
 戦争中、皇帝の勝利の警備は任されていた、そして現在も任されている。安置室の前の廊下に立って、そして廊下に座って眠り、仕事に向かう。
『何もそうまでしなくとも』と言われたものの、
「別に苦痛ではないし、苦労でもない」
 ”そうまでする”のではなく、そうしていたかっただけの事。
 それを繰り返していたら、皇帝陛下が見かねて通路前にソファーを設置するように命じられた。
 最初は要らないと申し出たのだが「最低でもソファーに寝るように」と厳命され、巡回まで付けられる始末。仕事は信頼されていても、此処に関しては全く信頼されていないらしい。
 邸も拝領したが、返上した。不服などない豪華な邸、城と言っても過言ではないが……必要なかった。着替えやら、私物は最低限持てばいい。軍の個室で充分。
 勲章を貰おうが、名画を貰おうが、興味なく執務室の隅に積み上げていた。その有様にメセアが呆れ、家を買った。
 『大き過ぎる家を買ったから、部屋が余ってる』そう言って、それらを預かっている。
「何か欲しいものはないか?」
 この安置室には何も置く事は出来ない。
 そして俺自身が買ったものを置ける家があれば、家中『年頃の娘』が好みそうな物で溢れかえってしまうだろう。使われもしないのに、買われたものは哀れではあるが。
 妻は何が好きなのか、解りはしない。妻の好みを知っていそうな者達は既にいない。
 ダンドローバーもグリーヴスもファドルも、知っていそうな者は揃いも揃って妻と共に逝ってしまった。
 だから、何一つ買えずに話しかけるだけ。
 世の中の大概の物は買える程に金はあるのだが、使い道は全くない。
 扉が開き、入室許可を得ているもう一人が、何時ものように入ってきた。
「いい加減に寝ろよ。明日も仕事だろ」
 俺がソファーに寝ているかどうかを確認する巡回役を、陛下から直々に仰せつかった、
「メセア」
 メセアは何時ものように、苦笑いしながら、
「毎日毎日、よく話す事があるもんだ」
 腕に毛布を持って現れた。
「自分でもそう思う」
 何を話しているわけでもない。何かを話した気になっているだけだが、それが幸せだった。
「明日は朝から会議なんだろ。若くねぇんだから、途中で居眠りしないように休んでおけ」
「そういうお前はどうなんだ? メセア」
「俺とお前を一緒にするな、ラディスラーオ。俺はガキの頃から夜の仕事をしてきた、根っからの夜型人間だ。酒亭やストリップ劇場に比べりゃあ、こんなの仕事にすらならねえよ」
 メセアに背を押され、部屋を後にする。
「また明日……会いにきていいか? インバルト」
「会いに来て良いかもなにも、此処しか帰ってくるところないだろうが。やれやれ、インバルト、鬱陶しかったら俺の夢枕にでも立ってくれ。引張って家に連れて行くからな」

狂える程に愛していた訳ではない
貴女が居た過去と、貴女が居ない現実
むしろ激情とは正反対
貴女を想い、ただゆっくりと過ぎてゆく俺の日々
それが俺の人生

「お休み、インバルト」

扉を閉め、俺の一日が終る

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